教皇レオ十四世、2026年1月28日、一般謁見演説 連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」 『神の啓示に関する教義憲章』(Dei Verbum) 3.一つの聖なる遺産。聖書と聖伝の関係(聖書朗読箇所ヨハ14・25-26)

 

教皇レオ十四世、2026年1月28日、一般謁見演説
連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」

『神の啓示に関する教義憲章』(Dei Verbum
3.一つの聖なる遺産。聖書と聖伝の関係(聖書朗読箇所ヨハ14・25-26)

2026年1月28日(水)午前10時(日本時間同日午後6時)からパウロ六世ホールで行った一般謁見演説(原文イタリア語)。
講話の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけ(アピール)を行った。

 昨日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」でした。ホロコーストは何百万人ものユダヤ人と他の多くの人々に死をもたらしました。毎年行われるこの悲しみに満ちた記念の機会に、わたしは、反ユダヤ主義もなく、あらゆる人間に対する偏見、抑圧、迫害もない世界を与えてくださることを全能の神に願います。集団殺戮(ジェノサイド)の恐怖が二度といかなる民族にも降りかかることがなく、相互の尊重と共通善に基づく社会が築かれるようにつねに警戒を怠らないことを、国際社会にあらためて呼びかけます。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。

 『神の啓示に関する教義憲章』を読み続けているわたしたちは、今日、聖書と聖伝の関係について考察します。わたしたちは福音書の二つの場面を背景として取り上げることができます。まず、二階の広間で起きた出来事で、イエスは弟子たちに向けた偉大な最後の講話の中で、次のように述べます。「わたしは、あなたがたのもとにいる間、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。〔……〕しかし、そのかた、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれる」(ヨハ14・25-26、16・13〔聖書協会共同訳〕)。

 これに対して、第二の場面はわたしたちをガリラヤの丘へと導きます。復活したイエスは、驚き、疑いを抱く弟子たちにご自身を現し、彼らに次の命令を行います。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。〔……〕あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(マタ28・19-20)。いずれの場面においても、キリストが語ったことばと、それが何世紀にもわたり広められたこととの間の密接なつながりは明らかです。

 これが、第二バチカン公会議が示唆に富む比喩を用いて次のように述べたことです。「聖伝と聖書とは互いに密に結びつき、通じ合っている。というのは、神という同じ源から流れ出ている両者は、ある程度は一体であって、同一の目的を目指しているからである」(『神の啓示に関する教義憲章』9[Dei Verbum])。教会の聖伝は、神のことばを守り、解釈し、体現する教会を通して、歴史を通じて広まります。このことに関して『カトリック教会のカテキズム』(同113参照)は教父のモットーに言及します。「聖書は、文字どおりに」すなわち聖書本文に書かれているとおりに「読むよりも、教会の心で読むほうがまさっています」。

 上に引用したキリストのことばに従って、公会議はこう述べます。「使徒たちに由来するこの聖伝は、聖霊の助けによって教会の中で進展する」(『神の啓示に関する教義憲章』8[Dei Verbum])。このことは、「信者たちの観想と研究」による完全な理解と、「体験された霊的なことがらを深く理解」することと、そして何よりも「真理の確かなたまもの」を受けた使徒たちの後継者の宣教を通して行われます。要するに、「教会は、その教えと生活と礼拝とにおいて自らのありようのすべてと自らの信じることのすべての永続を図り、あらゆる世代に伝えるのである」(同)。

 この点に関して大聖グレゴリオの次のことばは有名です。「聖書はそれを読む人によって成長する」(1)。また、すでに聖アウグスティヌスも次のように述べています。「神の言は一つでありながら聖書の中ですべての文書に広がり、一つの御言が聖徒たちの多くの口を通して響いている」(2)。それゆえ、神のことばは化石ではなく、聖伝の中で発展し、成長する、生きた有機体です。聖伝は、聖霊によって、聖書の豊かさと真理を理解し、歴史の変わりゆく座標のうちにそれを具現化します。

 この点で示唆に富むのは、教会博士聖ジョン・ヘンリー・ニューマンが『キリスト教教理の発展』という標題の著作の中で提言したことです。ニューマンは述べます。キリスト教は、共同体的経験としても教理としても、イエスご自身が種のたとえ話によって示したとおり(マコ4・26-29参照)、ダイナミックな現実です。それは、内なる生命力によって発展する、生きた現実なのです(3)

 使徒パウロは、弟子であり協力者であるテモテに繰り返しこう勧めます。「テモテ、あなたにゆだねられているものを守り〔……〕なさい」(一テモ6・20。二テモ1・12、14参照)。『神の啓示に関する教義憲章』もこのパウロのことばを反響させながらこう述べます。「聖伝と聖書とは、神のことばの一つの聖なる遺産を形成し、教会に託されたものである」。そして、聖書の解釈は「ただ教会の生きた教導職のみにゆだねられており、その権威はイエス・キリストの名において行使される」(同10)。「遺産」は、元の意味では、法的な性格を帯びた用語で、内容――この場合は信仰――を守り、そのまま伝える義務を、委託者に課します。

 神のことばという「遺産」は、今日も教会の手にゆだねられています。そしてわたしたちは皆、さまざまな教会の奉仕職によって、わたしたちが複雑な歴史と人生を歩むための導きの星として、それを完全な形で守り続けなければなりません。

 親愛なる友人の皆様。終わりに、聖書と聖伝のつながりをたたえる『神の啓示に関する教義憲章』にあらためて耳を傾けたいと思います。『神の啓示に関する教義憲章』はこう述べます。聖書と聖伝は相互に結びつき協力し合っています。したがって、そのいずれも他のものなしには成り立ちません。それらは同時に、おのおの独自のしかたで、唯一の聖霊の活動のもとで、霊魂の救いのために効果的に貢献します(同10参照)。

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