溝部脩司教による連載記事「殉教者と私たち 1」

 激しいキリシタン弾圧時代を生き抜いてきた日本の教会は、「日本26聖人」をはじめ、「聖トマス西と15殉教者」、また「日本205福者殉教者」など、有名無名の多くの信仰の先人たちを生み出してきました。現在は、ペトロ岐部神父と187殉教者の列福推進運動が進められていますが、すでに歴史調査を終え、2006年の5月、教皇庁列聖省の神学審査委員会は、188殉教者の列福を承認し、あとは同省の枢機卿会議の承認と教皇の裁可を待っている状況です。この度、20年以上もこの列福調査にかかわってきた殉教者列福調査特別委員会委員長の溝部脩司教(高松教区)が「殉教者と私たち」というテーマでカトリック新聞に4回シリーズ(6月から毎月1回)で掲載されています。列福・列聖がどうして必要なのか、なぜ188人なのかその選定など、「列福運動」を様々な角度から紹介した内容になっています。日本の教会が心から待ち望んでいるペトロ岐部と187殉教者の列福に向けて十分な準備資料になるのではないでしょうか。

殉教者と私たち 1

聖人になるにはお金がかかるって本当ですか?
 「聖人になるには、お金がかかる」という定説めいた評判が流布している。だから、金を持っていると思われる修道会からでないと、教会の祭壇を飾る聖人は生まれてこないと、少し皮肉って論評する人が絶えない。また、ローマの高官に袖の下を通さないと実現しないと、まことしやかに話す人たちもいる。果たしてどうなのだろう。
 188名日本殉教者列福運動に二十年以上かかわってきた者として、今までの経緯を知っているだけに、ある程度のことは言える立場に私はあると言ってもよい。お金がかからなかったと言えばうそである。しかし、それは必要最低の経費であったと断言できる。
 必要経費を明示することで列福の段取りがつかめるので、それを列記してみよう。
 まず殉教者列福調査特別委員会の歴史調査委員会が招集されて、会合を重ねて、殉教者の資料収集、福者の選定が行われた。そのたびごとに旅費が実費で支給された。次いで法制委員会が結成されて、同様に会合が重ねられて、そのたびごとに旅費が支給された。いずれも全くのボランティアとしての仕事と言ってもよい。
 さらに、日本での調査の最後の段階で証人喚問が行われ、殉教者について知名度がどのくらいか、崇敬されているか、福者になるのに障碍(しょうがい)がないかなどのことが、聞き取り調査という形で行われた。日本の数カ所でそれが行われたが、その際も旅費が実費で支給されるにとどまった。
 集められた証言と莫大(ばくだい)な殉教の資料は荘厳に封印されて、教皇庁大使館を通してローマに送られた。バチカン市国(教皇庁)にある「列聖省」はそれを受け取り、その内容について審議を行うこととなった。日本の教会は、ローマにおいて列福の申請を行う人(申請代理人)をお願いして、彼を通して列福の段取りが執り行われるようになるのである。
 彼の主な仕事は、莫大な殉教者の資料を要約して一冊の本、列福審査書(Positio)を作成することである。これは大変な仕事であったが、日本の歴史調査委員の一人の大きな働きのおかげで、随分と時間がかかったものの、2005年に完成した。もちろん、その出版に際して必要な経費が支払われた。そして、本当にすずめの涙ほどの謝礼と日本の電気製品をローマの申請代理人に贈った。
 列福審査書は「列聖省」より、ローマにおける歴史調査委員会に回され、審査終了。その後、神学者委員会でも列福を「可」とする答申が決定された。今後は枢機卿委員会にかけられ、最終決定を教皇が行う。これらの過程でお金を要求されたことはない。ただ、ローマに行き、枢機卿たちを訪問する際に日本から電気製品、または日本趣味の陶器を持参して土産としたに過ぎない。
 以上でお分かりと思うが、列福のために特別なお金が必要ではなかったと言える。むしろ、殉教者の資料を準備した人たちのために、修道会なり大学なりがかけた費用は莫大であったと言える。殉教者の資料収集、その評価など、多くの時間を割き、それに伴った費用があったことは理解していただけると信じる。今回の日本殉教者列福運動は、それに関心と熱意をもったボランティアの純粋な活動のたまものであった。
 注=福者とは、聖人の前段階。日本にゆかりのある人々で、現在、列福運動が進められているのは、高山右近、サレジオ修道会のチマッティ神父、長崎教区の中村長八神父(ブラジルで逝去)、イエズス会のペドロ・アルペ神父(ローマで逝去)など。

(カトリック新聞 2006年6月18日)

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