溝部脩司教による連載記事「殉教者と私たち 2」

殉教者と私たち 2

無理して聖人を祭壇に上げる必要がどこにある?
 「聖人はどこにでもいるのであり、むしろ隠れた所にいる人こそ聖人であって、ことさらに聖人だ、聖人だと言いふらすのは福音の精神に反している」との声がある。もっともな主張である。聖人は「庶民の声」(vox populi〈ヴォックス・ポプリ〉)であり、下からそれが盛り上がり、聖人へと叫ぶようになるのが自然で、官制の、上からの押し付けのような運動はいただけないとの批判もある。これももっともな主張である。それでも教会は、ある人たちを聖人として公認するということを、やめることはなかった。なぜだろう。
 日本には多くの殉教者がいたという漠然とした認識はあるが、いざ何人いて、それは誰であり、どこで、何年に殉教したのかということになると、まるで答えることができない。もっとまずいことは、信者たちに理解させることなく、何が何でも殉教者列福を推し進めることであろう。分かってもらうという努力がなされないで、列福推進運動を進めることは、絶対に避けなくてはいけない。「庶民の声」が起こるために、むしろきちんと事実を伝えることから始める義務があると私たち列福委員は思っている。
 日本には1862年に列聖された日本26聖人殉教者と1987年に列聖された16人の殉教者(聖トマス西と15殉教者)がいて、合わせて42人の聖人がいる。そのほかに1867年には、205人が福者(日本205福者殉教者)として祭壇に上げられている。日本の教会はキリシタン時代から、殉教者については関心が高く、早くから列福のための準備を始めていた。1600年に入って間もなく、殉教者についての証言を集める作業を行っている。
 しかし、鎖国によってそれは中断され、日本開国の兆しとともに、日本の教会の再出発という大きな希望のもとに26聖人、ならびに205福者が祭壇に上げられたという経緯がある。ローマ主導の列聖、列福と言ってもよい。それもあってか、26聖人殉教者のことはある程度知られていても、205福者に至ってはほとんど知られないまま100年の歳月が流れた。日本の教会はあまり興味を示さなかったということでもある。
 この流れを断ち切る機会を提供したのは、ドミニコ会による列福・列聖の運動であり、その実現であった。しかし、この聖人たちはドミニコ会との関係で推進されたこともあり、日本の教会全体の盛り上がりには欠けることが多かった。ここから日本人の代表的な殉教を対象にした日本の教会独自の列福運動を起こす必要を日本の司教団は感じ、実際そのように決議した。現代日本の教会に、信仰ある生き方を問い掛ける代表的人物を選ぶことで合意した。そのために、日本人に限り、信徒の時代を標榜(ひょうぼう)する現代にふさわしい人物を選定することを優先させた。1630年以降、迫害が一番激しく、拷問が一番厳しい時代の殉教を特に取り上げたのもこの列福の特徴である。
 これらは官制と言えば確かに官制であるが、段階を踏んで組織的に、確かな目標をもって推進している点で、今までの列福運動と随分異なっている。まず知らしめる、そしてその意義づけをはっきりと伝えることで、現代人への呼び掛けをしている。

(カトリック新聞 2006年7月16日)

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