溝部脩司教による連載記事「殉教者と私たち 3」

殉教者と私たち 3

どうして私たちの教区の殉教者が福者のリストに入っていないのか?
 自分の教区にはたくさんの殉教者がいるのに、今回の188名日本殉教者には一人も入っていない、アンフェアー(不公平)であるというおしかりを受けることがある。同僚の司教たちからも皮肉交じりにちくりちくりと非難を受けている。
 確か188名を選定する過程で、殉教者列福「歴史調査委員会」の独断と偏見によって行われたことは否めない。今になって思えば、もう少し考えてやるべきだったと思うことがあるし、大事な殉教を外したという悔いが残っている。それでも今回の選定に関して弁護をさせていただきたい。
 現在ローマ・カトリック教会は、聖人の位に挙げる基準を次のように考えている。まずは、信徒の時代を反映して、信徒の代表的人物を優先させることであった。しかも、その信徒というのは、彼らが生きた当時の社会で家庭を営み、子どもを育て、信仰生活を生きた人々のことである。この線に沿って、歴史調査委員会は、キリシタン時代に信仰をもって生きた老若男女、子どもから高齢者に至るまでの家庭人をまず列福の対象にした。
 京都や米沢の殉教は、その代表的なものである。ディエゴ加賀山隼人の長女みや(熊本で殉教)などは、日本女性の美しさと強さを見事に表現している。同様のことは有馬の殉教者や生月(いきつき)の殉教者にも当てはまる。彼らの生涯に目を留めれば、信仰をもって現代を生きようとする家庭人に大きな励みとなるであろう。とかく聖人と言えば、聖職者、司祭、修道者が目立つだけに、日本の列福運動は前衛的と言える。
 信徒の時代を反映するには、教会の中で特異な働きをした人たちを挙げる必要もある。世間の事情に疎い聖職者たちを補佐し、時には叱咤(しった)する役目を持つ人たちのことを指す。日本の教会において、その代表的人物は高山右近であろう。
 今回は右近の件は種々のことが重なってその列福は後回しにされているが、それでも188名の中には西坂の殉教者ミゲル薬屋とか、天草の殉教者アダム荒川といった人々が挙げられている。フランシスコ会第三会員である江戸の殉教者ジョアン原主水などは、江戸の教会の指導的人物であった。ディエゴ加賀山隼人(小倉で殉教)は、中北九州のキリシタンの霊的父親のような存在であった。米沢の殉教者、甘糟右衛門などは「談義者」と呼ばれて、教会の教えを信徒に伝える現代の集会祭儀者の役割を担っていた。意識の高い信徒を必要としている現代だけに、これらの殉教者の意義も大きい。
 信徒の時代と言っても、カトリック教会がカトリックである限り、秘跡を執行し、教会に全く奉仕する司祭がどうしても求められる。今回の188名日本殉教者の中に4人の代表的司祭が選ばれた。あるいは4人しか選ばなかったという悔いが残る選択である。
 これらの司祭たちはいずれも壮絶な殉教と波乱に富んだ生涯を送っている。いずれも世界を体験し、ヨーロッパより伝来したキリスト教を日本人として受け入れ、キリスト教を同化し、キリストのためにいのちをささげた人物である。神と日本に全部をささげ尽くした人物が列福の司祭たちである。現代の日本は司祭召命が少なく、教会司牧もままならないと、将来について悲観的な見方が強い。殉教した司祭たちは、現代にあって苦労しながらも、希望して生きようとする司祭たちに大きな励みとなるはずである。

(カトリック新聞 2006年8月13日)

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