大聖年における巡礼の意味 地上を旅する教会は、父である神のもとへ向かう大巡礼の旅路を、二十一世紀という新しい千年期に向けて力強く踏み出すことができるように、キリスト降誕二〇〇〇年の大聖年を迎える準備に熱心に取り組んできま […]
大聖年における巡礼の意味
地上を旅する教会は、父である神のもとへ向かう大巡礼の旅路を、二十一世紀という新しい千年期に向けて力強く踏み出すことができるように、キリスト降誕二〇〇〇年の大聖年を迎える準備に熱心に取り組んできました。
いよいよ、今年の主の降誕の聖夜、バチカンの聖ペトロ大聖堂の聖なる門が開かれるときに大聖年は開幕し、紀元二〇〇一年の主の公現(一月六日)まで続けられます。教皇ヨハネ・パウロ二世は、大聖年公布の大勅書『受肉の秘義』の中で、キリスト者として巡礼することの意味を次のように教えています。
「巡礼に出ることは、あがない主ご自身のあとを、信じる人のだれもが歩むものだということを思い起こさせます。それは、辛い苦行を人間の弱さの償いを行うこと、自分の弱さから目を離さないこと、心から自分を改革する準備をすることです。…神の恵みを支えとし、『成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長する』(エフェソ四・十三)ことを目指して努力するのです。」
そして教皇は、このような「すべてのキリスト者が果たすように召されている歩み」を意義深いものとするため、大聖年に種々の形で「巡礼に出る」ことを実践するように促しています。
大聖年における免償の恵み
わたしたちは、霊的な旅路を歩んで行く中で、人問的な弱さから罪を犯し、巡礼の道から離れてしまうことがあります。そして罪は、わたしたちにその傷跡(結果)を残します。すなわち、「罪が重大であれば、神との交わりを失うことになり、その結果、永遠のいのちにあずかれなくなるのです。しかし神は、悔い改めた罪人には、ご自分のあわれみによって重大な罪のゆるしを与え、受けるはずの『永遠の罰』も免除してくださいます」。また、「どんな罪も、赦免しやすい(軽い)ものでも、被造物へのゆがんだ執着を生み、この地上であるいは死んだのち、煉獄と呼ばれる状態の中で、清められる必要があります。清められると、受けるはずの『一時の罰』から解放されます」(『受肉の神秘』十番参照)。
ところで、教会が教えている免償は、罪をゆるすことではなく、悔い改めた罪、すでにゆるしをいただいた罪が残した清めのための一時的な罰を軽減することです。大聖年は、キリスト信者に回心(内的刷新)を促し、この免償の恵みをより豊かに与える機会となります。全免償を得るためには、(1) キリストを通して御父とより深く出会うための出発点であるゆるしの秘跡にあずかること、(2) また、その出会いの頂点である感謝の祭儀に参加することが求められます。(3) そして教会共同体との交わりのしるしとして、教皇の意向にしたがって祈ること、(4) さらに、教会が定めた愛と償いのわざを行うことが必要です(詳しくは、『受肉の神秘』に掲載されている「聖年の免償を受けるための規定」を参照)。この教会が定めたわざの中で、教皇は大聖年を機会に、種々の方法で巡礼を行うことに特別な配慮を示しておられます。すなわち、指定された大聖堂、司教座聖堂、その他の教会へ巡礼して祈ること、あるいはそれに代わる霊的な巡礼(貧困の中にある兄弟たちを、この人々の中におられるキリストヘの巡礼として訪問すること)によって免償が得られることにしています。
「大聖年における巡礼の祈り」の使用のすすめ
すでに、小教区や修道会、またその他の信者の共同体で、エルサレムやローマ、あるいは聖母マリアや聖人たちにささげられた聖域への巡礼が計画されているかもしれません。また、遠くまで巡礼の旅に出かけることはできなくても、司教座聖堂やその他の免償をいただくために指定された身近な教会へ、団体として出かけて祈ることも一つの巡礼の方法です。このような種々の巡礼のときに用いる祈りの一例として、ここに紹介する「大聖年における巡礼の祈り」を、お役立ていただければ幸いです。
巡礼の開始
● 状況に応じて小教区の教会堂、またはその近くに集合する。
● あいさつ–巡礼団を率いる司祭(あるいは信徒代表)が、巡礼開始のあいさつを述べる。
教皇大勅書『受肉の秘義』の朗読
司
皆さん、わたしたちはこれから○○○○への巡礼を行いますが、教皇ヨハネ・パウロニ世は、大聖年を公布する大勅書『受肉の秘義』の中で巡礼の意味について次のように教えています。
「巡礼に出ることは、時代が変わり、文化が異なれば、違ったかたちを取りましたが、信じている人たちの人生のなかでいつも深い意義を持っていました。巡礼に出ることは、あがない主ご自身のあとを、信じる人のだれもが歩むものだということを思い起こさせます。それはつらい苦行を、人間の弱さの償いを行うこと、自分の弱さから目を離さないこと、心から自分を改革する準備をすることです。徹夜、断食、祈りを通し、巡礼者は、キリスト者として完全になるための小道を進みます。神の恵みを支えとし、『成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさにまで成長する』(エフェソ四・十三)ことを目指して努力するのです」(七番十七~十八頁)。
(しばらく沈黙のうちに黙想する。)
司
それでは皆さん、主イエス・キリストのあとにしたがって信仰の道を歩み続ける決意を新たにしながら、巡礼に出かける前に詩編八四(テーマ–巡礼)を用いて祈りましょう。
●「しあわせな人」(詩編八四–典礼聖歌一〇二)
を歌うか、あるいは唱える。
●巡礼地へ向けて出発する。(巡礼の途中で、適当であればロザリオの祈りや十字架の道行きの祈りを行ってもよい。)
巡礼地への到着
● できれば司教またはその代理者、および数人の信徒が巡礼団を入り口の扉のところで出迎える。
● 一同は、「門よ、扉を開け」(詩編二四–典礼聖歌一五八)を交互に、または全員で唱えるか、あるいは歌う。
● 次に扉を開け、司教または代理者、出迎えの数人の信徒、巡礼団の順に行列し、入堂する。出迎えの人がいない場合には、巡礼団を率いる司祭(あるいは信徒の代表)が誘導する。
歓迎のあいさつ
●司教またはその代理者が巡礼団に歓迎のあいさつを述べる。
回心の儀.
● その後、巡礼団を率いる司祭(あるいは信徒の代表)が一同を回心の祈りへと招く。
司
皆さん、免償の恵みを願って、ことばの祭儀を行う前に、わたしたちの罪を思い、心を改めましょう。
● 続いて一同は、回心の祈りを唱える。そして、その結びに司祭は祈る。
司
全能の神がわたしたちをあわれみ、罪をゆるし、永遠のいのちに導いてくださいますように。
会
アーメン。
以下、(3)~(5)、あるいはその一部を省いてもよい。
(3)あわれみの賛歌。
(4)聖水を振りかける。
(5)その間に、一同は「あなたのいぶきうけて」(詩編五一–典礼聖歌六~七)を歌う。
ことばの祭儀
聖書朗読
巡礼地にふさわしい聖書の箇所を選んで朗読する。(例–ルカ四章十六~二十一節)
説教
大聖年について、また全免償の意味やそれを得るための方法について説明する。
テーマ
● 和解
兄弟をゆるし一受け入れること。
● 正義と平和家族
社会において実行できること。
● 愛徳の実践
病人、囚人、貧しい人、孤独な人の訪問や援助。
● 節制
過度の賛沢を控えて、質素な生活を心がける。
● 祈り
個人で、家庭で、学校で、どのように祈ればよいか。
(説教の後、しばらく沈黙のうちに黙想する時間をもつ)
信仰宣言
(一) 洗礼の約束の更新の形式
司式者、または奉仕者は復活のろうそくに火をつける。
そして、巡礼者が一人ずつ各自のろうそくに火をつけて、悪霊の拒否を宣言する。
司
あなたがたは、神の子の自由に生きるために罪のわざを退けますか。
会
退けます。
司
罪に支配されることがないように、悪を退けますか。
会
退けます。
司
神に反するすべてのものを退けますか。
会
退けます。
続いて、司式者は一同に信仰宣言を求める。
司
それでは皆さん、洗礼の恵みを神に感謝しながら、今、新たにわたしたちの信仰を宣言いたしましょう。
会
天地の創造主…
ろうそくの火は、キリストの光のシンボルとして派遣の祝福を受けて外へ出るまで灯す。
(二) ミサのときの信仰宣言の形式
一同は起立して、信仰宣言を行う。
司
それでは皆さん、神のみことばに応えて、わたしたちの信仰を奮い立たせながら、信仰宣言をいたしましょう
会
天地の創造主…
共同祈願
種々の方法を工夫して行う。共同祈願の意向は、ふつう四つ~六つくらいであるが、その中の一つは必ず、教皇のため、また教皇の意向に合わせて祈る。
招きのことば
司
大聖年を迎えて、地上を旅する教会とすべての人の上に、神の祝福を願って祈りましょう。
(1) 教皇のため、また教皇の意向に合わせて
(2) 教会の一致のため
(3) 世界における正義と平和の実現のため
(4) 苦しみの中にある人々のため
(5) 巡礼をしている共同体のため
(6) 巡礼に参加している各個人のため
この他に、アッシジの聖フランシスコの平和の祈り、または大聖年の祈りを付け加えてもよい。
終わりに、主の祈りを歌うか、または唱える。
結びの祈り
司
いつくしみ深い父よ、
御子キリストのあとに従って、
あなたのみもとに帰る巡礼の旅を続けるわたしたちの願いを聞き入れ、
二十一世紀を過ごして行く人類の歩みを見守り、力強く導いてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
祝福と派遣
祝福–司教あるいは司祭は、次のようなことばで巡礼団を祝福する。
司
主は皆さんとともに。
会
また司祭とともに。
司
全能の神が皆さんをあわれみ、罪をゆるし、永遠のいのちに導いてくださいますように。
会
アーメン。
司
全能の神、父と子と聖霊が、教会の祈りを聞き入れて
皆さんに免償の恵みを与えてくださいますように。
会
アーメン。
派遣–司教あるいは司祭は、次のようなことばで巡礼団を派遣する。
司
皆さん、神の愛を証しするために行きましょう。主の平和のうちに。
会
神に感謝。
(または)
司
皆さん、信仰の歩みを続け、その喜びを伝えるために行きましょう。主の平和のうちに。
会
神に感謝。