教皇ベネディクト十六世の2012年8月19日の「お告げの祈り」のことば わたしの肉を食べ、わたしの血を飲みなさい

教皇ベネディクト十六世は、年間第20主日の8月19日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻 […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第20主日の8月19日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、ポーランド語によるあいさつの中で、教皇は次のように述べました。
「すべてのポーランド人の皆様にごあいさつ申し上げます。数日前、モスクワと全ロシアの総主教キリル一世(在位2009年-)がポーランドの正教会を訪問しました。キリル一世とすべての正教会の信者の皆様に心からごあいさつ申し上げます。今回の訪問は、カトリック教会の司教団との会見と、共同声明の発表をも含みました。この声明は、兄弟としての一致を深め、キリスト・イエスへの同じ信仰の精神のもとに、協力して現代世界に福音的な価値観を広めたいという望みを表すものです。これは将来への希望を呼び起こす、重要な出来事です。神の祝福を願い求めながら、マリアのいつくしみにこの行事の実りをゆだねます。イエス・キリストは賛美されますように」。
モスクワと全ロシアの総主教キリル一世のポーランド訪問は、ロシア・ポーランド戦争(1605-1618年)におけるモスクワのポーランド軍からの解放400周年と、1812年ロシア戦役におけるロシアのナポレオンへの勝利200周年を記念して行われました。キリル一世とポーランド司教協議会会長のヨゼフ・ミハリク・プシェムィシル大司教は8月17日(金)、ワルシャワ王宮で、両教会信徒に和解を呼びかける歴史的な共同声明に調印しました。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の主日の福音(ヨハネ6・51-58参照)は、前日にパン五つと魚二匹だけで何千人もの人を満腹させた後、イエスがカファルナウムの会堂で行った説教の最後の部分であり、またその頂点です。イエスはこの奇跡の意味を明らかにします。すなわち、約束の時が実現しました。荒れ野でマナをもってイスラエル人を満腹させた父である神は、今や、御子をまことのいのちのパンとして遣わします。そしてこのパンは、わたしたちのためにいけにえとしてささげられた、御子の肉であり、いのちです。それゆえわたしたちは、御子の人間性につまずくことなく、信仰をもって御子を受け入れなければなりません。「御子の肉を食べ、御子の血を飲」まなければなりません(ヨハネ6・54参照)。それは、自分自身のうちに完全ないのちを受け入れるためです。この説教が同意を引き寄せるためになされたのでないことは明らかです。イエスはそのことを知っておられ、また意図的に話されます。実際、それは危機的な時であり、イエスの公生活の転機でした。群衆も、弟子たちも、イエスが奇跡のしるしを行ったときはイエスを熱狂的に受け入れました。パンと魚の増加も、イエスがメシアであることをはっきりと示すものでした。そこで群衆はすぐにイエスをかつぎ上げて、イスラエルの王にしようと望みました。しかし、それはイエスの望みではありませんでした。イエスはまさにこの長い説教をもって、熱狂した人々の心を冷まし、多くの離反者を生み出します。実際イエスは、パンのたとえを説明していいます。わたしは自分のいのちを与えるために遣わされた。わたしに従いたい者は、一人ひとり、深くわたしと一致し、わたしの愛のいけにえにあずからなければならない。そのためにイエスは最後の晩餐で聖体の秘跡を制定なさいます。それは、ご自分の弟子たちが、イエスの愛(これが決定的に重要な点です)を自分自身のうちに受け入れ、彼らがイエスと結ばれた一つのからだとして、世においてイエスの救いの神秘をもたらし続けることができるようにするためです。
 この説教を聞いた群衆は、イエスが自分たちの望んでいたような、地上の王座を求めるメシアではないことを悟りました。イエスはエルサレムを征服するために承認されることを求めませんでした。むしろイエスは、この聖なる都を、預言者たちの定めにあずかりながら歩むことを望みました。神と民のためにいのちをささげることを望みました。この多くの人のために裂かれたパンは、勝利の行進となることではなく、十字架のいけにえの予告となることを目指します。イエスはこの十字架のいけにえによって、パン、すなわち、あがないとしてささげられるからだと血となるのです。それゆえイエスがこの説教を行ったのは、群衆を幻滅させるため、そして何よりも、弟子たちに決意を行わせるためでした。実際、このときから、弟子たちの多くがもはやイエスに従わなくなったのです。
 親愛なる友人の皆様。わたしたちもキリストのことばにあらためて驚きを覚えることができますように。歴史のうねに蒔かれた一粒の麦であるキリストは、罪と死の腐敗から解放された、新しい人類の初穂です。そして、聖体の秘跡のすばらしさを再発見できますように。聖体は、神のへりくだりと聖性を余すところなく表します。神は小さな者となられます。全宇宙のかけらとなられます。それは、すべての人をご自身の愛のうちに和解させるためです。世にいのちのパンを与えてくださったおとめマリアが、キリストとの一致をますます深めることをわたしたちに教えてくださいますように。

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