降誕節

教会公文書の降誕節に関連する箇所

「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」より

降誕節

32 例年の過越の神秘の祭儀に次いで教会が行ってきた最古の祭儀は、主の降誕の記念と、主の初期の公現の追憶である。これは、降誕節中に行われる。

33 降誕節は、主の降誕の「前晩の祈り」に始まり、主の公現後、すなわち、1月6日の直後の主日まで続く。

34 主の降誕の前晩のミサの式文は、12月24日の夕刻、「前晩の祈り」の前、または、その後に行われるミサに用いる。
  主の降誕の日には、ローマ古来の伝統に従って、夜半、早朝、日中の三つのミサを行うことができる。

35 主の降誕は固有の8日間をもち、次のように編成される。
  イ 8日間中の主日、またはこの主日がないときは12月30日は、聖家族の祝日。
  ロ 12月26日は、最初の殉教者聖ステファノの祝日。
  ハ 12月27日は、聖ヨハネ使徒福音記者の祝日。
  ニ 12月28日は、聖なる幼子殉教者の祝日。
  ホ 12月29日、30日、31日は、8日間中の日。
  ヘ 降誕の8日目にあたる1月1日は、神の母聖マリアの祭日。この日には、イエスの聖なる名前の命名をも合わせて記念する。

36 1月2日から5日の間にくる主日は、降誕後第2主日とする。

37 主の公現は1月6日に祝う。それが(たとえば日本の場合のように)守るべき祭日でないため、1月2日から8日の間にくる主日に移された場合は別である。

38 1月6日直後にくる主日は、主の洗礼の祝日となる。

『朗読聖書の緒言』より

95 主の降誕の前晩と三つのミサには、預言書の朗読とローマの伝統から選ばれた他の朗読が行われる。
  降誕の8日間中の主日、すなわち聖家族の祝日には、福音はイエスの幼年時代についてであり、他の朗読は家庭生活の諸徳に関するものである。
  降誕の8日目、すなわち神の母聖マリアの祭日には、神の母おとめマリアとイエスの命名に関する朗読が行われる。
  降誕後第2主日には、朗読は受肉の秘義を扱っている〔日本では主の公現の祭日となる〕。
  主の公現には、旧約聖書と福音朗読はローマの伝統を守っている。使徒書の朗読では諸国民が救いに招かれる箇所が読まれる。
  主の洗礼の祝日には、その秘義に関する箇所が選ばれている。

96 12月29日以降、ヨハネの第1の手紙全体の継続朗読が行われる。これは、12月27日の聖ヨハネの祝日とその翌日の幼子殉教者の祝日にすでに読み始められるものである。福音は主の種々の顕現と関係している。すなわち、ルカ福音書からイエスの幼年時代の出来事(12月29日と30日)、ヨハネ福音書の第1章(12月31日から1月5日まで)、そして四つの福音書から主のおもな顕現(1月7日から12日まで)が朗読される。

降誕節主日と主要祝祭日のミサの聖書朗読箇所

【主の降誕前晩のミサ(12月24日)】

第1朗読 イザヤ62・1-5 主があなたを望まれる
第2朗読 使徒言行録13・16-17, 22-25 ダビデの子、キリストに関するパウロの証言
福音朗読 マタイ1・1-25 または 1・18-25 ダビデの子、イエス・キリストの系図

【主の降誕(12月25日)】

イエス・キリストの誕生の日付は、聖書には記されていません。初期のキリスト教ではイエスの誕生はとくに祝われなかったようです。12月25日を主の降誕とするもっとも古い記録は、354年のローマの『年代記』中の、「12月25日、ユダヤのベツレヘムでキリストが生まれる」という記述です。また、336年の同じ『年代記』も、12月25日に主の降誕を祝うことを前提としているようです。このように、ローマ教会では4世紀になって初めて主の降誕に関する記録が残されました。12月25日を主の降誕と定めた経緯に関しては、いくつかの仮説があります。代表的な仮説は、計算上の仮説と宗教史による仮説です。
  計算上の仮説は、イエスの受難の日とマリアへの受胎の日が同じ日であったと考え、その日を3月25日であったとするもので、これに基づいて、受胎の日から9か月後の12月25日にイエスが生まれたとするものです。
  宗教史による仮説は、異教の祭りをキリスト教化したとする立場です。ローマ皇帝アウレリアヌスは274年に、ローマ暦の冬至に当たる12月25日に不滅の太陽神の誕生日(dies natalis solis invicti)を祝う異教の祭りを導入しました。その後、4世紀初めにキリスト教がローマ帝国で公認されると、教会はこの日を、「正義の太陽」(マラキ3・20)であり「世の光」(ヨハネ8・12)であるキリストの誕生を祝う日と定めたというものです。その背景には、異教の太陽神の誕生祭からキリスト者を引き離そうとする意図があったともいわれています。

[夜半のミサ]
第1朗読 イザヤ9・1-3, 5-6 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた
第2朗読 テトス2・11-14 すべての人々に神の恵みが現れた
福音朗読 ルカ2・1-14 今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった

[早朝のミサ]
第1朗読 イザヤ62・11-12 見よ、あなたの救いが進んで来る
第2朗読 テトス3・4-7 神は御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださった
福音朗読 ルカ2・15-20 羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた

[日中のミサ]
第1朗読 イザヤ52・7-10 地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ
第2朗読 ヘブライ1・1-6 神は、御子によってわたしたちに語られた
福音朗読 ヨハネ1・1-18 または 1・1-5, 9-14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた

【聖家族】

  イエスとマリアとヨセフの聖家族に対する信心は、キリスト者の家庭の理想的な姿を示す模範として、19世紀以降、各地で熱心に祝われました。1893年に教皇レオ13世(在位1878~1903年)は、主の公現の祭日後の第3主日を聖家族を祝う任意の記念日と定めました。そして、教皇ピオ11世(在位1903~1914年)が一時的に祝日と定めた後、教皇ベネディクト15世(在位1914~1922年)の時代の1921年に一般ローマ暦に加えられ、全世界で祝われるようになりました。かつての典礼暦では、主の公現の祭日後の第1主日に祝われていましたが、1969年の典礼暦の改定により、現在は主の降誕と関連づけて降誕の8日間中の主日に祝われています。ただし、この8日間中に主日がない年(12月25日が主日の年)は12月30日に祝います。

[A年]
第1朗読 シラ3・2-6, 12-14 主を畏れる人は両親を尊ぶ
第2朗読 コロサイ3・12-21 主における家庭生活について
福音朗読 マタイ2・13-15, 19-23 子供とその母親を連れて、エジプトに逃げなさい

[B年](第1朗読と第2朗読はB年用の任意の箇所)
第1朗読 創世記15・1-6; 21・1-3 あなたから生まれる者が跡を継ぐ
第2朗読 ヘブライ11・8, 11-12, 17-19 アブラハム、サラ、イサクの信仰
福音朗読 ルカ2・22-40 または 2・22, 39-40 幼子は育ち、知恵に満ちていた

[C年](第1朗読と第2朗読はC年用の任意の箇所)
第1朗読 サムエル上1・20-22, 24-28 サムエルは生涯、主にゆだねられた者である
第2朗読 一ヨハネ3・1-2, 21-24 わたしたちは神の子と呼ばれ、事実また、そのとおりである
福音朗読 ルカ2・41-52 両親はイエスが学者たちの真ん中におられるのを見つけた

【神の母聖マリア(1月1日)】

  マリアを「神の母」(テオトコス)と呼ぶことに関しては古代教会で論争となりましたが、エフェソ公会議(431年)でマリアを「神の母」と宣言して以来、マリアへの崇敬はいっそう盛んになりました。
  古代ローマでは1月1日に新年を祝う祭りが行われ、人々は大騒ぎをしていました。教会はキリスト者に対して、こうした習慣に誘惑されるのではなく悔い改めを呼びかけ、6~7世紀には新年の3日間を回心や断食の日とするように定めました。また、同じころローマでは、マリアを熱心に崇敬していたコンスタンチノープルの教会の影響を受けて、1月1日に神の母マリアの記念を行うようになりました。
  一方、ガリアやスペインの教会では、6世紀ごろから、1月1日にイエスの割礼と命名を祝ってきました。これはルカ2・21の「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた」に基づいています。この祝いはその後13~14世紀にローマに伝わり、第2バチカン公会議以前の典礼暦では1月1日を「主の割礼と降誕の八日目」と呼んでいました。1969年の典礼暦の改定では、ローマ教会の伝統に立ち返り、「神の母聖マリア」という名称とともに主の降誕の8日目としても記念し、救い主の誕生の秘義においてマリアが果たした役割を思い起こす日と位置づけています。なお、この神の母聖マリアの祭日は、日本では守るべき祝日です(『教会法』1246条第2項に基づく日本における教会法施行細則参照)。
  また、ローマ・カトリック教会では1月1日を「世界平和の日」とし、世界の平和のために祈る日としています。『カトリック教会情報ハンドブック』では次のように説明されています。「教皇パウロ六世は1968年1月1日、ベトナム戦争が激化するなか、平和のために特別な祈りをささげるよう呼びかけました。それ以来、全世界のカトリック教会は毎年1月1日を『世界平和の日』とし、戦争や分裂、憎しみや飢餓などのない平和な世界が来るよう祈っています」。

第1朗読 民数記6・22-27 彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福する
第2朗読 ガラテヤ4・4-7 神はその御子を女から生まれた者としてお遣わしになった
福音朗読 ルカ2・16-21 羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた。八日たって幼子はイエスと名付けられた

【主の公現】

  「公現」とは「顕現」を意味するギリシア語で「エピファネイア」(Epiphaneia)と呼ばれ、西方教会ではこれをラテン語表記にして「エピファニア」(Epiphania)と呼んでいます。救い主が神から遣わされて人類のうちに顕現し、イエスのうちに現された神の栄光をたたえる日として祝われます。
  この祭日は東方教会が起源で、エジプトで1月5日の夜から6日にかけて祝われていた太陽神の祭りやナイル川での祭りがもとになっていると考えられています。キリスト教が広まる中で2~3世紀ごろから、東方教会では1月6日に東方の学者たちの来訪(マタイ2・1-12)、洗礼者ヨハネによる洗礼(マルコ1・9-11など)、そしてカナの婚礼での最初の奇跡(ヨハネ2・1-11)という、イエスの誕生とその活動の最初の出来事が記念されました。
  4世紀にキリスト教が公認され東西の教会の交流が進むと、ローマ教会では12月25日にキリストの誕生を祝い、1月6日には東方教会にならって占星術の学者たちの来訪が記念されるようになりました。そして、本来1月6日に記念されていた主の洗礼とカナの婚礼の出来事は、前者を1月6日の1週間後(8日目)に当たる1月13日に、後者をその次の日曜日(主の公現後の第2主日)に記念するようになりました。現在のミサの聖書朗読配分で、C年の年間第2主日にカナの婚礼が記念され、A年・B年にはヨハネ福音書からカナの婚礼に先立つ出来事がそれぞれ記念されるのは、このような主の公現の祭日の歴史的発展の名残と考えられます。
  現在の一般ローマ暦では、主の公現は1月6日に祝うよう定められています。ただし、日本のようにこの日が守るべき祝日ではない場合、1月2日から8日の間の主日に移動して祝います(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」7イ、37参照)。

第1朗読 イザヤ60・1-6 主の栄光はあなたの上に輝く
第2朗読 エフェソ3・2, 3b, 5-6 今や、異邦人が約束されたものを受け継ぐ者となるということが啓示された
福音朗読 マタイ2・1-12 わたしたちは東方から王を拝みに来た

【主の洗礼】

  上述したように、ヨルダン川で洗礼者ヨハネからイエスが洗礼を受けた出来事の記念は東方教会が起源であり、主の公現の出来事の一つとして祝われていました。やがて、ローマ教会で占星術の学者たちの来訪を1月6日に独立して記念するようになると、主の洗礼もその1週間後の1月13日に個別に祝われることとなり、1969年の典礼暦の改定までこの日に祝われていました。
  現在の一般ローマ暦では、主の洗礼は1月6日直後の主日に祝います(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」38参照)。日本では、上記のように主の公現の祭日を主日に移動するので、移動された主の公現の祭日直後の主日に主の洗礼を祝います。ただし、主の公現の祭日が1月7日か8日にあたる場合は、その翌日の月曜日が主の洗礼の祝日となります。降誕節はこの主の洗礼の祝日をもって終わり、翌日から「年間」が始まります。

[A年]
第1朗読 イザヤ42・1-4, 6-7 見よ、わたしの僕、わたしが喜び迎える者を
第2朗読 使徒言行録10・34-38 神は、聖霊によってイエスを油注がれた者となさった
福音朗読 マタイ3・13-17 イエスは洗礼を受けると、神の礼が御自分の上に降って来るのを御覧になった

[B年](第1朗読と第2朗読はB年用の任意の箇所)
第1朗読 イザヤ55・1-11 わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ
第2朗読 一ヨハネ5・1-9 “霊”と水と血
福音朗読 マルコ1・7-11 あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者

[C年](第1朗読と第2朗読はC年用の任意の箇所)
第1朗読 イザヤ40・1-5, 9-11 主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る
第2朗読 テトス2・11-14; 3・4-7 この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現した
福音朗読 ルカ3・15-16, 21-22 イエスが洗礼を受けて祈っておられると、天が開けた

典礼の特徴

典礼色は白

  降誕節中、典礼色は白を用います。白は、新しいいのちの誕生や、イエスの誕生を通して示される神の栄光の輝きを表しています。

主の降誕の8日間

  主の降誕の祭日(12月25日)から神の母聖マリアの祭日(1月1日)までは、固有の8日間(octava)として祝われます(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」35参照)。中世以降、さまざまな祝祭日にこのような8日間の祝いがありましたが、典礼暦年の流れが損なわれないようにすることを考慮して、1969年のローマ典礼暦の改定以降は、主の降誕の祭日と復活の主日だけに8日間の祝いが残されています。

栄光の賛歌を歌う

  待降節の間歌われなかった栄光の賛歌(Gloria)を、主の降誕の前晩のミサから再び歌います。「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ」という栄光の賛歌の冒頭の言葉は、羊飼いたちにイエスの誕生を告げる天使の賛美の言葉(ルカ2・14)からとられているので、主の降誕のミサこそ栄光の賛歌を歌うにふさわしい機会です。
  なお、主の降誕の8日間中も、週日であっても栄光の賛歌を歌い、救い主の誕生を喜びのうちに祝います。

主の降誕の祭日の3回のミサ

  主の降誕の祭日には、伝統的に夜半のミサ、早朝のミサ、日中のミサという3回のミサがささげられます。主の降誕を祝う本来のミサは日中のミサで、ローマでは4世紀に教皇が司式する日中のミサ(午前9時ごろ)が聖ペトロ大聖堂で行われていました。
  夜半のミサは、教皇シクスト3世(在位432~440年)の時代にさかのぼります。4世紀末のエルサレムとベツレヘムでは、深夜に主の降誕を記念する典礼が行われ、信者は夜半にベツレヘムを出発し、夜明けごろエルサレムに到着する行列を行っていました。ローマでもこれにならい、聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂)の中に、ベツレヘムにある主の降誕の場所とされる洞窟を模した地下小聖堂が造られ、この小聖堂で教皇の司式するミサが深夜にささげられるようになりました。
  さらに6世紀になると、早朝のミサが加わりました。このミサは、4世紀初めに殉教した聖アナスタシアの記念との関連があります。聖アナスタシアは5世紀以降、コンスタンチノープルを中心とする東方教会で熱心に崇敬され、やがてローマにも聖アナスタシアの名を冠した聖堂が建てられました。現在のミサの第一奉献文(ローマ典文)の中に、聖アナスタシアの名前が残っています。この聖人の記念日は12月25日であったため、教皇は上記の聖マリア大聖堂での夜半のミサの後、聖ペトロ大聖堂に戻る途中で聖アナスタシア聖堂に立ち寄り、私的なミサをささげる習慣が生まれました。しかし、ローマ以外の場所では聖アナスタシアではなく主の降誕を記念する内容が強くなっていき、主の降誕の早朝のミサとして祝われるようになりました。
  以上のような経緯で、主の降誕の祭日には3回のミサが行われ、その後の典礼書にも記載されるようになり、現在もこの習慣を受け継いでいます。

主の降誕の8日間中の任意の聖人の記念

  主の降誕の8日間中の週日に任意の聖人を記念する場合、ミサの集会祈願として、任意に記念する聖人のための祈願を用いることができます(「ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)」355a参照)。

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