過越の聖なる三日間

教会公文書の過越の聖なる3日間に関連する箇所

第2バチカン公会議『典礼憲章』より

過越の聖なる三日間

110 ……主の受難と死去の聖金曜日に行われる復活断食は、神聖なものである。それは、いずこにおいても守るべきものであり、また、適当であれば、聖土曜日にも続行すべきである。こうして高められ、開かれた心をもって、主の復活の喜びに至るためである。

「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」より

18 キリストは人間にあがないをもたらし、神に完全な栄光を帰するわざを、とりわけその過越の神秘によって成就され、ご自分の死をもってわたしたちの死を打ち砕き、復活をもってわたしたちにいのちをお与えになった。このため、主の受難と復活からなる過越の聖なる3日間は、全典礼暦年の頂点として輝きを放っている。したがって、一週間の中で主日が占めている最高位を、復活の祭日は典礼暦年の中で占めているわけである。

19 主の受難と復活とからなる過越の3日間は、主の晩さんの夕べのミサに始まり、その中心を復活徹夜祭におき、復活の主日の「晩の祈り」で閉じる。

20 主の受難の聖金曜日に、また適当であれば聖土曜日にも、復活徹夜祭まで、どこでも過越の聖なる断食が行われる。

21 主が復活された聖なる夜にちなんだ復活徹夜祭は、「すべての聖なる徹夜祭の母」とされるが、その夜、教会はキリストの復活を徹夜で待望し、秘跡をもって祝う。したがって、この聖なる徹夜祭の祭儀全体は、夜、行われるものであり、夜に入ってから始まり、主日の明け方の前に終わらなければならない。

「成人のキリスト教入信式の緒言」より

9 入信の秘跡の祭儀は、キリストの死と復活に初めて秘跡的に参加することであるから、復活徹夜祭に行われることがもっとも適している。したがって、洗礼志願者の準備である清めと照らしは四旬節に、入信の秘跡直後の導きは復活節に行われる。こうして、入信の前過程が過越の性格を明白に示すものとなる。
ただし、司牧上の必要のために、入信の秘跡の祭儀を他の時期に行うことは禁じられてはいない。

27 入信の秘跡の直前の準備として、聖土曜日には(少なくとも午後)仕事から離れ、祈りと黙想に専念し、できれば断食することが望ましい。

42-(4) 信者は……復活徹夜祭には、洗礼式にあずかって自分も洗礼の約束を更新する。

54 入信の秘跡は復活徹夜祭の中で行われる。場合によっては復活主日の主なミサ、またはその8日間中に授けることもできる。8日間中の週日に授けられる場合、当日のミサか、洗礼式のミサの式文を用い、聖書朗読は復活徹夜祭のものを用いる。

57 入信の秘跡は、原則として復活徹夜祭に行われるように準備の段階を計画すべきであるが、特殊な事情で司牧上必要になった場合、入信の秘跡を復活徹夜祭以外の日に行うことができる。

「教会の祈りの総則」より

208 主の過越の3日間の「教会の祈り」は「季節固有」に指示されている通りに挙行される。

209 聖木曜日の晩のミサあるいは聖金曜日の祭儀にあずかる者はその日の「晩の祈り」を唱えない。

210 聖金曜日、聖土曜日には、できる限り「朝の祈り」の前に「読書」を公に会衆とともに行うようにする。

211 聖土曜日の「寝る前の祈り」は復活徹夜祭に参列しない者だけが唱える。

211 復活徹夜祭は「読書」の代わりとなる。したがって復活徹夜祭の盛儀に参列しない者は、徹夜祭から少なくとも四つの朗読を選んで歌および祈願とともに朗読する。出エジプト記、エゼキエル書、使徒書、福音書の朗読を選ぶことが望ましい。朗読に続いて賛美の賛歌(テ・デウム)と当日の祈願を唱える。

213 復活の主日の「朝の祈り」は全員唱える。もっとも聖なる日の終わりをたたえ、また、主が弟子たちにお現れになったことを記念するために「晩の祈り」はより荘厳に行うことが望ましい。復活の日に詩編を歌いながら洗礼の泉まで行列する「洗礼の晩の祈り」を行う特別の伝統がある地方ではこれを保つよう注意する。

カトリック儀式書『結婚式』の「緒言」より

32 ……聖金曜日、聖土曜日の挙式は、絶対に許されない。。

『カトリック教会のカテキズム』より

1094 以上のように、旧約と新約とを結び合わせながら、キリストご自身のカテケージス、そして使徒たちや教父たちのカテケージスが行われています。旧約聖書の文字に隠されていたキリストの神秘を明るみに出す形式のこうしたカテケージスは、「予型論的カテケージス」と呼ばれています。それは、旧約の出来事、ことばと象徴の中でキリストを告げていた「前表(予型)」に基づいて、キリストの新しさを示すからです。このように、キリストを基にして、真理の霊によって読みなおすとき、前表(予型)の意味が明らかにされます。たとえば、ノアの洪水は洗礼による救いの前表であり、雲と紅海の横断もまた、同様です。岩からわき出る水はキリストの霊的たまものの前表でしたし、砂漠のマナは「天からのまことのパン」(ヨハネ6・32)である聖体の前表でした。

1095 以上の理由で、教会はとくに待降節と四旬節、わけても復活徹夜祭で、救いの歴史のすべての重大な出来事を典礼の「今日」という場に立って読み直し、追体験します。しかし、それが実際に効果あるものとなるためには、教会の典礼が表現し体験させている救いの営みを「霊的に」理解できるように、カテケージスを通して信者を助けることが必要です。

『朗読聖書の緒言』より

聖なる過越の3日間
99 主の晩さんの木曜日の夕べのミサにおける出エジプトに先立つ食事の記念は、弟子たちの足を洗うキリストの模範と、主の晩さんにおけるキリスト者の過越祭の制定についてのパウロのことばに特別な光を与えている。
主の受難の金曜日の典礼行為は、イザヤ書で主のしもべとして告げ知らされ、自らを父に奉献して実際に唯一の祭司となられたかたの受難がヨハネ福音書から読まれるときに頂点に達する。
復活徹夜祭の聖なる夜には、旧約聖書から七つの朗読が用意されている。それは救いの歴史における神の不思議なわざを思い起こすものである。新約聖書からは二つの朗読、すなわち、三つの共観福音書による復活の告知と、キリストの復活の秘跡としてのキリスト者の洗礼について使徒書の朗読がある。
復活祭の日中のミサのための福音朗読は、空になった墓についてのヨハネ福音書からの箇所である。しかし、聖なる夜のために掲げられている福音の箇所、あるいは夕刻のミサが行われるときにはエマオに行く弟子たちへの出現についてのルカ福音書の記事を任意に読むこともできる。第1朗読は使徒言行録からとられる。使徒言行録は復活節中、旧約聖書の朗読の代わりに用いられる。使徒書からの朗読は、過越秘義を教会の中で生きることに関するものである。

過越の聖なる3日間の典礼の聖書朗読箇所

【聖木曜日 主の晩さんの夕べのミサ】

第1朗読 出エジプト12・1-8,11-14 過越の食事についての規定
第2朗読 一コリント11・23-26 あなたがたは食べ、飲むごとに、主の死を告げ知らせるのである
福音朗読 ヨハネ13・1-15 イエスは弟子たちをこの上なく愛し抜かれた

【聖金曜日 主の受難】

第1朗読 イザヤ52・13~53・12 彼が射し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであった(主の僕第4の歌)
第2朗読 ヘブライ4・14-16,5・7-9 キリストは従順を学ばれ、御自分に従順であるすべての人々に対して救いの源となった
福音朗読 ヨハネ18・1~19・42 主イエス・キリストの受難

【復活の主日 復活の聖なる徹夜祭】

第1朗読 創世記1・1~2・2 または 1・1,26-31a 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった
第2朗読 創世記22・1-18 または 22・1-2,9a,10-13,15-18 先祖アブラハムの献げ物
第3朗読 出エジプト14・15~15・1a イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行った
第4朗読 イザヤ54・5-14 あなたを贖う主は、とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむ
第5朗読 イザヤ55・1-11 わたしのもとに来るがよい。魂に命を得よ。わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ
第6朗読 バルク3・9-15,32~4・4 主の輝きに向かって歩め
第7朗読 エゼキエル36・16-17a,18-28 わたしは清い水をお前たちの上に振りかけ、新しい心を与える
使徒書朗読 ローマ6・3-11 死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない
福音朗読 [A年]マタイ28・1-10 イエスは復活し、あなたがたより先にガリラヤにおられる
[B年]マルコ16・1-7 十字架につけられたナザレのイエスは復活された
[C年]ルカ24・1-12 なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか

【復活の主日 日中のミサ】

第1朗読 使徒言行録10・34a、37-43 イエスが死者の中から復活した後、わたしたちはイエスと一緒に食事をした
第2朗読 コロサイ3・1-4 上にあるものを求めなさい。そこにはキリストがおられる
または
一コリント5・6b-8 新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい
福音朗読 ヨハネ20・1-9 イエスは死者の中から復活されることになっている
または任意にささげる夕刻のミサで
ルカ24・13-35 一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますから

典礼の特徴

過越の聖なる3日間

キリストの受難・死・復活を一年のうちで最も荘厳に記念する過越の聖なる3日間は、典礼暦年全体の頂点に位置づけられています。この3日間とは、聖木曜日の主の晩さんの夕べのミサから復活の主日の晩の祈りまでをさしています。日常生活では深夜0時で日付が変わりますが、過越の聖なる3日間は日没をおおよその目安にしています。
第1日目:木曜日の日没~金曜日の日没
第2日目:金曜日の日没~土曜日の日没
第3日目:土曜日の日没~日曜日の日没
これは、日没を境に一日が始まると考えるユダヤ教の暦の伝統に基づくものです。現在のキリスト教の暦で主日と祭日が前晩の祈りから始まることも(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」3参照)、この考えに基づいています。
キリスト教の初期の時代、土曜日の晩から始まる徹夜の祭儀で主の過越を記念していましたが、しだいに福音書の記述に従って忠実に記念するようになり、4世紀ごろまでにキリストの受難と死と復活を3日にわたって記念する方法が定着しました。
中世以降、それぞれの日の典礼が行われる時刻や内容は少しずつ変化し、トリエント公会議後の1570年に発行された『ローマ・ミサ典礼書』によって聖なる3日間の典礼が確立しました。その後は大幅な改定は行われませんでしたが、教皇ピオ12世(在位1939~1958年)は1951年と1955年に聖週間の典礼を改定し、第2バチカン公会議後の典礼刷新によるさらなる改定を経て現在に至っています。

主の晩さんの夕べのミサ

聖木曜日の夕刻にささげられるこのミサの直前で四旬節が終わり、過越の聖なる3日間が始まります。キリストが聖体を制定し、自らを記念するために同じように行うよう弟子たちに命じた最後の晩さんを記念します。
古代を代表する教父のアウグスチヌス(354~430年)は、北アフリカでは聖木曜日の朝と晩にミサがささげられたことを記録しています。7~8世紀のローマでは、木曜日の朝に罪を犯した人が教会と和解するためのミサ、昼に聖香油のミサ、夜に最後の晩さんを記念するミサが行われました。その後、聖木曜日の朝に最後の晩さんを記念するミサがささげられるようになりましたが、1955年の聖週間の典礼の改定により、本来の時刻である夕刻にささげられることとなりました。

典礼色

神の栄光を表す白を用います。

会衆が参加するミサ

伝統に従い、主の晩さんの夕べのミサは、会衆が参加しないでささげることはできません。共同体全員の参加が求められています。日本の現状では、週日の夜に共同体(とくに小教区)の全員が集まることは難しいので、実際にはできるだけ多くの人が参加できる、夕刻のふさわしい時刻にささげられます。

栄光の賛歌を歌う

四旬節中には歌わなかった栄光の賛歌(Gloria)が歌われます。歌の間、鐘を鳴らすことができますが、その後は復活徹夜祭まで鐘は鳴らしません。

洗足式

説教の後、司牧者の判断で任意に行うことができます。ミサの福音朗読(ヨハネ13・1-15)にあるように、イエスが弟子たちの足を洗って愛と奉仕の模範を示したことを思い起こす式です。4世紀にはローマ典礼以外の西方典礼(たとえばミラノ典礼)で洗礼式と結びつけて行われていました。その後、8世紀ごろのスペインやガリアの教会で聖木曜日に行うようになり、12世紀以降、ローマ典礼に導入されました。以前の規則では選ばれた何人かの男性の足を洗うことになっていましたが、2016年1月6日付の教皇庁典礼秘跡省「教令」で規則が変わり、神の民の中から選ばれた人の足を洗うことになりました。そのため、男女の区別なくさまざまな立場の信者から選ばれた人の足を洗うことができます。なお、人数に関する規則はとくにありません。

聖体拝領

聖体はミサの中だけで授けられます。ただし、病者には一日中、いつでも授けることができます。午前中に行われる聖香油のミサで聖体拝領した場合も、このミサの中で聖体拝領することができます。

聖体の安置と礼拝

拝領祈願の後、閉祭のかわりに、翌日の主の受難の祭儀で拝領するために聖別した聖体(ホスティア)を、あらかじめ用意された安置所に運ぶ行列が行われます。行列の間、ふさわしい聖体賛歌(Pange linguaなど)を歌います。安置が終わると祭壇上から祭壇布やろうそくなどすべてのものを取り除きます。ミサの後、安置された聖体の前で祈りと礼拝を行うことができますが、真夜中を過ぎてからは盛儀をひかえます。

主の受難の祭儀

主の復活の祭儀の準備として、直前の2日間を断食の日とする習慣は2~3世紀ごろからありました。これにならい、現在の教会も聖金曜日を大斎・小斎を守る日と定めています。2~3世紀には、聖金曜日には公式の典礼は行われませんでしたが、エルサレムでは4世紀以降、聖金曜日の午前中に十字架の聖遺物の礼拝を含む祭儀を行い、午後には聖書朗読と祈りを中心としたことばの祭儀を行って主の受難を思い起こしました。朗読の最後には、現在も聖金曜日に朗読されるヨハネ福音書の受難の箇所が選ばれていました。
ローマ教会では、聖金曜日の典礼での聖体拝領は行われませんでしたが、東方教会の習慣にならって7世紀ごろから祭儀の結びに聖体拝領が行われるようになりました。そのため、前日に行われるミサで、聖金曜日に拝領するための聖体を前もって聖別することも始まりました。その後、信徒の拝領者が減少したため、教皇ピオ5世(在位1566~1572年)によって発行された『ローマ・ミサ典礼書』(1570年)では、司式者のみが拝領することとなりました。この規定は、1955年に行われた聖週間の典礼の改定のときに見直され、現在のように列席する信者全員が聖体拝領するようになりました。

ミサのない日

現在の主の受難の祭儀では信者の聖体拝領が行われますが、パンとぶどう酒は聖別されません。古来の伝統に従い、この日はミサがささげられない日と定められているからです。
主の受難の祭儀は、できれば午後3時ごろに行います。祭儀は、第1部「ことばの典礼」、第2部「十字架の礼拝」、第3部「交わりの儀」で構成されています。

典礼色

キリストの受難を表す赤を用います。

受難朗読

古代教会の伝統を受け継いで、ヨハネ福音書から受難の朗読が行われます。受難の主日(枝の主日)のミサのときの受難朗読と同様に、役割を分けて朗読することができます。

盛式共同祈願

通常のミサのときよりも荘厳なかたちで共同祈願が行われます。古代のローマ典礼では、このような共同祈願がふつうに行われていました。教会や教皇のためだけでなく、ユダヤ教、キリストを信じない人、困難に直面する人々のためなど、キリスト教以外の人々のための意向を含む十種類の意向が用意されています。司牧者はこれらの中からふさわしいものを選ぶことができます。また、重大な公の必要が生じたとき、教区長は、特別な意向を付け加える許可を与えるか、付け加えるよう定めることができます。

十字架の礼拝

この式の起源は古く、4世紀のエルサレムではキリストの十字架の聖遺物への礼拝が、聖金曜日の午前中に行われていました。このような実践が、西方教会に伝えられ、しだいに典礼として定着しました。現行の『ミサ典礼書』には、十字架の礼拝中に歌う聖歌として、二つの十字架賛歌(「クルーチェム・トゥアム」、「クルクス・フィデーリス」)と「とがめの交唱」を記載していますが、他のふさわしい聖歌を歌うこともできます。
「クルーチェム・トゥアム(Crucem tuam)」は9世紀ごろに東方教会で編集された交唱集に由来する聖歌です。「とがめの交唱」は、不信仰な民をとがめる神の言葉で構成されています。「非難」や「とがめ」を意味するラテン語で「インプロペリウム(Improperium)」とも呼ばれます。歌の途中に、「ハギオス」(聖なる)というギリシア語で始まる神への賛美の言葉を3回繰り返す「トリスアギオン」(三聖唱)と呼ばれる部分が挿入されます。「クルクス・フィデーリス(Crux fidelis)」は6世紀に活躍した詩人ヴェナンティウス・フォルトゥナトゥス(530~609年)が、十字架の聖遺物の行列のために作ったと言われています。

聖体拝領

前日の主の晩さんの夕べのミサで聖別された聖体が信者に授与されます。ミサの「交わりの儀」を簡素にしたかたちで行われます。なお、この祭儀に参加できない病者には、一日のうちいつでも聖体を授与することができます。

聖土曜日

『ミサ典礼書』の典礼注記はこう述べています。「聖土曜日に教会は、主の墓のもとにとどまって、その受難と死をしのび、祭壇の飾りを取り除き、ミサもささげない」(238頁)。1951年に復活徹夜祭を夕刻に行うことが許されるまで、復活徹夜祭は聖土曜日の朝に行われていました。そのため、復活祭前の断食は聖土曜日の昼ごろに終わっていました。現在は、復活徹夜祭は夕刻に始まるので、聖土曜日全体が主の復活の祭儀に備える日と考えられています。
この日、聖体拝領は臨終の人に対してのみ行われます。信者は、可能であれば過越の聖なる断食によって復活徹夜祭に備えることが勧められています。また、洗礼志願者も、祈りと沈黙のうちに復活徹夜祭の洗礼式に備えます。

復活の主日-復活徹夜祭

土曜日の晩から始まる徹夜をもって主の復活を祝う典礼は、古代教会の時代から広く実践されていました。そして、この徹夜祭のミサでは洗礼式も行われました。洗礼はキリストの死と復活にあずかる秘跡であり、この復活徹夜祭こそ、キリストの死と復活を祝うに最もふさわしい日であったからです。中世以降、成人の洗礼が減少するのに合わせて復活徹夜祭の時間はしだいに早められ、上述したようについには聖土曜日の朝に行われるようになりました。教皇ピオ12世(在位1939~1958年)による聖週間の典礼の改定(1951年と1955年)では、本来の時刻に祝うことを重視して、土曜日の夕刻以降に行うこととなりました。

典礼色

神の栄光を表す白を用います。

徹夜の祭儀

本来は文字通り夜を徹して行われる典礼ですが、現代人の生活形態に鑑み、聖土曜日の日没後から翌日曜日の日の出前までのふさわしい時刻に行われます。徹夜での祭儀が難しい場合も、聖アウグスチヌスが「あらゆる徹夜祭の母」と呼んだように、一年のうちでも最も重要かつ偉大な夜であることを心にとめて参加することが大切です。
この復活徹夜祭の典礼は、第1部「光の祭儀」、第2部「ことばの典礼」、第3部「洗礼の儀」、第4部「感謝の典礼」から構成されています。

光と闇

第1部「光の祭儀」では、新しい火の祝福や復活のろうそくの祝福と行列、復活賛歌など、印象深い典礼が行われます。復活のろうそくはいうまでもなく復活されたキリストを表しています。この「光の祭儀」では光と闇の対比が効果的に用いられ、死の暗闇に打ち勝って復活したキリストの勝利が象徴的に表されています。

復活賛歌

冒頭のラテン語の単語に基づいて「エクスルテット」(Exsultet)とも呼ばれる伝統的な賛歌です。助祭がいる場合は、助祭が歌います。アダムによる罪、エジプトから脱出し紅海を渡ったイスラエルの民、死と悪と罪の暗闇を滅ぼしたキリストによるあがないなど、神と人間との関係について言及し、救いの歴史全体を概観する内容になっています。中世からさまざまな歌詞の復活賛歌が作られましたが、現在のものは8世紀に作られたものに基づいていると言われています。第1部「光の祭儀」の頂点ともいえる荘厳な賛歌です。

旧約聖書の朗読

第2部「ことばの典礼」の大きな特徴は、旧約聖書から7つの箇所が選ばれていることです。このうち第3朗読の出エジプト記は必ず朗読され、これを含めて少なくとも3箇所を選んで朗読します。通常のミサの第1朗読と同じように、朗読の後には答唱詩編を歌います。また、各答唱詩編に続いて祈願が唱えられるのも特徴です。

アレルヤ

灰の水曜日に始まる四旬節中、教会の典礼では「アレルヤ」という歓喜の言葉を控えてきました。この復活徹夜祭の福音朗読の前に、四十数日ぶり「アレルヤ」が歌われます。ここでは伝統的に詩編118とともに歌われます。

洗礼と堅信

古代の実践にならい、教会は復活徹夜祭こそ洗礼の授与に最もふさわしい日であると考えています。洗礼の秘跡を受けた成人は、重大な妨げがない限り洗礼に続いて堅信の秘跡を受けます。古代教会では洗礼と堅信は一つの儀式と考えられていました。現在はそれぞれが独立した秘跡となっていますが、「この二つの秘跡が続いて行われることによって、キリストの死と復活、および聖霊降臨が、一つの過越の神秘として切り離すことのできないものであることが示される」(「成人のキリスト教入信式の緒言」35)のです。
また、洗礼式に参加する共同体は、洗礼式を通して自らの洗礼についても思い起こし、洗礼の儀の結びに行われる「洗礼の約束の更新」によってキリストに従う決意を新たにします。洗礼式が行われない場合も水を祝福して、一同は「洗礼の約束の更新」を行います。

受洗者の初聖体拝領

第4部「感謝の典礼」は通常のミサと同じように行われます。受洗者がパンとぶどう酒を奉納することが勧められています。拝領は受洗者にとって初めての聖体拝領です。受洗者と代父母はパンとぶどう酒の両形態による拝領をすることが望ましいとされています。この初聖体拝領によって、洗礼・堅信・聖体の秘跡からなる「キリスト教入信の秘跡」が完了します。

閉祭のあいさつの「アレルヤ」

復活節はとくに「アレルヤ」を歌う季節です。そのため、通常のミサの閉祭のあいさつの言葉に「アレルヤ」を加えて、「…行きましょう。主の平和のうちに。アレルヤ」、「神に感謝。アレルヤ」と唱えます。復活の8日間中のミサと「教会の祈り」でも同様に唱えます。

復活の主日-日中のミサ

本来はキリストの復活を記念するミサは復活徹夜祭でした。けれども、かつての典礼では復活徹夜祭が聖土曜日の朝に行われるようになったことから、日曜日の日中にもキリストの復活を祝うミサがささげられるようになりました。
復活徹夜祭ですでに聖体拝領をした人も、この日中のミサで聖体拝領をすることができます。

典礼色

復活徹夜祭と同じように白を用います。

復活の続唱

アレルヤ唱の前に復活の続唱(Victimae paschali laudes)を歌います。続唱とはラテン語の「セクエンツィア(Sequentia)」の訳で、「連続」、「続き」という意味です。中世のころ、アレルヤ唱の「アレルヤ(Alleluia)」の最後の「ヤ(ia)」の母音aに、装飾的な旋律が付けられるようになりました。9世紀以降、装飾的に音符が続く部分に後から歌詞を当てはめ、後にこの部分のみがアレルヤ唱から独立して「続唱」として歌われるようになったといわれます。この復活の続唱は、ブルグンドのヴィポ(Wipo Bulgundus、10世紀末~1050年ごろ)によって11世紀初めに作られたといわれます。

福音朗読

A年、B年、C年共通の箇所(ヨハネ20・1-9)が選ばれていますが、夕刻にミサをささげる場合、エマオに向かう二人の弟子の箇所(ルカ24・13-35)を任意に選ぶこともできます。
閉祭のあいさつの「アレルヤ」
上述したように、この日のミサの閉祭のあいさつにも「アレルヤ」を付け加えます。

復活のろうそく

復活徹夜祭の光の祭儀で用いた復活のろうそくは、死と罪の闇に打ち勝って復活したキリストがともにおられることを表します。したがって、復活節の最終日である聖霊降臨の主日まで、ミサや朝・晩の祈りなど盛大に執り行われる典礼でともされます。復活節以外では、とくに洗礼式と葬儀のときに用いることができます。

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