
教皇レオ十四世、2026年5月27日、一般謁見演説
連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」
Ⅲ.『典礼憲章』(Sacrosanctum Concilium)
2.典礼の改革――伝統と発展(聖書朗読箇所:ロマ15・4-6)
講話の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行った。
最近の数日におけるウクライナにおける戦争の激化を憂慮のうちに見守っています。民間人に対するものも含め、最近の攻撃によって苦しむ人々に寄り添うことを表明したいと思います。
戦争は問題を解決せず、むしろ悪化させます。安全を築かず、むしろ苦しみと憎しみを増大させます。ミサイルやドローンが落ちるところでは希望もなくなり、家と祈りの場所は破壊され、罪のないいのちが失われます。
戦争によって傷ついた人々を、平和の元后であるおとめマリアのご保護にゆだねます。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。
教皇尊者ピオ十二世は回勅『メディアトル・デイ(1947年11月20日)』(Mediator Dei)の中でこう述べます。「教会は生きた有機体であるから、教義の純粋性によって完全に守られながら、典礼に関してもつねに成長発展し、時代の要請や必要に適応してきた」(同一・五[小柳義夫訳、あかし書房、1970年、63頁])。
第二バチカン公会議は、この原則を完全に継続しながら、『典礼憲章』序文の中で「格段の配慮をもって典礼の刷新と促進をも行っていくべきである」(同1)と認めます。実際、公会議が招集された目的は、「キリスト教的生活を信者のうちに日ごとに成長させること、変更すべき諸制度を現代の必要性によりよく適応させること、キリストを信じるすべての人の一致のために貢献しうるものがあれば、それをことごとく促進させること、そして、すべての人を教会の懐に招き入れるために役立つものがあれば、それをことごとく強化すること」(同)でした。
歴史のその時にあたり、教会が数世紀にわたり神の栄光をたたえ、キリスト信者を聖化するための儀式の形式の刷新の必要性が強く感じられていました。典礼運動のおかげで、後に教皇聖ヨハネ・パウロ二世によって表明された次の確信が成熟しました。「典礼の刷新と教会全体の刷新の間には密接なまた有機的なつながりがあります。教会は活動するだけではなく、自らを典礼に表現し、典礼を生き、典礼から活力を汲み取ります」(書簡『聖体の秘義と礼拝について(1980年2月24日)』13[Dominicae Cenae])。
それゆえ、信者が聖なる典礼が与える豊かなたまものに近づきやすくするために、『典礼憲章』は、「健全な伝統が保たれ、しかも正当な進歩への道が開かれる」(『典礼憲章』23)という、きわめて的確な定式で、従うべき方向性を示します。
教皇ベネディクト十六世は、この意向の表明のうちに、「過去の偉大な典礼の伝統と未来のバランスにおいて」公会議教父の「改革プログラム」を把握しました。ベネディクト十六世は次のように指摘します。「伝統と進歩はしばしばぎこちないしかたで対立させられます」。しかし、「実際には、この二つの概念は互いに補い合います。伝統自体が何らかのしかたで進歩を含みます。いわば伝統の流れはそれ自体のうちに源流をもち、河口へと向かうのです」(「教皇庁立聖アンセルモ典礼研究所設立50周年記念会議参加者へのあいさつ(2011年5月6日)」)。
公会議は、真正な聖伝に根ざしたこうした進歩の正統性を肯定する際、典礼における「神の制定による変えられない部分」と、「時代の変遷とともに変更が可能であり、この中に典礼そのものの内的本性にそれほど適合しないものが入り込んだり、それほどふさわしいものでなくなったりした場合には、むしろ変更すべき」「変えられる部分」(『典礼憲章』21)を区別します。この種の変化は、信者が典礼行為を通じて、キリスト教信仰の基盤であるキリストの過越の神秘に実り豊かなしかたで参加できるようになるために、何世紀にもわたってたえず行われてきました。それゆえ、教会の礼拝はそれぞれの時代の文化的形態のうちに「受肉」して、それらに影響を与え、さらにそれを変容させることができました。こうして典礼は何世紀にわたり福音宣教の原動力となってきました。今日においても、真正で生きたカトリック的伝統との連続性のうちに、すなわち、信者を完全な真理へと導くためのダイナミズムに従って、この力を新たにしなければなりません。
そこで、なぜ公会議教父が、「教会のために真に確実に役立つものとして求められている」場合に、「新しい形態が、すでに存在している形態から、何らかの形で有機的に生じるよう」たえず「慎重に配慮」(『典礼憲章』23)しながら、儀式の改訂を行うことを勧告したかが分かります。教会全体の善益のために、あらゆる改革に際して、つねに「綿密な神学的・歴史的・司牧的研究がつねに前もって行われなければならない」(同)。こうして公会議の教導職は、信者に混乱を与えることを避けることを求め、だれも自己の考えで典礼に何かを加えたり、削除したり、変更したりしてはならないと命じます(『典礼憲章』22参照)。公会議が求めた進歩は、教会の交わりを損なうものではなく、むしろそれを強化し、促進することを目指します。
それゆえわたしは、神的な神秘を祝う準備をするように招かれた人々、とくに典礼を司式する役務を果たすすべての司祭に勧めます。神に対する献身と信頼という内的な態度から生まれる、典礼文と典礼注記に対する尊重の念をつねに守り、神の偉大さの前でのへりくだりと、教会の交わりへの真摯な忠実を示してください。
