1995年 国際協力の日メッセ-ジ

毎年、各国の教会はそれぞれの司教協議会で決めた日を「世界移住の日」とし、特に移住者を思い起こすことにしています(日本の司教協議会は、「世界移住の日」を「カトリック国際協力の日」として、9月の第2日曜日を当て、この意向で祈り、献金することにしています)。教皇は、移住者の状態に注意を払うことを喚起するため、次の「世界移住の日」のためのメッセージを出しました。今年は特に、移住女性と、彼女たちが担わなければならない特別な重荷に焦点が当てられています。このメッセ-ジの原文はイタリア語で書かれています。

1995年 国際協力の日メッセ-ジ
移住の渦中にある女性

愛する兄弟の皆さん
1.国連が1995年を国際女性年としていることに教会として賛同し、わたしは次の世界移住の日のメッセージのテーマとして、移住現象の渦中にある女性を取り上げることにします。女性は、労働環境の中で広範な場を獲得するにつれて、結果的に移住にかかわる問題にも巻き込まれるようになってきました。その度合いはそれぞれの国において違うでしょうが、移住する女性の総数は移住する男性の総数とほとんど同数になってきています。 これは女性社会の中で重大な問題を引き起こしています。なによりもまず故国に家族を残し、愛が引き裂かれる体験をしている女性たちのことを思い起こしましょう。それはしばしば、直接に拒否はしないとしても、家族が共に生きる権利を認知する法制の整備が遅れている結果です。さらに条件のよい受け入れを望むために、家族が一緒になることを一時的に遅らせる場合があることは理解できるとしても、家族が共に生きることにはあたかも法的根拠がないかのように反対する人々の態度は否定しなければなりません。この問題についての第2バチカン公会議の教えは明白です。「移住の規整には家族の共同生活がいつも保証されるようにしなければならない」(『信徒使徒職に関する教令』11)。
 さらに現今の移住の状況において、家庭の重荷の大部分が女性に課せられていることを認めないわけにはいかないでしょう。多くの移住者たちが集中している先進諸国は、自国民に対してさえ夫婦が共働きせざるをえないような雰囲気をつくりだしています。そして移住者としてこれらの国に入ってきた人々は、この運命を甘んじて受けなければならないのです。つまり、たとえ家族の日々の生活を支えるためであろうと、故国を後にした目的を達成するためであろうと、彼らは労働の過酷な歯車に従って働かなければならないのです。一般的にこのような状況は、女性に対して、より厳しい仕事を強いています。実際、子どもたちの世話をしていた時よりも数倍もの過酷な労働が課せられているのです。

2.移住現象の中でますますその数が増えている独身女性に対して、特別に司牧的な配慮をしなければなりません。それにかかわっている人たちによると、彼女たちの置かれている状況に対して、連帯や受け入れだけではなく、虐待や搾取の防止と保護をも必要としています。
 教会は、すべての人が「いっそうよい生活条件を他国に求めて、いろいろな動機で自分
の生まれた土地から離れる権利がある」(『働くことについて』23)ことを認めています。
それにもかかわらず教会は、「自国では生活できずに安定を求めてやって来る外国人を、より豊かな国々は可能な限り受け入れる義務がある」(「カトリック教会のカテキズム」2241) ことを明言すると同時に、移住者自身にも利害が及ぶ共通善にかかわる重大で客観的な理由がある場合には、公的機関が移住の動きを監督したり制限する権利を否定はしていません。
 政権担当者たちは、たくさんの女性たちが故国を捨てざるをえなくなった数多くの重大な動機を忘れてはなりません。彼女たちの決意の根底には、よりよいチャンスをつかむ必要性があっただけではなく、文化的、社会的、あるいは宗教的な対立から逃げ出したり、搾取の根強い伝統、不正な差別的法制度から逃れざるをえないということもしばしばあるのです。

3.残念なことですが、合法的な移住には常に影のように非合法的な移住が伴っていることはよく知られています。特に女性が影響を受ける否定的な側面をもった現象が広がりつつあります。隠れた移住の枠組みの中にはしばしば、麻薬取引や買売春といった不健全な要素が忍びこんでいるのです。
 このために、移住者の出身国でも可能な限りの警戒をする必要があります。なぜなら、
合法的な移住が困難なことを逆に利用して、不法な組織は若い女性に成功の幻想を抱かせ、
多くの犠牲を払って貯めてきたお金を奪い取った上で密出国に追いやっているからです。
よく知られているように、彼女たちの多くがたどる運命は悲惨です。国境では追い返され、
不本意にも売春の恥辱へと引きずりこまれているのです。
 関係諸国の政府は、人間の尊厳を傷つけるこのような首謀者たちを捜し出し、罰するための共同作戦を取る必要があります。

4.最近の女性移住者の増加現象は、諸国に対して政策の転換を迫っています。賃金であろうと、労働条件や安全性であろうと、女性に対して平等な待遇を緊急に保証する必要があります。このようにするならば、一般に移住者が直面する差別が特に女性を苦しめるという危険を未然に防ぐことができるようになるでしょう。さらに住宅対策、子どもの教育援助、ふさわしい税の軽減などの社会保障を公平に受けられるようにするのと同じく、女性の差別待遇の廃止や文化的養成や職業訓練を容易にするための機関を設置する必要があります。

5.今ここで、移住者が訪れる地のキリスト者共同体に対して緊急のお願いがあります。移住者に対する愛のこもった兄弟的な受け入れを通して、「『移民の家庭』に対しては、彼らがどこにいても教会の中に自分たちの故国を見いだすことができるように配慮すべきです。これは多様性と一致のしるしである教会の本質的な務め」(『家庭 愛といのちのきずな』77) であることを、言葉よりももっと具体的な行動で示してください。
 移住者としての状況に勇気をもって立ち向かっているあなた方女性に、わたしは愛をこめてあいさつを送ります。
 わたしは母親である皆さんのことを考えています。あなた方は、家族への愛に支えられ、日々の困難と闘っておられます。また、わたしは若い女性の皆さんのことを考えています。
あなた方は、経済的な苦しさを少しでも楽にし、家族と自分の生活をよくすることを望んで、新しい国に向かって旅立ったのです。物質的、精神的、文化的に豊かな富を獲得すれば、自由で責任のある生活を選ぶことができるようになるに違いないという信頼があなた方を支えているのでしょう。
 わたしは、あなた方が担っている困難でデリケートな役割を自ら果たしつつ、目指している正しい目標に到達することができるようにと、絶え間ない祈りのうちに願っています。あなた方の身近にある教会は、あなた方が必要としている支えと配慮を惜しみません。
 わたしはキリスト者である女性の皆さんのことを考えています。あなた方は、移住の中で、福音宣教のために大きな役割を果たすことができるのです。常に妻として、母としての使命をもっと強く意識できるように、愛と責任感が促すことを勇気と信頼をもって行ってください。
 もしもあなた方が雇われている家庭で子どもたちの世話が任せられたときには、無理強いではなく、両親の意向を大切にしつつ、子どもたちの宗教教育の手助けができる素晴らしいチャンスを生かしてください。洗礼に基づく共通祭司職は、あなた方の女性としての資質の中で表現されます。これは、心からの限りない献身、特に愛によってかりたてられる献身によって生命に奉仕する能力なのです。

6.救いの歴史は、諸宗教、諸文化、諸民族の予見できない神秘的相互作用の中で、神の摂理がどのように働いたかをわたしたちに思い起こさせます。聖書が与えてくれるたくさんの例の中から、特に一人の女性が主人公となっているものを思い出しましょう。イスラエル地方が飢饉に見舞われたためにモアブの地に移住したヘブライ人の妻となったモアブ人ルツの話です。夫に先立たれた彼女は、夫の故郷であるベツレヘムに行くことを決意します。自分の母親とともにモアブにとどまるようにと勧める姑のナオミに向かってルツはこう答えます。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしはあなたの行かれる所に行き、お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこで葬られたいのです」(ルツ1章16,17)。こうしてルツはナオミに従ってベツレヘムに行き、そこでボアズと結ばれ、その子孫としてダビデ、さらに時代を経てイエスが生まれたのです。
 このように見ていくと、バビロンに捕囚となったイスラエルの民に対して、預言者エレミヤの口を通して語られた主のことばは、現実性をおびて迫ってきます。「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」(エレミヤ29章5-7)。この勧告は、人々の思い出や家族の出来事と結ばれている故郷への強い郷愁を抱いている人々に向けたものでした。
 マリアは、主の約束は必ず実現するという信仰に支えられて、主のことばの成就のしるしを出来事の中に見いだそうといつも注意を払っていました。そのマリアが、あなた方移
住者の女性、母親や妻としての歩みを照らしてくださり、共にいてくださいますように。
 信仰の旅路で、亡命さえ体験したマリアが、あなた方の善意の望みを力づけ、希望の中であなた方を支え、愛のうちに強めてくださいますように。旅路のおとめ、神の母に、あなた方の献身と希望を委ねつつ、わたしはあなた方をあなた方の家族とともに、そしてあなた方を兄弟として丁重に受け入れるために働いているすべての人々とともに、心から祝福します。

教皇在位16年、1994年8月10日、
バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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