厚生大臣 宮下創平殿 はじめに 現代の科学技術は驚くほどの早さで進歩し続けています。生命科学の領域も例外ではありません。新しい医療技術が開発された結果、以前なら不治の病と言われていた疾病も、今日では克服できるようになっ […]
厚生大臣
宮下創平殿
はじめに
現代の科学技術は驚くほどの早さで進歩し続けています。生命科学の領域も例外ではありません。新しい医療技術が開発された結果、以前なら不治の病と言われていた疾病も、今日では克服できるようになってきています。わたしたちは、この分野で日夜研究に取り組み、発展のために貢献してくださった方々に心から深く感謝いたします。また、この際、カトリック教会が科学や医学の進歩発展に最大限敬意を払っていることを、ここに改めて表明いたします。わたしたちは、いのちを尊重するためであるならば、それらの医療を施すことを支持し、それらの医療を受けることも勧めます。
しかし、日本を含む世界各地の科学者の間では、人間のいのちの誕生を人間の手によって操作しようとする研究が進められているということも聞きます。わたしたちは、科学や医学、優生学上の名目を口実に、人間の受精卵や胎児が実験に使われたり殺されたりしてはいないかと深く心配しています。
わたしたちは、科学や医学の研究が常に生命の神秘に対する畏敬のうちに行われ、この分野での発展がいのちの尊厳に貢献することを願って、カトリック教会の見解をお伝えし、7項目の要請を提出いたします。
カトリック教会の見解
1)子どもは親の所有物ではない
わたしたちは、胎児にも、その存在の始めから人間として尊重される権利があると考えています。日本語には「子どもを持つ」という表現がありますが、子どもは親の「所有物」では決してありません。子どもは「授かりもの」であり「たまもの」そのものです。生まれる前の子どもであっても、すでに生まれた子どもであっても、子どものいのちは神からいただいているもの、預かっているいのちとして尊重されなければなりません。
また、「生まない自由」という表現もありますが、親に、胎児のいのちを奪う自由があるという考えを認めることはできません。このような自由を認めることは、服従する以外に選択の余地がない弱者に対する、強者の自由を認めることになるばかりか、たまものであるいのちを踏みにじることにもなるからです。したがって、子どものいのちを奪い去ることを目的とした人工妊娠中絶は、どのような方法がとられるとしても、決して認めることはできません。
2)人間の尊厳はいかなる場合にも守られるべきである
いわゆる「世俗的」倫理学の中には、人間のいのちに価値の上下をつける考え方があります。つまり、理性と反省能力があり、自分の人生設計をたてることができる人間のいのちの方が、そういうことができない人間のいのちよりも価値があるという考え方です。このような考え方によれば、胎児や新生児、あるいは不慮の事故などで長期にわたって意識不明の状態にある人のいのちは、元気に働いている人のいのちよりも低い価値しかもたないということになります。言葉ではっきりと表現していなくとも、こうした考え方に基づく法律や医療行為が存在します。
しかし、いのちは、どのような人のいのちであっても、等しく大切なものであり、わたしたち人間がそれに優劣をつけることができるものでは決してありません。胎児であれ幼児であれ、成人であれ老人であれ、不治の病を患う人であれ死を目前にしている人であれ、同じように尊重されなければなりません。同じ理由で、わたしたちは、あらゆる殺人行為、人工妊娠中絶、すべての苦痛を取り除く目的をもって故意に死をもたらす安楽死、死刑などに対して反対します。
わたしたちは、出生前診断と治療が、胎児のいのちを尊重し、健康状態を改善し、胎児を個人として保護するためならば、それらを感謝のうちに受け入れます。また、そのような研究がさらに推進されることを心から願っています。ただ、出生前診断の中には、まだ治療法がなかったり倫理的に容認できる予防策が確立されていない障害や難病をもつ可能性を調べるものもあります。このような診断には明確に反対します。それは、暗に、障害のある子どもの排除に結びつき、彼らのいのちを軽視し、その人権を踏みにじる行為となってしまうからです。
3)名誉のために、 あるいは経済原理に従って人間のいのちを扱ってはならない
経済的な裏付けがなければ、どのような技術も開発できません。しかし新しい技術が、経済原理や個人的な利益のために開発されたり利用されたりするならば、平等であるはずのいのちに格差をつけていくことになってしまいます。社会の中で力ある人々はさらにその力を増大させ、周辺に追いやられている人々はこれまで以上に、人間らしく生きる機会を失っていく危険性があります。こうした事態を避けることは、医療関係者だけの責任ではなく、行政の責任でもあります。
また、臓器移植の歴史を振り返ると、「最初の成功者」という名誉を競ったためか、疑惑の残る移植が行われた事例があったことは周知のとおりです。患者のいのちよりも研究者の名誉や科学的な興味が優先されることは決して認められません。
「患者の救命のため」という美名に隠れて、利潤と名誉という利己的な目的のために、いのちがもてあそばれることは何としても避けなければなりません。
政府に対する要請
いのちの問題は個人的な次元のものではなく、文化の問題であるとともに社会問題でもあります。そこでわたしたちは、いのちの尊厳を守ることを自分たちの課題として取り組む決意を新たにすると同時に、以下の7項目を政府に要請いたします。
(1) 子どものいのちは子ども自身のものであって、子どものいのちを奪う権利は親にも医師にもありません。とくに、いのちの始まりにかかわるすべての医療において、子どものいのちが大切にされるように、制度や法律を整えてください。
(2) 胎児や幼児のように、自分で自分を守ることのできない弱い立場にあるいのちほど、社会がより注意深く心を配る必要があることを、国の方針として明確にしてください。また、いのちを大切にする教育ができる環境を整えてください。
(3) 医療が、障害のある人を抹殺するような優生学的な方向に進むことを阻止し、障害のある人とその家族が十全に生きることができるような社会づくりと福祉政策を促進してください。
(4) 病気や障害がある胎児のいのちを尊重し、健康状態を改善し、個人として保護するための治療がさらに進歩するように、研究のための条件や環境を整えてください。同時に、倫理的に容認できる予防策や治療法が確立されるまでは、それらが確立されていない障害や難病の可能性を調べる出生前診断が行われないように指導してください。
(5) 試みの段階でしかないのに、治療という名目で行われている生殖細胞や胚の細胞を対象とした遺伝子操作、受精卵の実験利用を法で規制してください。
(6) いのちの始まりにかかわる医療や技術開発が、経済原理や個人の名誉欲に左右されることを防ぎ、すべての人のいのちが等しく大切に扱われるよう配慮してください。
(7) 新しく開発される医療分野についてはできる限りわかりやすく情報を開示し、論議を深め、あくまでもいのちを大切にする社会づくりを推進するようにしてください。とくに、いのちの始まりにかかわる医療の技術開発については慎重に議論を重ね、その妥当性を明確な論理で説明できるようになるまでは実施しないよう指導してください。
おわりに
日本の民法には、胎児にも損害賠償の請求権と相続権を認めた条文(民法第721条および第886条参照)、胎児を「胎内にある子」と呼んで人間とみなしている条文があります(民法第783条参照)。また日本は、子どもが生まれる前であっても生まれた後であっても、「身体的及び精神的に未熟であるため」「適当な法的保護を含む特別な保護及び世話を必要とする」と明記した「児童の権利条約」を1994年に批准施行しています(「児童の権利条約」前文参照)。しかし日本の社会は、人間のいのちが始めから尊重される健全な社会であるとはまだ言えない状態であるのも事実です。
社会や文明の質は、その社会の最も弱い立場に置かれた人に対して示される尊敬の度合いによって決まるという言葉があります。日本に住むすべての人が、日本の社会と文化に誇りをもつことができるようになるためにも、上に記した7項目の要請を受け止め、対処してくださるよう要望いたします。
以 上