1999年「世界病者の日」教皇メッセージ

1999年「世界病者の日」教皇メッセージ
愛こそ神への道

1999年「世界病者の日」教皇メッセージ
愛こそ神への道

愛する兄弟姉妹の皆さん、
1. 1999年2月11日の「世界病者の日」は、定着しつつある伝統に従い、重要な聖母の聖堂で最も厳粛に祝われます。今回、ベイルートを見渡す丘の上に建つハリッサの聖母聖堂が選ばれたことには深い意味があります。この聖堂のあるレバノンという国は、「一つの国以上の存在であり、自由のメッセージであると同時に、東と西の多元的共存の好例」(1)なのです。
 ハリッサの聖母マリア像は、イエスが「み国の福音をのべ伝え、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」(マタイ4・23)地方にきわめて近い、地中海の海辺をいつも見守っています。また、この近くには、「神の国をのべ伝え、病人をいやしなさい」(ルカ9・2)というキリストの命令に従っていつも無報酬で医療を施し、聖なる文無し医者と呼ばれた殉教者のコスマとダミアノの墓があります。
 2000年の大聖年の準備として、1999年は父である神についてのより深い黙想にあてられます。使徒ヨハネがその第一の手紙で繰り返しているように、「神は愛」(一ヨハネ4・8、16)です。この神秘を黙想することによって愛という対神徳が強められますが、その愛は神と隣人への愛にほかなりません。

2. 教会がこのような視点から、第二の千年期の終わりを間近にして、貧しい人や心身の苦しみを負う人を優先して選ぶとき、まさに福音への「真の回心の旅」に出るのです。それは、「神と隣人への愛の完全な模範」(2)であるイエスの母のあとに従い、愛の文明の建設のために働くすべての人の一致への望みを確実に深めることでしょう(3)。
今日、キリスト者の一致と人類の愛の交わりの出会いを象徴するのに、レバノン以上にふさわしい場所があるでしょうか。レバノンでは、異なる伝統を持つカトリックの共同体や種々のキリスト者共同体が共存しているだけでなく、他の多くの宗教も存在しています。ですから、レバノンは、人々の「人間的、道徳的成長という視点から、共存と協力の未来をともに建設するための」いわば実験室なのです(4)。
 こうしてレバノンで祝われる世界病者の日は、被造物である人間の限界ともろさを何よりも際立たせることにより、相互の連帯を叫び求める状況に対して普遍教会がどのように奉仕すべきかを自ら問い直すよう求めているのです。したがって、この日は、御父と根本的な愛のおきてとを思い巡らす大切な時となります。わたしたちは皆、愛のおきてを守ったかどうかを問われる日が必ず来るからです(マタイ25・31-46参照)。わたしたちの目指すべき模範として、隣人愛のおきてを完全に理解するかぎとなるよいサマリア人の姿をイエスご自身が示してくださいました(ルカ10・25-37参照)。

3. 今回の世界病者の日は、愛の義務についての意識を高めることに力点が置かれます。種々の教派に属するすべてのレバノン人キリスト者と敬虔なイスラム教徒の巡礼地となっているハリッサの聖母聖堂では、その点を強調した黙想、学習、祈祷集会が開催されるでしょう。病人、苦しむ人、周辺に追いやられた人、貧しい人、困窮している人を世話するために、教派や宗教を超えて一致協力することは最も緊急に必要なことであり、同時にそれはこれまでの経験が示すように、エキュメニズムにあっては最も容易に実現が可能なことともなっています。この道程を通じて、レバノンのようなところでは、キリスト者間の「完全な一致」が追求されるだけでなく、諸宗教間の対話の可能性も開かれることでしょう。相異なる信仰が「明らかにいくつもの人間的、精神的価値を共有」しており、そのことがまた「宗教上の重要な違いを乗り越えて」、何よりもまず、彼らを結び合わせているものを明らかにしていくに違いありません(5)。

4. 健康と救いは人間の最も強い願いですから、健康の分野においてこそあらゆる段階の人間の連帯を強化することができるという現実も、また、差し迫った優先事項も少なくないということもむしろ当然のことです。「人類への愛のより大いなるあかしとしての役割を担わせるため、教会の保健医療活動組織についての本格的な徹底調査を行う」(6)ことが求められています。苦しんでいる人の期待にできるかぎりこたえるためには、何よりもまず、彼らが、共感に基づく理解、しっかりと支える愛、危険をものともしないほどの献身を待ち望んでいることを受けとめなければなりません。神の父性についての黙想が、病者には希望を与え、病者を世話する人々にとっては愛の気配りをはぐくむ修練の場となりますように。

5. あらゆる年齢の、そしてさまざまな状況に置かれている病者の皆さん、あらゆる種類の病気、災害、悲劇の被害者である皆さんに、わたしはいつくしみ深い父なる神のみ手に身をゆだねるように心から勧めます。わたしたちは、いのちが神の愛の崇高な表現として御父から与えられたたまものであること、そしてどんな状況にあってもたまものであり続けることを知っています。わたしたちの目標は自らの限界のためにしばしばあいまい、不確かになることもありますが、自分自身が大きな責任をもって下す選択はこの確信によって導かれていなければなりません。 詩編作者の招きも同じ確信に基づいています。「あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる」(詩編55・23)。詩編の注解で聖アウグスチヌスはこう書いています。「あなたは何を心配しているのですか。何を恐れているのですか。あなたを創造されたかたが世話をしてくださいます。あなたがこの世に存在する前からあなたの世話をしたかたは、あなたが神の望まれるとおりになったとき、世話をしないということがあるでしょうか。今やあなたは信者ですから、正義の道を歩んでいます。したがって、悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい人の上にも不正な人の上にも雨を降らせるかたが、あなたの世話をしないということがあるでしょうか。信仰によってすでに正しく暮らしているあなたを、神がおろそかにしたり、見捨てたり、置き去りにしたりするでしょうか。むしろ神はあなたを祝福し、助け、必要なものを与え、災いから守ります。あなたにたまものを与えて、最後まで歩み通すことができるよう励ましてくださいます。また、あるときは逆に取り上げることで、あなたが滅びてしまわないように、あ なたを矯正してくださいます。神はあなたのことを心にかけています。心配してはなりません。あなたを創造された神はあなたを支えてくださいます。あなたの創造主の手から落ちないようにしてください。もし落ちるようなことがあれば、あなたはだめになってしまいます。しかし、あなたの善い意志が創造主の手のうちにとどまるようにあなたを助けるでしょう。…あなた自身を神にゆだねなさい。虚無のなかに落ちるなどと考えてはなりません。そんなことを想像してはいけません。神は言われました。『わたしは天と地を満たす。』神はあなたを決して見捨てません。神を見捨ててはいけません。自分自身を見捨ててはいけません」(7)。

6. 保健医療関係者の皆さん、医師、薬剤師、看護婦、病院付司祭、男女修道者、管理職にある人もボランティアのかたがたも、皆さんは召し出しと専門的な働きによって、人間のいのちの保護者、奉仕者となるよう求められています。わたしはもう一度、キリストの模範をさし示します。キリストは、御父から限りない愛の至上のしるしとして遣わされ(ヨハネ3・16参照)、「人々に、苦しむことによって善をなし、また、苦しむ人に善を施すことを教えられました。この二面性のなかで、キリストは苦しみの意味を完全に明らかにされました」(8)。
 試練のなかで苦しんでいる人への愛のかかわりをとおして、苦しみの秘義に対するあなたがたの理解が深まりますように。痛みを共感し、相手の身になって献身的な対応をすることができますように。このいのちへの奉仕にあたっては、だれとでも協力できるように心を開いていてください。なぜなら、「いのちという課題、そしてそれを擁護し推進することは、キリスト者だけの関心事ではありません。…いのちには確かに神聖で宗教的な価値がありますが、その価値は信仰者たちだけが抱く関心にとどまりません」(9)。苦しんでいる人はひたすら助けを求めているのですから、愛の手をさしのべる人がだれであっても、心から協力してことにあたりましょう。

7. 教会共同体の皆さん、「御父の年」を、全教会をあげての愛の実践、愛の活動の年としてください。アンチオケの聖イグナチオはエフェソの教会の信徒たちに、愛こそ神への道であると書いています。信仰と愛とはいのちの起源であり、完成です。信仰は起源であり、愛は完成です10)。すべての徳はこの二つの徳と助け合って人間を完全へと導いていきます。聖アウグスチヌスはこう教えています。「あなたがもし聖書を読むことができず、神のことばが記されている巻物を開くこともできず、また、聖書のあらゆる秘義を理解できないなら、愛をもちなさい。すべてのもとは愛です。こうしてあなたはそこで学んだであろうことを知るばかりでなく、まだ学ぶことのできなかったことについても知ることになるでしょう」(11)。

8. この世界病者の日にあたり、おとめマリア、ハリッサの聖母により頼みます。苦しむすべての人の近くに崇高な模範としてともにいてください。病者への奉仕を通じてキリスト教の信仰をあかしする人々を支え励ましてください。母の愛をもって慈悲深い御父の家へすべての人を導いてください。苦しむレバノンの民衆を見守ってくださった聖母よ、この国に再び花開いた希望を通じて、愛のいやしの力への新たな信頼を世界中に植えつけ、すべての人をあなたの愛で温かく包み込んでください。これから始まる新しい千年期が、神の愛の崇高な創造である人間への新たな信頼の時代を開き、人間が愛のうちにおいてのみ、自らの人生と運命の意味を再発見することができますように。

1998年12月8日
  バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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