
2026年6月14日(日)、年間第11主日の正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語(一部スペイン語)で次のように述べた。 親愛なる […]
2026年6月14日(日)、年間第11主日の正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
まず、スペインへの使徒的訪問を行うことを可能にしてくださったことに対して主に感謝したいと思います。熱烈に敬虔な心をもって歓迎してくださったスペイン国民の皆様に感謝します。とくに(フェリペ六世)スペイン国王に深く感謝申し上げます。司教の皆様、わたしが訪問したすべての共同体、そしてスペインの教会全体に感謝します。(以下スペイン語。)神がスペインをつねに祝福してくださいますように。(以下イタリア語。)
また、新たに福者となった人々を思い起こしたいと思います。モラヴィアの教区司祭のヴァーツラフ・ドルボラ(1912-1951年)とヤン・ブラ(1920-1952年)、ポーランドのサレジオ修道会司祭のヤン・シヴィエルツ(1877-1941年)と8名の同志です。これらの人々は皆、キリストへの忠実のゆえに全体主義体制の迫害の犠牲となったために殉教者として列福されました。さらに昨日ブラジルのマットグロッソ州で、ローマの宣教司祭で福音の名において貧しい人々を擁護した殉教者のナザレノ・ランチョッティ(1940-2001年)が列福されました。これらの勇気ある証人の模範と執り成しが司祭と全教会の宣教を支えてくれますように。
数日前に起きた強い地震に襲われたフィリピンの人々に寄り添うことを約束します。亡くなったかたがたとそのご家族、この災害のために苦しむすべての人のために祈ります。
フィリピンでは6月8日(月)現地時間午前7時38分頃、マグニチュード8.2の地震があり、ミンダナオ島南部のジェネラルサントスやその周辺で少なくとも19人が死亡した。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
今日の福音(マタ9・36-10・8)は、わたしたちに大きなたまものを与えます。なぜならこの福音は、それを聞くすべての人をイエスのまなざしへと引き寄せるからです。この記事はイエスのまなざしの注意深さをあかしするとともに、主が何を見ておられるかをわたしたちに語ります。実際、そこではこう書かれています。キリストは「群衆が〔……〕弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深くあわれまれた」(36節)。わたしたちの兄弟となられた神の子は、人々と人類を見つめます。人々にのしかかる抑圧と、力を奪う暴力をご覧になります。戦争の傷跡と、消費主義のむなしさをご覧になります。仮面をかぶらされた顔と、悪によって引き裂かれた家族と、偽りの理想に惑わされた若者をご覧になります。イエスは、見て、愛します。愛して、わたしたちのために、わたしたちとともに苦しみます。イエスのあわれみは、兄弟としての親しさだけでなく、あがないのみ心をも表します。
まことに、イエスはわたしたちの心を知り、わたしたちを心にかけられます。「飼い主のいない羊」(36節)のような多くの人々を前にして、キリストはよい羊飼いとしてご自分をすべての人のためにささげ、収穫の主として世の畑に働き人を遣わします(38節参照)。働き人がすべき労働とは何でしょうか。それは、苦しむ人に神の慰めを与え、悲惨のあるところに愛を、苦しみのあるところに希望を、不信のあるところに信仰をもたらすことです。
福音には最初の十二人の「働き手」の名前が記されています。彼らは、使徒、すなわち宣教者、説教者となった弟子たちです。その中には、まずぺトロと呼ばれるシモンがおり、最後にイスカリオテのユダもいます。それは、イエスに従うことも、イエスを裏切ることも可能であることをわたしたちに思い起こさせるためです。しかし、福音はすべての人にとって生きた真実のことばであり続けます。幾世紀にわたって伝えられてきた福音は、同一であり、つねに若々しく、新鮮で、解放をもたらします。「天の国は近づいた」(マタ10・7)のです。たしかに天の国は近づいています。なぜなら、イエス・キリストにおいて神はすべての人と民と国に近づいてくださるからです。この福音がのべ伝えられ、実践されるとき、悪は、病がいやされ(8節参照)、夜が明け、死が復活したかたによって打ち負かされるように、崩れ落ちます。
このようにイエスのまなざしは現実を変容させます。愛に満ちたイエスのわざは、使徒たちの宣教を継続するように招かれた新しい民である教会にいのちを与えます。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(8節)。確かにイエスの与えるたまものは完全に「無償」です。なぜなら、その価値は計りがたいものだからです。それに値することも、それを「買う」ことも不可能だからです。この恵みが、神のあわれみを表すすばらしい名です。それはあらゆるところに達し、またわたしたちを神ご自身へと引き寄せます。「だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(マタ9・38)。
愛する友人の皆様。福音宣教を行う務めは神のたまものから生まれます。このたまものは、キリストにおいて世のためのゆるしとなり、小さく貧しい人への奉仕となり、正義への献身となります。わたしたちが喜びと勇気をもってイエスがわたしたちを招かれる使命にこたえられるように、恵みに満ちたおとめマリアの助けを祈り求めます。
