カトリック東京大司教区(東京都、千葉県)

大司教館および教区事務所
112-0014 東京都文京区関口3-16-15
TEL.03-3943-2301 FAX.3944-8511
司教座聖堂
関口教会
112-0014 東京都文京区関口3-16-15
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オフィシャルサイト
https://tokyo.catholic.jp/

司教

菊地功

東京大司教 タルチシオ 菊地 功

  1. 1958年11月 1日 岩手県宮古市に生まれる
  2. 1986年 3月15日 司祭叙階
  3. 2004年 9月20日 新潟教区司教に叙階される
  4. 2017年10月25日 東京大司教への任命発表
  5. 2017年12月16日 着座

司教紋章の説明

「VARIETATE UNITAS = 多様性における一致」。
 紋章は伝統を重んじながらも、非常に現代的なデザインを配するという、「多様性」を具現化したものとなっています。紋章の周辺部は伝統的なデザインを踏襲しています。
 中心部分は、四つに分かれています。左上部分と右下部分は、実際には青の背景に黄色の波のようなものが描かれています。青は海でもあり空でもあります。波のように見えるのは、開かれた聖書です。すなわち聖書の御言葉が、世界中に広がるようにとの願いを表しているものです。
 左下部分と右上部分には、五つの丸が描かれています。これは世界の5大陸を象徴すると同時に、人間の体も象徴しています。すなわち一つ一つの共同体(一つの丸)が集まって、一人の体(キリストの体)を形成していることを象徴しています。ちなみにこの丸の色は、ブドウの色に近い赤にしてあり、キリストはブドウの木、私たち一人ひとりはその枝である、という聖書のイメージも表しています。
 中央にある紋様は五つの丸が複雑に絡み合って出来ていますが、今まさに開こうとしている花のつぼみを象徴しています。福音のメッセージが日本の地においてこれまで以上に花開くことを願ってのデザインです。

補佐司教

補佐司教 アンドレア・レンボ
マーク

補佐司教 アンドレア・レンボ

  1. 1974年 5月23日 イタリア、トレヴィーリオに生まれる
  2. 2004年 6月12日 司祭叙階(イタリア)
  3. 2023年 9月16日 東京教区補佐司教に任命される
  4. 2023年12月16日 司教叙階

司教紋章の説明

「わたしがあなたがたを愛したように」(ヨハネ13:34)。(愛)この世では、神の愛がイエスを通して金のように輝きます。(赤)この愛は、聖霊の働きによって炎のように燃え続け、世界を聖化し、すべての民を御父のもとに引き寄せます。(青:海と空)マリアを中心とした使徒たちを基礎とする教会は、福音を告げ知らせるために海を渡る船のようなものです。同時にそれは天井のエルサレムの反映でもあります。

歴代教区長

  • ピエール・オズーフ(パリ外国宣教会) 1891-1906年
  • ピエール・ザヴィーエ・ムガブル(同会) 1906-1910年
  • フランソワ・ボンヌ(同会) 1910-1912年
  • ジャン・ピエール・レイ(同会) 1912-1927年
  • ジャン・アレキシス・シャンボン(同会) 1927-1937年
  • ペトロ土井辰雄 1937-1970年
  • ペトロ白柳誠一 1970-2000年
  • ペトロ岡田武夫 2000-2017年

教区小史

1846年、日本の宣教のために日本使徒座代理区が設立され、パリ外国宣教会に委託されたが、禁教令下の日本に入国できず、代理区長館も最初は香港に置かれた。宣教師たちは1858年頃から長崎、横浜、函館などの開港地で宣教を開始、1863年には代理区長館が横浜に設置され、その後、1866年、長崎に移された。
1876年5月22日、日本使徒座代理区は日本北緯使徒座代理区、日本南緯使徒座代理区の2つに分けられた。日本北緯使徒座代理区は横浜(翌年から東京)に代理区長館を置き、北海道、東北、関東および中部の各地方を管轄区域とした。
1891年4月17日、北海道と東北地方が分離されて函館使徒座代理区となり、日本北緯使徒座代理区の管轄は関東地方と中部地方に縮小された。そして、同年6月15日、日本北緯使徒座代理区は東京大司教区となり、初代教区大司教に代理区長のP.オズーフ大司教が就任した。1912年8月13日、富山、石川、福井の3県が新設の新潟使徒座知牧区に、また1922年2月18日、愛知、岐阜の両県がやはり新設の名古屋使徒座知牧区に委譲された。
1937年11月9日、東京大司教区はパリ外国宣教会の手を離れて邦人教区となり、東京と千葉県以外の地域はすべて新設の横浜教区に委譲された。日本人として初の大司教となった土井辰雄師はその後、1960年3月28日、日本人として初の枢機卿に親任された。
1966年に補佐司教となった白柳誠一師は1969年11月15日、協働大司教に任命された。土井枢機卿は現職のまま翌年2月21日に逝去、白柳大司教が東京教区大司教に就任した。同年2月5日、濱尾文郎師が補佐司教として任命された。濱尾補佐司教は1980年1月15日、横浜教区司教として着座した。1984年12月3日、森一弘師が補佐司教として任命され、翌年2月23日、司教に叙階された。1994年11月26日、白柳大司教は教皇ヨハネ・パウロ二世より枢機卿に親任された。
2000年6月12日、白柳枢機卿は健康上の理由で辞任。同日森補佐司教も退任、浦和教区の岡田武夫司教が第8代の東京教区大司教に任命され、9月3日に着座した。
2001年6月、岡田大司教は『新しい一歩―21世紀の福音宣教にむけての小教区再編成』を発表し、改革の具体的な検討に入った。2003年4月の宣教協力体発足を手始めに、現在も教区の改革を進めている。
2004年11月29日、幸田和生師が補佐司教として任命され、2005年2月19日に司教に叙階された。
2017年10月25日、岡田大司教の引退が受理され、新潟教区の菊地功司教が教区大司教に任命され、12月16日に着座した。
2018年6月23日、幸田和生補佐司教は補佐司教の職務から退任した。
2023年9月16日、ミラノ外国宣教会のアンドレア・レンボ師が補佐司教として任命され、同年12月16日に叙階された。

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