2001年「世界難民移住移動者の日」メッセージ

毎年、各国の教会は、それぞれの司教協議会で定めた日を「世界移住の日」とし、特に移住者と難民のために祈り、献金することにしています。日本の司教協議会は、「世界移住の日」を「カトリック難民移住移動者の日」とし、9月の第4日曜日を当てています。教皇ヨハネ・パウロ二世は今年の「世界難民移住移動者の日」に向けて次のように呼びかけています。

2001年「世界難民移住移動者の日」メッセージ
「移住司牧、それは今日の教会の使命遂行の道です」

1.「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブライ13・8)。終結したばかりの大聖年のモットーであった使徒聖パウロのこのことばは、世界の救いのために受肉されたイエスの使命を思い起こさせます。福音の奉仕の務めに忠実な教会は、福音のよい便りを告げるために、あらゆる国の人びとに近づくことを止めません。
「世界難民移住移動者の日」にあたり、このメッセージをもって、移住あるいは移動の広範で複雑な現象に関する、教会の福音宣教の使命について考察したいと思います。この日のために選ばれた今年のテーマは「移住司牧、それは今日の教会の使命遂行の道です」です。これは、司牧関係者の心にかかっている大きな問題の一つです。彼らは、移住者の方がたが遭遇する多くの問題や、祖国をあとにする人びとが抱えているいろいろな状況をよく知っています。実際、自由に選んだ移住があり、それとは別に、思想や政治あるいは経済上の理由で強制された移住があります。移住者や移動者たちに適した司牧活動計画またはその実践にあたり、それらのことを考慮に入れないではいられません。
 こういう現象に巻き込まれた人びとへの教会の配慮を表す任務をもつ教皇庁移住・移動者司牧評議会は、この名称をもって、人類のすべての移動を総合的に表現しています。まず、「移住者」ということばをもって、自由と安全を求めて自分の国境の外に逃れた難民と亡命者を指します。さらに、外国で勉強する若者や、よりよい生活条件を求めて祖国をあとにする人たちをも指します。移住の現象はたえまなく膨らんでおり、それが教会共同体の司牧活動に問いを発し、挑戦を投げかけます。すでに、第二バチカン公会議は『教会における司教の司牧任務に関する教令』の中で、次のように述べています。「生活条件の関係上、主任司祭の通常一般の司牧的配慮をじゅうぶんに受けることができないか、あるいはまったく受けられない信者、たとえば数多くの移住者、亡命者、避難民…を、特に配慮しなければならない」(18番)。
 この複雑な現象に、さらに多くの要素が加わってきます。すなわち、人類家族の法的・政治的一致に有利な傾向、文化交流の顕著な拡大、特に国家経済の相互依存、産業わけても資本の自由化、多国籍企業の増大、裕福な国と貧しい国の不均衡、情報手段と交通機関の発達などです。

2.これらの要素の絡み合いは、地球の反対側からの大勢の人びとの移動を引き起こします。たとえ形や量が異なっているとしても、移動は、いまや人類の一般的な特徴となっています。それは、直接多くの人びとを巻き込み、その他の人びとに影響を与えます。この現象の幅広さと複雑さは、構造の変化、たとえば、経済および社会生活のグローバル化(世界化)などを深く分析するよう招きます。唯一の法律や社会体制が敷かれているところに、さまざまな民族や文明や文化が流入することは、共生についての緊急問題を起こします。国境は消滅する傾向にあり、距離は短縮され、一つの出来事は遠隔の地にまで反響を呼び起こします。ものの考え方や生活様式が根底から変化するのを、私たちはまのあたりにしています。そのような変化には肯定的な要素がある一方で、あいまいな側面がないわけではありません。たとえば、「一時的」ということばは、新しさの側面を好むように招きますが、時には安定性や明らかな価値の序列を犠牲にすることもあります。同時に、精神的には好奇心が強くなり、また敏感になって、対話に開かれるようになります。こういう雰囲気の 中では、人は自分の確信を深めることができるようになる反面、単純な相対主義に流れるようにもなります。
 移動はいつも、生まれ故郷から根こそぎにされる結果をもたらし、しばしば、移住者をどこのだれだか分からなくなる危険にさらしながら、彼に厳しい孤独の体験を強いることがあります。そのような環境にあって、移住者は難問の多い新しい社会を拒否するようになるか、あるいは、無批判に受容するようになります。時として、文化的・社会的適応の根拠となりやすい受動的順応性が開花します。人間の移動は、開放、出会い、合流など、多くの可能性をもたらします。しかしまた、これらのことが個人の拒絶や団体の拒絶を引き起こすということに無知であってはなりません。これは、不均衡と恐怖に苦悩する社会に見られがちな閉鎖的メンタリティーの実です。

3.教会は司牧活動において、これらの重大な問題をたえず目の前に置くよう努力しなければなりません。福音を告げ知らせることは、人間全体の救いを目指しています。この人間の全体的で効果的な解放は、人間の尊厳にふさわしい状態に導くことによって可能です。教会がキリストにおいて得た人間についての知識は、基本的人権を宣言し、それが踏みにじられたときには声をあげるよう、教会を突き動かします。ですから教会は、人間に生来備わっている放棄できない権利を明るみに出しながら人格の尊厳を認め、またそれを擁護し続けるのです。権利とは、特に自分の祖国をもつ権利、自分の国に自由に住む権利、倫理的・文化的・言語的遺産を保ち・発展させる権利、自分の宗教を公に告白する権利、どんなときにも人間としての尊厳にふさわしく認められ扱われる権利などです。
 これらの権利は、普遍的共通善の概念に具体的にあてはめることができます。それは、諸民族から成る人類家族全体を、あらゆる国家的エゴイズムを超えたところで包み込むものです。このような文脈の中に、移住の権利があるのです。教会は、あらゆる人に、自分の国から出る可能性と、よりよい生活条件を求めて他の国に入る可能性の両面があることを認めています。確かに、これらの権利の行使は規定されなければなりません。なぜなら、無差別な適用は、移住者を迎え入れる共同体の共通善に害を及ぼし、先入観を作ってしまうからです。各国の法律のもとに多くの利害が絡み合っているところでは、それぞれの権利を調整することのできる国際規範が必要でしょう。
 これに関して、1993年の「世界移住の日」のメッセージで、私は次のことを想起しました。たとえ高度成長を成し遂げている国々が、いつでもあらゆる移住者を受け入れる段階にあるとはいえないとしても、その限度を設定するための基準は、悲惨な事情のもとで受け入れを嘆願せざるを得ない人びとの現実的な必要を無視した、単なる自国の利益保全であってはなりません。

4.教会は司牧活動を通して、移住者たちに福音の光と支えに事欠くことがないよう努力しなければなりません。時代の変遷に従って、祖国をあとにするカトリック者の世話の必要が増大しました。特に、19世紀の終わりごろには、ヨーロッパから大量のカトリック移住者が大西洋を渡っていきました。その間、司祭や組織の不備がもとで、彼らの信仰が危険にさらされることもありました。移住先のことばが分からず、その土地の通常の司牧ケアを受ける段階になかったため、教会から放置された状態でした。
 移住は、このように信仰の危機を招くもので、移住の発展に失望感を抱かせるほど多くの司牧者たちの心配の種となっていました。しかしその後、この現象を食い止めることはできないことが明らかになりました。そこで教会は、司牧の面からふさわしい介入のあり方を模索することに努めました。その中で、移住は他の国に信仰を広めるための効果的な道になるのではないかと考えられたのです。長年の経験をもとに、教会は、移住者援護のための有機的な司牧のあり方を研究しました。そして1952年、使徒憲章『Exsul Familia Nazarethana カトリック移住大憲章(エジプトに移り住んだナザレトの聖家族)』を発布しました。同憲章は、受洗者の信仰の擁護と成長のために仕組まれた体制を、カトリック移住者の状況に適応することによって、その土地のキリスト者が受けているのと同じ司牧ケアおよび援助を移住者にも保証しなければならないとうたっています。
 つづいて第二バチカン公会議は、いろいろな項目の中で移住の問題に対応しました。移住してきた人、移住する人、難民、亡命者、外国留学生、その他、国外に在住している人で、通常の司牧ケアを利用することのできない人びと、司牧の観点から見た共同体など。この人たちは、自分の故郷あるいは祖国の外に居住しているため、同じことばを話す司祭を通して特別の援助を必要としている信者とされています。
 司牧ケアに関しても、危険にさらされる信仰についての考察から、彼らの文化遺産に対する適切な権利についての考察へと変わってきています。この視野に立って、『Exsul Familia』が設けた第三世代にいたるまでという司牧援助の限度が除かれました。その代わりに、現実的な必要が続く限り援助を受けることができるという権利を移住者に認めています。彼らは子ども、青少年、既婚者、労働者、サラリーマンなどといった文化的にも言語的にも同一の小教区の人びとと同じような一カテゴリーと見なすことはできません。移住者は、別の共同体に属していた人びとです。彼らには、文化遺産の尊重、共通のことばを話す司祭の必要、恒久的な組織の必要などについて、故国のそれに似た要素をもつ司牧が適応されなければなりません。緊急の場合に彼らを助けることのできる、安定した、個別的・共同体的な配慮が必要です。それは、彼らが地域教会になじむまで、つまりその土地の小教区で司祭の通常役務を利用できるようになるまで続けられます。

5.これらの原則は、新しい教会法に盛り込まれており、移住者のための司牧がその中に導入されています。移住司牧に関して、この教会法の個々の法規を超える特徴は、第二バチカン公会議の教会論のインスピレーションです。
 移住者の司牧ケアは、このように、制度化された活動となりました。それは、個人としてではなく共同体のメンバーとしての信者に向けられています。このために教会は、特別な司牧サービスを組織します。しかし、法的には何の期限も明確に規定されていないとしても、このようなサービスは、本来一時的、過渡的なものです。その仕組みは、何か他のもので代用できるものではありません。その土地の小教区の司牧ケア全体を包括しており、早かれ遅かれ両者は一つになることが予測されているものです。実際、移住者の司牧は、特定の共同体が独自のことばと文化をもっていることをわきまえ、それが日々の使徒的働きの中で忘れられてはならないとしても、その独自のことばや文化を保存し、発展させることを彼ら固有の目標に据えることはできません。

6.歴史は証明します。カトリック信者たちが他国に根を下ろそうとするときによい世話を受けた場合、彼らは、単に自らの信仰を守るだけでなく、それを深め、自分のものとし、生活をもってあかしを立てるための肥沃な土壌を見いだします。世紀の流れの中で、移住者は、その地方一帯にキリストのメッセージを告知するという役割をたえず果たしていました。
 今日、移住の様子は根本的に変化しています。一方でカトリック者の移住が減少し、他方では大半がカトリック者の占める国に定住する非キリスト者の移住が増大しています。回勅『救い主の使命』の中で、私は、キリスト者でない移住者に関するカトリック教会の務めを想起しました。その箇所で、私は、彼らの定住によって文化交流の新しい機会がどのようにして作られるか明記しています。それは、キリスト者の共同体を、移住者の受け入れ、対話、援助、兄弟愛へと駆り立てるものです。それはさらに、キリスト教以外の諸宗教に関するカトリックの教えの重要性をしっかり意識していることを前提とします。こうして、相互に知り合い、富まし合うための手段として、諸宗教間の注意深くて忍耐強い対話、しかも尊敬に満ちた対話を交わすことができるようになるでしょう。私は回勅『救い主の使命』の中で次のように述べました。「救いの計画に照らされて、教会は、キリストを告げることと諸宗教間で対話を行うこととの間に、何も矛盾を感じていません」(55番)。

7.古いキリスト教国におけるキリスト者でない移住者の存在は、当地の教会共同体にとって一つの挑戦となります。それは、仕事や住まいを求める兄弟姉妹を受け入れ、援助するため、教会共同体に、たえず愛の行為を実践するよう促すからです。これは、ある意味で、多くの宣教者たちが宣教の地で、病気の人びと、貧しい人びと、文字の読めない人びとにかかわりながら使命を果たしているのに大変よく似ています。これは、イエスの弟子の生き方です。弟子は、援助を求める隣人の期待と必要にこたえようとします。しかし、その使命の基本的な目的はキリストの福音を告げることです。弟子は、連帯の行為がどれほど熱心なものであってもキリストを伝えることが人に対する最大の愛の行為であることを知っています。 事実「もし、神の子ナザレのイエスの名と、その教え、生涯、約束、神の国とその神秘がのべ伝えられなければ」(『福音宣教』22番)、真の福音宣教はあり得ません。
 社会環境が無関心と宗教的相対主義に支配されているところでは、ときどき、隣人愛の霊的な面を表に出して働くのが難しいこともあるでしょう。さらに、福音宣教の視野に立って隣人愛を実践することは勧誘であるとのそしりを招く恐れもあるでしょう。愛の福音の告知とあかしは、移住者を対象とする使命の縦糸と横糸を成しています(『新しい千年期の初めに』56番参照)。
 ここで、この宣教の使命に献身した多くの使徒たちに敬意を表し、同様に、教会が移住者の期待にこたえるために果たしてきた努力をも記憶したいと思います。その中で、2001年に創設50周年を記念する「国際カトリック移住委員会」について特筆したいと思います。
 同委員会は、1951年、時の国務長官代理ヨハネ・バプティスタ・モンティーニ大司教(のちの教皇パウロ六世)のイニシアティブで発足しました。これは、戦争によりあるいは悲惨な出来事によって破壊された産業機構の再建の必要から生じた移民運動の要求にこたえるものでした。戦勝者によって設定された新しい境界線のために強制移動を命じられた住民が全部、この悲惨な状況の中にいたのです。同委員会の50年にわたる歴史は、状況の変化によりよく対応するために行われた調整によって、委員会の活動がいかに多様化され、注意深く実質的であったかを証明しています。1951年6月5日に行われた発足記念式典の席で、のちの教皇パウロ六世は、失業者に仕事の可能性を、家のない人に宿を与えるために移住を阻止している障害を取り除く必要性について力説されました。そして、新設の「国際カトリック移住委員会」の存在意義は、キリストの存在意義そのものであるといい添えられました。これは、今日なお通用することばです。
 彼らの奉仕を主に感謝するとともに、同委員会が、避難民や移民に心をとめ援助する働きを、困難にもめげず精力的に継続することができますように、そしてそれが、移住者たちの不自由な生活条件を改善するよう期待します。

8.広い範囲にわたり、しかも千差万別の移民世界に福音を告知することは、今日、文化にかかわる領域で、特別の注意を払う必要があります。多くの移住者にとって国外に出るということは、なじみのない生き方や考え方に遭遇するということです。そのような違いは、いろいろな反応を引き起こします。彼らを受け入れた国々や都市は、ますます多民族・多文化共同体の様相を呈するようになります。これもまた、キリスト者にとっては一つの大きな挑戦となります。この新しい事態の深い読みは、大切にしなければならない多くの価値に光を当てます。聖霊は、民族や文化によって条件づけられることはありません。多くの不思議な方法で、人びとを照らし、息吹を与えます。聖霊はさまざまな道を通して、すべての人を救いへ、受肉されたみことばイエスへと近づけます。イエスは、「世界中の宗教が切望していることを成就するかたであり、唯一にして最終的な完成者なのです」(『紀元2000年の到来』6番)。
 この読み方は、キリスト者でない移住者を、自己の宗教性の中に文化的アイデンティティーの大事な要素を見るように助け、同時に、キリスト教信仰の価値を発見することができるようにするでしょう。そのためには、地方教会と移住者の文化を熟知している宣教者の協力が大変有益となります。それとともに、移住者が自分たちの文化や宗教について、また移住の動機について共同体に情報を提供することにより、この共同体と祖国の共同体の間に連絡機関を設けるのも大事です。
 受け入れ側の共同体は、単に受け入れに開かれるだけでなく、出会いや協力、いろいろな交流にも開かれることが重要です。さらに、祖国の司牧関係者が移住した同胞のために働ける道を開くことも大切です。これについて、彼らを新しい任務に準備するための受け入れセンターを設立することは大変有益だと思います。

9.この異文化・異宗教間対話は、相互の信頼と信教の自由の尊重に満ちた雰囲気を前提とします。キリストの光に照らされるべきものの中に「自由」があります。特に宗教的自由です。これは、他のあらゆる自由の正しいあり方の前提条件であり保障ですが、時として、制約され拘束されることがあります。私は回勅『救い主の使命』の中で書きましたが、「信教の自由」は「多数派とか少数派の宗教の問題ではなく、人間一人ひとりの不可侵の権利の問題なのです」(39番)。
 自由は、キリスト教の信仰を構成する一つの側面です。これは人間による伝統の伝達でも、あるいは哲学的議論の到達点でもありません。自由は、神が人間の良心を尊重してこれにお与えになった無償の恵みです。神が、ご自分の霊をもって効果的に働かれます。真の主人公は主なのです。人間は神の道具であり、神は個々の人間に固有の役割を委ねてお使いになります。
 福音は皆のためにあるものです。つまり、神の国の喜びにあずかる可能性から、だれ一人除外されてはいないのです。教会の使命は、文化や民族の別なくすべての人に、キリストとの出会いを具体化する使命です。この可能性が、すべての移住者に提供されるよう願い、このために祈ることを約束します。
 この任務、および、移住者の世話をする人たちの寛大な心を、イエスの母マリアに委ねます。マリアは、主の謙遜なはしためです。移住と亡命の苦しみを体験されたマリアが、新しい千年期の移住者たちを、「まことの光、すべての人を照らす」(ヨハネ1・9)光である主へと導いてくださいますように。この願いをこめて、司牧活動の重要なこの分野で働くすべての人に、心から特別な使徒的祝福を送ります。

 2001年2月2日  バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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