教皇ベネディクト十六世の207回目の一般謁見演説 12世紀の神学者ペトルス・ロンバルドゥス

12月30日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の207回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2009年2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話の第25回として、「12世紀の神学者ペトルス・ロンバルドゥス」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今年最後となる今日の謁見で、ペトルス・ロンバルドゥス(Petrus Lombardus 1095/1100-1160年)についてお話ししたいと思います。ペトルス・ロンバルドゥスは12世紀の神学者です。『命題集』(Sententiae)という著書が長年にわたり神学の教科書として用いられたために、彼は高い名声を得ました。
  それでは、ペトルス・ロンバルドゥスとはいかなる人物だったのでしょうか。彼の生涯に関する情報はわずかですが、それでもわたしたちは彼の伝記のおもな輪郭を再現できます。彼は11世紀と12世紀の境に、北イタリアのノヴァーラ近郊で生まれました。ノヴァーラはかつてロンバルド族に属していた地域です。まさにそのために彼は「ロンバルドゥス」という通称で呼ばれるようになりました。ペトルスは貧しい家の出身でした。そのことは、クレルヴォーのベルナルドゥスがパリのサン=ヴィクトル修道院大修道院長のギルドゥイヌス(Gilduinus サン=ヴィクトル修道院大修道院長在任1113-1155年)に書いた紹介状から分かります。ベルナルドゥスは、勉学のためにパリに赴きたいと望むペトルスを無償で泊めてくれるよう求めているからです。実際、中世においても、貴族や金持ちだけが勉学を行い、教会や社会で重要な役割を得られたのではありませんでした。低い身分の出身の人にもそれができたのです。たとえば、皇帝ハインリヒ4世(Heinrich IV 神聖ローマ帝国皇帝在位1056-1106年)に対抗した教皇グレゴリウス7世(Gregorius VII 在位1073-1085年)や、貧しい農夫の子でありながら、パリ大司教となってノートルダム大聖堂を建設させたモーリス・ド・シュリ(Maurice de Sully パリ大司教在位1160-1196年)がそうです。
  ペトルス・ロンバルドゥスは勉学をボローニャで始め、後にランスに赴き、最後にパリに来ました。彼は1140年からノートルダムの有名な学校で教えました。神学者としての名声と評価を得た彼は、その8年後に教皇エウゲニウス3世(Eugenius VIII 在位1145-1153年)から、ギルベルトゥス・ポレタヌス(Gilbertus Porretanus 1080頃-1154年)の教えを審査するよう命じられました。ギルベルトゥス・ポレタヌスの教えは、完全に正統ではないとみなされたため、多くの議論を引き起こしていたからです。ペトルス・ロンバルドゥスは1159年にパリ司教に任命されましたが、翌年の1160年に死去しました。
  当時のすべての神学教師と同じく、ペトルスも論考と聖書注解を著しました。しかし、彼の傑作は4巻から成る『命題集』です。『命題集』は、教育のために生み出されたテキストです。当時用いられた神学の方法に従って、彼はまず偉大な教父と、権威とみなされた著作家の思想を知り、学び、注解しなければなりませんでした。そのためペトルスはきわめて多くの文書を集めました。これらの文書を構成するのは、おもに偉大なラテン教父、とくに聖アウグスティヌスの教えですが、同時代の神学者の著作も排除されませんでした。とりわけペトルスは、当時西方でようやく知られるようになったばかりのギリシア神学の百科全書的著作も用いました。すなわち、ダマスコスの聖ヨアンネス(Ioannes; Johannes Damascenus 650頃-750年頃)の書いた『正統信仰論』(De fide orthodoxa)です。ペトルス・ロンバルドゥスの偉大な業績は、注意深く集め、選別した文書全体を体系的で調和のとれた枠組によってまとめたことです。実際、神学の特徴の一つは、統一的に、秩序をもって信仰の遺産をまとめ上げることです。そのためにペトルスは、命題、すなわちさまざまな議論に関する教父の源泉を4巻の書に分けました。第1巻は神と三位一体の神秘、第2巻は創造のわざと罪と恵みを扱い、第3巻は受肉の神秘とあがないのわざを扱うとともに、徳に関する詳細な解説を行います。第4巻は秘跡と終末、すなわち、永遠のいのちあるいは「四終」を扱います。本書から与えられる全体の展望は、いわばカトリック信仰のあらゆる真理を含みます。この統一的な観点と、明快で秩序があり、整然としてつねに一貫した説明がなされていることこそが、ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』が非常な成功を収めた理由です。『命題集』は学生に確実な学習を可能にし、『命題集』を用いる教師、教員には、研究を深めるための広い場を与えました。ペトルスの後の世代のフランシスコ会の神学者へールズのアレクサンデル(Alexander de Hales 1185頃-1245年)は、参照と勉学をいっそう容易にするために、『命題集』に下位区分を設けました。アルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus 1195/1200-1280年)、バニョレージョのボナヴェントゥラ(Bonaventura 1217/1221-1274年)、トマス・アクィナス(Thomas Aquinas 1224/1225-1274年)といった13世紀のもっとも偉大な神学者たちも、学問的活動をペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』の注解から始め、自分たちの考察によって『命題集』を豊かにしました。ロンバルドゥスのテキストは16世紀まであらゆる神学の学校で用いられました。
  わたしは信仰を体系的に説明することが不可欠であることを強調したいと思います。実際、一つひとつの信仰の真理は互いに照らし合うとともに、それらを全体的かつ統一的に見ることによって、神の救いの計画の調和とキリストの神秘の中心性が示されます。ペトルス・ロンバルドゥスの模範に基づいて、わたしはすべての神学者と司祭にお願いします。一つひとつの真理が断片化され、軽視される現代の危険に対抗して、キリスト教教理に関する全体的な視野をつねに考慮に入れてください。『カトリック教会のカテキズム』と『カトリック教会のカテキズム要約(コンペンディウム)』は、まさしく、わたしたちが信仰と感謝をもって受け入れるべきキリスト教の啓示の完全な一覧を提示してくれます。それゆえわたしは、すべての信者とキリスト教共同体にも勧めます。自分の信仰の内容を知り、深めるために、この二つの手段を活用してください。そうすれば、信仰は、わたしたちにとって驚くべき交響曲として示されます。この交響曲は、神と神の愛についてわたしたちに語るとともに、わたしたちが教えを固く守り、熱心に応答するよう促すのです。
  現代においてもペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』を読むことを勧めることができるような興味深い思想を見いだすために、二つの例を示します。聖アウグスティヌスの創世記注解から着想を与えられて、ペトルスは問います。女の創造はなぜアダムの頭や足からではなく、そのあばら骨から行われたのか。彼はこう説明します。「それは、女が男の主人でも奴隷でもなく、伴侶となるためであった」(『命題集』:Sententiae 3, 18, 3)。さらに、つねに教父の教えを基盤としたペトルスは続けていいます。「このわざのうちにキリストと教会の神秘が示されている。実際、女が、アダムの眠っている間に、そのあばら骨から造られたのと同じように、教会は秘跡から生まれた。秘跡は、十字架上で眠っていたキリストの脇腹から流れ出た血と水から始まったからである。この血と水によってわれわれは罪からあがなわれ、罪責から清められたのである」(『命題集』:Sententiae 3, 18, 4)。この深い考察は現代においても有効です。キリスト教的結婚に関する神学と霊性は、キリストと教会の婚姻関係との類比の考察を深めてきたからです。
  ペトルス・ロンバルドゥスは主著『命題集』の別の箇所で、キリストの功徳を考察します。ペトルスは問います。「では、なぜ(キリストは)、あらゆる功徳を得るに十分な徳を有していたのに、苦しみ、死ぬことを望んだのか」。答えは明快で、説得力があります。「それは、ご自身のためではなく、あなたのためなのである」。さらに別の問いと答えが続きます。それは中世の神学教師の講義で行われた議論を再現しているかのようです。「では、キリストはどのような意味でわたしのために苦しみ、死んだのか。それは、キリストの受難と死があなたにとって模範と原因となるためである。すなわち、徳と謙遜の模範であり、栄光と自由の原因である。死に至るまで忠実だった神から与えられる模範であり、あなたの解放と至福の原因である」(『命題集』:Sententiae 3, 18, 5)。
  ペトルス・ロンバルドゥスが神学史に対して行ったもっとも重要な貢献の一つとして、その秘跡に関する考察を挙げたいと思います。彼は秘跡について決定的といってよい定義を与えました。「固有の意味における秘跡とは、神の恵みのしるしであり、目に見えない恵みの目に見える形である。それは恵みを象徴的に表し、またもたらす」(『命題集』:Sententiae 4, 1, 4)。ペトルス・ロンバルドゥスはこの定義によって秘跡の本質をとらえました。秘跡は恵みの原因であり、神のいのちを現実に伝える力をもっています。彼に続く神学者たちはこの洞察に従うとともに、「命題集の師」が導入した、質料的要素と形相的要素の区別をも用いました。ペトルス・ロンバルドゥスは後に「命題集の師」と呼ばれるようになったのです。質料的要素とは、感覚的な目に見えるものであり、形相的要素とは、奉仕者が唱えることばです。二つの要素はともに、秘跡を完全かつ有効に挙行するために不可欠です。質料は、主がわたしたちに目に見える形で触れるためのものです。ことばは霊的な意味を与えます。たとえば洗礼の場合、質料的要素は、幼児の頭に注がれる水であり、形相的要素は、「わたしは父と子と聖霊のみ名によってあなたに洗礼を授けます」ということばです。さらにロンバルドゥスは、秘跡だけが神の恵みを客観的な形で伝えること、秘跡は、洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚の七つであることを明らかにしました(『命題集』:Sententiae 4, 2, 1参照)。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。秘跡による生活が、すべてのキリスト信者にとって貴く、不可欠なものであることを思い起こすことは大切です。この秘跡による生活において、主は教会共同体の中で、質料を通して、わたしたちに触れ、わたしたちを造り変えるからです。『カトリック教会のカテキズム』が述べるとおり、諸秘跡は「つねに生き続け生かし続けるキリストのからだから出る力、聖霊の働きなのです」(同1116)。わたしたちが今行っている「司祭年」にあたり、わたしは司祭、とくに司牧を行う奉仕者に勧めます。信者の助けとなるために、第一に、自ら深く秘跡による生活を送ってください。どうか秘跡の挙行が、尊厳と品位によって特徴づけられますように。そして、一人ひとりの精神の集中と共同体への参加、神の現存の感覚と宣教への熱意を促すものとなりますように。秘跡は教会の偉大な宝です。そして、霊的な実りをもたらすように秘跡を挙行することはわたしたち皆の務めです。秘跡の中で、つねに驚くべき出来事がわたしたちの生活に触れます。キリストは、目に見えるしるしを通して、わたしたちと出会いに来られ、わたしたちを清め、わたしたちを造り変え、わたしたちを神との友愛にあずからせてくださるのです。
  親愛なる友人の皆様。今年が終わり、新しい年が始まろうとしています。わたしたちの主イエス・キリストの友愛が、始まろうとしている新しい年の中で、日々、皆様とともに歩んでくださることを祈ります。このキリストの友愛が、わたしたちの光また導きとなってくださいますように。そして、わたしたちが平和の人、キリストの正義の人となるのを助けてくださいますように。皆様、よい年をお迎えください。

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