『提題解説』に対する日本の教会の公式回答

 ここに記す日本のカトリック教会としての公式回答は『提題解説』に添付さ れた質問事 項に逐一答えるものではないが、日本全国から寄せられた貴重な意見を日本の 司教団として受け止めた上で、アジア特別シノドスでの討議が有意義な […]

 ここに記す日本のカトリック教会としての公式回答は『提題解説』に添付さ れた質問事 項に逐一答えるものではないが、日本全国から寄せられた貴重な意見を日本の 司教団として受け止めた上で、アジア特別シノドスでの討議が有意義なものとなることを 心から願っ て作成したものである。

序  回答作成のための審議経緯


(1)  3ヶ月を要した翻訳作業

 1996年9月3日にローマで英文と仏文の『提題解説』 (Lineamenta)が発表 されてから、日本の教会ではすぐさま翻訳作業に着手したが、日本語訳ができあがるまでに約3 ヶ月かかった。1996年12月17日に『提題解説』の日本語訳を各教区に配布。各教区では 司教が中心になって『提題解説』を共同研究 すると同時にそれを祈りの契機とした。

(2) 二度にわたる司教総会での審議 

 各教区司教たちは『提題解説』の日本語訳を受け取った後、各教区の司祭た ちとともに、およそ2ヶ月にわたって『提題解説』の研究を行い、『提題解説』の質問に回 答しようと努力した。しかし各教区の司祭団は、『提題解説』の質問には回答することが できないという反応を示した。そして、『提題解説』の質問への公式回答をどのように作 成するかを審議するための臨時司教総会(1997年2月18日~21日)では、以下のように『 提題解説』の質問そのものに対する意見やシノドス(代表司教会議)への要望が出された 。
 a) 『提題解説』の質問そのものに対する司教たちの意見:『提題解説』の 質問は、西欧キリスト教の枠の中で作成されているので、質問そのものが適切ではない。『 提題解説』の質問には福音宣教がうまくいっているかどうかという問いがあるが、何を基準 に問うているのか。洗礼数などで判断するとしたらとても危険なことだ。質問の仕方から、 シノドスの開催は、本店が支店を勤務評定するためのものであるかのように感じる。そのよ うなシノドスならば、アジアの教会のためにはならない。ヨーロッパの枠組みの中で判断 するのではなく、アジアで生きている人々の魂のレベルで現実を見つめていく必要がある。
 b) シノドスへの要望:アジアの教会のためのシノドスを実施するなら、他 の大陸とは違ったアプローチをしなければ役に立たない。西欧と同じ方法論を使用するなら ば失敗するだろう。考え方のインカルチュレーションが最も大切なことだ。教皇がおっしゃ っているように、「新たな福音宣教」を目指さなければならない。つまり、従来とは異なっ た新しい熱意、新しい表現(これまでとは全く違う伝達の仕方)、新しい方法(従来とは違 うアプローチ)。アジアのためのシノドスならば、シノドスの方法論やプロセスが西欧や アフリカのシノドスと同じものにならないよう『討議要綱』(Instrumentum laboris) を 作成する前に、はっきりとアジアとしての教会の主張を提出すべきだ。
 そこで日本の司教団は、日本の教会独自の質問を作成したうえで、神学校や 神学部、諸修道会などの意見をさらに聴取することにした。4ヶ月後に開催された定例司教 総会(1997年 6 月16日~21日)では、司教をはじめ、神学校や神学部、修道会、司祭や修道 者、地区信徒評議会などから寄せられた計325通に上る回答をもとに改めて審議し、以下の ように日本の公式回答をまとめた。  

I シノドス事務局への日本の教会からの要望

1.方法論に関する提言
(1) 共通語を持たないアジア諸国への配慮を 

 アジア諸国の中には、教皇庁が通常使用する言語(伊、英、仏、独、西)を 母語としている国はない。インドやフィリピンのような多言語国家は英語を一応共通語とし ているが、アジア特別シノドスに参加する約40ヶ国の中では例外中の例外である。この現実 を無視して、アジア特別シノドスを欧米などのシノドスと同じタイムスケジュールや方法論 で開催することは無謀なことである。『討議要綱』発表からシノドス本会議まで、最低限半 年の準備期間をおくことを要請する(『提題解説』が発表されてから日本語への翻訳、各司 教への翻訳文配布まで3ヶ月かかったという現実を無視しないでほしい)。日本の司教たち は、『討議要綱』を翻訳し、よく研究し、祈りのうちに準備することを非常に重要なことだ と考えている。
 また、同じ理由からシノドスにおける使用言語を英語と仏語に限定するとと もに、英語と仏語から母国語への同時通訳者の手配を要請する。

(2) アジアの精神性にあった方法論の採用を
 ヨーロッパやアフリカと異なり、アジア各国の相違はあまりにも根元的なも のなので、これまでのシノドスとは根本的に違った方法論を採用すべきだ。西欧のやり方を そのままアジア特別シノドスに持ち込んでも成功しないだろう。アジア諸国の多様な現実、 さまざまな文化の現実、精神構造や霊的伝統にふさわしくこたえていく新しいパラダイムを 研究し、イメージを統合していくためのセッションや活動が含まれるべきである。
 シノドスの間に論じるべき問題を決定するのは、司教たちの招集後すぐにす べきである。
それは、よりいっそう熟慮された最終勧告に到達できるように時間をたっぷり ととるためである。
 シノドスの包括的な方向性を決めるのはローマのシノドス事務局ではなく、 アジアの司教たちにゆだねられるべきである。シノドスを推進する諸委員会や小グループの 議長などもアジアの司教たちにゆだね、自分たちなりの進行方法と集まりの霊的必要性にし たがって議事を進行すべきである。 シノドスに参加する司教が、セッションの間に取り扱われる異なった内容に 関して、それぞれの専門家に相談でき、助言を受けることができるようにすべきである。こ れらの専門家は、教会、世界、特にアジアの現実に関する知識において司教たちによって推 薦された人々であるべきである。

(3) FABCの実りを活用し、最初から焦点を絞り込むこと
 アジア司教協議会連盟(FABC)は、25年以上にわたってそれぞれの国の教会 の現実を踏まえて審議を重ねてきた。このFABCの積み重ねの実りを有効に活用することを提 言する。 例えば、通常およそ2週間を費やす各国の教会代表の発言をやめ、FABCと中 東の教会との二つのブロックの代表が歴史的歩みやそれぞれが抱えている課題をまず発表し 、アジア特別シノドスで取り扱う問題の焦点を絞り込むようにする。そうすることで、非常 に広範囲で多様なアジア諸国で生きる教会の姿が俯瞰され、報告書(Relatio)の焦点も明 らかとなり、最終的に具体的なプランを作成する時間的余裕もでてくる。

(4) グループ分けに配慮を
 これまでのシノドスでは、西欧の各言語(伊、英、仏、独、西など)ごとに グループ分けが行われてきている。しかしアジア特別シノドスでは言語別ではなく、テーマ 別、あるいは宗教的文化圏(イスラム文化圏、ヒンズー文化圏、小乗仏教文化圏、大乗仏教 文化圏、儒家思想文化圏など)に基づくグループ分けをすることを要望する。

(5) 多様なオブザーバー参加を
 アジア諸国に共通した非福音的な問題は、女性への差別と抑圧である。この 現実をよく把握して審議するために、女性問題に詳しい女性のオブザーバー参加を要望する 。日本の女子修道会総長管区長会では、ふさわしい修道女を派遣する用意ができている。 いくつかの例外を除いて、アジア諸国におけるカトリック教会は宗教的マイ ノリティである。この現実をよく把握して審議するために、伝統的諸宗教に属する宗教家と 、他宗教との対話を実践している専門家のオブザーバー参加を要望する。

(6) アジアのカトリック教会への激励を目的に
 アジア諸国のカトリック教会は、21世紀に入っても、多様な諸宗教の中で宣 教活動を続けていかねばならない。この事実を大切にし、現在行っている福音宣教を励ます ようなシノドスであってほしい。アジアの教会が抱えている課題や問題は多いが、マイナス 面を強調するよりも、今後もこれらの諸問題の中で悪戦苦闘していく現実を励ますようなシ ノドスとなることを期待する。西欧教会からアジアの教会へのテコ入れを図るシノドスでは なく、アジアの司教たちが本音で語り合い、アジアの司教同士が互いに支えあい、励まし合 えるようになることを図るシノドスであってほしい。つまり「『彼らが』いのちを豊かに得 るように」というような第三者としてではなく、「『わたしたちがともに』いのちを豊かに 得るように」という当事者としての精神で取り組む。

(7) アジアの諸宗教との関係に焦点を
 アジアには、キリスト教やユダヤ教以外に、ヒンズー教、イスラム、仏教な どの大きな宗教があり、さらに霊的存在を信じるAnimistic Religions(民俗宗教やCosmic Religions など)が広く力を持っている。それぞれの宗教の影響を受けて発展してきた文 化は根本的に異なっている。アジア特別シノドスは、アジアの諸問題を全部扱うのではなく 、それぞれの宗教や文化とキリスト教との関係に的を絞ってはどうだろうか。さもなければ 抽象的な議論に終始してしまい、現実的に神の国に奉仕しようとしているアジアの教会にと って具体的には何の役にも立たないものとなってしまうだろう。

2. 『討議要綱』作成にあたって配慮すべきこと
(1) キリスト論

 『提題解説』の中には「警戒」と護教論的意図が見え隠れする。これではほ かの神学的立場を紹介するときに、明らかに不公平で不適当な表現を作りだす。特に顕著な のは、キリスト論の部分である。これでは、アジアのキリスト者の信仰には役立たない。実 生活に根ざし、現代人の問題に敏感で、開かれた霊的なキリスト論が求められている。 アジア諸国の人々にとってどのようなイエスが光となるのかを見極めるべき である。つまり、ギリシア・ローマ文化の中で教父たちがしてきたように、自分たちの民族 の宗教性についての基礎部分をより一層研究し、その視点からイエス・キリストがどのよう に人々のニーズにこたえているかを見つめる作業をしなければならない。
 イエス・キリストは道、真理、生命であるが、アジアにおいては、イエス・ キリストが真理であると主張する前に、イエス・キリストがどのように道であり生命である かということについて、もっともっと深く掘り下げる必要がある。 「唯一の救い主、イエ ス・キリスト」を強調しすぎると、他宗教との対話や共生、連帯はできない。教会はイエ ス・キリストのケノシスにならって謙遜になり、心を開いて他の諸宗教から学び、キリスト の秘義への理解を深めるべきである。

(2) 教会論
 『提題解説』における教会の描写は第二バチカン公会議よりも舌足らずで浅 い。特に「神の民としての教会」「奉仕者としての教会」の部分が弱い。この二つのイメー ジは、神の国への奉仕のためにマイノリティとして他者と共に生きようとしているアジアの 教会にとって特別な意味を持っており、この点が欠けるとシノドスのためによくない。
 FABCが深め発展させてきた「奉仕」と「対話」という中心課題を、『提題解 説』は大切にしていないが、この二つの課題はアジアのカトリック教会において非常に重要 なポイントである。

(3) 救済論
 アジアにおいてカトリック教会が打ち出す「愛と奉仕の宣教」は、アジアの
人々の実存的な渇きにこたえるものでなければならない。つまり、イエス・キ リストがもた
らした救いが具体的にどのようなものであるかをアジアの人々に理解できるよ うに明示しな
ければならない。また、普遍的な救いのメッセージがアジアの人々に伝わるよ うに、救いの
メッセージをどのように表現すべきかということも検討しなければならない。

(4) 宣教論
 『提題解説』は、「宣言(proclamation)」とはどのような意味をもち得、 どのような意味をもつべきなのかという点を展開せずに、たくさんのレトリックを使って 「宣言」を強調している。アジアのコンテキストにおいて必要な「対話」の現実からみて あまりに不十分である。 アジアにおける宣教においては「苦しんでいる人々への共感 (compassion)」が最重要課題であることを度重なるFABC総会は確認してきて いる。他宗教に属する人々の中で宣教していく場合、他者を説得するための言葉よりも、 まず弱く力のない人々の側に立ち、そのような人々への共感を示していくことこそが大切 である。
 『提題解説』では、伝統的なキリスト教神学の特徴でもある「区別」と「分 離」という点が重んじられているが、東アジアの伝統は、区別することよりもやさしく包み 込むことに特徴がある。ここ25年ほどの間に出されたFABCの文書には、既にかなりの「アジ アらしさ」が表現されている。ヒンズー教、イスラム、仏教それぞれの宗教の中にある真 実をどう捉え、どう評価し、どのように協力していくことができるかという点こそ、アジ アのシノドスにとって重要なことではないか。
 『提題解説』の質問は、私たちの宣教活動を評価するように要求している。 しかし洗礼を受ける人が増加しにくいアジアの現実を踏まえた場合、「宣教の実りを上げる ように努力してください」というSuccess Orientationでは、宣教者の意欲を奪うだけであ る。伝統的諸宗教の狭間でマイノリティとして生きているキリスト者に生き甲斐と喜びを 与える宣教観がほしい。洗礼数などの数量による評価ではなく、「宣教の使命にどれだけ忠 実であったか」という視点からの評価が必要である。

(5) その他
 『提題解説』の基礎となっている神学は、西欧のキリスト教世界で育まれて きた神学であり、キリスト者でない者の目から見ればあまりにも独善的で内向きである。こ のような神学に基づいていては、激動するアジアの今日に対応できない。アジアの文化、特 にアジアの伝統とアメリカ的現代文化とが激動のうちにからみ合う今日のアジアの文化に対 する理解が欠けている。さらに、現代の西欧神学のレベルから見ても、満足すべきものとは 思われない。
特にキリスト教でない文化の意義については、それが発展の全過程において、 永遠のみことばの贖いと無縁でないこと、これを前提とした聖霊の導きによることの明示が 、少なくとも欠如している。 教会の歴史分析がインド中心だという印象を受ける。 『提題解説』が、旧ソビエト圏の教会や中近東の教会が抱えている問題、中 国教会が直面している問題、インドシナ半島などの社会主義国家における教会の苦しい立ち 場、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との分裂の痛みなどに触れていないのは極めて不十 分である。

II アジアの教会としての課題提起

 シノドスのテーマ「救い主イエス・キリストとアジアにおける愛と奉仕の宣 教 -彼らが
いのちを豊かに得るように-」に基づいて、以下の8つの課題を提起する。

(1) アジアの神学
頭でとらえるキリストではなく、心に訴え、存在や生活を通して示されるキリストの理解に基づく宣教学、司牧、霊性を発展させること。福音の 文化内開花 (inculturation)。
 a) アジア文化圏から見たキリスト論:アジアにおいてどのようにイエスを 提示するか。
アジア民衆にとって、キリストはどのように道であり、いのちであるか。
 b) 西欧型キリスト教からの解放と新しいビジョン作り:イエス・キリスト がもたらした
救いとは具体的に何か。普遍的な救いのメッセージを、アジアの人々が分かる ためにはどう
表現するか。

(2) 福音宣教・信仰養成のあり方を見直し、アジア的信仰を育てること
 a) 福音宣教の体験・信仰体験を分かち合い、学び合う:神学的解説、理論 、信条より
も、神との出会い、心と身体での信仰体験等の総合的な霊的歩みを重要視する 。また、これ
まで行われてきた「西洋的な」福音宣教活動の限界の体験を分かち合う。
 b) 司祭・信徒の養成と信徒への権限委譲の実質的計画を検討する。
 c) 若者の新しい文化に対応した青少年の信仰教育を模索・確立する。
 d) 福音宣教者としての移住キリスト者を養成する。
 e) 福音宣教における女性の積極的役割を確立する。

(3) アジアにおける祝い、典礼の見直し
 (それぞれの文化のよい部分を生かしているか)

(4) アジアが抱えている諸問題に光を与える(FABCのこれまでの諸文書を活用)
 a) 貧困と近代化にかかわる諸問題:特に、家庭崩壊、売買春、爆発的人口 増加と青少年
の教育、女性の低い地位、差別、環境破壊など。
 b) 政治の腐敗と不正、汚職、抑圧。
 c) 近代化・都市化に伴う世俗化、物質主義的・快楽主義的風潮と道徳の低 下。
 d) 資本主義・技術主義的な社会生活体系の矛盾。
 e) コミュニケーション(メディア)による影響。
 f) 宗教的原理主義、文化的植民地主義(伝統文化の喪失)などの問題
 g) 中国における教会との交わり(communio)と支援(香港・マカオの返還 後を考慮に
入れて)

(5) 貧しい人々との連帯を更新し、全力をあげて貧しさの問題に取り組み、
愛 と奉仕 によって働きかけていく
 a) 社会的不正義がもたらす物質的貧しさと社会的貧しさ。
 b) イデオロギー化した物質主義・消費主義を維持発展させるためのエゴイ ズムの肥大化による精神的貧しさと倫理的貧しさ。

(6) キリスト教的人間学に基づいた価値観をいかに確実に「愛と奉仕の宣教」 に受肉させるか
(キリストの具体的な愛を人の心の中にどのように成長させていくか):国連 やNGOと連携して、人命尊重、人権尊重、社会正義、平和、自由、連帯などのた めの世論を形成する。

(7) アジアの霊性と福音の文化内開花

 a) 超越的な絶対者を心と霊と生活の修行を通して探究するという東アジア で大切にされてきた霊性を、福音化によってどのように開花させられるか。
 b) キリスト教の独自性と、諸宗教との対話と協調をどのようにしていくか 。
 c) アジアの「若者の文化」にキリスト教の精神をどう根付かせるか。

(8) 諸宗教との対話
 a) 対話の方法について、具体的で多角的な方向づけを探る。
 b) 諸宗教との共存・共生を促進する。
 c) 教会のより豊かなアイデンティティを確立する。

III 日本の教会の課題

日本の教会として現在取り組んでいる課題、および今後の課題
(1) 日本の教会は、1984年に『日本の教会の基本方針と優先課題』を発表した 。  「基本方針:1 私たちカトリック教会の一人ひとりが、宣教者として、ま だキリストの 食卓を囲んでいない人々に信仰の喜びを伝え、より多くの人を洗礼に導き、彼 らとともに救 いのみ業の協力者となる。2 今日の日本の社会や文化の中には、すでに福音 的な芽生えも あるが、多くの人々を弱い立場に追いやり、抑圧、差別している現実もある。 私たちカトリ ック教会の全員が、このような「小さな人々」とともに、キリストの力でこの 芽生えを育 て、すべての人を大切にする社会と文化に変革する福音の担い手になる」(司 教団『日本の 教会の基本方針と優先課題』参照)。  司教団は、全国の信徒、修道者、司祭、司教が一体となって福音宣教のため の協力態勢を つくる方向性を明示しただけではなく、すでに二度にわたる福音宣教推進全国 会議(NICE) を開催している(司教団『ともに喜びをもって生きよう-第一回福音宣教推進 全国会議にこ たえて-』および『家庭と宣教-家庭を支え福音を生きる教会共同体の実現を めざして-』 参照)。  現在、これまでの閉鎖性を打破するために、特に現代社会で弱い立場におか れている人た ちとともに教会共同体を築くことと、キリストの福音を信じて生きることによ って、教会を 神と人々とが交わる喜びの場にしていく取り組みがなされている:具体的には 、a)社会の諸 問題に福音の光をあて、問題解決への指針を与える態勢づくり、b)信仰の生涯 養成の制度 化、c)典礼の活性化、d)教区・小教区制度の見直し、など。
(2) 日本社会の中で、カトリック教会はまさにマイノリティの教会、弱い教会 である。こ のような状況の中で「教会が神の国の秘跡である」とはどのようなことなのか を模索してい る。
(3) 滞日外国人増加によって日本の教会はますます多国籍教会となりつつある 。その現状を 踏まえた宣教司牧のあり方を探っている(社会司教委員会『国籍を越えた神の 国をめざし て』参照)。
(4) 若者不在の教会になりつつある現状を踏まえ、信者各層を包含する信仰運 動体・共同体 を育成し、推進する道を探求している。
(5) 日本がアジアに対して行った重大な罪過(植民地化や経済的侵略への実質 的関与など) の総括をし、日本の教会としてゆるしを乞い、平和構築のための新たな取り組 みを始めてい る(司教団声明『平和への決意』参照)。
(6) 被爆国に生きる教会として、核兵器廃絶、核実験反対を訴え続けている( 司教団『核 兵器廃絶のアピール』参照)。
(7)人間としての貧困と経済的豊かさが一体化している日本の社会状況への対 処に取り組ん でいる。
(8) アジア全域の工業化に伴う環境破壊を最小限に留め、アジアの真の発展の ために協力す るよう、日本政府に働きかける。
(9) 教皇庁の呼びかけに基づき、対外債務の軽減を日本政府に働きかける。

IV 教皇庁に対する特別提案

 アジアの地方教会と教皇庁との関係のあり方を再検討する。すなわち、「中 央集権」 (centralization)ではなく「協働性」(collegiality)に基づく関係を築き 上げるシス テムを検討し、地方教会の正当な自立性をよりいっそう認めることを教皇庁に 要請する。  例えば、司教団が認可した典礼やカテケジスなどの日本語翻訳文についてま で、教皇庁か ら許可を受けなければならなというのはおかしい。地域社会の福音化に貢献し 、福音の文化 内開花を推進し、アジアにおけるカトリック教会間に本当の「協働性」を育て るために、地 方教会を信頼し、管理行政(administration )の方法などについても地方教 会の主体性を 重んじるべきである。

1997年7月23日
日本カトリック司教協議会

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