教皇ベネディクト十六世の2006年11月12日の「お告げの祈り」のことば 世界の飢餓について

教皇ベネディクト十六世は、11月12日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、雨の中、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語 […]

教皇ベネディクト十六世は、11月12日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、雨の中、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、英語を話す巡礼者に向けて、教皇は当日の年間第32主日の福音の箇所(マルコ12・38-44)に触れて、英語で次のように述べました。「今日の福音朗読では、一人の貧しいやもめが、自分に何も残すことなく、すべてを主にささげたことが述べられています。このやもめの寛大さは、自分のすべてをキリストにささげるようにわたしたち皆を力づけます」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日、イタリアでは「感謝の日」が行われます。今年の「感謝の日」のテーマは「地球――すべての人間家族に与えられたたまもの」です。わたしたちのキリスト信者の家庭では、子どもたちに、食事の前にかならず短い祈りと十字架のしるしによって主に感謝するように教えます。この習慣を守り、また復活させなければなりません。なぜなら、この習慣は、「日ごとの糧」が当然与えられるものではなく、摂理のたまものであることを認めるように導くからです。
 わたしたちはすべてのことについて造り主を賛美しなければなりません。空気と水について。地球上での生活を支えるさまざまな貴重なものについて。また食糧について。神は地の豊かな実りを通じてわたしたちを養ってくださるからです。イエスは弟子たちに向けて、「わたしの」ではなく「わたしたちの」日ごとの糧を天の父に願い求めるように教えました。こうしてイエスは、すべての人が兄弟に対して共同の責任を担っているのを自覚することを望みました。それは、誰も生活に必要なものに不足することがないためです。地からとれたものは神から「すべての人間家族に与えられた」たまものなのです。
 そしてここでわたしたちは、悲惨な飢餓という、きわめて悲しむべき点に触れます。この飢餓は、つい最近も国連や特にFAO(国連食糧農業機関)といった最高機関において呼びかけが行われたにもかかわらず、あいかわらず深刻な状態が続いています。最新のFAOの報告書は、教会がさまざまな教会共同体と宣教者の直接の経験を通じてよく知っていることを確認しています。すなわち、8億人以上の人が栄養失調の状態にあり、あまりにも多くの人、特に子どもが飢えのために死んでいます。
 このような状況にどのように対処すればよいのでしょうか。飢餓は何度も告発されているにもかかわらず、解決されるきざしはなく、それどころかさまざまな意味で悪化しています。たしかに、国際経済の管理システムと関連する、構造的な要因を排除することが必要です。このようなシステムは、地球の大部分の資源を少数の人に分配しているからです。こうした不正は、わたしの敬愛すべき前任者である神のしもべパウロ六世とヨハネ・パウロ二世によってさまざまな機会に厳しく非難されました。
 大規模な変化を起こすためには、グローバルな開発モデルの「転換」が必要です。この「転換」は、今や飢餓の問題だけでなく、環境やエネルギーの切迫した問題からも求められています。しかしながら、一人ひとりの人、またそれぞれの家庭も、世界の飢餓を減らすために何らかのことができますし、またしなければなりません。それは、被造物の保護と、地球のすべての地域を開発する上での正しい基準に適合した、生活と消費のあり方を採用することによってです。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。今日の「感謝の日」はまず、わたしたちが農作業の実りを神に感謝するように招きます。同時にこの「感謝の日」は、わたしたちが飢餓の災いを撲滅するために具体的な取り組みを行うように励まします。おとめマリアの助けによって、わたしたちが摂理の恩恵に感謝するとともに、地上のあらゆるところで正義と連帯を促進することができますように。

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