待降節

教会公文書の待降節に関連する箇所

「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」より

待降節

39 待降節は二重の特質をもつ。それはまず、神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、また同時に、その追憶を通して、終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間でもある。この二つの理由から、待降節は愛と喜びに包まれた待望の時であることが明らかになってくる。

40 待降節は、11月30日、もしくは、それに近い主日の「前晩の祈り」に始まり、主の降誕の「前晩の祈り」の前に終了する。

41 待降節の主日は、待降節第1、第2、第3、第4主日と呼ぶ。

42 12月17日から24日に至る週日は、いっそう直接に主の降誕の準備に向けられている。

『カトリック教会のカテキズム』より

524 教会は毎年、待降節の典礼を行いながら、メシアへの待望を再現します。キリスト者は救い主の最初の来臨に向かう長期の準備に心を合わせながら、再臨への熱い待望を新たにするのです。先駆者の誕生と殉教を祝うことで、教会は、「あのかたは栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3・30)というヨハネの願望を自分のものとします。

1095 以上の理由で、教会はとくに待降節と四旬節、わけても復活徹夜祭で、救いの歴史のすべての重大な出来事を典礼の「今日」という場に立って読み直し、追体験します。しかし、それが実際に効果あるものとなるためには、教会の典礼が表現し体験させている救いの営みを「霊的に」理解できるように、カテケージスを通して信者を助けることが必要です。

『朗読聖書の緒言』より

93 主日の福音朗読には次のような特徴がある。第1主日は時の終わりにおける主の来臨、第2主日と第3主日は洗礼者ヨハネ、第4主日は主の降誕の直前の準備となった出来事に関連している。
旧約聖書の朗読は、救い主(メシア)とその時代に関する預言で、とくにイザヤ書からのものである。
使徒書の朗読は、この季節の種々の特徴にそって告げ知らせ、勧め励ますものである。

94 二つの朗読系列がある。一つは第1月曜日から12月16日まで、もう一つは17日から24日まで用いられる。
待降節の初めの部分はイザヤ書の朗読で、同書の順番に従って行われる。その中には主日にも朗読される重要な箇所が入っていることもある。この期間の福音は第1朗読との関連で選ばれている。
第2週の木曜日から洗礼者ヨハネについての福音朗読が始まる。しかし、第1朗読にはイザヤ書の続き、または福音と関連して選ばれた箇所が読まれる。
主の降誕前の最後の週には、マタイ福音書の第1章とルカ福音書の第1章から主の降誕を直接準備する出来事が読まれる。第1朗読においては、旧約聖書の種々の書から福音と関連した箇所が選ばれており、その中にはいくつかの重要なメシア預言が含まれている。

待降節主日のミサの聖書朗読箇所

【第1主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ2・1-5 神はすべての民を御国の永遠の平和に招かれる
第2朗読 ローマ13・11-14a 救いは近づいている
福音朗読 マタイ24・37-44 目を覚まして用意していなさい

[B年]
第1朗読 イザヤ63・16-17, 19b; 64・2b-7 どうか、天を裂いて降ってください
第2朗読 一コリント1・3-9 わたしたちは主イエス・キリストの現れを待ち望んでいる
福音朗読 マルコ13・33-37 目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、あなたがたには分からないからである

[C年]
第1朗読 エレミヤ33・14-16 わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる
第2朗読 一テサロニケ3・12~4・2 主イエスが来られるとき、あなたかたの心を強めてくださるように
福音朗読 ルカ21・25-28, 34-36 あなたがたの解放の時は近い

【第2主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ11・1-10 彼は弱い人のために正当な裁きを行う
第2朗読 ローマ15・4-9 キリストはすべての人を救われる
福音朗読 マタイ3・1-12 悔い改めよ。天の国は近づいた

[B年]
第1朗読 イザヤ40・1-5, 9-11 主のために、道を備えよ
第2朗読 二ペトロ3・8-14 わたしたちは新しい天と新しい地とを待ち望んでいる
福音朗読 マルコ1・1-8 主の道筋をまっすぐにせよ

[C年]
第1朗読 バルク5・1-9 神はお前の輝きを示される
第2朗読 フィリピ1・4-6, 8-11 キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となるように
福音朗読 ルカ3・1-6 人は皆、神の救いを仰ぎ見る

【第3主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ35・1-6a, 10 神は来て、あなたたちを救われる
第2朗読 ヤコブ5・7-10 心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからである
福音朗読 マタイ11・2-11 来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか

[B年]
第1朗読 イザヤ61・1-2a, 10-11 わたしは主によって喜び楽しむ
第2朗読 一テサロニケ5・16-24 主の来られるとき、あなたがたの霊も魂も体も守られるように
福音朗読 ヨハネ1・6-8, 19-28 あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる

[C年]
第1朗読 ゼファニヤ3・14-17 主はお前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる
第2朗読 フィリピ4・4-7 主はすぐ近くにおられる
福音朗読 ルカ3・10-18 わたしたちはどうすればよいのですか

【第4主日】

[A年]
第1朗読 イザヤ7・10-14 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産む
第2朗読 ローマ1・1-7 イエス・キリストはダビデの子孫から生まれ、神の子と定められた
福音朗読 マタイ1・18-24 イエスは、ダビデの子ヨセフのいいなずけであるマリアから生まれる

[B年]
第1朗読 サムエル下7・1-5, 8b-12, 14a, 16 または 7・1-5, 8b-11, 16 ダビデの王国は、ダビデの行く手にとこしえに輝く
第2朗読 ローマ16・25-27 世々にわたって隠されていた秘められた計画は、今や現された
福音朗読 ルカ1・26-38 あなたは身ごもって男の子を産む

[C年]
第1朗読 ミカ5・1-4a お前の中から、イスラエルを治める者が出る
第2朗読 ヘブライ10・5-10 御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために
福音朗読 ルカ1・39-45 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう

典礼の特徴

待降節の二つの側面

「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」39で述べられているように、待降節はキリストの二つの到来を待ち望む季節です。第一の到来は、降誕祭で記念する救い主の誕生です。待降節が進むにつれて、日々の典礼は主の降誕に向けた準備としての内容が増してきます。第二の到来は、終末のときのキリストの再臨です。年間最後の主日が「王であるキリスト」の主日であったように、待降節の直前にあたる「年間」の終わりの期間でキリストの再臨を記念してきました。待降節は、この主の再臨への待望の内容をそのまま受け継いで始まります。そのため、待降節の前半の典礼では、再臨への待望が主題となっています。

典礼色は紫

待降節中、典礼色は紫を用います。四旬節中に用いる紫が回心や悔い改めを表すのに対して、待降節の紫は、救い主の誕生への期待をこめて神に心を向け、静かに主の降誕を待ち望む心を表していると考えられます。なお、習慣のあるところでは待降節第3主日(ガウデーテの主日)にばら色の祭服を用いることができます。

栄光の賛歌は歌わない

待降節の間、ミサでは栄光の賛歌(Gloria)は歌いません。栄光の賛歌は「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ」で始まります。この言葉は、羊飼いたちにイエスの誕生を告げる天使の賛美の言葉からとられています(ルカ2・14)。したがって、この言葉を唱えるに最もふさわしい日は主の降誕の祭日です。そのため、主の降誕を準備する待降節中は栄光の賛歌を控え、主の降誕の祭日の夜半のミサのとき、大きな喜びと神への心からの賛美をこめて歌うのです。

オルガンと楽器の演奏

「ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)」313には次のように述べられています。「待降節には、この季節の特徴にふさわしい節度をもって、オルガンと他の楽器を用いることができる。ただし、主の誕生の満ちあふれる喜びを先取りしないようにする」。待降節の早い時期から主の降誕の喜びを直接表すのではなく、救い主の誕生を待ち望む心を表すような演奏や楽曲が求められています。

12月17日以降の8日間

「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」42にあるように、待降節は12月17日を境にいっそう直接に主の降誕の準備に当てられます。ミサの聖書朗読は救い主の誕生が迫っていることを感じさせる内容となります。また、ミサの叙唱も、「主・キリストをすべての預言者は前もって語り、おとめマリアはいつくしみをこめて養い育て、洗礼者ヨハネはその到来を告げ知らせました。キリストはいま、その誕生の神秘を祝う喜びをお与えになり、わたしたちは絶えず目ざめて祈り、賛美しながら主を喜び迎えます」というように、キリストの誕生に直接結びつく出来事を述べるようになります。また、ミサで歌うアレルヤ唱のことばは、次に述べる「おお交唱」のことばになります。

おお交唱(“O” antiphona)

「教会の祈り」(聖務日課)の晩の祈りでは、福音の歌として「マリアの歌」(Magnificat)を歌います。この「マリアの歌」の初めと終わりには交唱(アンティフォナ)が歌われます。待降節の後半にあたる12月17日から23日まで歌われる7つのアンティフォナは、伝統的に「おお交唱」と呼ばれています。その名の由来は、いずれの交唱も「おお(“O”)」という間投詞で始まるからです。
それぞれの交唱のことばは、旧約聖書の預言書(とくにイザヤ署)や知恵文学などに基づく救い主への呼びかけです。そして、各交唱の結びは「来てください」と、救い主の到来を待ち望む嘆願になっています。現行の『教会の祈り』で唱えるそれぞれの「おお交唱」は以下のとおりです。関連する聖書の言葉もあげておきましょう。

17日
おお、すべてを越える神から出た英知よ。あなたは果てから果てまで、すべてを力強くやさしく整えられる。賢明の道を教えに来てください。

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。(イザヤ11・1-3)

知恵は果てから果てまでその力を及ぼし、
慈しみ深くすべてをつかさどる。(知恵8・1)

18日
おお、イスラエルの指導者である主よ、あなたはやぶの火の中でモーセに現れ、シナイでおきてをお与えになった。力をふるい、わたしたちをあがないに来てください。

そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。(出エジプト3・2)

主が、「わたしのもとに登りなさい。山に来て、そこにいなさい。わたしは、彼らを教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセに言われると…(出エジプト24・12)

弱い人のために正当な裁きを行い
この地の貧しい人を公平に弁護する。
その口の鞭をもって地を打ち
唇の勢いをもって逆らうものを死に至らせる。
正義をその腰の帯とし
真実をその身に帯びる。(イザヤ11・4-5)

19日
おお、民の旗印として立ったエッサイの切株、あなたによって諸国の王は鳴りをひそめ、民はあなたに願い求める。時を早め、わたしたちを救いに来てください。

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。(イザヤ11・1-2)

その日が来れば
エッサイの根は
すべての民の旗印として立てられ
国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。(イザヤ11・10)

20日
おお、ダビデのかぎ、イスラエルの家の王しゃく、あなたが開けば閉じる者はなく、あなたが閉じれば開く者はない。とらわれ人のくさりをたち、やみと死の陰にすわる人を救い出しに来てください。

わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう。(イザヤ22・22)

ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。
王国は正義と恵みの業によって
今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。(イザヤ9・6)

21日
おお、さしのぼる朝日、永遠の光の輝き、あなたは正義の太陽。日のあたらない陰に生き、やみにうもれている人を照らしに来てください。

闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザヤ9・1)

しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
義の太陽が昇る。(マラキ3・20)

22日
おお、諸国民の待望の王、神と人とを一つに合わせる礎の石。あなたが土から造られた人を救いに来てください。

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。(イザヤ9・5)

それゆえ、主なる神はこう言われる。
「わたしは一つの石をシオンに据える。
これは試みを経た石
固く据えられた礎の、貴い隅の石だ。」(イザヤ28・16)

23日
おお、インマヌエル、わたしたちとともにおられる王、立法者、諸国の民の希望、救い主、わたしたちを助けに来てください。

それゆえ、わたしの主が御自ら
あなたたちにしるしを与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ7・14)

この七つの交唱の冒頭をラテン語で表記すると以下のようになります。

“O Sapientia”(英知)
“O Adonai”(主)
“O radix Iesse”(エッサイの切株)
“O clavis David”(ダビデのかぎ)
“O Oriens(朝日)
“O Rex gentium”(諸国民の王)
“O Emmanuel”(インマヌエル)

 これらのラテン語の“O”の次にくる単語の頭文字を逆から並べると、“ERO CRAS”となります。これは「明日、わたしはいるだろう」という意味で、各交唱の結びの「来てください」という嘆願に応えることばとなっています。
また、上述したようにこれらの七つの交唱は、ミサの中でも歌われます。「教会の祈り」の順番とは異なりますが、12月17日から24日までのミサのアレルヤ唱として、冒頭の「おお」を省いて歌われます。

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