2003年日本カトリック平和旬間 (8月6日~15日) 社会司教委員会メッセージ

本当にこの道でいいのでしょうか 2003年平和旬間にあたって 1981年、広島の地に降り立ったヨハネ・パウロ2世教皇は、「戦争は人間の仕業です」と説き、全世界に平和を呼びかけられました。これに応え、日本の司教団は、8月6 […]

本当にこの道でいいのでしょうか
2003年平和旬間にあたって
1981年、広島の地に降り立ったヨハネ・パウロ2世教皇は、「戦争は人間の仕業です」と説き、全世界に平和を呼びかけられました。これに応え、日本の司教団は、8月6日~15日を「平和旬間」と定めました。それから22年、日本の教会は、平和を祈り、平和のために行動し続けてきました。この間、東西冷戦も終わり、21世紀に入ってからは平和への期待が高まりました。しかし、それもつかの間、「9・11テロ事件」から世界は大きく変わりました。そして、日本もまた、平和憲法のもとに曲がりなりにも続けてきた方向を急速に転換し始めました。私たちは今、市民として、キリスト者として、教会として、重要な選択の岐路に立っています。本当にこの方向に突き進んで行っていいのでしょうか。この道は主イエスが命をかけて示してくださった「愛と平和へ至る道」なのでしょうか。平和旬間を迎えるにあたり、今一度主イエスの心に立ち返り、真の平和への道がどこにあるかを共に祈り求めていきたいと思います。

今こそ「時のしるし」を確認しましょう
日本政府は今明らかに一つの方向に突き進んでいます。最終的に自衛隊を正式な軍隊に変え、軍隊を海外にも派遣できる国になる方向です。この方向は、戦後日本が平和憲法の下に歩み始めた道と全く異なるものです。平和憲法を護るのか、棄てるのか、私たちは、今まさに選択を迫られているのです。教皇訪日に際して当時の社会司教委員会は、『平和と現代の日本カトリック教会』と題するメッセージ(以下、『メッセージ』)を発表しましたが、その中で「憲法9条は時のしるし」(p.12)と明言しました。最近の有事関連法、イラク復興支援特別措置法など憲法の精神を逸脱する法律が矢継ぎ早に制定されていく状況の中で、わたしたちは改めて憲法9条を核とする平和憲法の中に見られる福音的な「時のしるし」を確認したいと思います。

「償いと和解に至る道」としてのしるし
第一は、「償いと和解に至る道」としてのしるしです。日中戦争から太平洋戦争に至るまでの15年に及ぶ一連の戦争を振り返るとき、日本はアジア太平洋地域の多大な戦争犠牲者に対する責任があります。戦後補償をしなければならないことは当然ですが、これからは二度と戦争をせず、平和をつくることで、死者への償いを果たし続けなければなりません。『メッセージ』の中にも、「日本国憲法の前文を熟読する時、この憲法が、内外の多くの人の生命を奪った恐るべき前大戦の犠牲の中から生まれ出た最も貴重な宝、戦争の罪科と責任をつぐなう唯一の道である」(p.11)としています。ヒロシマの原爆慰霊碑にも、「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。原子爆弾という恐るべき無差別大量殺戮兵器を投下した直接の責任は米国にありますが、この碑の言葉は、日本も含めて戦争を起こし推進していった人類の過ちに連なるものとして、私たち自身が「過ちは繰り返さない」という決心を表しているのではないでしょうか。主イエスの十字架の犠牲が人類の罪の赦しと和解のためであったことを思うとき、日本が戦争を放棄し、アジアや世界の平和のために働き続けることこそが、償いを果たすことにつながり、同時に、傷ついた人間相互の関係を真の和解に導く道なのだと確信します。

「真の平和をつくる道」としてのしるし
第二は、「真の平和をつくる道」としてのしるしです。ダグラス・ラミスという政治学者は、「20世紀に国家の交戦権によって殺された人間の数が約1億5千万人、その半分以上が自国民で自分の国家によって殺されています」と言っています。国家が武装し、戦争権を許したら安全だろうとは決して言えないのです。このことから分かるように、日本は、憲法9条を持つことによって、国を守ることを放棄したのではありません。戦力(軍隊)を持たないという方法で国を守り、武力行使をしないで国際紛争解決のために働くと誓ったのです。「戦争を放棄し、軍備を捨てた小さくない一つの国があると言うことは、世界平和にとって、世界平和建設にとってどれほど大きな貢献であるかはかりしれない」(『メッセージ』p.12)のです。今、世界では、大国が武力によって平和を作り出そうとしています。そして日本もいつの間にかそれに加担しつつあります。しかし、軍事力が本当にお互いの平和をつくるのでしょうか。現在の日本の軍事化に対して、アジア諸国は警戒し、不信感を抱きつつあります。この不信感こそが争いの土壌となります。イエスの「剣をさやに納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)との言葉を重く受けとめ、剣ではない方法でお互いの信頼を醸成し、平和をつくっていくことこそ、何よりも福音が私たちに促している道です。

ある国の民間医療グループがイラクに駆けつけたとき、イラク市民が進んで彼らを守ったという事実が報告される一方、米国のイラク攻撃に真っ先に賛同した日本は、あくまで自衛隊派遣にこだわり、武器持参で自衛隊の制服を着た隊員を現地へ派遣しようとしています。このことは、「平和、国際貢献」と同じ言葉を使っても、異なった「道」があることを象徴的に示しています。日本は、その民間医療グループの選んだ「道」を歩むはずではなかったのでしょうか。平和旬間を迎えるにあたり、私たちはこの現実の中でどの道を歩み、何をすべきなのかを示していただけるように、今一度心から主に祈り、決断と勇気を持って平和の使命を果たしていきましょう。

2003年7月25日

日本カトリック司教協議会
社会司教委員会
岡田武夫 大司教(委員長)
谷 大二 司教
野村純一 司教
池長 潤 大司教
松浦悟郎 司教
宮原良治 司教

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