教皇ベネディクト十六世の138回目の一般謁見演説 ロマノス・メロドス

5月21日(水)午前10時30分から、雨のため、サンピエトロ大聖堂とパウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の138回目の一般謁見が行われました。教皇はまずサンピエトロ大聖堂で、パウロ六世ホールに入れなかった信者との謁見を行いました。その後、パウロ六世ホールに移動し、そこで、2007年3月7日から開始した教父に関する講話の41回目として、「ロマノス・メロドス」について解説しました。以下はその全訳です。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  教父についての連続講話をしています。今日わたしは、ロマノス・メロドス(Romanos Melodos 485頃-555/562年頃)という、あまり知られていない人物についてお話ししたいと思います。ロマノス・メロドスは490年頃、シリアのエメサ(現在のホムス)に生まれました。神学者、詩人、作曲家であるロマノスは、神学を詩へと造り変えた神学者のグループに属します。わたしたちは、ロマノスと同郷のシリアの聖エフレム(Ephraem Syrus 306頃-373年)を思い起こします。聖エフレムはロマノスよりも200年前に活動しました。わたしたちはまた、西方教会の神学者を思い起こします。たとえば聖アンブロジオ(Ambrosius Mediolanensis 339頃-397年)です。聖アンブロジオの賛歌は現在も典礼で用いられ、わたしたちの心に触れます。力強い思索を行った神学者のことも思い起こします。たとえば聖トマス(Thomas Aquinas 1224/1225-1274年)です。聖トマスは、明日わたしたちが祝うキリストの聖体の祭日のための賛歌を作りました。十字架の聖ヨハネ(Juan de la Cruz 1542-1591年)や他の多くの人々のことも思い起こします。信仰は愛です。だから信仰は、詩と音楽を生み出します。信仰は喜びです。だから信仰は美を生み出すのです。
  ロマノス・メロドスは、このように詩作と作曲を行う神学者の一人です。ロマノスは生まれた町でギリシア・シリア文化の基礎を学んだ後、ベリュトゥス(ベイルート)に移り、古典教育と修辞学の知識を完全なものとしました。終身助祭に叙階され(515年頃)、ベリュトゥスで3年間説教者を務めました。その後、アナスタシウス1世(東ローマ皇帝在位491-518年)の治世の末頃(518年頃)、コンスタンチノープルに移り、テオトコス(神の母)教会修道院に住みました。ここでロマノスの生涯の鍵となる出来事が起こりました。聖人伝によれば、夢の中に神の母が現れて、詩作の才能を与えたのです。実際、マリアは彼に巻物を飲み込むよう命じました。翌朝――その日は主の降誕の祭日でした――目を覚ますと、ロマノスは説教台で次のように唱え始めました。「おとめは今日、超実在的〔永遠〕なかたを産み」(『〔キリスト〕誕生の賛歌(一)』序歌〔家入敏光訳、『ローマノス・メロードスの賛歌』創文社、2000年、102頁。ただし表記を一部改めた〕)。こうしてロマノスは死ぬ(555年頃)まで説教詩作者となりました。
  ロマノスは歴史の中で、典礼聖歌のもっとも代表的な作者の一人として知られています。当時、信者にとって、説教は事実上、信仰教育のための唯一の機会でした。そこでロマノスは、当時の宗教心を優れたしかたで示しただけでなく、力強く独創的な信仰教育の方法をも示しました。ロマノスの作った詩を通じて、わたしたちは彼の信仰教育の形式の独創性を知ることができます。すなわち、神学的思索と、当時の美しい聖歌の独創性です。ロマノスが説教を行った場所は、コンスタンチノープル郊外の巡礼所でした。ロマノスは、教会堂の中心にある説教台に上り、豊かな聖堂を活用しながら会衆に語りかけました。すなわち、壁画や、説教台に掲げられたイコンを例に用いたり、対話形式を採用しました。ロマノスは「コンタキオン(複数形コンタキア)」と呼ばれる、韻律を踏んだ聖歌による説教を行いました。「コンタキオン」、すなわち「短い棒」は、典礼書、ないしその他の書物の写本の巻物を巻いた小さな棒を意味するようです。ロマノスが作ったとされるコンタキオンは89現存します。しかし、伝統は、ロマノスが数千のコンタキオンを作ったとしています。
  ロマノスのコンタキオンは、最大18から24の節で構成されます。各節の音節数は、第1節(ヒルモス)の定型に従って同一です。すべての節の各行のアクセントは第1節(ヒルモス)のアクセントの定型に従います。詩を統一的なものとするために、各節は皆、だいたいにおいて同じ繰り返し句(リフレイン)で終わります。さらに、各節の頭文字をつなげると、著者の名前を示します(折句)。著者の名前の前にはしばしば「卑しい」という形容詞がつけられます。賛歌は、よく知られた、感動的な出来事を述べた祈りで終わります。ロマノスは、聖書朗読を終えると、多くの場合、祈りや祈願の形式による「序歌」を歌いました。こうしてロマノスは説教のテーマを告げ、繰り返し句を説明します。会衆は各節の終わりにこの繰り返し句を唱え、ロマノスはこれをカデンツァで声高く歌います。
  そのはっきりした例を、受難の金曜日のためのコンタキオンに見ることができます。このコンタキオンは、十字架の道において行われた、マリアと御子の対話です。マリアはいいます。「息子よ、どこへ行くのですか? なぜこんなに早い〔一生の〕行程を終えるのですか?/・・・・息子よ、わたしはこんな状態のあなたを見ようとは、少しも予期していませんでした/また非道な人たちがひどい気狂いのようになり/そして不当にあなたに手をかけるなんて、これまでけっして思いもしませんでした」。イエスはこたえていいます。「母よ、なぜ泣くのですか?・・・・わたしは受難に遭ってはならず、死に向かってはいけないというのですか? そうしないでどうしてアダムを救えましょうか?」。マリアの子は母を慰めながらも、救いの歴史におけるマリアの役割を思い起こさせます。「母よ、それゆえ悲しみを鎮めてください、鎮めてください/泣くのはふさわしくありません。あなたは〈恵みに満ちたかた〉と呼ばれたからです」(『十字架のもとの〔母〕マリアの賛歌』1-2、4-5〔前掲家入敏光訳、287-288頁。ただし表記を一部改めた〕)。さらに『アブラハムの犠牲の賛歌』の中で、サラはイサクの命をささげる決断を止めようとします。アブラハムはいいます。「おお、聖主よ、サラはあなたの話をすべて聞き入れるでしょう/そしてあなたの意向を知って、サラはわたしにこういうでしょう/『もしわたしたちに与えたかた自身がお取り上げになるのなら、なぜあのかたはお与えになったのでしょう?/老いた夫よ、その子をわたしにまかせてください/あなたに呼びかけられたかたがこの子を望まれるとき、それをわたしに知らせてくださるでしょう』」(『アブラハムの犠牲の賛歌』7〔前掲家入敏光訳、22頁。ただし表記を一部改めた〕)。
  ロマノスは、宮廷で用いられた正式なビザンティンのギリシア語ではなく、民衆のことばに近い、単純なギリシア語を使いました。わたしは、ロマノスが主イエスについて生き生きと個人的に語る例をここに引用したいと思います。ロマノスは「尽きることのない泉、暗闇を照らす光」であるイエスに呼びかけていいます。「それゆえあえてあなたをランプのように持っているのです/人々の中でこのランプを手にして行く者は、皆焼かれることはなく、照らされるからです/それゆえ不滅のランプであるかた、わたしを照らしてください」(『〔主の〕奉献の賛歌』8〔前掲家入敏光訳、132頁。ただし表記を一部改めた〕〕。ロマノスの説教に強い説得力があるのは、ロマノスのことばと生活がきわめて一貫しているからです。ある祈りの中でロマノスはいいます。「おおわたしの救い主よ、わたしの舌を明快にしてください/わたしの口を開いてください。そしてわたしの口を満たしてくださったとき/わたしの心を激しく貫いてください/それはわたしが話すことばに一致して/確かに教えて行くことを、まず最初に実行するためです」(『使徒たちの伝道の賛歌』1〔前掲家入敏光訳、389頁。ただし表記を一部改めた〕)。
  ここでロマノスのいくつかの中心的なテーマを考えてみたいと思います。ロマノスの説教の基本的なテーマは、歴史における神のわざの統一性です。すなわち、創造と救いの歴史の統一性、旧約と新約の統一性です。もう一つの重要なテーマは聖霊、すなわち聖霊についての教えです。聖霊降臨の祭日の際、ロマノスは、天に昇ったキリストと、使徒たち、すなわち教会の間の連続性を強調します。そして、世において宣教を行うよう促します。(使徒たちは)「神的な力によって、皆をとりこにしたからである/つまり彼らは十字架を葦のようににぎりしめたからであり/さらに話の語句を糸のように用いて/全世界に釣り糸を垂れたからであり/みことばを鋭敏な釣針として持ったからであり/万物の主の御体が彼らにとっては餌のようであったからである」(『聖霊降臨の賛歌』18〔前掲家入敏光訳、417頁。ただし表記を一部改めた〕)。
  もう一つの中心的なテーマは、当然のことながらキリストです。ロマノスは、当時盛んに議論されていた難しい神学的概念の問題には立ち入りませんでした。こうした神学的概念は、神学者だけでなく、教会のキリスト信者の一致をも引き裂いたからです。ロマノスは、単純ではあっても基本的なキリストについての教え、すなわち偉大な公会議によるキリストについての教えを説教しました。けれどもロマノスは何よりも民間信心に従いました。事実、公会議の思想も、民間信心、すなわちキリスト信者の心による知識から生まれたからです。こうしてロマノスは次のことを強調しました。キリストは真の人にして真の神です。まことの人となった神は、唯一のペルソナであり、被造物と造り主を一つにまとめます。このかたの人間としてのことばのうちに、わたしたちは神のことばそのものが語るのを聞きます。ロマノスはいいます。「キリストは人間であると同時に神であり、二つに分けられぬひとりの人間であったからである/キリストは唯一なる神の子、唯一なるかたであった」(『御受難の賛歌』19〔前掲家入敏光訳、300頁。ただし表記を一部改めた〕)。マリアについていえば、ロマノスは、詩作の才能を与えてくださったことをおとめであるかたに感謝しながら、ほとんどすべての賛歌の終わりでマリアを思い起こします。また、もっとも美しいコンタキオンをマリアにささげています。すなわち、『〔キリストの〕誕生の賛歌』、『お告げの賛歌』、『神の母の賛歌』、『新しいエバの賛歌』です。
  最後に、ロマノスの道徳についての教えは、最後の審判と関連します(『十人のおとめの〔たとえの〕賛歌』)。ロマノスはわたしたちを人生の真理が現れる時へと導きます。そのときわたしたちは正しい裁き主のみ前に立ちます。それゆえロマノスは、わたしたちが悔い改めと断食のうちに回心するよう勧めます。具体的にいえば、キリスト信者は愛のわざと施しを行わなければなりません。ロマノスは『カナの婚礼の賛歌』と『十人のおとめの〔たとえの〕賛歌』という2つの賛歌の中で、禁欲よりも愛が優先されるべきことを強調します。愛は美徳の中でもっとも優れたものです。「十人のおとめは/汚れのないおとめの徳を守っていたが/五人はその苦労が実りを結ばぬままであったのに/他の五人は人間愛の光で電光のように閃いたのはどうしてか?/そこで花婿はあとの五人を招い〔た〕」(『十人のおとめの〔たとえの〕賛歌』1〔前掲家入敏光訳、248頁〕)。
  生き生きとした人間性、燃えるような信仰、深いへりくだりの心が、ロマノス・メロドスの賛歌の中に満ち満ちています。この偉大な詩人・作曲家は、キリスト教的文化の宝のすべてをわたしたちに思い起こさせてくれます。キリスト教的文化は信仰から生まれます。それは神の子であるキリストと出会った心から生まれます。真理は愛です。この真理に触れた心から、文化が生まれます。すべての偉大なキリスト教的文化が生まれます。信仰が生き続けるかぎり、この文化的遺産も滅びることはありません。むしろ、生きて、わたしたちとともにあり続けます。さまざまなイコンは今も信者の心に語りかけます。それは過去のものではありません。さまざまなカテドラルは中世の遺跡ではありません。それは生きた家です。わたしたちはそこでくつろぐことができるからです。そこで神と出会い、互いに出会うからです。グレゴリオ聖歌やバッハやモーツァルトのような、偉大な音楽も、過去のものではありません。むしろそれらは、典礼と、わたしたちの信仰の中で力強く生きています。信仰が生きているかぎり、キリスト教的文化が「過去」のものとなることはありません。むしろそれは生きて、わたしたちとともにあり続けます。信仰が生きているかぎり、詩編の中でたえず繰り返される命令に、今日もわたしたちはこたえることができます。「新しい歌を主に向かって歌え」(詩編96・1)。創造性、革新、新しい歌、新しい文化と、生きた信仰におけるあらゆる文化的遺産は、対立し合うものではなく、唯一の現実をなしています。それは、神の美と、神の子であることの喜びを表しているのです。

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