地球は神のもの、すべての被造物のもの

環境問題について  はじめに   環境問題は、オゾン層破壊や地球温暖化現象のように、いまや一国だけで解決できる 問題ではなく、全地球的、さらに宇宙的な問題としてとらえなければならない状況にな っており、いろいろな分野で国 […]

環境問題について
 はじめに 

 環境問題は、オゾン層破壊や地球温暖化現象のように、いまや一国だけで解決できる 問題ではなく、全地球的、さらに宇宙的な問題としてとらえなければならない状況にな っており、いろいろな分野で国際規模の研究や活動が進められています。教皇ヨハネ・ パウロ二世も、1990年の「世界平和の日」のメッセージを環境問題に的をしぼり、 『創造主である神とともに生きる平和、創造されたすべてのものとともに生きる平和』 と題して発表しました。これは、世界の平和も環境問題と切り離しては考えられない時 代になってい ることを示すものです。 

 すでに皆さんの中には、自分たちの生き方そのものにかかわる重大なこととして、こ の 問題に真剣に取り組んでいる方がたくさんおられます。私たち司教はこのような方 々と心をひとつにして、日本のカトリック教会全体がこの問題と取り組んでいく必要性 を実感しています。

 信仰そのものにかかわる問題として 

 環境問題にはさまざまな角度から取り組むことができますが、私たちキリスト者は、 これを信仰そのものにかかわる問題としてとらえる必要があります。

 神は、一つひとつの被造物がご自分の姿を映し出すよう、すべてを「善いもの」とし て造り、人間の手におゆだねになりました(創世記1~2章、ローマ1・20参照)。 しかし人間は、それらを自分たちのほしいままに利用し、価値づけてきたのです。

 カトリック教会の中でも、霊的な世界の価値を強調するあまり、人間以外の生物やそ の他の被造物の本来の価値を過少評価し、聖書にある「産めよ、増えよ、地に満ちて地 を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(創世記1・28) ということばを、創造主である神の協力者となるようにという呼びかけとしてではなく、 あたかもすべてを人間の意のままに用いてよいという根拠であるかのように考えてきた きらいがあります。

 確かに神は、全被造物の完成を目ざした開発を人類の手におゆだねになりました。し かし私たちは、これまで神の創造のみ業への参加を真剣に考えず、より豊かで便利な生 活を進歩とみなし、留まるところなくそれを追求してきました。その結果として人間は、 自らが作り出した化学物質や放射能の危険に常にさらされ、不安のうちに生活しなけれ ばならなくなってしまいました。また、実際に公害によるさまざまな病気や障害に苦し んでいる人びとも少なくありません。大気、大地、河川、海岸は汚染され、生態系はこ わされ、農業者・漁業者また森で生活している人たちは、次第に生きる手段を奪われて います。さらに心に留めなければならないことは、先進工業国は先に自分たちが味わっ たこれらの苦しみを今は南の国の人びとに押しつけている、という事実です。私たち人 間は、「乱開発」ということばでは表現し尽くせないほど、他の人たちの生活、文化、 生命までも脅かし、神がそれぞれの被造物にお与えになった本来の豊かさと秩序を破壊 するまでに至ったのです。そしてこの秩序破壊は、単に物質の世界だけではなく、人間 環境、たとえば家庭環境・教育環境といった、人間の心の世界にまで及んでいるのです。  したがって私たちは、この環境問題に直面するとき、私たちの信仰そのものが問われ ていることを意識し、過去を振り返り未来を見つめながら、神の創造の本来の意味を問 い直すことが大事だと思います。                            

 神のことばに心を開いて 

 聖書には、これからの私たちの歩むべき道を指し示すことばがいくつも見出されます。 たとえば、詩編作者は「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの」 (詩編24・1)ということばで、万物の所有者は、人間ではなく、神であることを宣言 しています。そしてレビ記の著者は「あなたたちはわたしの土地に寄留し、滞在する者 にすぎない」(レビ25・23)という神のことばを記して、自然環境や資源に対する私た ちの取るべき姿勢についての示唆を与えています。さらにパウロは「被造物も、いつか 滅びへの隷属から解放されて、神の子どもたちの栄光に輝く自由にあずかる」(ローマ 8・21)と、被造物とのかかわりの中で私たち人類の救いは完成することを教えてい ます。

   私たちは、このような神のことばに耳を傾け、神によって造られたあらゆるものとの 調和を保つ開発、発展を心がける必要があります。そのためには、私たち自身が、個人 として、グループとして、企業および国家としての自己中心的な考えや生き方を棄て、 これまでの便利さ追求型の生活様式や社会構造を変えることも辞さないという、大きな 犠牲を引き受ける覚悟を持たなければなりません。私たち自身の回心が、環境問題の解 決への道を見い出すための条件だからです。

   私たちがこの環境問題の根本的な解決への道を歩み始めることができたとき、民族問 題や南北問題などの解決の道もきっと見出されることでしょう。そして、文字どおり全 被造物が、「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ、歓声をあげ、喜び歌い、ほめ 歌え」(詩編98・4)という詩編作者のことばに合わせて、よろこびのシンフォニー を奏でることができることでしょう。

 みんなで協力し合いながら 

 環境問題の広がりと深刻さを見るとき、その解決には世界規模の取り組みと専門的、 組織的な研究協力が必要なことは明らかです。しかしなにより大切なのは、私たち一人 ひとりの市民レベルの努力でしょう。事実、ほとんどの運動の第一歩はそこから始まっ ています。これまでこの問題に取り組んでこられた方々の努力を励まし、祝福したいと 思います。環境問題に取り組む人たちの保護の聖人であるアシジのフランシスコの取り 次ぎを願いながら、全被造物の完成に向けての歩みを、すべての善意の人たちとともに、 みんなで続けていきましょう。

 今回は、信仰の視点に立って、環境問題に対する教会の基本的姿勢を皆さんにお伝え することを意図しました。今後も聖書の読み方、信仰者としてのあり方、問題への具体 的取り組みなどを皆さんとともに深め合いながら、神の国の完成への歩みをともに進め ていきたいと願っています。

 万物の創造主である神が

     これからの私たちの歩みを導いてくださいますようにと祈りつつ。 

 お願い  この文書に関するご意見や、皆さんの研究・活動結果のご報告などは、

      カトリック中央協議会内・社会司教委員会宛にお寄せください。

1992年10月4日 アシジの聖フランシスコの記念日に
日本カトリック司教協議会
社会司教委員会

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