教会独自の「法律」について

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教会には独自の「法律」があると聞きますが、どういうものですか?

 わたしたち人間が生きる社会はそれぞれ、さまざまな法律をもっています。「人間は社会的な存在として一定の社会共同体に属していますから、それぞれの社会の法や規則を守る必要があります。国の憲法や諸法規はその社会秩序を守るという共通善のために制定されたものですから、法が倫理的に正しいかぎり、それらを守ることは国民また市民としての義務であることはいうまでもありません」(『カトリック教会の教え』327ページ)。
 憲法や諸法規は、「人格の基本的権利の尊重と推進、個人と社会の有形、無形の福祉の振興、全体の平和と安全」(『カトリック教会のカテキズム 要約』408項)を含む共通善のために制定されなければなりません。さらに、一国の「政治体制は国民の自由な決断によって定められ、人々の恣意ではなく法が支配する『法治国家』の原則を尊重しなければなりません。不正な法律や道徳的秩序に反する命令は人々の良心を拘束するものではありません。(同406項)。

 こうしたそれぞれの社会や共同体と同様に、「信仰共同体である教会も、人間の組織として一つの社会を形づくっていますので、固有の法典をもっています」(『教え』327ページ)。それが、「教会法典」「教会法」と呼ばれているものです。カトリック教会の2000年の歴史の中で生み出されてきたさまざまな法規が、20世紀初頭に「教会法典」としてまとめられ、さらにそれが改訂され、1983年に公布されたものが、現在の『カトリック新教会法典』です。
 「教会法典は神の民としての教会の構成員の組織とそれぞれの生活規範を明示し、教会に課せられた『教える任務』と『聖化する任務』および『牧する任務』などを規定しており、とくに七つの秘跡を中心とした恩恵にあずかる道を示しています」。この法典は、信者にとって、「信仰生活とそれが目指す救いのための手段として受け取られるべきもの」であり、「キリストの福音の精神を具体化するものとして尊重されなければなりません」。さらにこの法典は、「キリストから教会にゆだねられた信仰の遺産を大切にすることによって、長い歴史を通して伝達されてきた、救済の道であり、手段でもあります」(以上、『教え』327〜8ページ)。

 教会法典の目的は、次のようにまとめられます。「キリスト教信者がキリスト者として生きるに当たって、永遠の救いのために教会が提供する善益にあずかることができるよう規範を提供する。この目的から見て教会法は、神への奉仕と霊魂の救いに関係するかぎり、各人が各人に対して、また教会社会に対してもっている権利と義務を定義し、擁護する」(『カトリック新教会法典』ラテン語版序文xiiiページ)。
 教会法典が発行された当時の教皇ヨハネ・パウロ2世も次のように述べています。「教会が、社会的・可視的な構造として形づくられている以上、規範となるものが必要です。それは、位階的な要素をもつ有機体としての構造が目に見える形で表されるためであり、神からゆだねられた任務、とくに秘跡に関しての権限と執行がふさわしく調整されるため、また、愛徳に根ざした正義がキリスト者の相互関係をつくり上げる原理となり、個人の権利が保障され、明確に規定されるため、また、キリスト的な生活を常にいっそう完全に生きるために力を合わせてなされる仕事が、教会法の規範によって守られ、強められ、育てられるためであります」(使徒憲章『サクレ・ディシプリーネ・レージェス』)。
 短くまとめれば、「キリスト者の信仰生活のために制定されたものであり、救いの観点から教会の構成員の権利と義務を擁護するものです」(『教え』327ページ)。

 さて、教会法典には、一般社会の法規について、次のような規定もあります。「教会法に受け入れられる市民法に関しては、それが神法に反せず、かつ、教会法に別段の定めがないかぎり、それを教会法と同様に順守する義務を有する」(『新教会法典』第22条)。さらに、今日のカトリック教会のあり方を定めた第二バチカン公会議(1962〜65年)のなかで出された『現代世界憲章』では、次のように述べられています。「教会は、いつ、どこにおいても、真の自由をもって信仰を説き、社会に関する自らの教えを伝え、人々の間において自らの任務を妨げられることなく遂行する権利をもっている。さらに人間の基本的権利や霊魂の救いのために必要とあれば、教会は政治的秩序にかかわることがらについても道徳的判断を下すことができる。その際、福音と、さまざまな時と条件に応じたすべての人の福祉にふさわしい手段のみを、しかしそれらをすべて用いる」(76項)。

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