
2026年8月30日(日)、年間第22主日の正午に、カステル・ガンドルフォのリベルタ広場で「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、イタリア語と英語で次のように述べた。 親愛な […]
2026年8月30日(日)、年間第22主日の正午に、カステル・ガンドルフォのリベルタ広場で「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
カンスコフで起きた虐殺に関する悲惨な知らせがハイチから届いています。多くの人がいのちを落とし、他の人々は誘拐されました。犠牲者とその家族に祈りをもって寄り添うとともに、すべての人質が即時解放されることを求めます。関係者のすべてに対して心から呼びかけます。国民の安全の保障のために具体的に取り組み、あらゆるかたちの暴力を終わらせてください。
ネパールとチベットで起きた恐ろしい洪水の被害に遭ったかたがたのために祈ることを約束します。いのちを落とした人、けがをした人、行方不明の人、家族、救助活動に当たる人のために祈ります。すべての人の気遣いが、苦しみを和らげ、人々への必要な支援に貢献しますように。
平和のために祈り続けます。数日前(8月28日)に記念した聖アウグスティヌスは、こう述べています。「平和は〔……〕それを裂いて配ったときに弟子たちの手の中で成長した奇跡のパンに似ている」(『説教357』[Sermo 357, 2])。世界で勇気をもって平和のパンを裂いて配りながら、すべての人の幸福のために分裂を乗り越え、正義を促進し、ゆるしを実践する人々が増えますように。(以上イタリア語。以下英語)
今週の火曜日(9月1日[日本では9月の第1日曜日(2026年は9月6日)に記念])は「被造物を大切にする世界祈願日」です。この日をもって「いのちの水」をテーマとする「被造物の季節」――さまざまなキリスト教教派もそれを行います――が始まります。「被造物を大切にする世界祈願日」メッセージで述べたとおり、わたしたちがともに暮らす家を大切にすることは、心の回心を要求します。それは、破壊をもたらすために用いられてきたものを、代わりにいのちへと方向づけるようになるためです。わたしたちが神の平和のいのちの水の流れとなり、傷ついた世界を新たにするように、すべての人を招きます。
国連は8月25日(火)、ハイチの首都ポルトー近郊のカンスコフが23日(日)夜、武装集団(ギャング)の襲撃を受け、少なくとも47人が死亡、50人以上が拉致されたことを発表した。
ネパール中部と中国チベット自治区の国境付近で8月26日(水)に起きた大規模な土石流と洪水による死者は、8月31日(月)夜、両国で955人に達した。日本人家族5人を含む4471人が行方不明となっている。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。ようこそおいでくださいました。こんにちは。
今日の福音は、イエスが弟子たちに間もなく訪れようとしているご自身の過越の神秘を示したことを語ります。イエスはいわれます。メシアは「必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」(マタ16・21)。
イエスが述べられたことは、その助けによって敵を打ち負かして踏みにじる(詩108・14参照)、力ある勝利者としてのメシアについて弟子たちが期待していたこととかけ離れたものでした。弟子たちはイエスと過ごした日々の中で、その多くのわざとことばによってすでに驚かされていました。しかし、この最後のメッセージは本当にすべての予想を超えるものでした。とくにペトロは異を唱え、イエスをいさめていいました。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」(22節)。
少し前にペトロはイエスを「メシア、生ける神の子」(16節)と認めていました。しかし、このとき聞かされたことばに驚き、おそらく失望したペトロは、行ったばかりのすばらしい信仰告白と対照的に、イエスをいさめます。ペトロはこういおうとしたように思われます。「わたしは確かにあなたがメシアだと信じますが、世が救われるのはこのようなしかたによってではありません」。ペトロは熱心で、確かに真実の愛に促されていましたが、にもかかわらず、このことはわたしたちを考えさせます。
実際、わたしたちにとっても、神の道を理解し、受け入れるのは必ずしも容易なことではありません。とくにそれがわたしたちの道とかけ離れている場合はなおさらです。そのようなとき、わたしたちは、信仰の論理に反して、次のように考える誘惑に駆られます。主は間違っておられる、あるいは、もっとひどい場合には、主はわたしたちに耳を傾けることもなければ、わたしたちに関心をもたれることもないと。激情的でありながら、こうした不安に駆られたペトロは、わたしたちに二つの重要なことを教えてくれます。
第一はこれです。このようなときにあっても、主と対話するのをやめず、主がわたしたちに求めておられることを理解するのが難しいことを、信頼をもって主に示さなければなりません。
第二はこれです。神のわざを裁かず、むしろ、たとえそれがわたしたちの期待に反していても、神がみわざを通して示されることに、祈りながら謙遜に耳を傾けなければなりません。
使徒の首位者であるペトロの偉大さは、このことにおいても示されます。
イエスはペトロにこたえていわれます。「サタン、引き下がれ」(23節)。そして、ペトロと弟子たちに説明していわれます。わたしについて来るには、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従わなければならないと(24節参照)。ペトロはまさにそうしました。イエスのことばを聞いた後、ペトロはこの挑戦を受け入れ、殉教に至るまで、全生涯をもって、自らのあがない主と認めたキリストのことばに忠実にとどまったのです。
それゆえ、信仰と祈りの生活において、ペトロと同じ誠実さをもてるように主に願おうではありませんか。心が混乱しているときも、自分が本当に感じていることを主に謙遜に打ち明けると同時に、わたしたちの期待を超えて主がわたしたちに求めることを受け入れる、ペトロの従順さを培うことができますように。
御子イエスの十字架のもとまで神の計画に従順に従ったマリアがわたしたちを助けてくださいますように。
