教皇聖下への日本カトリック司教協議会 会長・白柳大司教の挨拶

聖下、  日本から、今ここに出席しているわたくしたち17人の司教みなにとって、今は、非 常に喜ばしい瞬間です。わたくしたちは「アド・リミナ・アポストロールム」の記念す べき日に、キリストの代理者であり、使徒聖ペトロの後継 […]

聖下、
 日本から、今ここに出席しているわたくしたち17人の司教みなにとって、今は、非 常に喜ばしい瞬間です。わたくしたちは「アド・リミナ・アポストロールム」の記念す べき日に、キリストの代理者であり、使徒聖ペトロの後継者である聖下に、親しくお目 にかかるために参りました。まず、日本の全カトリック教会の名において、更に、よき 牧者の声を喜んできく善意のすべての日本人の名において、わたくしたちの孝愛と心か らの尊敬を聖下にお伝えすることは、わたくしたちの大きな喜びです。

 また、司教団の代表として、聖下との大変貴重な対話のはじめにあたり、心からの挨 拶を述べることは、わたくしにとりましても大きな喜びでございます。この前の訪問か ら5年経ちました。この5年間の我が国の一般的状況ならびにカトリック教会の生活と 活動について説明させていただきます。この期間中、我が国は大規模な経済的発展をな しとげ、そのため、一方では日本と他の先進国との関係は非常に緊張したものとなり、 他方では、特に第三世界からの滞在者の数も激増しました。

 エジプトやバビロニアの古代世界の時代から世界の歴史が明らかに示しているように、 経済が繁栄し、世界中の富が一国に集中すると、第三世界の人間環境は悲惨なものとな り破壊されてしまいます。それは、経済侵略には限度がなく、また道徳の抑制もなく、 それはただひたすら、「より多くの利潤を」という論理に従って続けられるからです。 それと同時に、それは、豊かな社会自体の中にも、様々な社会問題を引き起こします。 「ハイ・テク時代」という言葉がよくこの社会の特徴を示しています。即ち、この言葉 は、今やこの社会では、いろいろな種類や大きさのコンピユーターが、すべての人の手 に届くようになったことを意味しています。

 以上の二つの特徴が、日本社会のより伝統的で根源的な要素と結びつき、環境をます ます非人間的なものにしています。そこでは人間とその基本的人権が、あまり尊重され ないか、或いは、政府によってさえ全く無視されています。

社会的に苛酷な法律や人間を差別する制度がいまだに広く行われています。それは、 時々無意識に、しかも多くの一般の日本人によって、特にアジアの国からの外国人に対 して行われています。これは、わたくしたちが、イエス・キリストのよき訪れを告げる ために送られているこの国の社会構造の一端にすぎません。

 ちょうど5年前の1984年、日本司教団は自らイニシァティヴをとって一つのカト リック教会運動をはじめました。それは前述のこの社会の中ですべてのカトリック信者 を、男性も女性も、等しく自分たちの同胞への福音宣教者となるよう招くという運動で す。人々の叫びに応えるためのカトリック教会のこの開放は、基本的には日本の教会の 中で『NICE運動』と呼ばれています。教区毎にニーズや力が違い、それによって教 区の在り方も多様です。それにもかかわらずNICEはその時以来、日本の教会の主要 な中心点となって来ました。日本の16教区全体から参加したカトリック信者、司教、 司祭、宣教者、修道士、修道女および若年層・高年層信徒のすべてを含む、このような 全国的な運動は、日本カトリック教会にとってはじめての、ヴァチカン公会議の精神に 従った共通の活動となりました。

 この、霊的刷新と社会的参加を目指す全国的なカトリック運動の結果として、世界の 中で経済的な巨人であるこの国のカトリックの小さな群れは、神と隣人に対する自分た ちの大きな責任をますます自覚するようになりました。特に、他の人々のおかげで自分 たちだけの特典を享受している人々と国々の貪欲のために困難な境遇におかれている兄 弟・姉妹たちに対する責任をわたくしたちは自覚しています。

 そこでわたくしたちは、聖霊の導きのもとに、日本の16教区のすべての人々の努力 を統合するため、わたくしたちの個人的な祈り、典礼生活の証が、経済的には優れてい ながら、しかし霊的に非常に乏しいこの国のよりよい将来に貢献できますよう、共同の 冒険を実際に始めました。

 ある意味で日本ではヴァチカン公会議はほぼ25年を経てその精神と力が実り始めた と言うことができます。したがって、25年前に偉大なヴァチカン公会議が応えようと した現代世界およびカトリック教会の主な諸問題-例えば生活の営みからの信仰の遊離、 教会内の信徒・司祭間のコミニュケーションと司祭・司教間のコミニュケーションの欠 如、そしてわたくしたちが住んでいる社会の中でのコミニュケーションの欠如のような、 ある共通性をもった諸問題がわたくしたちの前に現れました。この運動は、すでに教会 組織を変え始め、小教区と宣教会、小教区とカトリック校や、カトリック社会福祉施設 、違う教区に属する小教区同志のような異なった区域の間に、協力の精神をもたらして います。

 日本の司教団は、日本の教会は過去において、ヨーロッパやアメリカ合衆国の諸教会 から、男女の宣教者という形で、また物質的な助けという形で、はかりしれない援助を 受けてきたことを思い起こし、心から感謝を表したいと思います。わたくしたちの兄や 姉たちのよい模範に倣って、わたくしたちの教会も神の恵みにより、世界のさまざまの 国に300人以上の男女宣教者を派遣することができました。それはまず先にわたくし たちの国を福音化する必要があり、そのためには彼らが必要である、と思わないからで はなく、むしろ世界のある国々や諸教会の必要性が、わたくしたちの実際の必要性より はるかに大きいものであるからです。わたくしたちは世界中に広がる日本の企業のより 力強い経済的な存在、また、いたるところに見られる多くの日本の観光客のことを特に 自覚しています。彼らの経済的、道徳的また文化的な影響が、アジアの経済的に貧しい 人々の生き方、伝統的に宗教的で深く人間らしい生き方をゆさぶっています。したがっ て、わたくしたちは日本のカトリック教会の優先的な方針として、このような国々にお ける信徒の種々の宣教活動のために若い男女を励まし、準備しています。これに関して わたくしたちは、愛する二つの隣国、一方には中国と台湾、他方には韓国と北朝鮮の平 和的な和解を助けるための日本の教会の役割について、聖下の特別なご指導をいただき たいのです。日本は国家としてアジア大陸のこれらの二つの大きな民族の悲しい状況に 対して、歴史的に深い責任を負っています。

 この挨拶のことばを結ぶに当たり、わたくしは世界の最も緊急かつ差し迫った諸問題、 たとえば世界平和、国々の民主化、小数者の人権、そして地球の環境問題に関する聖下 の数限りない活動および演説に対して、深い感謝のことばを申し上げたいのです。

 わたくしたちは一億以上の総人口の中のただ40万の小さなカトリックの共同体-す なわち全日本人の0.3 %-にすぎませんが、最近多くの教区は、今世紀初めに宗教の 自由がカトリック教会に与えられてからの教会活動の百周年を記念しております。   この意味において、わたくしたちはアジアの若いカトリック教会の一つであります。 わたくしたちの将来は、まだ確かなものではありませんが、わたくしたちは、それにも 関わらず、世界のより古い教会の兄や姉たちのよい模範に倣いたいのです。特に申し上 げたいことは、一億の日本人の大多数は、大変善良で、人間の尊厳および世界平和の事 情についての聖下の精神的な助言と指導を非常に尊重していると言うことです。したが って、聖下のご健康と長寿のために、心をこめて熱心に祈っているすべての日本の国民 と日本のカトリック信者の上に、そして、わたくしたち皆の上に特別な使徒的祝福をお 願いいたします

教皇様、万歳 有り難うございました。

1990年3月3日

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