破壊から創造へ

四旬節キャンペーン課題解説 破壊から創造へ 母なる大地の危機 地球が誕生して46億年。長い時間をかけて、生きとし生けるものは、そのかけがえ のない生と死をとおして、この母なる地球を生命に満ちた贈り物として、私たちに与え […]

四旬節キャンペーン課題解説

破壊から創造へ

母なる大地の危機

地球が誕生して46億年。長い時間をかけて、生きとし生けるものは、そのかけがえ のない生と死をとおして、この母なる地球を生命に満ちた贈り物として、私たちに与え てくれました。こうして生きとし生けるものは、その生命を交換し、与えつくしながら 神の創造の業に参加してきたのです。地球は単なる「モノ」でも「資源」でもありませ ん。地球は神と被造界の生命の織物、生と死の荘厳な美しさに満ち、創造主のみ顔と聖 性が刻まれたものであり、人間がかってに処分してよいものではないのです。

 その地球にいまのような人類(現生人類、新人)が登場したのはおよそ2~3万年前。私たちの祖先は、美しい大地を受けつぎ、母なる大地は、その乳房から悠久の恵みを人 間に与えつづけ、人間もまた、神と被造界の創造の輪の中に参与してきました。

 けれども人間はその大地を貪り食うことを覚えました。地球を「生命」としてではな く、「モノ」「資源」として、都合のいいように掘り崩し、限りなく利用しつづけてい いと思うようになりました。それはいまから500年前、ヨ-ロッパ諸国が各地に植民 地支配をひろげ、「モノ」や「資源」を自国に持ちかえることからしだいに始まりまし た。さらに200年前、いわゆる産業革命によって近代工業化が始まった時から本格的 になりました。

 それでも初めはゆっくりした速度でしたが、40年前からは巨大規模の石油科学や原 子力産業が開始されたことによって、母なる大地の豊かさを奪い破壊していく速度と程 度はすさまじい勢いとなりました。私たち人間は、こうして大量生産・大量消費を繰り 返し、大量廃棄物と有害物質に満ちた社会を作ってしまいました。悠久の歴史を持つ地 球の営みから見れば、一瞬のまたたきにも過ぎないこの短い期間に、私たちは母なる大 地とそこに住む他の生命と共存することをやめ、神の創造の業に逆らうようになりまし た。そして、その結果の重荷を私たちの子孫に、今後何百万年にもわたって背負わせる ことにしてしまったのです。

 フィリピンの司牧教書『私たちの美しい大地で何がおこっているか』(1988年) は「今世紀初頭からはじまった“進歩”の名のもとの収奪の結果、大地からもっと搾り とろうとしても、もはや少しの作物しか産出できないところにまできてしまった。人間 は大地に刻まれた神のみ顔を汚してしまった」と述べています。そのフィリピンの森を 裸にし肥沃な大地を荒らしてきたのは、他ならない私たち日本人でした。

 さらに私たちは、マレ-シアのサラワク州やパプアニュ-ギニアでも何千万年の生命 の森を破壊しています。ソロモン諸島やインドネシアの漁民たちの魚を奪っています。 原子力発電の燃料や核兵器の原料であるウラン鉱石の掘り出しをさせられて放射線被曝 にあっているのは、オ-ストラリアやカナダの先住民族です。多くのいわゆる「南」の 国では、「北」に輸出するための作物だけを大規模に作らされて、住民たちは飢えてい ます。エチオピアのコ-ヒ-などもその一例です。アジアの各地では、住民の反対を押 しきって大規模なダムが作られています。インドのナルマダダムなどが今たいへんな問 題(後述)になっています。北海道日高支庁の二風谷(にぶたに)ではアイヌの人たち の反対を無視してダムが作られています。(ちなみに人文社の『日本分県地図』199 2年版には二風谷や胆振支庁の白老町に名所旧跡の印を付けて、「アイヌ部落」と記し てあります。)

 私たちは母なる大地と、大地と共に生きてきた人びとの両方から、その豊かさを奪い つづけているのです。なぜそのようなことになったのでしょうか。大地の豊かさを「モ ノ」や「資源」として、遠い国ぐにからも果てしなく奪いつづけている私たちの価値観 と、それに基づいた大量生産と大量消費の生活、石油科学・原子力産業そのものに問題 があるのです。私たちがこの価値観を捨てて回心し、生活態度を改めないかぎり、環境 問題も先住民族問題も本当の解決はないと悟らなければなりません。

 今年は、国連の「国際先住民年」です。近代ヨ-ロッパから始まり、「北」の私たち が進めてきた「開発」とか「進歩」とかは実は自然と、先住民族と私たち自身の生活と 文化の破壊であり、決して「文明」とか「文化」の名に値しないものでした。環境問題 を単に環境破壊の問題だけに狭めないで、もっと広く、根の深い問題としてとらえ、考 えていくようにしたいものです。

 「南」と「北」の問題は、いわゆる先進工業国と開発途上国間のことにかぎられてい ないことにも注意する必要があります。日本で言えば、日本の高度経済成長を底辺でさ さえてきた日雇い労働者たちは、自分たちが建築したぜいたくなビルに住むことなどは 決してできません。それどころか、高齢者やからだの弱っている日雇い労働者たちは、 常に食べるものも寝る所もない状態です。若くて健康な人でもちょっと不景気になれば、同じ状態に陥ってしまいます。 

「開発」の名のもとに金もうけのための作物が栽培されることによって、収穫の喜びが奪われたことを嘆くソロモン諸島の村人の「うた」を聞いてください。

ソロモン諸島の村人のうた から

“悲しい変化!”
大地の産みだしたものは滋養に満ちていた。
大地の産みだしたものは人々の健康によかった。
しかし、かつてヤム芋やタロ芋を産みだした大地には、
かつて村人のための果物の木が豊かだった大地には、
金儲けのための作物が栽培されるようになった。
それは私たちから収穫の喜びを奪ってしまったのだ。
先祖から伝わった祭や収穫の歌は
もう聞こえてはこない。
見知らぬ人をも歓迎したあのビートル・ナッツは
ドルやセントを得る金儲けの方法として
栽培されるようになってしまった。
かつて漁師は捕ってきた魚を
ルマと呼ばれる小屋で料理してわけあったもんだが、
今は捕った人がそのままもっていってしまう。
狩人の持ち帰った豚は、
村中全員でわかちあったものだ。
でもそんな習慣は、もうなくなってしまった。
昔ながらの食べ物のわかち合いは、
受け継がれなくなった。
先祖代々大切にされてきた果物の樹も
伐られるようになったのさ。 ヤム芋やタロ芋畑は、
遠いとこまでいかないと、耕せなくなってしまった。
動物は深くて静かな森に逃げていった。
こうして私たちの飢餓が始まったんだ。
わかちあう愛が消えていき、
利己主義にとってかわった。
与えあう精神はいらないと言われだした。
かつてヤム芋やタロ芋畑は、大きかったんだが、
今は小さくなる一方さ。
古来からの食べ物は、
いなかの食べ物とか、つまらない食べ物とか言われて、もう食べないのさ。
食べ物は選り分けられて、 良い食べ物は、その作り主にではなく、
作り主でない人々の手に売られていく。
それを作りだした人々はどうかというと、
悪い食べ物を食べて生きている。
私たちが食べるはずの新鮮な魚は、
売られていって、そのかわり、
缶詰の魚を買っているのさ、
私たちの家族は。 こんな悲しい変化があっていいものだろうか。
         注 ビ-トル・ナッツというのは、ミクロネシアやメラネシア
       諸島の人びとが昔からたいせつにし、愛好してきた嗜好品で、
       チュウインガムのようにして用いる、ヤシ科の 木(ビンロウ
       ジ)の実です。
  
森林伐採

 私たちの環境問題は、非常に多岐にわたっていますので、全部をここで取り扱うこと はできません。いくつかの例をあげて考えてみたいと思います。

 私たちの生活と深く関連して「南」の環境を破壊している代表例の一つとして、森林 伐採を考えてみましょう。日本は世界一の熱帯木材の消費国です。世界の人口の2パ- セントしかない日本が世界で取引される熱帯木材の35パ-セントを輸入しています。 日本でよく知られているのは、東南アジアや南太平洋の島々の熱帯林の伐採です。フィ リピン、マレ-シアのサラワク州、パプアニュ-ギニア、ソロモン諸島から次々と輸入 してきました。丸太、製材、合板を合わせると、年間2千万立方メ-トルを輸入してい ます。1本の丸太を3立方メ-トルとすると、毎分13本の丸太が日本に運ばれている ことになります。こうして輸入された丸太の約8割は合板になり、その5割が建築・土 木に、3割が家具になり、2割が建具や家庭電気製品その他に使われています。建築工 事のときにコンクリ-トを流しこんで固める型枠、いわゆるコンクリ-トパネル(略し てコンパネと言います)の需要は年間約2億1千万枚、積み上げると富士山の1000 倍高さにもなります。そしてこれほどの多量のコンパネが2度ほど使われただけで、捨 てられてしまいます。

 熱帯林の破壊は、現地の住民が焼畑農業をするからだと言う人もいますが、これは真 実ではありません。かれらが焼畑をするのは、多くの場合一度伐採されたり焼かれた後、また再生してきた、いわゆる二次林と呼ばれる部分だけです。次つぎと移動をしていき ますので、元の所へもどるころには、そこにはまた二次林が再生しているのです。企業 による森林伐採は、原生林を伐採します。保水力を失った表土は雨のたびに流れだし、 森は荒れ、森の動植物は生活の場がなくなり、住民たちは食糧を失います。森林伐採は ただ森林を破壊しているだけでなく、森に住む動植物と住民たちの生活と文化をも破壊 しているのです。

 熱帯林の破壊に対して、住民たちの抵抗、世界の市民団体の反対が強まってくるなか で、さすがに日本の企業もすこしは考えざるを得ないと思うようになりました。しかし、決してまじめに考えたのではありません。かれらは言います。「私たちは木を伐ってい るだけではない。伐ったあとにはまた木を植えている」と。たしかに植えてはいます。 しかし、その目的と植え方が問題なのです。自然の森というのはいろんな種類の木があ ってこそ森なのです。一種類や二種類の木ばかりしか植わっていないような人工林は、 ほんとうの森とは言えません。住む動物の種類も限られます。生える植物にも多様性が ありません。自然界の複雑で多様な生命の交りのないような森がどうして森と言えるで しょうか。

 企業が植えているのは、その木をやがてチップにして、日本の紙の原料にするためで す。たとえばユ-カリのような早く育って紙の原料として役に立つものが大規模に植え られています。しかもこの植林のために、残された現地の熱帯林が皆伐されつづけてい ます。そのために、さらに大地も水源も破壊されています。なんのことはない、再度の 金もうけの伐採のために植えているにすぎません。熱帯林を救う植林をしているという のは、ただ表向きのごまかしでしかないのです。

政府開発援助

 政府開発援助は、英語名のOfficial Development Assistanceの頭文字を取ってODAと呼ばれています。第三世界の国ぐにの経済や福祉の向上のために、先進国の政府が資 金や技術で援助することです。たとえば、相手の国に資金を貸して、それでその国が橋 をかけたり、道路を作ったりするのを助けるのです。日本のODAは、今やアメリカを 抜いて世界第一位になりました。そう聞けば、日本はたいへん、いいことをしていると 思われるかも知れません。ところがそうでもないのです。なぜでしょうか。総額では世 界第一位といっても日本の経済の大きさに比べるとまだ額が少ないと言われていますが、ODAそのものが問題なので、額をふやせばいいというものではありません。    援助のしかたには円借款といって相手に貸すものと、無償資金協力というプロジェク ト援助とがあります。

 問題は、いったい誰のための援助かということです。先に名前だけ出しましたが、日 本のODAがかかわっているインドのナルマダダムを例に、ODAがいったい誰のため の援助かを考えてみましょう。ナルマダ川というのは、インドの中部を東から西へ流れ、カンベイ湾に注ぐ、長さ1300キロメ-トルの大きな川です。シバ神のからだから発して いると信じられていて、ガンジス川に次ぐ聖なる川です。

 この川の流域で大小合わせて数千ものダムを作ろうという計画があり、すでに工事は 進められています。ダムの目的は発電と灌漑だと言われています。そのためにその地域 に住む人たちの村は水没してしまいます。再定住地もまだ決まっていない人たちもいま す。それだけでなく、こうして作られる電力も灌漑用水も、住民のためにはなんの役に も立たないのです。電力は都会に送られて都市住民の生活を豊かにするでしょう。また 日本を含む外国企業で使われるのでしょう。灌漑のためと言っても、34万ヘクタ-ル の灌漑のために、35万ヘクタ-ルの森と20万ヘクタ-ルの農地を水没させ、第1次 だけでも10万人を立ちのかせるというのは、あまりにもひどい話ではないでしょうか。住民たちは、水没して死んでも立ちのかないと、激しく抵抗をしています。

 サラワクやパプアニュ-ギニアなどでの、ODAで作られた道や橋が、森林を伐採す るためや木材を運び出すためのものであるということですが、ODAとは、いったい何 なのだろうかと考えさせられてしまいます。

 日本のODAは「持ちかえり援助」だとよく言われます。援助の仕組みは、相手の国 の政府が援助プログラムを作って日本の政府に示して、援助を申請するというようにな っています。問題は、その援助プロジェクトも日本の企業が受注するので、結局は、日 本の経済を潤す仕組みになっています。そして、相手国には借金だけが残ることになっ たしまうのです。右手で奪いながら、左手で自分たちに都合のいい援助をしている私た ちのありかたが問われています。

原子力発電 

 チェルノブイリ原発の大事故は、まだ記憶に新しいものです。でも大分時間も経って、最初の恐怖は、だんだん薄れてしまったかも知れません。しかし、ウクライナや白ロシ ア地方の被害の事態は少しも改善されていないばかりか、事故の影響はますます深刻に 続いているのです。日本のマスコミが報道しないだけなのです。強い放射線を浴びた地 域の住民をすべて安全な所へ移住させることは実際上不可能です。一度移住してももと の所へもどってきている人たちもいます。汚染された地域に住み、汚染された食べ物を 食べ、汚染された水を飲んで生活しているのです。子どもの白血病はふえつづけていま す。    日本には現在50基近い原発があります。政府はあと40基は必要だと言っています。なぜなのでしょう。「使用する電力の量はふえつづけるのに、供給のほうがそれに追い つかないからだ」と政府は説明しています。しかし、別の計算によると電力は余ってい ます。火力発電を止めて、原発を動かしていると言います。つまり電力の供給が問題で はなくて、なんとしても原発を動かしたいのです。なぜでしょう。「石油はいつかなく なる。石油がなくなれば、発電は原子力に頼らなければならない」と言っています。ほ んとうでしょうか。実際のところ、原子炉は発電をしていません。原子炉はただお湯を 沸かしているだけです。つまり火力発電のボイラ-部分を原子炉に置き換えているだけ なのです。そのお湯を沸かす燃料(核燃料)を作るためには石油が必要です。というの は、ウラン鉱石を掘るのにも、それを日本に運ぶにも石油がなければなりません。それ ほど石油漬けの社会にしてしまっていること自体が問題ですが、それが事実であること も認めざるを得ません。ここでも石油のあるなしが問題なのではなく、やはり原発を動 かしたいのです。

 原発は、事故を起こしたときだけが危険なのではありません。事故などあってはなり ませんが、事故がなくても危険なのだということをもっと知るようにしなければなりま せん。

 東京都議会で原子炉の核燃料の輸送について議論されたことがあります。輸送中のト ラックから核燃料が落ちたら、音がするのか、臭いは出るのか、煙はどうかという議員 の質問に、都側はこう答えました。「物が落ちるのですから音はするでしょう。臭いは しませんし、煙も出ません。ただ、放射線が出るだけです。」なんというふざけた無責 任な答弁でしょう。でも放射線が出ることは正直に認めています。政府は、それさえほ おかむりして、クリ-ンな原発キャンペ-ンをしています。「火力発電は二酸化炭素を 出す。これは地球温暖化現象の元凶である。原発は二酸化炭素を出さないからクリ-ン なのだ」というわけです。恥知らずと言うほかありません。    原発は、たとえ事故がなくても、日常的に放射線を出しつづけています。そして現場 の従業員は毎日微量ではあっても被曝しており、環境への影響も大きなものがあります。一度の被曝量はたとえ微量でも、放射能は生物の体内で濃縮されるからです。すぐに影 響は出なくても、長い間にはどんなことになるかは、誰にも分かりません。外からの被 曝よりも体内被曝のほうが恐ろしいと言われています。原発の定期検査などの作業をし ている人はたいへんな危険にさらされているわけです。    原発が抱えているもっとも深刻な問題は、毎日作りだされている危険な死の灰、放射 性廃棄物の処理の問題です。原発を動かしているかぎり、放射性廃棄物はかならず出ま す。しかしその処理方法はまだ確立されていないのです。今はドラム缶に入れて各原子 力発電所に保管されていますが、そろそろ限界にきかかっています。日本政府は、かつ て南太平洋の海に捨てるという計画を発表しましたが、太平洋諸国の反対でまだ実現に いたっていません。そこで政府が考えだしたのが、青森県の六ケ所村にこの核のゴミ捨 て場を作る案です。低レベルの廃棄物の場合でも、今後300年も監視を続けなければ ならないといいます。まして高レベルになれば数万年も放射能を保ちつづけます。この 長い期間には放射線が漏れ、地下水が汚染される心配があります。私たちは豊かな暮ら しをしながら、責任の持てないこんな危険なゴミを子孫に残してよいものでしょうか。

プルトニウム

 六ケ所村には核廃棄物の「一時」貯蔵場だけでなく、核燃料再処理施設もできます。 一度使った核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出して、また使おうというもので す。いかにも合理的で経済的に聞こえます。しかし、このプルトニウムというものが非 常に危険なもので、100万分の1グラムでもガンを引き起こすほどの超猛毒物質です。その毒性が半減するまでに2万4千年かかります。さらに高速増殖炉というものがあり ます。燃やした以上のプルトニウムを炉の中で生産するというものです。茨城県大洗町 に実験炉の「常陽」が、福井県敦賀市には原型炉「もんじゅ」があります。「魔法のラ ンプ」などと調子のいい呼び方がされていますが、危険極まりないものです。住民の激 しい反対によって、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカは計画を放棄したのです。 それをなぜ日本だけが、いまだにしがみついているのでしょうか。そのうえフランスに 頼んで再処理してもらったプルトニウムが返されてくるのを船で運ぶのに、航路になり そうな国ぐにから通行反対や憂慮の声が上がっていることはご存じのとおりです。この 反対や憂慮は、プルトニウムが危険な代物であるからだけではないしょう。プルトニウ ムは核兵器の材料でもあることは周知のとおりです。PKO法を成立させ、カンボジア に派兵をした日本がこれほどのプルトニウムを持つことに対して、世界の国ぐに、特に アジアの人びとが心配し、疑いを持つのは当然ではないでしょうか。

「破壊」から「創造」への道

 人間は、多かれ少なかれ自然を利用し、ある程度の破壊をしないでは生きていけませ ん。しかし、昔はその破壊の程度が自然の回復力の範囲内でしたから問題はなかったわ けです。むしろそれは自然界の中での生命の交換であって、神の創造の業に参加する営 みであったのです。それが今や自然の回復力を越えてしまい、「破壊」は、「創造」で あることをやめ、単なる「破壊」になってしまったのです。それは人間が限りなく豊か さを求めたからです。限りなく快適な生活を望んだからです。貧しさ、飢えから解放さ れました。安全な水はいつでも水道から出てきます。めったなことでも、まず停電はあ りません。手で洗濯することもなく、掃除も調理もみな電気です。冬は上着を脱ぐほど 暖房し、夏はカ-デガンがいるほど冷房をきかし、夏冬完全に逆転です。1日に何十回 も交通情報を流さなければならないほど車がはんらんしています。私たちがこれほど豊 かで快適な生活をしている反面、第三世界の人びとは、貧しさと飢えに追いやられてい ます。私たち、先進国が奪ってしまうからなのです。このようなことをこれ以上続けて いていいわけがありません。私たちはもっと消費を少なくしなければなりません。そし て富の分配を公平にしなければなりません。第三世界から奪えるだけ奪っていて、難民 が生じたり飢餓が深刻になったりしたときだけ、少しばかりの援助をするのは、偽善と 言ってもよいのではないでしょうか。

 日本国内の南北問題にも注意を向けましょう。日雇い労働者のことは前に述べました。危険な原発は、大都市から遠く離れた所にあります。そして電気は都市の住民がふんだ んに使い、原発現地の住民には危険と不安だけが残されているのです。反対に大都市の ゴミは遠くへ運ばれて捨てられます。

 南と北の食料問題は1991年、エビの問題は1989年の四旬節キャンペ-ンで取 り扱いました。そのほか、マグロ、洗剤、ゴルフ場やリゾ-ト開発などなど、問題は無 数にあります。私たちは今、生活の総点検をしてみなければなりません。どこで、どん なむだをしているか、どんなことで弱い立場の人びとをもっと弱くしているか。そして それに気づいたときは、痛みが伴っても生活を改めなければなりません。これこそが私 たちの回心です。この回心は、弱い立場へ追い込んでしまった人びとと和解し、自然と の共存に向かって行く道です。そのとき私たちは、再び自然界とともに生命を交換しな がら、神の創造の業に参加できるようになるのです。

悩みながら祈りながら、カトリック者として・・・

 環境の問題を前にして、世界の国ぐにの力と富の分配の問題、エネルギ-消費の問題、人権の問題、同時にそれは、私たちの信仰の問題でもあると思い、祈りながら問題を見 つめ、さらに行動をもしている何人かの人びとの声をご紹介しましょう。

「環境問題が大変なことだと気がついたときには、私はもうすでに15のゴルフ場を経 営している会社に長年勤務している現実にありました。日本人として第三世界の人びと の環境を破壊している加害者である上に、自分の仕事をとおして日本の地域の加害者と なっていました。環境の破壊によって貧しくされた人びとと連帯していくことが大切と 思います。」(Iさん)

 「余生いくばくもない私の小さな活動ですが、私たちの美しい山や海岸にゴルフ場や マリン・センタ-が計画されているのを止めようとしています。」(Nさん)

 「今農業は生きていくための“農産業”になっていますよね。つくる喜び、食べるよ ろこび、人間と土との交流が失われてれてしまいました。その原点をとりもどしたいと、地域の無農薬・有機農業の仲間づくりをしているんです。」(I神父)    「環境問題の根本には、いつもお金のあるところが、貧しいところの資源を搾取し、 浪費し、そしてそのツケ(ゴミや危険な廃棄物)をまた貧しいところに押しつける構造 があり、それが環境破壊だけでなく、深刻な人権侵害を招いていると思います。風土に あった食物を自給し、地域の中で廃棄物、排泄物を自然の循環にもどすような仕組みを 築くこと、自然や貧しい人から奪い、利用しつくす支配の仕組みからの脱却を図ること はできないものでしょうか・・・」(Kさん)

 「強い者が人を押し退けてまで生きていく。そんな生き方を変えないとだめですよね。私たちの糧を今日私たちにお与えくださいの祈りを生きないとね」(Oさん)    「強者が弱者を権力とカネで支配する社会。生命を踏みにじる社会。その最たるもの が原発推進です。宗教者の私たちこそ、原発、ウランからプルトニウムまでの核物質の とめどもない使用と生産をとめていかなければならないのではないでしょうか」(Tさ ん)

 「かけがえのない存在をモノとみなして、数値や、理論や、幾何学で扱っていくやり かたは、存在を根本的に否定してしまいますよ。国も地方自治体も企業もどうやったら 住民をごまかせるかということしか考えていませんよ。その背後に世界を牛耳る闇の権 力、黒い権力があります。私たちはその力に立ち向かって水源と大地を守ろうとしてい るんです・・・」(O神父)

「自分のライフ・スタイルを変えること、大量消費、便利さを生きる輪から脱出しなけ ればならないと思います。これは現代の出エジプトかもしれませんね。リサイクルに関 わるときには、それだけが目的とならないよう、いかに大量生産、大量消費を止めるこ とができるかを考え、まず使わないようにするにはどうしたらいいかという視点を大切 にしていきたい。リサイクルより、リデュ-ス(輸入・生産・消費を減らすこと)を!」(Tさん)

「私たちの教会のグル-プは、廃油からの石けんづくり、教会の売店での販売などで、80歳のお年寄りもがんばっています。」(Aさん)

 「教会では今、各地で増改築が行われています。熱帯雨林の材木や合板のコンクリ- トパネルを使わないで建てることができます。私たちは熱帯材を使わないで、教会を建 てようというキャンペ-ンを始めました。それぞれの教会で話しあうのはどうでしょう か。」(“遅ればせながら、環境!の会”カトリック・ネットワ-ク)

 「首都圏の大きな市町村のゴミ処理のために、私たちの静かな山間の町の木を伐り山 を削って、大処分場がつくられました。最近、重金属が川底の泥から発見されて大騒ぎ になりました。今、第二の大処分場が建設されようとしています。その2キロ下には飲 水の取水場もあります。私は、建設を止める活動に全力をつくしています。私たちの活 動が、ゴミをできるだけ出さない社会づくりのひとつとなればと願っています。」(T さん)

 「山に登ってね、山にゴミを残したまま下山する人に、それは登山者の心がけに反す るよといいますよね。でも私たちは、同じことをしているんですね。生きて楽しんで、 その結果の放射性廃棄物をたくさん子孫に残してこの世を去って行こうとしている。そ れは子孫に対する大きな罪だと思います。小さな力ですが、私たちは、青森県の六ケ所 村の核燃料施設建設に反対をしつづけています」(Nさん)

 「牛乳パックを集めるようになって6年たつたでしょうか。しだいに子供たちが通っ ている幼稚園や小学校、近所の方々、私の属している教会にと広がりをつくっていき、 教会は回収の拠点になりました。缶類、紙類、発泡スチロ-ル、古布の回収などが、教 会全体の取り組みになりました。これらのものは、ゴミではなく、そこに「いのち」が 存在しているように思えます。」(Sさん)

 「私は、信州のある集落の村人の生き方にふれて、これからは便利すぎる時代のなか で、毎日不便な生活を生きていきたいと感じました。まわりの人たちはきっと、『えっ、不便な時代に戻るだって。そんな馬鹿げたことはできないよ』と言うだろう。けれども 私はそんな馬鹿げた生き方をしてみたい。」(Yさん)

 「ひとつひとつの存在を大切にする心、時の流れに追われずに一人ひとりの生き方を ゆったりとしたものにしていくことが大切と思います。」(Fさん)

 「環境問題にかかわっていると必ず自分のやっていることの矛盾に気がつきます。そ れは原発反対をしているのに、ク-ラ-を使ったり深夜まで電気を使って討論したり、 森林伐採反対のアッピ-ルにチラシをばらまいたり・・・このような矛盾にぶつかった とき、そこから出発してどうしたらいいのか、“知る力と見抜く力を身につけて、本当 に重要なことを見分けられますように”と祈りつつ、社会の現実に勇気をもってチャレ ンジしていきたいと思います。PKO、ODA、原発、環境、第三世界の貧しさ、みん なつながっていますよね。」(Iさん)

 次に私たちの身の回りからできること、していきたいことのいくつかを例としてあげ ておきましょう。

●神の創造の豊かさ、多様性、大地や生きとし生けるものを大切にする生き方を日々の  暮らしのなかで作り出していく。質素な生活のあかしをする。聖体祭儀と祈りと賛歌  がその源となるでしょう。

●リデュ-ス、リユ-ス(何回も使う)、リサイクルを行い、リサイクルできない製品  には高い税金や賦課金をかけるような制度を作っていく。

●能率、効率、便利なもの、見栄えのいいもの、名のとおっているものを追って競争す  る価値観や生き方から回心する。

●省エネを実行する。原発のない社会、小規模エネルギ-の発電を地域でまかなう社会  を目指す。

●熱帯林をまもる運動に協力する。熱帯材不使用を進める。教会の増改築にあたって、  熱帯材を使わないようにする。さらにコンクリ-ト建築そのものを問い直していく。

●不要な包装・ダイレクトメ-ル・折り込み広告をことわる、紙オムツ・紙タオルは使  わないなど、紙の消費をできるだけおさえる。また、古紙100 パ-セントの再生  紙を使うようにする。

●プラスチックや発泡スチロ-ルの容器、アルミ缶・スチ-ル缶などの使い捨て容器入  りのものをできるだけ買わない。ビン入りのものにしたり、自分で容器を持っていく  ようにする。企業には使い捨て容器の使用を減らすように働きかける。多量の電気を  消費する自動販売機を置かない、またできるだけ使用しない。

●家にある合成洗剤、防虫剤、消毒剤、抗菌処理製品などの有毒化学製品をなくしてい  く。廃油から作った石けんを使い、それもできるだけ少なく使う。

●乾電池は、充電して何回も使えるニッケルカドミウム電池(蓄電池)を使う。

●マイカ-よりも公共の交通機関を利用する。企業には自動車のモデル・チェンジ規制  や減産をするように働きかける。

●古紙回収業などのような、資源の再利用を目的とする「静脈産業」(人体での静脈機  能に相当する部分を担当する産業)を育てていく。

●自分の地域に足場をおいて、環境をまもる草の根の活動に参加し、勉強しながら活動  していく。

 ・野山の薬草、多様な生物を大切にする。

 ・遠隔地から物を運ぶのではなく、地元の生産物で暮らしを営む道をみつけていく。

 ・地元の種を使った地域の農業をめざす。

 ・農薬・化学肥料・除草剤を使用しない農業をめざして、生産者と消費者の顔が見え   るつながりをつくっていく。

 ・同じことを林業や漁業でも行う。

 ・落ち葉や家庭の生ゴミは、堆肥にしたり、土に戻したりする。・庭があったら野鳥   が喜ぶような木を植える。

 ・神が創造のあとで「休まれた」ように、私たちも暮らしの中の「休み」を大切にし、  またゴルフ場やリゾ-ト開発で自然を搾りとるのでなく、自然にも「休み」を与え   る。

●南北問題などの不正義の構造について勉強し、その不正義の構造の変革に自分の場から 変えていく取り組みに参加していく。

●私たちの税金や郵便貯金とODA・財政投融資・世界銀行への資金供与との関係や、  これらの資金がどのように使われているかを勉強し、また監視していく。

●私たちが侵略したり、その生活を奪ってきた人々に謝罪する。「アイヌ民族に関する 法律」(アイヌ新法)の制定をはじめとして、先住民族の人権や文化、土地や森に対す る固有の権利をまもる取り組みを広げていく。

●「植林をして環境援助を」「ハイテクで環境保護を」「護岸工事で川をまもろう」「 環境にやさしい原発を」等々のキャンペ-ンに踊らされない目を養い、重要な問題には 立ちあがっていく態度をしっかりと持つ。

 このほかにも多くの分野がありますが、紙面の都合で取り上げることができませんで した。生活の場で考え、実行してゆきましょう。

参考資料

  この小冊子作成にあたっては、下記の諸団体の刊行物などを参照しました。また、各 地で地道に活動しておられる多くの方々からいろいろ教えていただきました。ありがと うございました。 

「遅ればせながら環境!の会カトリック・ネットワ-ク」・03-3358-6232
イエズス会社会司牧センタ-0471-53-4892 岩田鐡夫
「核と環境問題委員会」・03-5632-4444
日本カトリック正義と平和協議会03-3314-5398 清水靖子
「熱帯林行動ネットワ-ク」・03-3770-6308
「サラワクキャンペ-ン委員会」・03-3770-6709
「原子力資料情報室」・03-5330-9520
「ODA調査研究会」・03-5269-0943
「日本消費者連盟」・03-3711-7766
「パシフィック・センタ-東京」 ・03-3815-1648 
●『豊かさの裏側』 学用書房
●『アジアを食べる日本のネコ』 梨の木舎
●『今、地球が危ない』日本消費者連盟
●『地球を救う133 の方法』家の光協会
●『検証ニッポンのODA』 学用書房
●『熱帯林破壊と日本の木材貿易』築地書館
●『環境援助という名の収奪』技術と人間社
●『森と人間の歴史』築地書館
●『地球環境・読本』 JICC出版局
●『原発は地球を救わない』 原子力資料情報室
●『世界は脱原発に向かう』 原子力資料情報室
●『熱帯林破壊とたたかう』 岩波ブックレット

おわりに

 私たちがどっぷりつかっている石油文明。しかしこの石油が、実は何億年にもわたる 生物の死がいからできたもの、生命の贈り物であるということを心にとめていくような ありかたから環境問題の取りくみの根源が始まると思います。ここに記すことができな かった多くのことに取りくんでいらっしゃる方がたからもまた教えていただきたいと思 います。ご意見やご感想をどうぞお聞かせください。

 <後記> カリタス・ジャパンも、アジア・太平洋の各地域での環境(森や大地などの)破壊に 伴う各種の被害に対しても積極的な支援を考えており、「四旬節キャンペ-ン課題解説」で今年取りあげました「環境問題」の小冊子が、カリタス・ジャパンの「愛の募金運動」をとおして、自然をまもるために働いている人たちとアジア・太平洋の現地の住民への 励ましとなっていくことを期待しています。

 *視覚障害あるいは読書の困難な方のために、録音版を用意しています。必要な方は、各教区事務所へご連絡ください。

表紙とイラスト:藤本四郎 写真提供:清水靖子

お問い合せ、追加注文などは、カリタス・ジャパン事務局までお願いいたします。

「破壊から創造へ」非売品
四旬節キャンペーン課題解説 (1993年)
発 行 1993年 2月24日
編集者 四旬節キャンペーン実行委員会 (社会秘書会)
発行所 カリタス・ジャパン事務局
〒135 東京都江東区潮見二丁目10-10
Tel 03-5632-4439 Fax 03-5632-4464

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