教皇レオ十四世、2026年7月26日、「お告げの祈り」でのことば

2026年7月26日(日)、年間第17主日の正午に、夏季休暇で滞在中のカステル・ガンドルフォのリベルタ広場(Piazza della Libertà)で「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告 […]

2026年7月26日(日)、年間第17主日の正午に、夏季休暇で滞在中のカステル・ガンドルフォのリベルタ広場(Piazza della Libertà)で「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、イタリア語で次のように述べた。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 昨日(7月25日)、レバノンで、1899年から1931年までアンティオキアのマロン典礼カトリック総大司教を務め、聖家族のマロン派修道女会を創立したエリア・ホイエク(1843-1931年)が列福されました。ホイエクは30年以上にわたり、きわめて献身的に、また司牧的な感性をもってマロン典礼カトリック教会を導きました。対話と希望の人であったホイエクは、教会と社会と政治の輝かしい基準となり、「偉大なレバノンの父」と呼ばれました。新たな福者の祈りと執り成しが全世界のマロン典礼信者につねに同伴し、わたしが深く愛するレバノン国民全体に平和のたまものをもたらしてくれますように。

 聖地における暴力の継続と悪化を懸念のうちに見守っています。聖地では最近、ヨルダン川西岸地区とガザ地区で多くの民間人も犠牲となりました。心から呼びかけます。すべての人の平等の尊厳と権利に基づく公正な政治的解決に向けた交渉に復帰し、新たな軍事行動や一方的な決定、とくにあらゆる宗教の聖地の尊重と現状維持を侵害する決定を拒絶してください。

 中東全体の情勢についてもあらためて呼びかけます。中東では軍事行動の激化が暴力と破壊をもたらし、多くの民間人のいのちを深刻なしかたで危険にさらし、飲料水と電力の不足を悪化させています。すべての関係当事者に対し心の奥底から呼びかけます。攻撃をやめ、対話と外交の場を早急に再開し、地域全体が望む平和を速やかに実現してください。

 戦争のために苦しむ世界中の人々のために祈り続けましょう。主が責任ある人々の心に触れ、それを照らし、和解と平和が速やかに訪れますように。

 最近、フランスとスペインのさまざまな地域を壊滅的な山火事が襲いました。心から御見舞い申し上げるとともに、被災者と救助活動を行う人々のために祈ってくださるよう、すべての人にお願いします。

 今日は第6回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」です(日本では9月20日)。今年のテーマは預言者イザヤのことば「わたしがあなたを忘れることは決してない」(イザ49・15)です。教会と社会にとっての高齢者というたまものをともに主に感謝するとともに、高齢者の貴重な役割を尊重・評価し、高齢者に対する適切な配慮と支援を保障しなければなりません。

スペインとフランスでは大規模な山火事が相次ぎ、両国で合わせて25万人以上が避難を余儀なくされている。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。

 イエスの教えの中心にあるのは、神の国の神秘です。今日の福音は神の国を真珠や宝にたとえます(マタ13・44-52参照)。たとえ話は、思いもしなかったものを見つけた人の驚きを述べ、すべてのものを売り払ったり、捨てたりすることが今や犠牲ではなく利益だと思わせます。実際、福音書記者たちは最初の頁から、自分に従うようにというイエスの招きを抗いがたいものとして述べます。確かにイエスに従うかどうかは自由ですが、招きは切迫しており、進んで心からの望みに基づく応答を促しうるものです。これは、神が近くにいて、ご自身を知らせる方法の重要な側面の一つです。神の国との出会いは、人生を制約するのではなく、むしろそれを広げます。何かを変えなければならないとすれば、それは可能性を減らすためではなく、増やすためです。

 イエスがきわめて重視していると思われる第二の側面があります。畑に隠された宝を見つけるのはおそらく農夫です。しかし、真珠の高い価値を見いだすのは、おそらく旅の途中の商人です。漁師と、新しいものと古いものの専門家である律法学者を主人公とする、別の二つのたとえ話が続きます。さらに他のたとえ話では、神の国が、粉を混ぜる女、家を片付ける女、戦争の計画を行う王、塔を建てようとする人、支払いと投資を扱う管理人、羊飼いや農夫にたとえられます。要するに、神の国はさまざまなしかたでそのはかりしれない美しさを現します。しかしそれは、すべての人を――男と女、若者と高齢者、貧しい人と金持ちを含めて――深い刷新へと招きます。だれもが神の国を理解し、それに引き寄せられることが可能なのです。

 今日においても、教会は、出身、文化、専門分野、責任の度合いを異にするさまざまな人の交わりです。しかし、皆が、自分がイエス・キリストにおいて「一つ」であることを認めるように招かれます。イエスは隠された宝であり、高価な真珠であり、散らばった人々を集める網です。実際、イエスは初めから、さもなければ知り合うことのなかった人々を招き、ご自身の周りに集めました。イエスはまさにこのようにして、神がえこひいきすることなく、とくに小さな人、見捨てられた人を優先して選ばれることを示したのです。

 兄弟姉妹の皆様。わたしたちがしなければならないのは、若きソロモン王が願い求めたのと同じたまものを願うことです(王上3・5、7-12参照)。それは、高価な真珠を見分け、そのためにすべてを売り払う価値のある宝を見いだすことのできるたまものです。消費産業はわたしたちの味覚を造り変え、たえず欲求をかき立て、満足をもたらさないばかりか時として心に害を及ぼす答えを売りつけます。しかしわたしたちは、真に大切なもの、すなわち神との関係という宝をつかむことを学ばなければなりません。神との関係こそがわたしたちを喜びへと開き、わたしたちが互いの関係をよりよく生きる助けとなってくれるのです。

知恵の座であるマリアの執り成しによって、わたしたちの人生の望みがイエスへと向かい、その望みが完全に満たされますように。 

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