年間(第8週~第34週)

教会公文書の年間に関連する箇所

「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」より

43 固有な特質を備えた諸節を除く場合、キリストの神秘の種々の面を取り立てて祝わない週間が、一年の周期の中で、33ないし、34週残ることとなる。こういう週間、また、とりわけ主日は、むしろキリストの神秘全体を追憶するものである。この期間は「年間」という名で呼ぶ。

44 年間は、1月6日直後の主日の次にくる月曜日に始まり、四旬節前の火曜日まで続く。その後、年間はまたあらためて、聖霊降臨の主日の次にくる月曜日に始まり、待降節第1主日の「前晩の祈り」の前で完了する。「教会の祈り」とミサ典礼書に記載されているこの期間の主日と週日用典礼式文は、この規則に準じて用いる。

『朗読聖書の緒言』より

a 聖書の箇所の配列と選択

103 「年間」は1月6日直後の主日の翌日の月曜日に始まり、四旬節直前の火曜日(その日を含む)まで続く。また、聖霊降臨の主日直後の月曜日に再び始まり、待降節第1主日の前晩の祈りの直前まで展開される。
  朗読配分には34の主日とそれに続く週のための朗読が示されている。しかし年間の週が33しかない場合もある。その中で他の季節に属する主日もあれば(主の洗礼の祝日が行われる主日、聖霊降臨の主日)、祭日に当たるので行われない主日(たとえば三位一体、王であるキリスト)もある。

104 年間用に定められている朗読箇所を正しく用いるためには、次のことがらを守らなけばならない。
(1) 主の洗礼の祝日に当たる主日は年間第1主日の代わりとなる。したがって、第1週の朗読は1月6日直後の主日の翌日の月曜日から始められる。主の洗礼の主日が公現の祝われた主日後の月曜日に祝われる場合には、第1週の朗読は火曜日から始められる。
(2) 主の洗礼の祝日に続く主日は年間第2主日となる。その後は四旬節の始まる前の主日まで順に一つずつ数えていく。灰の水曜日の週の朗読は、その前日(火曜日)までで、それ以降の分は打ち切られる。
(3) 年間の朗読が聖霊降臨の主日後に再開されるときには次のように行う。
    ・年間主日が34ある場合、四旬節の始まる週の直後の週の分から続ける。
    ・年間主日が33ある場合、聖霊降臨後採用するはずであった最初の週の分を省く。それは、最後の2週間に割り当てられている終末に関する箇所を年間の終わりに確保するためである。

b 主日の朗読

イ 福音朗読
105 年間第2主日の福音は、伝統的なカナの婚宴の箇所と、同じヨハネ福音書の他の二つの箇所によって、公現の祭日に祝った主の顕現との関連が保たれている。
  第3主日からは、三つの共観福音書の準継続朗読が始まる。この朗読は、主の生涯と宣教を展開しながら、各福音書に固有な教えを示すよう編成されている。
  さらに、このような配分によって、各福音書の思想と典礼暦年の展開との間に、ある種の調和が得られるようになっている。事実、公現後、主の宣教の初めが朗読されるが、これはキリストの洗礼とその最初の顕現とに非常によく関連している。また典礼暦年の終わりのほうの主日は、固有の終末の主題におのずとたどり着くようになっている。福音の箇所は受難の記事に先立つ箇所であって、この主題について比較的詳しく扱っている。
  B年には、第16主日の後にヨハネ福音書の第6章からとられた五つの朗読箇所(いのちのパンについての説教)がごく自然に挿入されている。それは、ヨハネ福音書のパンの増加がマルコ福音書の同じ記事の代わりになっているからである。……

ロ 旧約聖書の朗読
106 旧約聖書の朗読は、福音の箇所との関連で選ばれている。それは、各ミサにおける朗読があまりにも異なったものとならないようにするためであり、またとくに新約と旧約の一貫性を表すためである。同じミサの朗読相互の関係は、入念に選択されて各朗読の前に付けられた主題句によって示されている。
  朗読箇所はなるべく短く、また理解しやすいものが選択されている。しかし同時に、旧約聖書の中からもっとも重要な箇所ができるだけ多く主日に朗読されるよう配慮された。これらの箇所は、福音朗読を中心にこれに合わせて、すなわち論理的な順序に従わないで配分されている。しかし、主日のミサの参加者は皆、旧約聖書の主要な部分のほとんどすべてを聞くことができるように、神のことばの宝庫は開かれているのである。

ハ 使徒書の朗読
107 使徒書からは、パウロとヤコブの手紙の準継続朗読が行われる(ペトロとヨハネの手紙は復活節と降誕節に朗読される)。
  コリントの教会への第1の手紙はかなり長文であり、種々の問題を扱っているので、3年周期に分けて、「年間」の初めに朗読される。同じくヘブライ人への手紙も二つに分割するのが適当と考えられ、一つはB年に、もう一つはC年に朗読される。
  なお、信者が理解できるように、あまり難しくない、短い朗読箇所だけが選ばれている。……

c 年間の主の祭日のための朗読箇所
108 三位一体、キリストの聖体、イエスのみ心の祭日には、祭儀のおもな特徴に合った箇所が選ばれている。
  第34主日、すなわち年間最後の主日の朗読は、ダビデにかたどられ、受難と十字架のへりくだりのうちに宣言され、教会の中で支配し、時の終わりに再び来られる宇宙の王であるキリストを祝うものである。

年間主日(第8主日~王であるキリストの祭日)と主要祝祭日のミサの聖書朗読箇所

【三位一体の主日(聖霊降臨後第1主日)】

4世紀から5世紀にかけて、教会内には、御子は御父によって造られた存在であり、御父と同一本質ではないということを主張したアレイオス(256年ごろ~336年)の異端に代表される、キリスト論や三位一体論に関する論争が起こりました。このような論争の影響を受けて、スペインやガリアの教会では、三位一体への信仰を表明する信心や説教が盛んになり、7~8世紀には三位一体のためのミサの祈願も作られました。現在のカトリック教会で三位一体の主日のミサで用いる叙唱は、8世紀半ばの秘跡書(サクラメンタリウム)に由来しています。さらに、9世紀ごろには三位一体のための信心ミサも作られ、11世紀ごろのフランクやガリアのベネディクト会修道院では、聖霊降臨の主日の次の主日に三位一体を祝っていたようです。
教会としては、毎日のミサで三位一体を記念し三位の神を賛美しているということから特別な祝日を設けることには慎重でしたが、教皇ヨハネ22世(在位1316年~1334年)が1334年に全教会で祝うことを決定し、教皇ピオ5世(在位1566年~1572年)による『ローマ・ミサ典礼書』(1570年)にも導入されて定着し、現在に至っています。

[A年]
第1朗読 出エジプト34・4b-6, 8-9 主、主、憐れみ深く恵みに富む神
第2朗読 二コリント13・11-13 イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように
福音朗読 ヨハネ3・16-18 神が御子を遣わされたのは、御子によって世が救われるためである

[B年]
第1朗読 申命記4・32-34, 39-40 上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神はいない
第2朗読 ローマ8・14-17 神の子とする霊を受け、この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と叫ぶ
福音朗読 マタイ28・16-20 すべての民に父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい

[C年]
第1朗読 箴言8・22-31 大地に先立って、知恵は生み出されていた
第2朗読 ローマ5・1-5 聖霊によって注がれた愛のうちに、キリストを通して神へ
福音朗読 ヨハネ16・12-15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。聖霊はわたしのものを受けて、あなたがたに告げる

【キリストの聖体(聖霊降臨後第2主日)】

12~13世紀ごろ、ミサで聖別されたホスティアにまことのキリストが現存していることが強調され、聖体への信心や崇敬が熱心に行われるようになりました。13世紀初めには、ミサの中で聖別されたホスティアを司祭が高々と掲げ、信者はそれを仰ぎ見るという習慣が生まれました。また、1209年に聖体に関する幻を見たリエージュの修道女ユリアナ(1193年~1258年)が熱心に働きかけたことを契機に聖体の祝日を典礼暦に導入する機運が高まり、リエージュ教区では1246年に聖体の祝日を祝うようになりました。これを受けて、かつてリエージュの首席助祭であった教皇ウルバノ4世(在位1261年~1264年)は、1264年に大勅書を発表して聖体の祝日を正式に定めました。
この祭日の名称は、伝統的に「キリストの至聖なるからだの祝日(Festum Ss. Corporis Christi)」で、ラテン語で「コルプス・クリスティ(Corpus Christi)」とも呼ばれます。現在の一般ローマ暦では「キリストの至聖なるからだと血の祭日(Ss.mi Corporis et Sanguinis Christi Sollemnitas)」と呼ばれ、キリストの御血についての内容も含めた名称です。かつての典礼暦には「キリストの御血の祝日」もありました。これは、教皇ピオ9世(在位1846年~1878年)が1849年に定めた祝日で、7月1日に祝われていました。1969年の典礼暦の改定では、キリストの御からだと御血を合わせて祝うこととし、上記のような名称になっています。日本では、「聖体」ということばがキリストの御からだと御血の両方を表しているので、「キリストの聖体」という名称を採用しています。
  現在の一般ローマ暦では、キリストの聖体の祭日は三位一体の主日後の木曜日と定められています。ただし、日本のようにこの日が守るべき祝日ではない場合、三位一体の主日直後の主日に移動して祝います(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」7ハ参照)。

[A年]
第1朗読 申命記8・2-3, 14b-16a 主は、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた
第2朗読 一コリント10・16-17 パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体である
福音朗読 ヨハネ6・51-58 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物である

[B年]
第1朗読 出エジプト24・3-8 これは主があなたたちと結ばれた契約の血である
第2朗読 ヘブライ9・11-15 キリストの血は、わたしたちの良心を清めるだろう
福音朗読 マルコ14・12-16, 22-26 これはわたしの体である。これはわたしの血である

[C年]
第1朗読 創世記14・18-20 メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た
第2朗読 一コリント11・23-26 あなたがたは食べ、飲むごとに、主の死を告げ知らせる
福音朗読 ルカ9・11b-17 すべての人が食べて満腹した

【イエスのみ心(聖霊降臨後第2主日後の金曜日)】

この祭日は、イエスのみ心に対する信心に由来しています。この信心は、イエスの内から流れ出る生きた水(ヨハネ7・37-38)や刺し貫かれたイエスのわき腹から流れ出た血と水(同19・34)に基づいて、イエスのみ心を、すべての人の救いのためにいのちをささげたキリストの愛の象徴として黙想するもので、14~15世紀の神秘主義からも大きな影響を受けています。み心の信心は、16世紀にはイエズス会によって奨励され、オラトリオ会司祭のヨハネ・ユード(1601年~1680年)は、1672年に司教の許可を得て自らの共同体でイエスのみ心を祝いました。また、マルガリタ・マリア・アラコク(1647年~1690年)は、1673年から1675年に私的啓示を受け、イエスのみ心の信心を広めるために努めました。
教会としては、1765年に教皇クレメンス13世(在位1758年~1769年)がポーランドの司教の要請に応じて最初に公認し、教皇ピオ9世(在位1846年~1878年)が1856年に、全世界で祝うことを定めました。

[A年]
第1朗読 申命記7・6-11 主はあなたたちを愛し、選ばれた
第2朗読 一ヨハネ4・7-16 神はわたしたちを愛された
福音朗読 マタイ11・25-30 わたしは柔和で謙遜な者である

[B年]
第1朗読 ホセア11・1, 3-4, 8c-9 わたしは激しく心を動かされる
第2朗読 エフェソ3・8-12, 14-19 人の知識をはるかに超えるキリストの愛を知るようになる
福音朗読 ヨハネ19・31-37 兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た

[C年]
第1朗読 エゼキエル34・11-16 わたしがわたしの群れを養い、憩わせる
第2朗読 ローマ5・5b-11 神はわたしたちに対する愛を示された
福音朗読 ルカ15・3-7 見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください

【年間第8主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ49・14-15 わたしがあなたを忘れることは決してない
第2朗読 一コリント4・1-5 主は人の心の企てをも明らかにされる
福音朗読 マタイ6・24-34 明日のことまで思い悩むな

[B年]
第1朗読 ホセア2・16b, 17b, 21-22 わたしは、あなたととこしえの契りを結ぶ
第2朗読 二コリント3・1b-6 あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙である
福音朗読 マルコ2・18-22 花婿が婚礼の客と一緒にいる

[C年]
第1朗読 シラ27・4-7 話を聞かないうちは、人を褒めてはいけない
第2朗読 一コリント15・54-58 神は、イエス・キリストによってわたしたちに勝利を与えてくださる
福音朗読 ルカ6・39-45 口は、心からあふれ出ることを語る

【年間第9主日】

[A年]
第1朗読 申命記11・18, 26-28, 32 見よ、わたしはあなたたちの前に祝福と呪いを置く
第2朗読 ローマ3・21-25a, 28 人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による
福音朗読 マタイ7・21-27 岩の上に建てられた家と砂の上に建てられた家

[B年]
第1朗読 申命記5・12-15 あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったことを思い起こさねばならない
第2朗読 二コリント4・6-11 イエスの命がわたしたちの体に現れる
福音朗読 マルコ2・23~3・6 または 2・23-28 人の子は安息日の主でもある

[C年]
第1朗読 列王記上8・41-43 異国人が来て祈るなら、それに耳を傾けてください
第2朗読 ガラテヤ1・1-2, 6-10 もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではない
福音朗読 ルカ7・1-10 イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない

【年間第10主日】

[A年]
第1朗読 ホセア6・3-6 わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではない
第2朗読 ローマ4・18-25 アブラハムは信仰によって強められ、神を賛美した
福音朗読 マタイ9・9-13 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである

[B年]
第1朗読 創世記3・9-15 お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く
第2朗読 二コリント4・13~5・1 わたしたちは信じ、それだからこそ語ってもいる
福音朗読 マルコ3・20-35 サタンは滅びてしまう

[C年]
第1朗読 列王記上17・17-24 あなたの息子は生きている
第2朗読 ガラテヤ1・11-19 神は、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた
福音朗読 ルカ7・11-17 若者よ、あなたに言う。起きなさい

【年間第11主日】

[A年]
第1朗読 出エジプト19・2-6a あなたたちは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる
第2朗読 ローマ5・6-11 御子の死によって和解させていただいたのであれば、御子の命によって救われるのはなおさらである
福音朗読 マタイ9・36~10・8 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、派遣された

[B年]
第1朗読 エゼキエル17・22-24 わたしは高い木を低くする
第2朗読 二コリント5・6-10 体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい
福音朗読 マルコ4・26-34 からし種はどんな種よりも小さいが、どんな野菜よりも大きくなる

[C年]
第1朗読 サムエル下12・7-10, 13 主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる
第2朗読 ガラテヤ2・16, 19-21 生きているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしの内に生きておられるのである
福音朗読 ルカ7・36~8・3 または 7・36-50 この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる

【年間第12主日】

[A年]
第1朗読 エレミヤ20・10-13 主は貧しい人の魂を、悪事を謀る者の手から助け出される
第2朗読 ローマ5・12-15 恵みの賜物は罪とは比較にならない
福音朗読 マタイ10・26-33 体を殺す者どもを恐れるな

[B年]
第1朗読 ヨブ38・1, 8-11 高ぶる波をここでとどめよ
第2朗読 二コリント5・14-17 新しいものが生じた
福音朗読 マルコ4・35-41 いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか

[C年]
第1朗読 ゼカリヤ12・10-11, 13・1 彼らは自分たちの突き刺した者を見る(ヨハネ19・37)
第2朗読 ガラテヤ3・26-29 洗礼を受けたあなたがたは皆、キリストを着ている
福音朗読 ルカ9・18-24 「あなたは神からのメシアです。」「人の子は多くの苦しみを受ける」

【年間第13主日】

[A年]
第1朗読 列王記下4・8-11, 14-16a あの方は、聖なる神の人で、その部屋に入っていただける
第2朗読 ローマ6・3-4, 8-11 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、新しい命に生きる
福音朗読 マタイ10・37-42 自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れる

[B年]
第1朗読 知恵1・13-15, 2・23-24 悪魔のねたみによって死がこの世に入った
第2朗読 二コリント8・7, 9, 13-15 あなたがたのゆとりが他の人々の欠乏を補う
福音朗読 マルコ5・21-43 または 5・21-24, 35b-43 少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい

[C年]
第1朗読 列王記上19・16b, 19-21 エリシャは立ってエリヤに従った
第2朗読 ガラテヤ5・1, 13-18 あなたがたは、自由を得るために召し出された
福音朗読 ルカ9・51-62 イエスは、エルサレムに向かう決意を固められた。「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」

【年間第14主日】

[A年]
第1朗読 ゼカリヤ9・9-10 見よ、あなたの王が来る。彼は高ぶることがない
第2朗読 ローマ8・9, 11-13 霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きる
福音朗読 マタイ11・25-30 わたしは柔和で謙遜な者である

[B年]
第1朗読 エゼキエル2・2-5 彼らは反逆の家である。彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう
第2朗読 二コリント12・7b-10 キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう
福音朗読 マルコ6・1-6 預言者が敬われないのは、自分の故郷の中だけである

[C年]
第1朗読 イザヤ66・10-14c 見よ、わたしは彼女に向けよう、平和を大河のように
第2朗読 ガラテヤ6・14-18 わたしは、イエスの焼き印を身に受けている
福音朗読 ルカ10・1-12, 17-20 または 10・1-9 あなたがたの願う平和はその人にとどまる

【年間第15主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ55・10-11 雨は大地を生い茂らせる
第2朗読 ローマ8・18-23 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいる
福音朗読 マタイ13-1-23 または 13・1-9 種を蒔く人が種蒔きに出て行った

[B年]
第1朗読 アモス7・12-15 行って、わが民イスラエルに預言せよ
第2朗読 エフェソ1・3-14 または 1・3-10 天地創造の前に、神はわたしたちをお選びになった
福音朗読 マルコ6・7-13 イエスは十二人を遣わすことにされた

[C年]
第1朗読 申命記30・10-14 御言葉はあなたのごく近くにあるのだから、それを行うことができる
第2朗読 コロサイ1・15-20 万物は御子によって、御子のために造られた
福音朗読 ルカ10・25-37 わたしの隣人とはだれですか

【年間第16主日】

[A年]
第1朗読 知恵12・13, 16-19 あなたは罪からの回心をお与えになった
第2朗読 ローマ8・26-27 〝霊〟が、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる
福音朗読 マタイ13・24-43 または 13・24-30 刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい

[B年]
第1朗読 エレミヤ23・1-6 群れの残った羊を集め、彼らを牧する牧者をわたしは立てる
第2朗読 エフェソ2・13-18 二つのものを一つにされたキリストは、わたしたちの平和である
福音朗読 マルコ6・30-34 イエスは飼い主のいない羊のような有様を深く憐れまれた

[C年]
第1朗読 創世記18・1-10a お客様、僕のもとを通り過ぎないでください
第2朗読 コロサイ1・24-28 世の初めから隠されていた秘められた計画が、今や、聖なる者たちに明らかにされた
福音朗読 ルカ10・38-42 マルタがイエスを家に迎え入れた。マリアは良い方を選んだ

【年間第17主日】

[A年]
第1朗読 列王記上3・5, 7-12 あなたは自分のために知恵を求めた
第2朗読 ローマ8・28-30 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められた
福音朗読 マタイ13・44-52 または 13・44-46 宝を見つけた人は、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う

[B年]
第1朗読 列王記下4・42-44 彼らは食べきれずに残す
第2朗読 エフェソ4・1-6 体は一つ、主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ
福音朗読 ヨハネ6・1-15 イエスは座っている人々に、欲しいだけ分け与えられた

[C年]
第1朗読 創世記18・20-32 主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください
第2朗読 コロサイ2・12-14 神はあなたがたをキリストと共に生かし、一切の罪を赦してくださった
福音朗読 ルカ11・1-13 求めなさい。そうすれば、与えられる

【年間第18主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ55・1-3 来て食べよ
第2朗読 ローマ8・35, 37-39 どんな被造物も、キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない
福音朗読 マタイ14・13-21 すべての人が食べて満腹した

[B年]
第1朗読 出エジプト16・2-4, 12-15 わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる
第2朗読 エフェソ4・17, 20-24 神にかたどって造られた新しい人を身に着けなければならない
福音朗読 ヨハネ6・24-35 わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない

[C年]
第1朗読 コヘレト1・2, 2・21-23 人間が労苦してみても何になろう
第2朗読 コロサイ3・1-5, 9-11 上にあるものを求めよ。そこには、キリストがおられる
福音朗読 ルカ12・13-21 お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか

【年間第19主日】

[A年]
第1朗読 列王記上19・9a, 11-13a 山の中で主の前に立ちなさい
第2朗読 ローマ9・1-5 兄弟たちのためならば、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っている
福音朗読 マタイ14・22-33 わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください

[B年]
第1朗読 列王記上19・4-8 エリヤはその食べ物に力づけられて歩き続け、神の山に着いた
第2朗読 エフェソ4・30~5・2 キリストのように、あなたがたも愛によって歩みなさい
福音朗読 ヨハネ6・41-51 わたしは、天から降ってきた生きたパンである

[C年]
第1朗読 知恵18・6-9 あなたは、反対者への罰に用いたその出来事で、わたしたちを招き、光栄を与えてくださった
第2朗読 ヘブライ11・1-2, 8-19 または 11・1-2, 8-12 アブラハムは、神が設計者であり建設者である都を待望していた
福音朗読 ルカ12・32-48 または 12・35-40 あなたがたも用意していなさい

【年間第20主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ56・1, 6-7 わたしは異邦人の子らを聖なるわたしの山に導こう
第2朗読 ローマ11・13-15, 29-32 イスラエルに対する神の賜物と招きは取り消されない
福音朗読 マタイ15・21-28 婦人よ、あなたの信仰は立派だ

[B年]
第1朗読 箴言9・1-6 わたしのパンを食べ、わたしが調合した酒を飲むがよい
第2朗読 エフェソ5・15-20 主の御心が何であるかを悟りなさい
福音朗読 ヨハネ6・51-58 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物である

[C年]
第1朗読 エレミヤ38・4-6, 8-10 あなたは国中で争いの絶えない男であるわたしを産んだ(エレミヤ15・10参照)
第2朗読 ヘブライ12・1-4 自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こう
福音朗読 ルカ12・49-53 わたしが平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。むしろ分裂だ

【年間第21主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ22・19-23 わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く
第2朗読 ローマ11・33-36 すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている
福音朗読 マタイ16・13-20 あなたはペトロ。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける

[B年]
第1朗読 ヨシュア24・1-2a, 15-17, 18b わたしたちは主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です
第2朗読 エフェソ5・21-32 この神秘は偉大である。わたしは、キリストと教会について述べているのである
福音朗読 ヨハネ6・60-69 わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます

[C年]
第1朗読 イザヤ66・18-21 彼らはあなたたちのすべての兄弟を、あらゆる国民の間から連れて来る
第2朗読 ヘブライ12・5-7, 11-13 主は愛する者を鍛えられる
福音朗読 ルカ13・22-30 人々は、東から西から来て、神の国で宴会の席に着く

【年間第22主日】

[A年]
第1朗読 エレミヤ20・7-9 主の言葉のゆえに、わたしは恥を受けねばならない
第2朗読 ローマ12・1-2 自分の体を生けるいけにえとして献げなさい
福音朗読 マタイ16・21-27 わたしについて来たい者は、自分を捨てなさい

[B年]
第1朗読 申命記4・1-2, 6-8 わたしが命じる言葉に何一つ加えてはならない。主の戒めを守りなさい
第2朗読 ヤコブ1・17-18, 21b-22, 27 御言葉を行う人になりなさい
福音朗読 マルコ7・1-8, 14-15, 21-23 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている

[C年]
第1朗読 シラ3・17-18, 20, 28-29 自らへりくだれ。そうすれば、主は喜んで受け入れてくださる
第2朗読 ヘブライ12・18-19, 22-24a あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都
福音朗読 ルカ14・1, 7-14 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる

【年間第23主日】

[A年]
第1朗読 エゼキエル33・7-9 あなたが悪人に警告しないなら、血の責任をわたしはお前の手に求める
第2朗読 ローマ13・8-10 愛は律法を全うする
福音朗読 マタイ18・15-20 言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる

[B年]
第1朗読 イザヤ35・4-7a 聞こえない人の耳が開き、口の利けなかった人が喜び歌う
第2朗読 ヤコブ2・1-5 神は貧しい人たちを選んで、国を受け継ぐ者となさったではないか
福音朗読 マルコ7・31-37 この方は、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる

[C年]
第1朗読 知恵9・13-18 主の御旨を悟りうる者がいるでしょうか
第2朗読 フィレモン9b-10, 12-17 もはや奴隷としてではなく、愛する兄弟として、彼を迎え入れてください
福音朗読 ルカ14・25-33 自分の持ち物を一切捨てないならば、わたしの弟子ではありえない

【年間第24主日】

[A年]
第1朗読 シラ27・30~28・7 隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、願い求めるとき、お前の罪は赦される
第2朗読 ローマ14・7-9 生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものである
福音朗読 マタイ18・21-35 あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい

[B年]
第1朗読 イザヤ50・5-9a わたしは、打とうとする者には背中をまかせた
第2朗読 ヤコブ2・14-18 行いが伴わないなら、信仰は死んだものである
福音朗読 マルコ8・27-35 「あなたは、メシアです。」人の子は必ず多くの苦しみを受ける

[C年]
第1朗読 出エジプト32・7-11, 13-14 主は御自分の民にくだす、と告げられた災いを思い直された
第2朗読 一テモテ1・12-17 キリストは罪人を救うために世に来られた
福音朗読 ルカ15・1-32 または 15・1-10 悔い改める一人の罪人については、大きな喜びが天にある

【年間第25主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ55・6-9 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なる
第2朗読 フィリピ1・20c-24, 27a わたしにとって、生きるとはキリストである
福音朗読 マタイ20・1-16 わたしの気前のよさをねたむのか

[B年]
第1朗読 知恵2・12, 17-20 彼を不名誉な死に追いやろう
第2朗読 ヤコブ3・16~4・3 義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれる
福音朗読 マルコ9・30-37 人の子は引き渡される。いちばん先になりたい者は、すべての人に仕える者になりなさい

[C年]
第1朗読 アモス8・4-7 弱い者を金で買い取る人に対する主のことば
第2朗読 一テモテ2・1-8 祈りをすべての人々のためにささげなさい。神は、すべての人々が救われることを望んでおられる
福音朗読 ルカ16・1-13 または 16・10-13 あなたがたは、神と富とに仕えることはできない

【年間第26主日】

[A年]
第1朗読 エゼキエル18・25-28 悪人が自分の行った悪から離れるなら、彼は自分の命を救うことができる
第2朗読 フィリピ2・1-11 または 2・1-5 キリスト・イエスにもみられることを、互いに心がけなさい
福音朗読 マタイ21・28-32 兄は考え直して出かけた。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう

[B年]
第1朗読 民数記11・25-29 あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ
第2朗読 ヤコブ5・1-6 あなたがたの富は朽ち果てる
福音朗読 マルコ9・38-43, 45, 47-48 わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい

[C年]
第1朗読 アモス6・1a, 4-7 今や彼らは寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる
第2朗読 一テモテ6・11-16 主が再び来られるときまで、掟を守りなさい
福音朗読 ルカ16・19-31 お前は良いものをもらっていたが、ラザロは悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむ

【年間第27主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ5・1-7 イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
第2朗読 フィリピ4・6-9 これらのことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられる
福音朗読 マタイ21・33-43 主人は、ほかの農夫たちにぶどう園を貸すにちがいない

[B年]
第1朗読 創世記2・18-24 二人は一体となる
第2朗読 ヘブライ2・9-11 人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ている
福音朗読 マルコ10・2-16 または 10・2-12 神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない

[C年]
第1朗読 ハバクク1・2-3, 2・2-4 神に従う人は信仰によって生きる
第2朗読 二テモテ1・6-8, 13-14 わたしたちの主を証しすることを、恥じてはならない
福音朗読 ルカ17・5-10 もしあなたがたに信仰があれば…

【年間第28主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ25・6-10a 主は祝宴を開き、すべての顔から涙をぬぐってくださる
第2朗読 フィリピ4・12-14, 19-20 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能である
福音朗読 マタイ22・1-14 または 22・1-10 見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい

[B年]
第1朗読 知恵7・7-11 知恵に比べれば、富も無に等しいとわたしは思った
第2朗読 ヘブライ4・12-13 神の言葉は、心の思いや考えを見分ける
福音朗読 マルコ10・17-30 または 10・17-27 持っている物を売り払い、それから、わたしに従いなさい

[C年]
第1朗読 列王記下5・14-17 ナアマンは神の人のところに引き返し、神への信仰を告白した
第2朗読 二テモテ2・8-13 耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる
福音朗読 ルカ17・11-19 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか

【年間第29主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ45・1, 4-6 わたしはキュロスの右の手を固く取り、国々を彼に従わせる
第2朗読 一テサロニケ1・1-5b あなたがたの信仰と愛と希望を、わたしたちは心に留めている
福音朗読 マタイ22・15-21 皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい

[B年]
第1朗読 イザヤ53・10-11 彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る
第2朗読 ヘブライ4・14-16 大胆に恵みの座に近づこう
福音朗読 マルコ10・35-45 または 10・42-45 人の子は、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た

[C年]
第1朗読 出エジプト17・8-13 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になった
第2朗読 二テモテ3・14~4・2 神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられる
福音朗読 ルカ18・1-8 神は、叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行われる

【年間第30主日】

[A年]
第1朗読 出エジプト22・20-26 あなたが寡婦や孤児を苦しめる場合は、わたしの怒りは燃え上がる
第2朗読 一テサロニケ1・5c-10 あなたがたは偶像から離れて神に立ち帰り、御子が来られるのを待ち望むようになった
福音朗読 マタイ22・34-40 あなたの神である主を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい

[B年]
第1朗読 エレミヤ31・7-9 わたしは、目の見えない人も、歩けない人も、慰めながら導く
第2朗読 ヘブライ5・1-6 あなたこそ永遠に、メルキゼデクと同じような祭司である
福音朗読 マルコ10・46-52 先生、目が見えるようになりたいのです

[C年]
第1朗読 シラ35・15b-17, 20-22a 謙虚な人の祈りは、雲を突き抜けて行く
第2朗読 二テモテ4・6-8, 16-18 今や、義の栄冠を受けるばかりである
福音朗読 ルカ18・9-14 義とされて家に帰ったのは徴税人であって、ファリサイ派の人ではない

【年間第31主日】

[A年]
第1朗読 マラキ1・14b~2・2b, 8-10 あなたたちは道を踏みはずし、教えによって多くの人をつまずかせた
第2朗読 一テサロニケ2・7b-9, 13 わたしたちは神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願った
福音朗読 マタイ23・1-12 彼らは言うだけで、実行しない

[B年]
第1朗読 申命記6・2-6 聞け、イスラエルよ。心を尽くして、主を愛しなさい
第2朗読 ヘブライ7・23-28 イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられる
福音朗読 マルコ12・28b-34 あなたの神である主を愛しなさい。隣人を愛しなさい

[C年]
第1朗読 知恵11・22~12・2 あなたはすべての人を憐れみ、存在するものすべてを愛される
第2朗読 二テサロニケ1・11~2・2 主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主によって誉れを受けるように
福音朗読 ルカ19・1-10 人の子は、失われたものを捜して救うために来た

【年間第32主日】

[A年]
第1朗読 知恵6・12-16 知恵は、知恵を探す人には自分を示す
第2朗読 一テサロニケ4・13-18 または 4・13-14 神はイエスを信じて眠りについた人たちを、イエスと一緒に導き出してくださる
福音朗読 マタイ25・1-13 花婿だ。迎えに出なさい

[B年]
第1朗読 列王記上17・10-16 やもめは小麦粉で小さいパン菓子を作って、エリヤに持って行った
第2朗読 ヘブライ9・24-28 キリストは、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた
福音朗読 マルコ12・38-44 または 12・41-44 この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた

[C年]
第1朗読 二マカバイ7・1-2, 9-14 世界の主は、我々を永遠の命へとよみがえらせてくださる
第2朗読 二テサロニケ2・16~3・5 神があなたがたを強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように
福音朗読 ルカ20・27-38 または 20・27, 34-38 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ

【年間第33主日】

[A年]
第1朗読 箴言31・10-13, 19-20, 30-31 有能な妻は、手ずから望みどおりのものを仕立てる
第2朗読 一テサロニケ5・1-6 主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはない
福音朗読 マタイ25・14-30 または 25・14-15, 19-21 お前は少しのものに忠実であった。主人と一緒に喜んでくれ

[B年]
第1朗読 ダニエル12・1-3 その時には、お前の民は救われる
第2朗読 ヘブライ10・11-14, 18 キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさった
福音朗読 マルコ13・24-32 人の子は、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める

[C年]
第1朗読 マラキ3・19-20a あなたたちには義の太陽が昇る 
第2朗読 二テサロニケ3・7-12 働きたくない者は、食べてはならない
福音朗読 ルカ21・5-19 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい

【王であるキリスト(年間最後の主日)】

最初の公会議であるニケア公会議(325年)の千六百周年を記念する1925年、教皇ピオ11世(在位1922年~1939年)は12月11日付で回勅を発表し、11月1日の諸聖人の祭日直前の日曜日、すなわち十月最後の主日を「王であるキリスト」を祝う日と定めました。当時は第一次世界大戦後で、無神論や独裁体制などの影響がみられるようになった時代でした。そのような状況の中でこの祭日を定めることによって、キリストこそが人類世界を治める最高の権威者、王であることが示されました。その後、1969年の典礼暦の改定により、終末における完成とキリストの再臨への待望と関連づけて、年間の最終主日に移されることとなりました。

[A年]
第1朗読 エゼキエル34・11-12, 15-17 お前たち、わたしの群れよ。わたしは羊と羊の間を裁く
第2朗読 一コリント15・20-26, 28 キリストは父である神に国を引き渡される。神がすべてにおいてすべてとなられるためである
福音朗読 マタイ25・31-46 人の子はその栄光の座に着く。そして、すべての国の民をより分ける

[B年]
第1朗読 ダニエル7・13-14 彼の支配はとこしえに続く
第2朗読 黙示録1・5-8 地上の王たちの支配者である方は、わたしたちを王とし、神に仕える祭司としてくださった
福音朗読 ヨハネ18・33b-37 わたしが王だとは、あなたが言っていることである

[C年]
第1朗読 サムエル下5・1-3 長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした
第2朗読 コロサイ1・12-20 御父は、わたしたちを愛する御子の支配下に移してくださった
福音朗読 ルカ23・35-43 イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください

【洗礼者聖ヨハネの誕生(6月24日)】

洗礼者ヨハネの誕生の記念は、4世紀までに西方教会でも東方教会でも異なる日付に行われていました。東方教会では、主の公現(1月6日)の翌日の1月7日に祝っていました。一方、西方教会では6月24日に記念していました。この日付は、ルカ1・36「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている」に基づいて、洗礼者ヨハネはイエスの6か月前にエリサベトに宿ったと考えたことによります。
主の降誕が冬至のころに祝われるように、洗礼者ヨハネの誕生は夏至のころに祝われます。日中がもっとも長くなり太陽の勢いが感じられること、イエスがヨハネのことを「燃えて輝くともし火」(ヨハネ5・35)と呼んだことなどから、ヨーロッパには洗礼者ヨハネの誕生を火祭りによって祝う地方も残っています。

第1朗読 イザヤ49・1-6 わたしはあなたを国々の光とする
第2朗読 使徒言行録13・22-26 ヨハネは、イエスがおいでになる前に宣べ伝えた
福音朗読 ルカ1・57-66, 80 この子の名はヨハネ

【聖ペトロ 聖パウロ使徒(6月29日)】

初代教会の中心的な指導者であった使徒ペトロとパウロが殉教したのは、皇帝ネロ(在位54年~68年)による迫害があった64年~67年ごろとされます。二人が一緒に殉教した記録はありませんが、早い時期から一緒に記念されました。最古の記録は258年のもので、354年のローマの年代記もこの日の記念について言及しています。
ローマでは当初、6月29日には三つの典礼が異なる場所で執り行われていました。第一は、ペトロが埋葬されたバチカンの丘の教会堂(現在の聖ペトロ大聖堂)での典礼、第二は、オスティア街道にある教会堂(現在のサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂)での典礼です。そして第三の典礼として、アッピア街道沿いで両者の記念が行われました。しかし同じ日に異なる三つの典礼を行うことが難しくなり、8世紀初めにパウロの記念は翌日(30日)に移されました。1969年に改定された一般ローマ暦では、二人の記念は本来の6月29日に行われることとなりました。

第1朗読 使徒言行録12・1-11 今、本当のことが分かった。主がヘロデの手からわたしを救い出してくださったのだ
第2朗読 二テモテ4・6-8, 17-18 今や、義の栄冠を受けるばかりです
福音朗読 マタイ16・13-19 あなたはペトロ。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける

【主の変容(8月6日)】

主の変容は、東方教会では5世紀から祝われていました。西方教会では10世紀ごろから祝うようになり、各地に広まりました。全教会で祝われるようになったのは教皇カリスト3世(在位1455年~1458年)の時代の1457年からです。その後、地方によっては他の日に祝うこともありましたが、教皇ピオ5世(在位1566年~1572年)による『ローマ・ミサ典礼書』(1570年)で8月6日に統一されました。8月6日に祝われるのは、主の変容の出来事が主の受難の40日前に起こったという伝承に基づいて、9月14日の十字架称賛の祝日の40日前になるようにしたためです。

第1朗読 ダニエル7・9-10, 13-14 その衣は雪のように白い
第2朗読 二ペトロ1・16-19 わたしたちは天から響いてきたこの声を聞いた
福音朗読 [A年]マタイ17・1-9 イエスの顔は太陽のように輝いた
[B年]マルコ9・2-10 これはわたしの愛する子
[C年]ルカ9・28b-36 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わった

【聖母の被昇天(8月15日)】

8月15日にマリアを記念した記録は、エルサレムに残されていた5世紀半ばのアルメニア語の朗読聖書にあり、マリアの死去を天における新しい誕生として記念していました。この祝いは、皇帝マウリキウス(在位582年~602年)によってビザンティン帝国内に広まりました。 
西方教会では、6世紀のガリア典礼で1月18日にマリアの記念日があり、この記念日は7世紀に「マリアの被昇天」として祝われました。ローマでは7世紀半ばに、「聖マリアの誕生(Natale Sanctae Mariae)」を8月15日に祝うようになりました。当初はマリアが死の床についたことから“dormitio”(眠り)と呼んでいましたが、東方教会の影響を受けて、8~9世紀から“assumptio”(引き上げられること)すなわち「被昇天」と呼ぶようになりました。シリア出身の教皇セルジオ1世(在位687年~701年)は東方教会のマリアの祝祭をローマ教会に導入し、ローマではこの教皇の時代に、8月15日に聖ハドリアヌス教会からサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂までの行列が行われました。そして、8世紀の『グレゴリオ秘跡書』では、この日を「聖マリアの被昇天」と呼ぶようになりました。
その後、20世紀になるとマリア信心の影響を受けて、マリアの被昇天を教義として定めることを求める願いが教皇に提出され、教皇ピオ12世(在位1939年~1958年)は1950年11月1日に使徒憲章を発布し、カトリック教会の教義として正式に宣言しました。

第1朗読 黙示録11・19a, 12・1-6, 10ab 一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にしていた
第2朗読 一コリント15・20-27a 最初にキリスト、次いで、キリストに属している人たち
福音朗読 ルカ1・39-56 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました。主は身分の低い者を高く上げられます。

【十字架称賛(9月14日)】

この祝日は、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世(在位306年~337年)の母ヘレナが、320年9月14日にエルサレムでキリストの十字架の遺物を発見したという言い伝えに基づいています。そしてゴルゴタに建てられた教会堂(現在の聖墳墓教会)の献堂式が335年9月13日に行われたとき、翌14日に十字架の遺物が荘厳に公開され、人々が崇敬したのを機に、毎年公開されることになったようです。その後、5世紀にはコンスタンチノープルで同様の祝祭が行われ、ローマ教会では7世紀末以降に祝われるようになりました。これらの祝祭では、十字架の遺物を高く掲げて行う盛大な行列が行われたことから“exaltatio”(高めること)と呼ばれました。現在の名称もこれに基づいています。かつての典礼暦には5月3日に「十字架の発見」の祝日がありましたが、十字架に関する祝日の重複を避けるため、1960年にこの祝日は廃止され、9月14日のみが残されました。

第1朗読 民数記21・4b-9 蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る
第2朗読 フィリピ2・6-11 神は、へりくだったキリストを高く上げられた
福音朗読 ヨハネ3・13-17 人の子も上げられねばならない

【諸聖人(11月1日)】

かつて「万聖節」とも呼ばれたこの祭日は、東方教会に由来しており、東方では4世紀にはすべての殉教者の記念を行っていました。その日付は地方によって異なっており、たとえばシリアでは5月13日に、アンティオキアでは聖霊降臨の主日直後の主日に祝いました。現在でも、ギリシア正教会では聖霊降臨の主日の次の主日に祝っています。また、東シリア典礼では、復活祭後の金曜日に祝っていました。
ローマ教会では、教皇ボニファチオ4世(608年~615年)の時代に、上記の5月13日にすべての聖人を記念するようになりました。一方、英国やアイルランドでは8世紀ごろから11月1日にすべての聖人を記念していました。これと同時代の教皇グレゴリオ3世(在位731年~741年)は、ローマの聖ペトロ大聖堂内に殉教者のみならずすべての聖人をたたえる礼拝堂を造り、それを機に11月1日にすべての聖人を祝う習慣がローマ教会にも導入されたようです。そして、教皇グレゴリオ4世(在位827年~844年)の求めに応じた敬虔王ルートヴィヒ(ルイ)1世(在位814年~840年)がフランク王国内でこの祝日を祝うことを定め、以後、西方教会全体でも広く祝われることとなりました。

第1朗読 黙示録7・2-4, 9-14 わたしは、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆を見た
第2朗読 一ヨハネ3・1-3 わたしたちは御子をありのままに見る
福音朗読 マタイ5・1-12a 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある

【死者の日(11月2日)】

かつて「万霊節」とも呼ばれたこの日は、亡くなったすべての信者を記念する日です。祭日や祝日ではありませんが、「典礼日の優先順位表」では、一般暦に記載されている主の祭日や聖母と聖人の祭日と同等に扱われているため、年間主日と重なる場合は主日に優先して祝われます。
2世紀以降、キリスト者はミサの中で死者のために祈るようになりました。とくに、埋葬から3日目や年ごとの命日がそのために選ばれ、さらに埋葬から7日目、30日目、40日目なども加えられました。やがて7世紀以降、亡くなったすべての信者のためにミサをささげることが各地で行われ、死者のための聖務日課も作られました。
11月2日の「死者の日」は、998年にクリュニーの修道院長オディロ(994年~1048年)が、自らの管轄する修道院で11月2日にすべての死者の記念を行うよう定めたことに由来しています。この実践はその後、フランス、英国、ドイツに伝えられ、やがて西方教会全体で広く行われました。
15世紀末には、バレンシア(スペイン)のドミニコ会で、死者の日に司祭は三回のミサをささげる習慣が始まりました。そして、教皇ベネディクト14世(在位1740年~1758年)は、1748年にスペイン、ポルトガル、ラテン・アメリカの司祭にもこの特権を広げ、さらに教皇ベネディクト15世(在位1914年~1922年)は1915年に使徒憲章を発表し、対象をすべての司祭に広げました。現在の規定では、すべての司祭は死者の日に三回のミサを司式あるいは共同司式することができるとされています(「ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)」204d参照)。
なお、ミサの聖書朗読は、死者のためのミサの朗読箇所から選びます。

【ラテラン教会の献堂(11月9日)】

キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世(在位306年~337年)は、ラテラン宮殿とその周囲の土地を教会に寄進しました。そして、324年11月9日、教皇シルヴェストロ1世(在位314年~335年)はその地に建てられたバジリカを聖別しました。初めは「救い主」にささげられましたが、904年に教皇セルジオ3世(在位904年~911年)は、あらためてこのバジリカを洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネにささげ、12世紀以降、「ラテランの聖ヨハネ」(サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ聖堂)の名で呼ばれるようになりました。このバジリカは、ローマ司教区の司教座聖堂であり最高位のバジリカであることから、「ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭」(同聖堂の銘文)とされています。この聖堂は、各教会堂を中心とする小教区共同体や教区、さらには全世界の教会共同体との一致のきずなを思い起こすしるしとなっています。

第1朗読 エゼキエル47・1-2, 8-9, 12 わたしは神殿から流れる水を見た。この水が流れて行くところの人はみな救われた(アンティフォナ“Vidi aquam”)
第2朗読 一コリント3・9c-11, 16-17 あなたがたは神の神殿である
福音朗読 ヨハネ2・13-22 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことであった

典礼の特徴

「年間」の位置づけ

  「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」43で述べられているように、一年の典礼暦の中で固有の特質を持つ季節、すなわち待降節・降誕節・四旬節・復活節以外の期間を「年間」(tempus per annum)と呼んでいます。待降節と降誕節はキリストの受肉の秘義を、四旬節と復活節はキリストの過越の秘義を中心に記念しますが、福音書には受肉と過越の秘義のほかにもさまざまな救いの出来事が述べられています。年間の主日には3年周期の聖書朗読配分に従って各福音書をほぼ継続して朗読することによって(A年はマタイ福音書、B年はマルコ福音書、C年はルカ福音書)、キリストの救いの出来事のさまざまな側面を思い起こします。こうして、一年の典礼暦を通じてキリストの生涯全体を記念するのです。

名称

  第2バチカン公会議以前の典礼暦では、現在のような「年間第○主日」という呼び方は用いられていませんでした。年間に当たる期間は四旬節と復活節によって中断されるので、その前後の期間を主の公現と聖霊降臨の主日を基準にして数え、四旬節前を「公現後第○主日」、復活節後を「聖霊降臨後第○主日」と別々の名称で呼んでいました。第2バチカン公会議後の典礼暦の改定ではこの呼び方を廃止し、一年のおよそ3分の2を占めるこの期間を一つの季節と考えて「年間」と呼んでいます。

四旬節と復活節による中断

  年間は四旬節と復活節を間にはさんでいます。四旬節前の期間は主の洗礼の祝日の翌日の月曜日(年間第1月曜日)から始まります。つまり、年間には第1主日がありません。主の洗礼の祝日は通常、日曜日に祝われるので、この日を年間第1主日とみなし、実際にはその翌日の月曜日から年間が始まります。ただし、主の公現の祭日が1月7日か8日に祝われる年は、主の洗礼の祝日をその翌日の月曜日に祝うので、このような年だけ例外的に主の洗礼の祝日の翌日にあたる火曜日が年間の初日となります(『朗読聖書の緒言』104①参照)。このようにして始まった年間は、四旬節の初日となる灰の水曜日の前日の火曜日まで続きます。したがって、四旬節が始まる年間の週は火曜日までとなります。
そして、復活節の最終日である聖霊降臨の主日の翌日から年間が再び始まります。再開する週は必ずしも四旬節が始まる週の翌週からではありません。『朗読聖書の緒言』104③で述べられているように、年間が33週しかない場合は聖霊降臨の主日後に再開するはずの週を省きます。何週目から再開するかは、『教会暦と聖書朗読』などの「移動主日・祝祭日表」を参照してください。

「年間」再開直後に祝う主の祭日

  上述したように、四旬節と復活節で中断された年間は、聖霊降臨の主日の翌日から再開します。再開した直後には、三位一体(聖霊降臨後第1主日)・キリストの聖体(聖霊降臨後第2主日)・イエスのみ心(聖霊降臨後第2主日後の金曜日)という三つの祭日が続きます。典礼暦は本来、イエス・キリストの生涯の出来事を記念するものですが、これらの祭日は、キリストによる救いの出来事から直接導き出されたものというより、神学や教義や信心が発展していく中で導入されたものと考えることができ、「理念の祝日」、「教理の祝日」などと呼ばれることもあります。そのため、いずれも一般ローマ暦に採用された年代は主の祝祭日の中では新しく、三位一体の祭日は1334年、キリストの聖体の祭日は1264年、イエスのみ心の祭日は1856年です。

典礼色は緑

  年間の典礼色は緑を用います。緑は自然界にあふれる色であり、生命・成長・希望などを表すと考えられています。

年間の土曜日に行う聖マリアの任意の記念

  年間の土曜日が義務の記念日と重ならない場合は、ミサと「教会の祈り」で任意に聖マリアの記念を行うことができます(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」15、「教会の祈りの総則」240参照)。
土曜日を聖マリアにささげる習慣は、8世紀末のカロリング朝時代の修道院で始まり、すぐにヨーロッパ全体に広まり、各地で編集された典礼書に記載されました。そして、トリエント公会議後に教皇ピオ5世によって認可された『ローマ・ミサ典礼書』(1570年)では、土曜日にささげることのできる聖マリアの信心ミサとして採用され、第2バチカン公会議後の現在は上記のような規定で聖マリアを記念することができます。

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