近世のキリスト教

IV-1 合理主義の台頭とキリスト教

 16世紀から17世紀半ばに起こった宗教改革の波が去った後、ヨーロッパでは宗教や信仰に対する関心が自然科学へと関心が移っていった。いわゆる合理主義の台頭である。コペルニクス、ケプラー、ガリレオなどの天文学上の新発見は、ギリシャ以来の宇宙観を根底から覆すものであった。最初、教会は新しい科学の動きに対し警戒を示したが、ニュートンの時代になると客観的真理を示す科学的姿勢を評価するようになった。

 デカルトに象徴されるように、人間の本質を信じることにより思惟能力に求めた合理主義の波は、17、18世紀には啓蒙主義の名のもとにさらに強まり、民衆の無知と偏見をただそうとする動きとなって、キリスト教から超自然的な要素を大幅に奪った。さらにこの合理主義は科学の分野のみならず、政治・社会理論として結実し、アメリカの独立やフランス革命と結びついた。なかでもフランス革命(1789年)にあっては、一部の急進派からキリスト教は文明の敵とみなされ、ブルボン王朝と結びついていたカトリック教会は排斥され、代わりに理性の女神が公に祠られたほどである。こうした合理主義の波に対して、教会はほとんど守りの姿勢に終始し、指導力を失って孤立した。また、イエズス会も近代国家の政治的圧力によって各国で解散を強いられた。

IV-2 19世紀の教会

 フランス革命とそれに続くナポレオン戦争によるヨーロッパの混乱のなかで、カトリック教会は再び力を取り戻した。第1バチカン公会議(1869―1870年)の開催がそれを表わしている。公会議は、教皇がその権限をもって信仰と道徳に関して判断を下すとき、決して誤ることがないといういわゆる教皇不可謬説を、カトリックの教義の一部として宣言した。またこの時代、教皇庁は種々の閉鎖的な指針を打ち出し、近代世界の動きのなかでカトリック教会は孤立してしまう結果となった。聖書や歴史に対する批判的研究は「近代主義」(modernism) と名づけられ、この世と妥協するものとみなされ退けられた。また、カトリック学校で進化論の授業を禁じたのもこの時代である。

 こうした閉鎖性にもかかわらず、この時代には多くの修道会や司祭によって構成された多くの宣教会が次々と誕生した。特にこの時期に創設されたおびただしい男女の修道会は近代修道会と呼ばれ、修道生活を営みながら霊的指導、教育、福祉、医療、学問、芸術など多岐にわたる分野をそれぞれの専門としてめざましい活動を繰り広げた。また、その多くは国際的な規模で組織を拡大し、カトリック教会のもつ普遍性の実現に一役かった。北アメリカでは南北戦争(1861―1865年)後、宣教会の活躍によってカトリック教会は急成長し、プロテスタント国アメリカで市民権を得るようになった。

IV-3 20世紀以降の教会

 1848年の「共産党宣言」以後の唯物史観に基づくマルクス主義の台頭は、教会にとっても大きな挑戦であった。教皇レオ十三世は1891年、教会初の社会教書『レールム・ノヴァールム ―労働者の境遇について―』を発布し、近代資本主義のひずみによって苦しんでいる労働者の境遇にふれ、労働者の種々の権利をキリスト教信仰の立場から訴えた。さらに1917年のロシア革命によって樹立した無神論国家に抗して、教会はキリスト教の弾圧と暴力による人間性の蹂躙のゆえに反共姿勢を固める一方、社会問題に積極的に取り組むようになった。

 二つの世界大戦とその後の世界の動きは、教会にも地球的な規模の人類意識、あるいは世界意識というこれまでにないまったく新しい問題をつきつけることになったが、それには幾つかの要因がある。一つには両世界大戦という前代未聞の悲劇を通して、逆説的ながら「人類は一つ」という深い自覚を得たことである。この意識は交通と通信網のめざましい発達によってますます強まった。またヨーロッパにおけるキリスト教離れと、それに反比例するようかのようなアジア、アフリカ、南米でのキリスト教の拡大、さらに東西の冷戦の緊張と軍拡競争や南北問題による持続的な危機意識、日進月歩の科学技術の進歩とその成果である宇宙開発や核の恐怖など、これらの要因によって呼び覚まされた「一つの人類」という鮮明な意識は、イエス・キリストから教会に託された救いの恵みと教会の使命が、人類社会にとっていったい何であるかを改めて問うことになったのである。

 こうして新しい時代に生きるカトリック教会は、全面的な自己改革の道を断行した。それは教皇ヨハネ二十三世の招集によって1962年から1965年にかけて開かれた第2バチカン公会議に始まる。この公会議は特に、人類とともに歩む教会の本質と使命を深く再理解し、さらに現代社会の苦悩と人類の希望を鋭く洞察した。それをふまえ、これまでの閉鎖主義を撤回し、カトリックの伝統を保持しながらも、さまざまの改革路線を大胆に打ち出し、人類社会に開かれた教会をめざして歩み始めた。典礼の改革、信教の自由、プロテスタント教会との教会合同運動、司教・司祭・修道者・信徒の使命の覚醒と養成、諸宗教との対話、社会正義の実現など、多岐にわたる課題への実践的な取り組みなどが進行中である。すでに教皇庁は英国教会との交わりを回復し、東方教会とも古いきずなを確認し合った。また、平和運動、聖書翻訳の共同作業や活発な学術交流などプロテスタント教会との協力関係は日々強まっている。 こうして教会は、キリストにおける人類の一致を実現していく道具として、世の終わりまで人類とともに歩み続けていくのである。

PAGE TOP