教皇レオ十四世、2026年1月25日、「お告げの祈り」でのことば

2026年1月25日(日)の正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べた。  親愛なる兄弟姉妹の皆様。  年間第3主日で […]

2026年1月25日(日)の正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べた。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 年間第3主日である今日の主日は、神のことばの主日です。教皇フランシスコは7年前に、典礼と共同体生活の中で聖書の知識と神のことばへの関心を推進するためにこの主日を制定しました。信仰と愛をもってこの優先すべき目的のために努力するかたがたに感謝と激励を申し上げます。

 この数日間もウクライナは継続的な攻撃を受け、全国民が冬の寒さにさらされています。わたしは悲しみをもって事態を見守るとともに、苦しむ人々に寄り添い、彼らのために祈ります。敵対関係の継続は、ますます深刻化する民間人への影響とともに、民族間の分裂を広げ、公正で永続的な平和を遠ざけています。この戦争を終わらせるための努力をさらに強めるようにすべての人にお願いします。

 今日は世界ハンセン病の日です。この病気に罹患したすべてのかたがたに寄り添います。イタリア・ラウル・フォルロー友の会と、ハンセン病の患者の皆様の尊厳を守るために努力しながら、彼らをケアするかたがたを励まします。

 〔……〕平和のためのキャラバンを開催してくださった、ローマのカトリック・アクションの若者の皆様と、そのご両親、先生、司祭の皆様に心からごあいさつ申し上げます。親愛なる子どもと若者の皆様。皆様に感謝します。皆様はわたしたち大人が世界を別の視点から、すなわち、異なる人々と民族の協力という視点から見ることを助けてくれるからです。ありがとうございます。家庭と学校とスポーツ、そしてあらゆる場所で、平和を実現する者となってください。ことばでも行動でも暴力を振るってはなりません。決して暴力を振るってはなりません。わたしたちは善によってのみ悪に打ち勝つことができます。

 この若者たちとともに、ウクライナ、中東と、残念ながら国民の利益とは異なる利益のために戦闘が行われているあらゆる地域における平和のために祈ります。平和は人々を尊重することによって築かれます。

 今日でキリスト教一致祈禱週間が終わります。今日の夕方、サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ大聖堂で他教派の代表者のかたがたとともに恒例の前晩の祈りを行います。メディアを通して参加するかたがたを含め、参加者の皆様に感謝申し上げます。皆様にとってよい日曜日となりますように。

1月23日(金)と24日(土)の2日間、アラブ首長国連邦の首都アブダビでウクライナとロシアの和平案をめぐるアメリカも交えた3か国の高官協議が開催された。アメリカを交えた3か国の高官による協議はロシアによるウクライナの侵略後初めて。アメリカの政府当局者は24日、次回協議が2月1日に再びアブダビで開催されることを明らかにした。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。

 イエスは洗礼を受けた後、宣教を開始し、最初の弟子である、ペトロと呼ばれるシモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを召し出します(マタ4・12-22参照)。今日の福音のこの場面をよく見ると、わたしたちは二つの問いを発することができます。一つは、イエスが宣教を始めた〈時期〉についての問いであり、もう一つは、宣教し、使徒たちを召し出すために選んだ〈場所〉についての問いです。わたしたちは問います。イエスは〈いつから、またどこで始められたのか〉。

 まず、福音書記者は、イエスが「ヨハネが捕らえられたと聞き」(12節)、宣教を始めたとわたしたちに述べます。それゆえ、宣教は適切とは思われないときに始まりました。洗礼者ヨハネは捕らえられたばかりであり、民の指導者たちはメシアに関する知らせを受け入れる用意があまりできていませんでした。それは慎重さを要求する時期でしたが、まさにこうした暗い状況の中でイエスはよい知らせの光をもたらし始めます。「天の国は近づいた」(17節)。

 わたしたちの個人生活と教会生活においても、時として内的な抵抗と好ましいと思われない状況のために、福音を告げ知らせ、決断し、選択し、状況を変えるには正しい時ではないと考えることがあります。しかし、不決断や過度な配慮に捕らわれて身動きがとれなくなることのほうが危険です。これに対して、福音は信頼をもって危険を冒すようにわたしたちを招きます。神はどんな時にも働いておられます。そして、たとえわたしたちに準備ができておらず、適切な状況ではないと思われるときにも、主にとってはすべての時がよいのです。

 福音書の記事は、イエスが公生活を始めた場所も示してくれます。イエスは「ナザレを離れ、〔……〕カファルナウムに来て住まわれた」(13節)。しかしながらイエスはガリラヤにもとどまります。ガリラヤは何よりもまず異邦人が住む地域でしたが、通商路であったために、交渉と出会いの地でもありました。わたしたちはそこが出自と宗教を異にする人々による多文化的な地域だということができます。こうして福音書はこう述べます。メシアはイスラエルに来ますが、神を告げ知らせるために自らの地の境界を乗り越えます。なぜなら、神はすべての人に近づき、だれをも排除しないからです。神は清い人のためだけに来られたのではなく、さまざまな状況と人間関係の中に混じり合うからです。それゆえ、わたしたちキリスト信者も、自らのうちに閉じこもる誘惑に打ち勝たなければなりません。実際、福音はあらゆる状況、あらゆる環境の中で、のべ伝えられ、実践されなければなりません。それは、福音が人々の間で、文化と諸宗教と諸国民の間で、兄弟愛と平和のパン種となるためです。

 兄弟姉妹の皆様。最初の弟子たちと同じように、わたしたちも主の呼びかけを受け入れるように招かれています。わたしたちの生活のすべての時と場所を主は訪れ、その愛で満たしてくださることを知る喜びをもって。このような内的な信頼が与えられることを、また、わたしたちの歩みに同伴してくださることを、おとめマリアに祈ります。

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