比叡山宗教サミット(世界平和祈祷集会)16周年にあたって

比叡山宗教サミット(世界平和祈祷集会)16周年にあたってのメッセージ  毎年8月4日に比叡山で行われる平和祈祷集会に参加された方々にこのメッセージをお送りできることを大変喜ばしく思います。皆様が今年集まられたことは、ます […]

比叡山宗教サミット(世界平和祈祷集会)16周年にあたってのメッセージ

 毎年8月4日に比叡山で行われる平和祈祷集会に参加された方々にこのメッセージをお送りできることを大変喜ばしく思います。皆様が今年集まられたことは、ますます重要な意味を帯びております。なぜなら、非常に多くの善意の人々が、現在、世界に平和と和解を築くために努力しているからです。この努力は、とりわけ最近のイラク戦争後の中東において行われています。

 数年前、人類は平和と繁栄を心から期待しながら、新しい千年期へと歩み出しました。しかしながら、まさにこの数年の間に、わたしたちはほとんど毎日のように、生々しい暴力と流血の現場を目にしてきました。この世界に平和が訪れることは実際には不可能なのでしょうか。多くの人々の平和への望みは空しい夢として潰えてしまうのでしょうか。

 40年前、福者教皇ヨハネ23世は善意あるすべての人々に向けて一通の重要な手紙を書きました。教皇はこの手紙に『地上の平和』(Pacem in Terris)という題をつけました。この手紙の中で教皇は、平和は4本の柱で支えられる建物のようなものだと述べています。その4本の柱とは、真理、正義、愛、そして自由です。諸民族、諸国家間の関係が良好かつ平和的なものとなるには、これらのうちのどれも欠くことができないのです。
 第一の柱は真理です。真理の中には、人間が自分自身を支配する主人ではなく、神のみ旨を果たすように招かれた存在だということを認めることが含まれています。神こそすべてのものの造り主であり、絶対的な意味での真理なのです。人間関係において、真理(真実)は誠実さという意味を持っています。誠実さは、互いに信頼し合い、平和をもたらすような実りある対話を行ううえで欠くことのできないものです。
 しかしながら、平和は正義なしに存在することができません。正義は、人間一人一人の尊厳と権利を尊重することだからです。個人においてだけでなく国際関係においても正義が欠けていることが、この世界の多くの不安の原因であり、暴力を生じさせる元となっているのです。
 とはいえ、正義は愛によって導かれなければなりません。愛とは、わたしたちが皆、人類という一つの家族に属していることを認めることを可能にする力です。それゆえ愛は、同じ仲間である人類を、自分の兄弟姉妹と考えることができる力なのです。愛は、喜びも悲しみも、ともに分かち合うことを可能にします。愛によって、人は弱さを認めます。それゆえ愛はゆるしを可能にするのです。このようなゆるしが、平和の回復になくてはならないものです。ゆるしによって、新たな基盤の上に立って、関係を修復し、再出発することが可能になるからです。
 これら3つの事柄の前提となるのは、自由です。自由は、人間に備わった不可欠な特質だからです。自由は責任を意味します。そして、わたしたち一人一人は、神の前で、社会に貢献する責任を担っているのです。

 このよき日にあたり、わたしは皆様がたが皆、福者教皇ヨハネ23世と同じように、地上の平和について考えて下さることを望んでいます。教皇ヨハネ23世は未来を恐れることがありませんでした。教皇の希望は、神と人への深い信頼に支えられていました。わたしは皆様もこのような未来への希望を持っていただきたいと願います。このような希望こそ、わたしたちの世界に真の平和が実現するよう、一緒に努力していくうえでの支えとなるものです。

 わたしの考えを皆様にお伝えするこのような機会をお与え下さったことを感謝申し上げます。皆様とともに祈っております。
 全能の神が皆様一人一人を、そして皆様すべてを祝福して下さいますように。

2003年7月21日
教皇庁諸宗教対話評議会議長
大司教マイケル・L・フィッツジェラルド

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