救い主イエス・キリストの母、聖マリア

大聖年準備第一年目 「キリストの年」の第三のメッセージ 1997年10月17日発表 はじめに  わたしたちは信仰宣言において、「主はわれら人類のため、また、われらの救いのために、天よりくだり、聖霊によりて、おとめマリアよ […]

大聖年準備第一年目
「キリストの年」の第三のメッセージ
1997年10月17日発表



はじめに
 わたしたちは信仰宣言において、「主はわれら人類のため、また、われらの救いのために、天よりくだり、聖霊によりて、おとめマリアより御からだ を受け、人となりたまえり」とマリアによって救い主、神の御子が人となら れたと宣言します。
 使徒的書簡「紀元二千年の到来」は、大聖年準備のイエス・キリストを主 題とする第一年において、救い主イエス・キリストの母、聖マリアの秘義に ついて観想することを次のように勧めています。「みことばが人となったの は、マリアの胎内においてでした。したがって、キリスト中心の理解は、聖母が果たした役割についての認識と切り離すことができません。……マリアは事実、つねに神の子キリストを指し示しており、すべての信者にとって信仰を生き抜いた模範となっています。『教会はマリアを敬愛の念をもって思い、人となられたみことばの光のもとにマリアを観想しつつ、受肉の最高秘義の中に尊敬をもって深く分け入り、自分の花婿にますます似た姿となるのです。』」(「紀元二千年の到来」43 参照)
 使徒的書簡の勧めに従い、救いの歴史におけるマリアの姿を、特にマリアの信仰と霊性に焦点をあてて顧みてみましょう。

1 お告げにおける聖マリア
 おとめマリアが宿した胎内の子は聖霊による神の賜物でした。天使のことば「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」(ルカ1・35) は、旧約のイスラエルの中における神の現存(出エジプト40・35参照)を暗示しています。出エジプト記は、神の超越的現存と人々の間、すなわち幕屋 における現存を記していますが、この二つの神の現存はマリアの中に新たにされます。マリアは神のひとり子イエス・キリストの人間としての母となりましたが、イエス・キリストにおける神性と人間性の一致の故に、教会の初期から神の母と呼ばれました。「だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカ1・35)
 ルカ福音書はマリアの信仰を記すにあたって、わたしたちが直面すると同じように、とまどいについても触れていますが(1・29、2・50参照)、「主がおしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(1・45)とマリアの信仰の強さを強調しています。そして、イエスの母マリアを旧約の信仰者の父アブラハムに対比しています(1・55参照)。マリアはアブラハムのように神の前に恩寵を得て、「恐れることはない」(1・30)、「神にできないことは何一つない」(1・37)と言われ、不可能と思える子供 の誕生に対する信仰の故に讃えられました。
 ルカはまたマリアを、旧約以来の信仰者たちの頂点にくる方として紹介しています。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(1・28) という天使の挨拶は、通常の挨拶ではなく、メシアの到来を知らせる喜びのことばでした(ゼカリア9・9~10、ヨエル 2・21~27、特にゼファニヤ3・14 ~17参照)。お告げにおいて、ルカはゼファニヤ書のことばを用いることによ って、マリアをシオンの娘に、イエスを王である神と同一視しています。天使 のお告げの喜びは、救いの喜びであり、お告げを受けたマリアはシオンの娘、 イスラエルの集約であり、イスラエルにおける神の現存は、おとめマリアが身 ごもったことの中に新たに実現されます。

2 主の貧しいはしためである聖マリア
 マリアは天使に応えました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1・38)。「はしため」は旧約以来の「主の しもべ」の霊性によって理解されます。主のしもべは、神の最高の尊厳を認 め、いつでも神に従う用意がある敬虔なイスラエルの信仰者のことでした。
また、モーセ(出エジプト14・31等)、ダビデ(列王記8・24等)、アブラ ハム(創世記26 ・24)、イサク(創世記24・14)、ヤコブ(出エジプト32 ・13)、ヨシュア(ヨシュア24・29)、預言者たち、祭司たちなどの神の民 の中で特別な使命を委ねられた人々が、主のしもべと呼ばれています。 イ エスは「貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである」(ルカ6・20、マタイ5・3参照)と教えられましたが、マリアは讃歌(ルカ1 ・46~55)の中で、自分を主の貧しいはしためと呼びました。貧しい者とは、 忍耐強く圧迫に耐えて、主に信頼を持ち続けている者のことでした(特に、 詩編9~10等)。主の貧しい者は、神の国を受け継ぐイスラエルの残りの者、 主の好意を得ている者(イザヤ66・2参照)であり、メシアによって救われる 謙遜な民(ゼファニア3・12)の最初の者となります。
 ルカ福音書が伝えるお告げや讃歌におけるマリアは、「身分の低い、この主のはしため」(1・48)、「身分の低い者」(1・52)、「飢えた人」(1・ 53)、「その僕イスラエル」(1・54)、「主を畏れる者」(1・50)と主 のしもべと貧しい者の精神に満たされています。 救い主である神への完全な信頼を持つ貧しい者という旧約のイスラエルのすべての霊性は、マリアのうちに実を結びます。信頼をもって主から救いを希望し、それを受ける主において謙虚な貧しい人々の中で、マリアが特にひいでていました(「教会憲章」55参照)。このマリアの精神は「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1・38)のことばでもう一度繰り返されます。このことばによって、神の御心が実現することだけが自分の望みであることを表明します。

3 キリストの救いの秘義に協力する聖マリア
 マリアは「天使の告げを聞いて、心と体で神のみことばを受け、世に生命をもたらし」ました(「教会憲章」53)。キリストによって宣べ伝えられた神の 国は、「だれでも、わたしの天の父の御心を行なう人が、わたしの兄弟、姉妹 、 また母である」(マタイ12・50)と記されているように、血肉の絆を越えて、 父の御心のうちに見出されるものでした。マリアは「なんと幸いなことでしょ う、あなた(キリスト)を宿した胎、あなたが吸った乳房は」(ルカ11・27) であるばかりではなく、キリストから「むしろ幸いなのは神の言葉を聞き、そ れを守る人である」(ルカ11・28)と言われたように、神の御心を行った方で した。
 お告げのときに始まったマリアのキリストへの協力は、キリストの生涯の秘 義全体に及びました。マリアについての理解を深めた「教会憲章」は、以下の ようにまとめています。「マリアは、神のことばに同意してイエスの母となり 、 心から、……、神の救済の意志を受諾し、子のもとで、子とともに、全能の神 の恩恵によって、あがないの秘義に仕えるために、主のはしためとして子とそ の働きに完全に自分をささげたのである。したがって、マリアは単に受動的に 神に用いられたのではなく、自由な信仰と従順をもって人類の救いに協力した 」 (56)。マリアは「キリストを懐胎し、生み、育て、神殿で父に奉呈し、十字 架上で死去した子とともに苦しむことによって、従順、信仰、希望、燃える愛 をもって、人々の超自然的生命を回復するために、救い主のわざに全く独自な 方法で協力した。このためマリアは恩恵の世界においてわれわれにとって母であった」(61)。聖霊降臨に与かった後(使徒行録1・14参照)、「最後に原罪のいかなる汚れにも染まらずに守られていた汚れない処女は、地上生活の道 程を終えて、肉身と霊魂ともども天の栄光に引き上げられ、……、罪と死の征 服者である自分の子に、マリアがよく似たものとなるためであった。」(59)
 聖マリアの信仰と救い主キリストへの協力を黙想し、聖マリアのように信仰によってキリストに結ばれて、キリストの救いに協力と恵みを祈り、キリストの救い二千年の祝いを迎える準備としたいものです。

一九九七年十月十七日
 日本カトリック司教協議会
大聖年準備特別委員会

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