教皇ベネディクト十六世の2006年12月31日の「お告げの祈り」のことば 聖家族の祝日にあたって

教皇ベネディクト十六世は、聖家族の祝日である12月31日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文は […]

教皇ベネディクト十六世は、聖家族の祝日である12月31日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
ちなみに、12月28日、教皇公邸管理部は、2006年中にバチカンおよびカステル・ガンドルフォ教皇公邸で行われた教皇謁見(一般謁見と個別謁見)、典礼、「お告げの祈り」の参加者数を発表しました。それによると、これらの教皇行事への参加者数の合計は3,222,820人でした。一般謁見(45回)の参加者は1,031,500人でした。この数字は謁見への入場券の発行数に基づくもので、入場券なしで参加した人の数を含みません。個別謁見の参加者は、357,120人、典礼への参加者は、539,200人、「お告げの祈り」の参加者は1,295,000人でした。なお、この統計の数字には、2006年中の教皇のイタリア国内・国外司牧訪問中の教皇行事への参加者数を含みません。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今年最後の主日である今日、わたしたちはナザレの聖家族の祝日を祝います。わたしは喜びをもって世界中のすべての家族の皆様にごあいさつ申し上げます。イエスは降誕祭にわたしたちの間に来てくださいました。このイエスがわたしたちに与えてくださった平和と愛が皆様の上にありますように願います。
 今日の福音の中では家族について語られているわけではありません。福音の中に見いだされるのは、いかなることばよりも価値のある、一つの出来事です。すなわち、神が人間の家族の中で生まれ、育つことを望まれたということです。このようにして神は、ご自分が人類と出会うための最初の通常の方法として、家族を祝福したのです。
 ナザレで生涯を過ごしていた間、イエスはおとめマリアと正しい人ヨセフを敬い、幼年期と青年期の間、ずっと二人の権威に従いました(ルカ2・51-52参照)。こうしてイエスは、人格の教育にとって家族が何よりも大事であることを明らかにしました。イエスはマリアとヨセフを通じて宗教共同体に導き入れられ、ナザレの会堂にしばしば通いました。
 イエスはこの二人とともにエルサレムに巡礼することを学びました。典礼が今日、わたしたちが黙想するように示す、福音の箇所が述べている通りです。イエスは12歳になったとき、神殿に残り、両親は三日かけてイエスを見つけました。この行動を通して、イエスは自分が「父のわざ」を行わなければならないことを両親に理解させました。「父のわざ」とは、神が自分に委ねた使命のことです(ルカ2・41-52参照)。
 この福音のエピソードは、家族がもつもっとも本来の深い召命を示しています。すなわち、家族に属する者が、神を見いだし、神の計らいによって定められた計画を見いだすことができるために、ともに歩むという召命です。マリアとヨセフは、何よりも自分たちの模範によってイエスを教育しました。イエスは両親を通して、信仰と、神への愛と、神の掟のすばらしさを、また正義の必要性を学びました。正義は愛によって完成されます(ローマ13・10参照)。
 イエスが両親から何よりも学んだのは、人が神のみ旨を行わなければならないこと、そして、霊のきずなは血のきずなよりも大事だということです。ナザレの聖家族はまことにすべてのキリスト信者の家族の「原型」です。キリスト信者の家族は、結婚の秘跡によって結ばれ、みことばと聖体に養われながら、社会と教会の生きた細胞となるという驚くべき召命と使命を果たすよう招かれています。教会は全人類にとっての一致のしるしであり道具であるからです。
 今、至聖なるマリアと聖ヨセフが、すべての家族、特に困難のうちにある家族を守ってくださるように、ともに願い求めようではありませんか。マリアとヨセフに支えられて、すべての家族が、家族制度の基盤そのものをむしばもうとする、一部の現代文化の破壊的な影響に抵抗することができますように。マリアとヨセフの助けによって、世界中のキリスト信者の家族が神の愛の生きた似姿となることができますように。

PAGE TOP