教皇レオ十四世、2026年9月30日、一般謁見演説 「フランス司牧訪問を振り返って」(聖書朗読箇所:コロ1・3-6)

 

2026年9月30日(水)午前10時(日本時間同日午後5時)からサンピエトロ広場で行った一般謁見演説(原文イタリア語)。9月25日(金)から28日(月)まで行ったフランスおよびユネスコ訪問を振り返った。

謁見の終わりに、英語で次の呼びかけを行い、合わせてイタリア語で9月27日(日)の列福式に言及した。

 今、エチオピアのティグライ州地域のために呼びかけを行います。(以上イタリア語、以下英語)

 ティグライ州と隣接するアファール州およびアムハラ州の状況を深い懸念を持って見守っています。すべての関係者に対して対話の道を選ぶことを心から呼びかけます。武力紛争は決して問題を解決せず、むしろそれを悪化させ、死と破壊と恨みを残すだけです。誠実な取り組みのみが永続的な平和の基盤を築きます。

 国際社会が寛大で時宜を得た貢献を行い、助けを必要とする人に対する人道支援が確実に行われることを切に望みます。(以下イタリア語)

 今週の日曜日(9月27日)にボローニャで3名の殉教した司祭が列福されました。教区司祭のウバルド・マルキオーニ(1918-44年)、サレジオ修道会司祭のエリア・コミーニ(1910-44年)、デホン司祭会のマルティノ・カペッリ(1912-44年)です。3名は第二次世界大戦が激しくなった時期、小教区信徒への奉仕に対するナチス軍の軽蔑のゆえに殺害されました。これらの神の奉仕者の崇高な犠牲は、現代のキリスト者に、とくに試練のときに兄弟に寄り添う勇気を示します。

9月30日(水)、英BBC放送は、エチオピア北部ティグライ州で政府軍と反政府勢力ティグライ人民解放戦線(TPLF)の戦闘に巻き込まれた市民少なくとも52人が死亡したと報じている。戦闘は9月23日(水)頃から悪化している。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。

 今日は最近行ったフランスへの使徒的訪問についてお話ししたいと思います。この訪問はわたしにとってもフランスにおける神の民にとっても大きな恵みでした。このことについて主に感謝します。わたしを歓迎くださったすべてのかたがた、行政当局者と教会司牧者、キリストの使徒また平和の使者としての教皇に会うことを望み、あるいは沿道でもごあいさつくださった数多くの人々にあらためて感謝申し上げます。

 この司牧訪問についての――今なお鮮明に残っている――思いと印象を、パリのノートルダム大聖堂という一つの偉大な象徴を中心にまとめたいと思います。第1日(9月25日)の午後、わたしたちはそこで聖なるおとめマリアの前晩の祈りを行いました。この荘厳で喜びに満ちた典礼の中で、音楽と聖歌と聖堂の美しさが、祈りで結ばれた人々の心を震わせました。

 悲劇を経験したノートルダム大聖堂そのものが、再生ということばで要約される解釈の鍵を与えることによって、この使徒的訪問全体を象徴的に照らしてくれます。

 わずか7年前に大火災によって致命的な被害を受けたと思われたこのパリの大聖堂は、今や修復され、これまでにない輝きを放っています。この災害は、目に見える実践的なものも、霊的次元における隠れたものも含めた、あらゆるレベルにおける積極的な反応を引き起こしました。

 大聖堂の修復は、教会と国家と公的機関と市民社会の協力の可能性を実証しました。この事業は、篤志家の寛大さと専門家と職人の能力を活用することを可能にしました。共通財のための協力関係は、諸機関、政治・社会勢力、すべての市民と経済指導者の規範となるべきものです。これがフランスの行政当局者と、パリに本部をもつユネスコ(国際連合教育科学文化機関)会員にわたしが伝えたいと望んだメッセージでした(9月25日)。わたしは人間の人格の尊厳がこのような協力の基盤となる根本的な基準であることを示しました。

 しかし何よりもノートルダム大聖堂は、生きた石である教会、すなわち聖なる神の民の象徴です。

 大聖堂での夕の祈りと、パリの大きなスタッド・ド・フランスで行われた若者との夕の祈り(9月25日)を比較するのは興味深いことです。二つの相補い合う行事は、完全に異なる場所で行われたにもかかわらず、さながら霊的に一致していました。何が二つを結びつけたのでしょうか。それは、石やセメントで作られたのではなく、イエス・キリストによって愛されたがゆえにイエス・キリストを愛する人々によって作られた、教会です。ノートルダム大聖堂には、司祭、助祭、奉献生活者、司牧奉仕者が集まりました。スタジアムにはフランスの新しい世代が集まりました。この新しさは、年齢によるものだけではなく、霊と心と信仰の自由のゆえの新しさだといえます。若者たちは歌い、叫びましたが、また沈黙と傾聴のうちにもとどまりました。彼らの注意深く感動に満ちた顔は、真理と愛を望む心を示しました。「皆さんはフランスの聖人です」。夕の祈りは希望の大きなしるしとなりました。

 同じことは、神が愛される小ささの中で行われた、さまざまな困難のうちにある人々の受け入れ施設であるメゾン・バキタでの集会にもいえます(9月26日)。この施設は、人々が日々人間の人格の尊厳に愛をもって奉仕するために自らをささげるための、福音が生み出した多くの場所の一つです。

 ところで、フランスでは近年、再生のしるしが見られます。すなわち、洗礼を望む若者と成人の数の顕著な増加です。この神からのすばらしい「サプライズ」にこたえて、パリで地域シノドス集会が開かれています。わたしもこの集会であいさつし、入信志願者と新たに洗礼を受けた人、また彼らが属する共同体の歩みを励ましました(9月26日)。

 首都パリ訪問の頂点となったのは、コンコルド広場でのミサでした(9月26日)。そこでは再生のしるしが驚くべきしかたで示されました。司祭と聖歌隊と大群衆を大きな広場に集めた礼拝集会は、シャンゼリゼ通り全体から凱旋門とその先まで広がりました。聖体拝領のときには、すべての人があらゆる場所で配られた聖体を受けることができました。これこそが真の再建です。おとめマリアの執り成しによって神のみがもたらしうる教会の復興です。

 それゆえ、パリの後、ルルドに巡礼し、受難と死のときにも信仰と希望のともしびをともし続ける教会の母であるマリアを崇敬したのは、当然かつふさわしいことでした。主はルルドで、おとめマリアの母としての気遣いを通して、すべての巡礼者、とくに心身を病んだ人々に、希望と再生のメッセージを伝えます。わたしがはっきりと述べようと望んだメッセージはこれです(9月27日)。――あらゆる人間のいのちは、深刻な脆弱さを含めたいかなる状態にあっても、自らの不可侵の尊厳を保ち、人間的な共感と科学が与える支援手段によってケアと同伴と苦痛の緩和を受けるに値します。だからルルドは全世界にとって愛の文明の聖地なのです。これに関連して、わたしは何人かの虐待の犠牲者と面会しました。そして、いやしを求める彼らの声に耳を傾け、ともに歩み、彼らの人生の中で生じた苦しみを認め、虐待の防止に努めたいというわたしと教会全体の望みを他の犠牲者にも示す助けになってくださるように願いました(同日)。

 訪問の第三の、そして最後の目的地は、第二次世界大戦による苦難を経験したフランスとヨーロッパの地域にある都市メッスでした(9月28日)。ヨーロッパの統合プロセスの主唱者の一人であるロベール・シューマン(1886-1963年)もこの地で活動しました。現代ヨーロッパは、戦争の破壊の後の平和の計画として生まれました。パリのノートルダム大聖堂の火災で起きたことは、第二次世界大戦によってヨーロッパで起きたということができます。そしてヨーロッパは、民主政と、連帯と、その多くがキリスト教的起源をもつ人々の兄弟愛を基盤として再生しました。今日においても、グローバル化が進んだ世界の中で、この基盤と生きた「リンパ液」によってヨーロッパ統合計画は再生可能です。そこでは諸宗教対話も第一の重要な役割を果たします。そのためわたしはメッスでさまざまな宗教的伝統の代表者と会見しました。この人々はわたしの臨席のもとに対話と平和のための「メッス・アピール」を読み上げ、署名しました。

 愛する友人の皆様。わたしのフランス訪問のテーマは「世を生かすため(Pour que le monde ait la vie)」(ヨハ6・51参照)でした。このご自身の救いの使命全体を要約するイエスのことばは、訪問の間に行われたあらゆる出会いの福音的な意味を余すところなく表しました。今、このことばに促されながら、今回の恵みの出来事が豊かで永続的な実りをもたらしてくれることを神に願います。 

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