家庭と宣教

家庭を支え福音を生きる教会共同体の実現をめざして キリストにおいて兄弟姉妹である皆さん  「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る-神のみ旨に基づく家庭を育てるために-」を主題として開かれた第二回福音宣教推進全国会議(以下 […]

家庭を支え福音を生きる教会共同体の実現をめざして


キリストにおいて兄弟姉妹である皆さん

 「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る-神のみ旨に基づく家庭を育てるために-」を主題として開かれた第二回福音宣教推進全国会議(以下、第2回全国会議と略します) は、日本におけるカトリック教会の、一つの記念すべき集まりでした。

 この集まりにおいてわたしたち信者一同は、それぞれ違う場所に住み、異なる問題に 直面していても、同じ神の子、同じキリストにおける兄弟姉妹であることを確かめ合う ことができました。また、日本の教会が、さまざまな人間の弱さと限界をもちながらも、聖霊の導きのもと、ともに一つの仲間として同じ歩みを続けている、という喜びを確認 しました。参加者は、それぞれそのことを体験し、その喜びを自分の教区へもちかえる ことができたと思います。

1、家庭の現実から

 教会の使命は福音宣教です。第1回福音宣教推進全国会議(以下、第1回全国会議と略 します)に際し、日本のカトリック教会は、福音宣教のあり方を考えるにあたって、生 活の現実から出発する方向を選びました。第2回全国会議は、第1回全国会議にならい、人々の生活の中心である家庭の現実に焦点を当てることから出発して、この使命に取り 組むことにしました。

 現代の家庭をみてまず気づくことは、社会のあり方が家庭に大きな影響を与えている ということです。今の社会では、経済価値が過度に優先され、人よりも物を大切にする 傾向が目立ちます。この社会のあり方は、その基本的構成単位である家庭の人間関係に 深刻なゆがみをもたらしています(注1)。

 また、最近の人々の性や結婚についての考え方のなかには、人間の尊厳に反する点が 含まれています。本来、男女の性は、結婚によって夫婦の共同体をつくり、新しいいの ち、子どもを生み育てることに向けられていますが、最近、この点について、人々の考 え方は変わってきました。性のもつ意義と役割、さらに倫理についての意識も大きく変 わりつつあります。新しいいのちの誕生についての配慮にも多くの問題が見られます。

 このような現象の背景には、社会の重圧に苦しむ人間の弱さがあり、他方、一人ひと りの人間のエゴイズムという問題があります。

 しかし反面、人間と家庭の正しいあり方を模索する動きもみられます。「こころの時 代」といわれてから久しくなりますが、多くの人々は、経済価値が人間にとって第一の 価値ではないことにあらためて気づき、家族の交わりを大切にするようになっています。人々の間で、高齢者への配慮、女性の人権、そしていのちの尊厳に対する意識も高くな りました。さらに、家庭という枠組みを越えて、病者や障害者の介護に献身し、幼いい のちの尊さを訴え、また子どもの人権を擁護する人々の声もしばしば聞かれます。

 このように、現代の家庭には、人間らしく生きたいという切なる飢え渇きがあり、ま た、一人ひとりの人格の尊厳を大切にする動きもあり、それを「福音の芽生え」とよぶ ことができます。

 この現実をみるとき、今の家庭こそ救いを必要としている、といえます。この救いを 求める叫びは、たとえ人々が意識していないとしても、救い主キリストへの飢え渇き、 キリストを求める叫びであるといっても間違いではありません。この叫びにこたえるこ とが、今のわたしたち日本のカトリック教会の務めではないでしょうか。

2、愛の共同体である家庭

 この現実を前提として、あらためて、教会の教える家庭とその使命について考えたい と思います。

 教皇ヨハネ・パウロ2世は、「家庭は、人間共同体すなわち夫と妻、親と子、親戚か らなる共同体です」(注2)と述べています。また、家庭は次の四つの使命をもってい ると教えています。

 ①愛の共同体をつくること。  ②生命に仕えること。  ③社会の進歩発展に参加すること。  ④教会の生命と使命に参加すること(注3)。

 この使命を生きることは決して容易なことではありません。しかし、この理想に向か って歩むようわたしたち一人ひとりを励まし助ける神の愛、神の力をわたしたちは受け ることができます。家庭は何よりもまず愛の共同体です。愛があってこそわたしたちは、家庭の使命に参加し、家庭の使命を生きることができるのです。

 そこでわたしたちが、愛の共同体である家庭を築いていくためには、まずわたしたち 一人ひとりが、神の愛をしっかりと受け止めることが必要です。「神は、その独り子を お与えになったほどに、世を愛されました」(ヨハネ3・16)。どんな家庭も、いか なる状況におかれていても、この神の愛から切り離されてはいません。信仰を通して神 の愛を深く知れば知るほど、わたしたちには神の愛にこたえる力が与えられることでし ょう。なぜなら、「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に 注がれているからです」(ローマ5・5)。

 イエスは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわ たしのおきてである」(ヨハネ15・12)といわれました。わたしたちはまず、イエ スが、どんなに深くわたしたちを愛してくださっているのかを知らなければなりません。そうすれば、わたしたちも互いに愛し合うようになるでしょう。またイエスは、「あな たがたは、わたしを愛しているならば、わたしのおきてを守る」(ヨハネ14・15) といわれました。イエスがわたしたちに与えられたのは愛のおきてです。愛のおきては、自由を束縛するものではありません。それは、わたしたちが日々の生活のなかで神の愛 にこたえていくよう、促し駆り立てる聖霊の働きです。この機会に、おきてということ を具体的に神の愛にこたえる道として、あらためて教会共同体のなかで再確認したいと 思います。

3、家庭を支える教会

 家庭と教会  神に対する愛は隣人に対する愛によって表現され、実行されます。隣人愛はまず家庭 において実践されるべきです。ところで、日本の教会の信者のなかには、家族全員が信 者ではない家庭に属している人が少なくありません。教会生活を送ることについても、 具体的な生き方の点でも、家族の考え方や意識の違いに苦しんでいる人も少なくないと 思います。この点において、まさに家庭は、教会と社会の接点であるといえます。この 現実の中でキリスト者としてあかしをすることは、言うは易く行うは難し、といえるで しょう。

 「家庭は教会の生命と使命にあずかり、歴史のなかで神の国の建設に奉仕しています」(注4)。家庭も教会も、ともに愛の共同体であり、いのちを生み育てる共同体です。 実際、カトリック教会の伝統のなかに「家庭の教会」という表現があります。それは、 家庭とは本来、教会の生命と使命に参加するものであることを端的に表しています。現 在の日本の現実は、この理想から離れていますが、いつの日か、すべての人が神の家族 となる日を待ち望みながら、ともに手をたずさえて歩んでいきたいと切望しています。

 共感・共有を通して  教会共同体の務めは、信者が日々家庭において、神の愛にこたえて「家庭の教会」を 築いていくよう、支え助けることにあります。司教、司祭、修道者、カテキスタなども、そのためにそれぞれの責任を果たすよう招かれています。

 ところで、この務めを果たすにあたって、わたしたち一人ひとりの信者は、「共感・ 共有」ということを大切にしたいものです。わたしたちがイエス・キリストにならい、 日々出会う人々、とくに弱い立場におかれた人々の苦しみや痛みに共感し、それを担い、それを信者の交わりのなかで、キリストの十字架とともに神にささげながら、ことばと 生活によってキリストの生き方を宣言するとき、わたしたちは、愛のおきてを実行して いるといえるでしょう。そのような地味で目立たない日々の努力の積み重ねのなかに、 新しい福音宣教のあり方があるのではないでしょうか。

 典礼を通して  教会共同体が、家庭を支え、家庭を通して福音宣教を推進していくためには、一人ひ とりの信者の信仰生活をより豊かなものとすることが不可欠です。そのための一つの大 きな源泉は典礼です。というのは、典礼、とくにミサこそ、神と人、そしてキリストに おける人と人との交わりと一致の頂点を示すものだからです。

 第1回全国会議の提案にもすでにみられるように、典礼と家庭生活の関係をより緊密 なものとすることは日本の教会共同体の大きな課題となっています。

 ところで、第2バチカン公会議の典礼刷新は、日本の教会にも、かなりの工夫と創意 の可能性を開いてくれました。ですからまず、現行の典礼の精神と法規を学ぶことはた いへん有益です。また、すでに全国で行われているさまざまな試みの分かち合いを行う ことも大いに勧められます。    それぞれの共同体で、日本文化のなかに福音が開花し、典礼が人々の心の琴線に触れ、生活の力、光、導きとなるように、努力を続けましょう。

 若者の信仰と活動  若者への配慮は、第1回全国会議以来の重要な課題です。第2回全国会議は、若い人 々の信仰を深めるよい刺激と励ましの契機となりました。若者は固有、独自の使命をも つ存在です。若者たちや少年少女がともに集まり、学びながら、祈りと信仰を深めるこ とのできる場が教会共同体のなかにあることが必要です。    若い時代はエネルギーにあふれている時代です。その力が教会と社会のなかでキリス トをあかしする活動に向けられるように期待しています。この活動の体験は人生の喜び となり宝となると信じています。

 なお、この課題には、教会共同体とともに家庭自体の努力も大きな要素を占めている ということをあらためて思い起こしたいものです。とくに、家庭における「分かち合い」や家庭の祈りなどの努力と工夫が求められています。

4、分かち合いを通して

 愛の共同体である教会と家庭を支え育てていくために、『ともに喜びをもって生きよう-第1回福音宣教推進全国会議にこたえて-』で述べた「ともに」の精神、そしてすで に述べたその趣旨をいかす「共感・共有」が大切です。この精神と趣旨を育てる一つの 道として、第2回全国会議・答申「展望-福音宣教する日本の教会の刷新のために-」 (以下 、「展望」と略します)で提案されている「分かち合い」の意義を考察してみたいと思います。

 「ことばによる分かち合いにとどまらず、物や時間やお金などを含めて自分自身の痛 みをも伴う生き方を分かち合う、このような生き方が福音宣教の重要な柱として定着し ていくことが大切であり、さらに『福音宣教』と『分かち合い』との関係をより明確に していくことが求められています」と、「展望」は述べています。

 「分かち合い」には、貧しい人々、苦しんでいる人々とともに苦しみ、自分が受けた たまものをその人々とともに分かち合うことも、本質的な要素として含まれます。    「分かち合い」にはまず、同じ人間としての深い共感と共有がなければなりません。 その模範を示したのは、人となられた神であるイエス・キリストご自身です。

 わたしたちはこのキリストが、生活の現場でそれぞれ真剣に生きようと努力している 人、とくに困難な状況のなかでキリストに従おうと努力している人とともにおられ、声 をかけてくださっていると信じます。

 わたしたちが、キリストを中心にして集まり、心を開いて語り合うとき、キリストの 声はより力強く響きます。そうすれば、自分自身の状況を正しくわきまえるだけではな く、兄弟姉妹の立場にも正しい理解を示すことができるよう変えられることでしょう。 このようにして、わたしたちはともに重荷を担いながら、「展望」のいう「現実を識別 して(見分けて)生きる信仰者」として成長することができると思います。

 「分かち合い」は教会共同体全体の課題であり、わたしたち一人ひとりの課題です。 「分かち合い」が福音宣教とつながるものであってほしいと願っています。そのために は、「分かち合い」の神学的意義をさらに探究することが必要です。福音宣教とは何か、そして、いかに福音宣教すべきかの基準は、イエス・キリストご自身の生き方とその福 音宣教にあります。日々の祈りと体験、そして、聖書と教会の教えの学習を通して、こ の課題を追求していくことが、一人ひとりに切に求められます(注5)。

終わりに

 わたしたち司教団は、今後も全国の皆さんの声に耳を傾けながら、皆さんと手をたず さえて、福音宣教しようとする日本の教会の刷新運動を継続させ発展させていく決意で す。現実のなかで理想を求めて努力するには多くの困難を伴いますが、それを一つひと つ克服して前進していくことこそキリスト者の道であり、そこにこそ大きな喜びがあり ます。キリストを見つめつつ、聖霊に導かれ、真心こめて、神の恵みにこたえてともに 歩んでまいりましょう。

 教会の母である聖母マリアの取り次ぎによって、皆さん一人ひとりのうえに父と子と 聖霊による慰め、光、導き、力を願いながら。

   

1994年3月24日
日本カトリック司教団

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