1994年 世界移住の日メッセ-ジ

毎年、各国の教会はそれぞれの司教協議会で決めた日に「世界移住の日」を設けています。 1993-1994年の「世界移住の日」のために教皇は、移住が家族に与える強い影響力と、移住家族が生活している社会の完全な一員となることができるように教会と国家が与えるべき援助について語るメッセ-ジを出しました。このメッセ-ジの原文はイタリア語で書かれています。

1994年 世界移住の日メッセ-ジ
教会司牧者と国家は、移住家族を人種差別と社会的疎外から守れ

敬愛する兄弟姉妹の皆さん
 1.移住の現象は、人類の相当な数の人を巻き込み、よりよい将来を求める人々が、さまざまな理由で自分の愛する者や家、伝統から離れざるをえないようにしています。現在この移住の現象は、複雑でこれまでになかった性格を帯びてきており、より深刻な状況におかれている人々が抱える独自な困難は新たな問題を生みだしています。
 移住者は、教会共同体の側からの特別な司牧的配慮を必要としています。教会は、その人々の苦しみを感じ取るだけでなく、困難な生活条件が特に家族に及ぼすマイナス面の影響に対しても鋭敏さをもたなければなりません。移住の現象は、実際に家庭そのものに対して相当な影響力をもっているのです。
 今回の世界移住の日にあたり、また国際家族年にあたって、あらゆる面で真の家族の幸福を実現することにかかわっている人々にお願いします。今日、時には悲惨な状況のうち
に直面している移住家族の固有の問題一つひとつを、的確に、注意深く考慮してください。
 ほとんどの国が移住者に自分の家族と共に生活する権利を認め、また多くの国際機関がその権利の正当性と価値を強調しつつこれを再確認してきていることは、確かに前向きの要素となっています。しかしながら、この権利の承認がたびたびいろいろな種類の障害によって妨げられ、時にはこの権利の行使が妨害されているということも認めなければなりません。
 国家には、移住家族が求めている事柄を考慮に入れつつ、自国の国民にとって通常保証
されているものが移住家族に欠けることがないように保障する任務があります。とりわけ、
確信のある活発な連帯の文化を促進しつつ、移住家族を社会からの疎外や人種差別のどのような攻撃からも保護することは、政府の義務です。この目的のために政府は、移住家族
の平和な生活と人間としての尊厳を尊重するように働きかけるといった社会対策とともに、
移住家族を受け入れるための適切で具体的な基準を規定すべきです。

あらゆる差別は排除されなければならない
 2.信仰者は、この国家の精神的に価値の高い働きに協力するように特別に招かれています。これは、とりわけむずかしくて細心の扱いを要するかかわりで、長期にわたる社会的、経済的な対策よりも先に、連帯と奉仕の精神によって培われた雰囲気をつくり出すことを意味しています。移住者に必要なのは〃物〃だけではありません。かれらは、何よりも兄弟的で実際的な理解を求めています。かれらに奉仕するということは、生きることへの新しい確かな可能性に対してのかれらの熱望を支援しながら、かれらの自然で正当な自由への希求にわたしたちが心を合わせていくことも求められています。
 第二バチカン公会議が教えているように、「国民または地域の経済開発に協力寄与している外国人労働者または地方出身の労働者に対する給与あるいは労働条件上のいかなる差別をも細心の注意をもって避けなければならない。なお、だれもが、そして特に公権は、

かれらを単なる生産の手段としてではなく人格として扱い、かれらが家族を呼び寄せる
ことができるように助けなければなりません」(『現代世界憲章』66項)。
 移住の現象にさまざまな方法で結ばれている問題は、このような展望のうちに見るべきであり、特に住居、仕事、社会保障に関連する問題に加えて、言語や文化、教育の違いに関連する問題をも見なければなりません。

子どもたちは信仰によって導かれなければならない
 3.したがって教会共同体は、自分たちの霊的福利に対する自らの責任を認めつつ、キリスト者である移住家族を受け入れるはっきりとした理由を共通の信仰告白の中に見いだすべきです。しかしながら、「移住者の霊的な伝承と特別な文化が考慮されないかぎり、この司牧的配慮は、効果的に実践することは不可能」(パウロ6世自発教令「移住者の司牧的配慮」)だということも覚えておきましょう。
 したがってこの司牧的配慮は、一つの信仰と違った文化の間の関係を決定する識別と活

用の原則の観点から考慮すべきです。「移住家族 に対しては、彼らがどこにいても教会
の中に自分たちの故国を見いだすことができるように配慮すべきです。これは多様性と一致のしるしである教会の本質的な務めです」(ヨハネ・パウロ2世使徒的勧告『家庭』77項)。
 このことは、移住者の司牧的配慮が、「疎外された者」のために「疎外された」司牧的配慮を適用することを避けて、いろいろな民族の共同体による貢献を活用することができるならばいっそう容易に行えるでしょう。
 このような理由で司教たちは、有利な司牧条件や可能性がある場合には、人々の世話のために(地域ではなく)人を基盤とした小教区や地区集会をつくることによって、民族や言語による共同体を組織することに熱心なのです(「移住者の司牧的配慮」33項1-2 参
照)。 
 受け入れ共同体にとけ込むことは、移住者にとって確かに自然で望ましいあり方です。しかし、これは急いではならないという慎重さが必要です。移住者の異なった文化的アイ
デンティティと固有な霊的伝承に対する尊敬を保障するかれらのための特別な司牧計画は、
かれらが少しずつ社会の一員となりながら、かれらの故国との正当なつながりを保証する助けとなります。

 4.このことが調和のうちに行われるようにと心を配ることは、家族の幸福のために働くことであり、その土台となっている価値観を重んじる助けとなるはずですが、何よりも家族のうちに一致を守り、交わりを育むことになります。この目的のために、家族相互の間に、信仰心と誠実さ、道徳心と祈り、神のことばに絶えず耳を傾け、日々徳を実践し、秘跡にあずかる努力を惜しまず、神のみ旨に信頼して従う雰囲気をかもし出すように努力しなければなりません。
 移住という状況の中で子どもを育てることも、健全な家族生活に至るために基本的な重要性をもっています。司牧者は、教会の教えに照らされて、移住者が、家族の真の平和と幸福および家族の霊的発達が依存している諸価値にとって有害となる仕事に就かないように配慮し、手助けする必要があるでしょう。
 さらに、人々の間の容易な文化交流の現代の雰囲気によってと同様に、今日の移住の現象によって、助長され、促進されている混宗結婚、他宗教の人との結婚のための免除に対しても注意を向けなければなりません。
 若い人々は、すべての結婚が本来目的とする霊的、情緒的統合について、信仰が果たすべき役割を過小評価してはなりません。

教会はすべての人のための家庭であり家族である
 混宗結婚が良心的に慎重に行われるためには、双方の教会あるいは教会共同体の特徴を示す基本的な要素が何か、また二人にとって一致させるものは何か、違うものが何かを知っている必要があります。偏見が克服されるとき、二人は、自分たちの生活と子どもの養育を豊かにしようとする意向をもって、自分たちの人間としての、また教会に属する者としての感受性を結婚へと導くことでしょう。結婚生活も子どもの養育も常に信仰によって生かされなければならないものだからです。カトリックの配偶者は自分たちが属している教会にしたがって、このような義務を大切にするように努めなければなりません(キリスト教一致推進評議会「エキュメニズムの原則と規定の適用のための指針」150-151 番参
照)。

 5.今日、カトリック信者と非キリスト者の間の結婚が著しく増加しています。このような現実の中で、第二バチカン公会議の『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』に示されている原則に基づき、配偶者の宗教体験に対して尊敬をもつのはよいのですが、以下のような規則に対する尊敬をあいまいにするものであってはなりません。「このような結婚の場合、司教協議会と各司教は、カトリックの配偶者の信仰とその自由な実践、特に結婚によって生まれてくる子どもにカトリックの洗礼と教育をするという点について、適切な司牧的な措置が保証されるようにする必要があります。同様にカトリックの配偶者がその家庭の中で、真のカトリックの信仰とその生き方のあかしができるよう可能な限りあらゆる方法を持って助けなければなりません」(『家庭』78項)。この義務は、その地で優勢な宗教の影響が社会組織を通して感じられ、現実に他の宗教を告白する自由の可能性を制限されている国に、カトリック信者の配偶者が、キリスト信者ではない配偶者について行くときは、いっそう緊急性を帯びるものとなります。

 6.敬愛する移住者である兄弟姉妹の皆さん、今わたしは、家族から遠く離れて生活し、
長い時間を孤独のうちに過ごさなければならず、家族や社会的な背景から根こそぎにされている皆さん方に、愛をこめたわたしの思いを向けます。主は、皆さんの近くにおられます。
 キリスト者の共同体が受容の精神に生かされて、皆さんが実際に「世界に家庭のない人はいないはずです。教会はすべての人々にとって、特に『労苦する人、重荷を負う人』にとって、家庭であり家族です」(『家庭』85番)と感じることができるようにしますように。
 貧しさと迫害、流浪に苦しんだナザレの家族が、皆さんの家族にとって輝かしい模範となりますように。聖家族は、救い主の生命を脅かす危険のために、悲惨な状態の中で不意に外国に逃避する体験を余儀なくされ、心配と不安に悩まされましたが、これは皆さん自身が経験なさってよく御存じのことです。
 ナザレの家族が皆さんを助けてくださいますように。イエスは、皆さんがキリスト者としての招きに忠実であろうとし、神のみ旨を心安らかに受け入れようと努力するとき、皆さんを支えてくださいます。「正しい人」であり、疲れを知らない働き手である聖ヨゼフが皆さんを照らし、助けてくださいますように。教会の母である聖マリアが、皆さんの家庭、つまり「家庭教会」のめんどうをみる母でありますように。聖母が皆さんと皆さんの努力や希望を見守ってくださり、勇気と尊厳と信仰をもってキリスト者の道を歩く皆さんを助けてくださいますように。
 このような思いとのぞみをもって、皆さんとの心からの連帯を新たにし、特別の使徒的祝福をお送りいたします。

バチカンにおいて、
1993年8月6日、主の変容の祝日にあたり、
                教皇在位15年、 ヨハネ・パウロ二世

PAGE TOP