大司教館 |
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オフィシャルサイト |
http://www.nagasaki.catholic.jp/ |
司教


大司教 ペトロ 中村 倫明
- 1962年 3月21日 長崎県大島町(現西海市)に生まれる
- 1988年 3月19日 司祭叙階
- 2019年 5月31日 長崎教区補佐司教に任命される
- 2019年 9月16日 司教叙階
- 2021年12月28日 長崎教区大司教に任命される
- 2022年 2月23日 着座
司教紋章の説明
司教のしるしである帽子を下に構え人々に挨拶を行い奉仕する。
一粒の麦が人々の所に落ちともにいて自分を与えることによって、帽子から流れる房は麦の穂と変わり神の豊かな実りがあることを信じ願う。
何よりも、三位一体である神は、すべてを与え尽くすために、ともにいてくださる。
三位一体の御父をラテン語PaterのPで表し、キリストをギリシャ語の☧で、そして、聖霊を愛のシンボルのハートで表している。
この三位一体の神をもっとも証しするものとして聖書とマリアのシンボルをその下に添え、紋章すべてを聖体のシンボルで包み込んだ。
三位一体の神を証し、自らを与えるパンになりたくて、紋章の言葉を、ラテン語で「キリストのように、キリストとともに与えること」とした。
歴代教区長
- ベルナール・プチジャン(パリ外国宣教会) 1866-1884年
- ジョセフ・マリー・ロケーニュ(同会) 1884-1885年
- アルフォンス・クーザン(同会) 1885-1911年
- ジャン・クロード・コンバス(同会) 1912-1926年
- ヤヌアリオ早坂久之助 1927-1937年
- パウロ山口愛次郎 1937-1968年
- ヨゼフ里脇浅次郎 1969-1990年
- フランシスコ・ザビエル島本要 1990-2002年
- ヨセフ髙見三明 2003-2021年
教区小史
本教区の起源は、1866年、日本使徒座代理区長に任命されたB.プチジャン司教が代理区長館を横浜から長崎へ移したことにさかのぼる。1876年、日本使徒座代理区は南北に2つに分割されたが、プチジャン司教は、近畿、中国、四国、九州の各地方を管轄する日本南緯使徒座代理区の代理区長を務めた。1888年、日本中部使徒座代理区が新設されると、近畿、中国、四国の3地方を委譲し、日本南緯使徒座代理区の管轄は九州地方のみに縮小された。1891年6月15日には司教区に昇格、長崎教区となった。
1927年3月18日、鹿児島使徒座知牧区の新設に伴い、鹿児島、沖縄両県を委譲した。同年7月16日、日本最初の邦人教区となってパリ外国宣教会の手を離れるとともに、福岡、佐賀、熊本、宮崎、大分の5県を新設の福岡教区に委譲して長崎県だけが管轄となった。初代邦人教区司教には早坂久之助師が任命され、同年10月30日、日本人として初めて司教に叙階された。1937年、早坂司教の辞任により、山口愛次郎師が後継者となった。
1959年5月14日、長崎教区は大司教区に昇格、山口司教は初代の教区大司教に任命された。山口大司教の辞任により、1968年12月19日、鹿児島教区の里脇浅次郎司教が後任に任命され、翌年3月16日、着座した。1978年には松永久次郎師が補佐司教として叙階された。1979年6月30日、里脇大司教は日本人として3人目の枢機卿に親任された。1990年2月8日、里脇大司教が辞任し、浦和教区の島本要司教が後任に任命され、同年5月8日に着座した。松永司教は1991年1月15日、福岡教区司教として着座した。
2002年1月23日、サン・スルピス司祭会の髙見三明師が長崎の補佐司教に任命され、同年4月29日、司教に叙階された。
2002年8月31日、島本大司教が急逝し、長崎大司教区は司教座空位であったが、2003年10月4日、髙見補佐司教が大司教に任命され、同年12月14日に着座した。
2019年5月31日、中村倫明師が長崎の補佐司教に任命され、同年9月16日、司教に叙階された。
2021年12月28日、長崎大司教区髙見三明大司教が退任となり、中村倫明補佐司教が長崎大司教に任命され、翌年2月23日に着座した。