年間(第1週~第9週)

教会公文書の年間に関連する箇所

「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」より

年間(第1週~第9週)年間(第1週~第9週)43 固有な特質を備えた諸節を除く場合、キリストの神秘の種々の面を取り立てて祝わない週間が、一年の周期の中で、33ないし、34週残ることとなる。こういう週間、また、とりわけ主日は、むしろキリストの神秘全体を追憶するものである。この期間は「年間」という名で呼ぶ。

44 年間は、1月6日直後の主日の次にくる月曜日に始まり、四旬節前の火曜日まで続く。その後、年間はまたあらためて、聖霊降臨の主日の次にくる月曜日に始まり、待降節第1主日の「前晩の祈り」の前で完了する。「教会の祈り」とミサ典礼書に記載されているこの期間の主日と週日用典礼式文は、この規則に準じて用いる。

『朗読聖書の緒言』より

a 聖書の箇所の配列と選択

103 「年間」は1月6日直後の主日の翌日の月曜日に始まり、四旬節直前の火曜日(その日を含む)まで続く。また、聖霊降臨の主日直後の月曜日に再び始まり、待降節第1主日の前晩の祈りの直前まで展開される。
朗読配分には34の主日とそれに続く週のための朗読が示されている。しかし年間の週が33しかない場合もある。その中で他の季節に属する主日もあれば(主の洗礼の祝日が行われる主日、聖霊降臨の主日)、祭日に当たるので行われない主日(たとえば三位一体、王であるキリスト)もある。

104 年間用に定められている朗読箇所を正しく用いるためには、次のことがらを守らなけばならない。
(1) 主の洗礼の祝日に当たる主日は年間第1主日の代わりとなる。したがって、第1週の朗読は1月6日直後の主日の翌日の月曜日から始められる。主の洗礼の主日が公現の祝われた主日後の月曜日に祝われる場合には、第1週の朗読は火曜日から始められる。
(2) 主の洗礼の祝日に続く主日は年間第2主日となる。その後は四旬節の始まる前の主日まで順に一つずつ数えていく。灰の水曜日の週の朗読は、その前日(火曜日)までで、それ以降の分は打ち切られる。
(3) 年間の朗読が聖霊降臨の主日後に再開されるときには次のように行う。
・年間主日が34ある場合、四旬節の始まる週の直後の週の分から続ける。
・年間主日が33ある場合、聖霊降臨後採用するはずであった最初の週の分を省く。それは、最後の2週間に割り当てられている終末に関する箇所を年間の終わりに確保するためである。

b 主日の朗読

イ 福音朗読
105 年間第2主日の福音は、伝統的なカナの婚宴の箇所と、同じヨハネ福音書の他の二つの箇所によって、公現の祭日に祝った主の顕現との関連が保たれている。
第3主日からは、三つの共観福音書の準継続朗読が始まる。この朗読は、主の生涯と宣教を展開しながら、各福音書に固有な教えを示すよう編成されている。
さらに、このような配分によって、各福音書の思想と典礼暦年の展開との間に、ある種の調和が得られるようになっている。事実、公現後、主の宣教の初めが朗読されるが、これはキリストの洗礼とその最初の顕現とに非常によく関連している。……
……C年のルカ福音書の準継続朗読において、最初の箇所として(すなわち第3主日に)作者の意図をきわめて美しく述べている同福音書の序文が朗読される。それは他に適当な場がなかったことにもよる。

ロ 旧約聖書の朗読
106 旧約聖書の朗読は、福音の箇所との関連で選ばれている。それは、各ミサにおける朗読があまりにも異なったものとならないようにするためであり、またとくに新約と旧約の一貫性を表すためである。同じミサの朗読相互の関係は、入念に選択されて各朗読の前に付けられた主題句によって示されている。
朗読箇所はなるべく短く、また理解しやすいものが選択されている。しかし同時に、旧約聖書の中からもっとも重要な箇所ができるだけ多く主日に朗読されるよう配慮された。これらの箇所は、福音朗読を中心にこれに合わせて、すなわち論理的な順序に従わないで配分されている。しかし、主日のミサの参加者は皆、旧約聖書の主要な部分のほとんどすべてを聞くことができるように、神のことばの宝庫は開かれているのである。

ハ 使徒書の朗読
107 使徒書からは、パウロとヤコブの手紙の準継続朗読が行われる(ペトロとヨハネの手紙は復活節と降誕節に朗読される)。
コリントの教会への第1の手紙はかなり長文であり、種々の問題を扱っているので、3年周期に分けて、「年間」の初めに朗読される。同じくヘブライ人への手紙も二つに分割するのが適当と考えられ、一つはB年に、もう一つはC年に朗読される。
なお、信者が理解できるように、あまり難しくない、短い朗読箇所だけが選ばれている。……

年間主日(第9主日まで)と主要祝祭日のミサの聖書朗読箇所

【年間第2主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ49・3, 5-6 わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いをもたらす者とする
第2朗読 一コリント1・1-3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように
福音朗読 ヨハネ1・29-34 見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ

[B年]
第1朗読 サムエル上3・3b-10, 19 主よ、お話しください。僕は聞いております
第2朗読 一コリント6・13c-15a, 17-20 あなたがたの体はキリストの体の一部である
福音朗読 ヨハネ1・35-42 彼らはどこにイエスが泊まっておられるかを見た。そして、イエスのもとに泊まった

[C年]
第1朗読 イサヤ62・1-5 花婿が花嫁を喜びとする
第2朗読 一コリント12・4-11 同じ唯一の”霊”は望むままに、一人一人に分け与えてくださる
福音朗読 ヨハネ2・1-11 イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行われた

【年間第3主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ8・23b~9・3 異邦人のガリラヤにおいて、民は大いなる光を見た
第2朗読 一コリント1・10-13, 17 皆、勝手なことを言わず、仲たがいしないようにしなさい
福音朗読 マタイ4・12-23 または  4・12-17 イエスはカファルナウムに来た。それは、イザヤを通して言われていたことが実現するためであった

[B年]
第1朗読 ヨナ3・1-5, 10 ニネベの人々は悪の道を離れた
第2朗読 一コリント7・29-31 この世の有様は過ぎ去る
福音朗読 マルコ1・14-20 悔い改めて福音を信じなさい

[C年]
第1朗読 ネヘミヤ8・2-4a, 5-6, 8-10 レビ人は律法の書を意味を明らかにしながら読み上げた
第2朗読 一コリント12・12-30 または 12・12-14, 27 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分である
福音朗読 ルカ1・1-4; 4・14-21 この聖書の言葉は、今日、実現した

【年間第4主日】

[A年]
第1朗読 ゼファニヤ2・3, 3・12-13 わたしはお前の中に、苦しめられ、卑しめられた民を残す
第2朗読 一コリント1・26-31 神は世の無力な者を選ばれた
福音朗読 マタイ5・1-12a 心の貧しい人々は、幸いである

[B年]
第1朗読 申命記18・15-20 わたしは預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける
第2朗読 一コリント7・32-35 未婚の女は、聖なる者になろうとして主のことに心を遣う
福音朗読 マルコ1・21-28 イエスは権威ある者としてお教えになった

[C年]
第1朗読 エレミヤ1・4-5, 17-19 わたしはあなたを諸国民の預言者として立てた
第2朗読 一コリント12・31~13・13 または 13・4-13 信仰と希望と愛はいつまでも残る。最も大いなるものは、愛である
福音朗読 ルカ4・21-30 イエスは、エリヤやエリシャのようにユダヤ人のためだけに遣わされたのではない

【年間第5主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ58・7-10 あなたの光は曙のように射し出る
第2朗読 一コリント2・1-5 わたしは、十字架につけられたキリストの秘められた計画を宣べ伝えた
福音朗読 マタイ5・13-16 あなたがたは世の光である

[B年]
第1朗読 ヨブ7・1-4, 6-7 わたしはいらだって夜明けを待つ
第2朗読 一コリント9・16-19, 22-23 福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸である
福音朗読 マルコ1・29-39 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやした

[C年]
第1朗読 イザヤ6・1-2a, 3-8 わたしがここにおります。わたしを遣わしてください
第2朗読 一コリント15・1-11 または 15・3-8, 11 わたしたちはこのように宣べ伝え、あなたがたはこのように信じた
福音朗読 ルカ5・1-11 彼らはすべてを捨ててイエスに従った

【年間第6主日】

[A年]
第1朗読 シラ15・15-20 主は、不信仰であれとは、だれにも命じたことはなかった
第2朗読 一コリント2・6-10 神はわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から知恵を定めておられた
福音朗読 マタイ5・17-37 または 5・20-22a, 27-28, 33-34a, 37 昔の人はこのように命じられている。しかし、わたしは言っておく

[B年]
第1朗読 創世記3・16-19 お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は生涯苦しむ
第2朗読 一コリント10・31~11・1 わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい
福音朗読 マルコ1・40-45 思い皮膚病は去り、その人は清くなった

[C年]
第1朗読 エレミヤ17・5-8 呪われよ、人間に信頼する人は。祝福されよ、主に信頼する   人は
第2朗読 一コリント15・12, 16-20 キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしい
福音朗読 ルカ6・17, 20-26 貧しい人々は、幸いである。富んでいるあなたがたは、不幸である

【年間第7主日】

[A年]
第1朗読 レビ19・1-2, 17-18 自分自身を愛するように隣人を愛しなさい
第2朗読 一コリント3・16-23 一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである
福音朗読 マタイ5・38-48 敵を愛しなさい

[B年]
第1朗読 イザヤ43・18-19, 21-22, 24b-25 わたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐう
第2朗読 二コリント1・18-22 イエスは、「然り」と同時に「否」となったような方ではない。この方においては「然り」だけが実現したのである
福音朗読 マルコ2・1-12 人の子は地上で罪を赦す権威を持っている

[C年]
第1朗読 サムエル上26・2, 7-9, 12-13, 22-23 主はわたしの手にあなたを渡されたが、手をかけることをわたしは望まなかった
第2朗読 一コリント15・45-49 わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなる
福音朗読 ルカ6・27-38 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい

【年間第8主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ49・14-15 わたしがあなたを忘れることは決してない
第2朗読 一コリント4・1-5 主は人の心の企てをも明らかにされる
福音朗読 マタイ6・24-34 明日のことまで思い悩むな

[B年]
第1朗読 ホセア2・16b, 17b, 21-22 わたしは、あなたととこしえの契りを結ぶ
第2朗読 二コリント3・1b-6 あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙である
福音朗読 マルコ2・18-22 花婿が婚礼の客と一緒にいる

[C年]
第1朗読 シラ27・4-7 話を聞かないうちは、人を褒めてはいけない
第2朗読 一コリント15・54-58 神は、イエス・キリストによってわたしたちに勝利を与えてくださる
福音朗読 ルカ6・39-45 口は、心からあふれ出ることを語る

【年間第9主日】

[A年]
第1朗読 申命記11・18, 26-28, 32 見よ、わたしはあなたたちの前に祝福と呪いを置く
第2朗読 ローマ3・21-25a, 28 人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による
福音朗読 マタイ7・21-27 岩の上に建てられた家と砂の上に建てられた家

[B年]
第1朗読 申命記5・12-15 あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったことを思い起こさねばならない
第2朗読 二コリント4・6-11 イエスの命がわたしたちの体に現れる
福音朗読 マルコ2・23~3・6 または 2・23-28 人の子は安息日の主でもある

[C年]
第1朗読 列王記上8・41-43 異国人が来て祈るなら、それに耳を傾けてください
第2朗読 ガラテヤ1・1-2, 6-10 もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではない
福音朗読 ルカ7・1-10 イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない

【主の奉献(2月2日)】

主の奉献の祝日は、イエスが生まれてから40日後に律法の定めに従って両親によって神殿でささげられたことを記念します(ルカ2・22-40、レビ12章参照)。これに基づいて、主の降誕の祭日(12月25日)から40日目の2月2日に祝われています。
主の奉献は、東方教会では4世紀ごろから祝われ、5世紀半ばにはギリシア語で「ヒュパパンテ(出会い)の祝日」と呼ばれるようになりました。これは、神殿でささげられたイエスが、信じる民をかたどるシメオンと女預言者アンナに出会ったことに由来しています。また、シメオンが幼子イエスを抱いて、「異邦人を照らす啓示の光」(ルカ2・32)とたたえて呼んだことから、この日にはろうそくの行列が行われるようになりました。
ローマ教会でも5世紀半ばには祝われ、11世紀にはろうそくの祝福が加えられました。ローマ教会での名称は10世紀ごろから「マリアの清めの祝日」が一般的になりましたが、第2バチカン公会議による典礼暦の改定後は、キリストの救いの出来事として記念することを表すために「主の奉献」と呼んでいます。

第1朗読 マラキ3・1-4 あなたたちが待望している主は、その聖所に来られる
第2朗読 ヘブライ2・14-18 イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかった
福音朗読 ルカ2・22-40 または 2・22-32 わたしはこの目であなたの救いを見た

典礼の特徴

「年間」の位置づけ

「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」43で述べられているように、一年の典礼暦の中で固有の特質を持つ季節、すなわち待降節・降誕節・四旬節・復活節以外の期間を「年間」(tempus per annum)と呼んでいます。待降節と降誕節はキリストの受肉の秘義を、四旬節と復活節はキリストの過越の秘義を中心に記念しますが、福音書には受肉と過越の秘義のほかにもさまざまな救いの出来事が述べられています。年間の主日には3年周期の聖書朗読配分に従って各福音書をほぼ継続して朗読することによって(A年はマタイ福音書、B年はマルコ福音書、C年はルカ福音書)、キリストの救いの出来事のさまざまな側面を思い起こします。こうして、一年の典礼暦を通じてキリストの生涯全体を記念するのです。

名称

第2バチカン公会議以前の典礼暦では、現在のような「年間第○主日」という呼び方は用いられていませんでした。年間に当たる期間は四旬節と復活節によって中断されるので、その前後の期間を主の公現と聖霊降臨の主日を基準にして数え、四旬節前を「公現後第○主日」、復活節後を「聖霊降臨後第○主日」と別々の名称で呼んでいました。第2バチカン公会議後の典礼暦の改定ではこの呼び方を廃止し、一年のおよそ3分の2を占めるこの期間を一つの季節と考えて「年間」と呼んでいます。

四旬節と復活節による中断

年間は四旬節と復活節を間にはさんでいます。四旬節前の期間は主の洗礼の祝日の翌日の月曜日(年間第1月曜日)から始まります。つまり、年間には第1主日がありません。主の洗礼の祝日は通常、日曜日に祝われるので、この日を年間第1主日とみなし、実際にはその翌日の月曜日から年間が始まります。ただし、主の公現の祭日が1月7日か8日に祝われる年は、主の洗礼の祝日をその翌日の月曜日に祝うので、このような年だけ例外的に主の洗礼の祝日の翌日にあたる火曜日が年間の初日となります(『朗読聖書の緒言』104①参照)。このようにして始まった年間は、四旬節の初日となる灰の水曜日の前日の火曜日まで続きます。したがって、四旬節が始まる年間の週は火曜日までとなります。
そして、復活節の最終日である聖霊降臨の主日の翌日から年間が再び始まります。再開する週は必ずしも四旬節が始まる週の翌週からではありません。『朗読聖書の緒言』104③で述べられているように、年間が33週しかない場合は聖霊降臨の主日後に再開するはずの週を省きます。何週目から再開するかは、『教会暦と聖書朗読』などの「移動主日・祝祭日表」を参照してください。

典礼色は緑

年間の典礼色は緑を用います。緑は自然界にあふれる色であり、生命・成長・希望などを表すと考えられています。

年間の土曜日に行う聖マリアの任意の記念

年間の土曜日が義務の記念日と重ならない場合は、ミサと「教会の祈り」で任意に聖マリアの記念を行うことができます(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」15、「教会の祈りの総則」240参照)。
土曜日を聖マリアにささげる習慣は、8世紀末のカロリング朝時代の修道院で始まり、すぐにヨーロッパ全体に広まり、各地で編集された典礼書に記載されました。そして、トリエント公会議後に教皇ピオ5世によって認可された『ローマ・ミサ典礼書』(1570年)では、土曜日にささげることのできる聖マリアの信心ミサとして採用され、第2バチカン公会議後の現在は上記のような規定で聖マリアを記念することができます。

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