日本カトリック司教協議会の「意見書」(原文英語の日本語版)

1.アジアの家庭に関する司牧的状況 a.コメント アジア全般の状況については、作業文書が指摘するように、近年の経済的・文化的グローバル化が家庭に顕著な影響を与えていることを認める。 作業文書はアジアの家族の状況について、 […]

1.アジアの家庭に関する司牧的状況

a.コメント

アジア全般の状況については、作業文書が指摘するように、近年の経済的・文化的グローバル化が家庭に顕著な影響を与えていることを認める。
作業文書はアジアの家族の状況について、共通する特色を挙げているので(no.6)、仕方のない面もあるが、挙げられている特色は、日本に該当しないものも多い。たとえば、

  1. アジア全般では家族の緊密なつながりがあると指摘されているが(no.4)、日本においては家族のきずなは薄れ、一人一人は孤立化しているように思われる。高齢者は尊敬を失ってしまい、家族から顧みられなくなる傾向が見られる。
  2. 都市部を例外として(no.24)、アジアに残る伝統的な家族形態の中で、女性がもっぱら家事労働を強いられる状況が指摘されるが(no.5)、日本では女性の社会進出により、仕事と家庭の両立に苦慮する妻が増えている。
  3. アジアの家庭が直面する広範な貧困は経済的な貧困であるが(no.9)、日本の家庭が直面する大きな問題は精神的な貧困である。
  4. アジアの農村家庭の問題は経済的グローバル化のもたらす貧困化(marginalization)であるが(no.10)、日本における農村の問題は経済的貧困よりも、農村それ自体の崩壊である。2000年の国勢調査によると、日本における農業従事者は全人口の4.5%であり、その後も減少し続けている。
  5. アジアには小作農業形態があいかわらず残っているのに対して(no.14)、日本では第2次世界大戦後の農地改革の結果、小作農はいなくなった。しかし、現在問題になっているのは、農業に従事する人の後継者不足である。農家に嫁ぐことを敬遠する女性が増え、農家を継ぐ男性は結婚相手を見つけることに苦労している。そのため、農村でアジアの女性を結婚相手とすることが広く行われている。日本に嫁いだアジア諸国の女性たちが、日本の農村家庭に残る父権主義や、宗教・文化の違いに直面して大きな困難を感じる場合も少なくない。
  6. アジア的な父権主義(no.22)に関しては、たしかに日本では、男女共同参画社会が施策として行われながらも、社会的には(会社の中では)依然として男性優位が認められる。しかし、家庭においては、家計をもっぱら妻が管理するなど、父親の権威は薄れ、多くの父親は家庭の中で居場所を失っている。
  7. 児童労働(no.27)に関して言えば、日本では児童労働はあまり問題にされていない。義務教育を終えるまで仕事に就くことができないことが法律で定められており、厳格に実行されている。しかし、2004年6月に発表されたアメリカ国務省の人身売買に関する年次報告書では、日本は人身売買の「要監視国」に指定された。アジア、中南米、東欧から女性・子どもが流入し性的搾取の犠牲になっていることが指摘されている。
  8. 人口計画(no.30)に関しては、日本において1夫婦の子どもの数は平均1.29人(2003年)である。15歳未満人口は総人口の14.4%で、65歳以上人口(同18.0%)より少ない(2001年)。子どもの数が減ることによって、教会ばかりでなく、経済・社会に大きな影響が出てきている。教会において子ども・青少年が少なくなり、司祭・修道者の召命は減少している。少子化は、子どもの家庭教育・学校教育にマイナスの影響を与える。さらに、社会の高齢化は、労働人口の減少、年金財政の維持の破綻など、経済的にも大きな問題を生じている。少子化と高齢化は、日本の将来の教会財政にも貧困化をもたらす可能性がある。現在、行政はむしろ少子化対策(人口増加策)をとっているが、あまり効果がない。少子化対策のためには、保育所の整備など、日本における育児環境の改善が必要なことが指摘されているが、抜本的な改革は行われていない。
  9. 理想的には家庭は教会の基本的単位であるべきであろう(no.32)。日本では、地域による違いはあるが、家族の中で一人だけがキリスト信者である割合が高く、家庭が教会共同体の基本的な単位になりにくいところから、家庭への司牧に苦慮している。カトリック信徒がカトリック信徒と結婚する割合は毎年約15%(2001年)である。結婚後、夫婦の一方が受洗することは多い。幼児洗礼が減少し、親から次の世代への信仰の伝達ができなくなっていることも日本の教会の大きな問題である。一方で、家庭集会や小共同体の試みを行っている教区もある。
b.提案
  1. さまざまな家庭形態(no.7)として、以下の点を追加できる。「生涯結婚しないで独身のままでいる人、当事者だけでの了解で選択される同棲生活、配偶者は不要だが、子どもだけをほしがる未婚の母や父など、従来の結婚や家族の制度や枠にこだわらない傾向も見られる。」
  2. 農村家庭の貧困(no.10)に、以下の点を追加できる。「国によって、農村の著しい過疎化が、経済的な問題だけでなく、高齢化などによる家族構成のアンバランスや、地域社会の不活性化や社会的機能の低下を招いている。」
  3. 児童労働(no.27)に、以下を追加できる。「先進国では、少子化による弊害、つまり、親の過剰な期待、過保護、物質的豊かさの中での放任などにより、児童が健全な社会性や人間関係、および正常な人格を構築するのを困難にしている側面もある。」

2.神学的・司牧的考察

a.コメント

日本では20年前の1984年に司教団が『日本の教会の基本方針と優先課題』を発表した。その中で、日本の教会が福音宣教の使命を果たしていくために、1.教会の一人ひとりが宣教者として、より多くの人を洗礼に導くこと、2.教会の全員が社会的弱者と連帯し、社会の福音化を行うことを課題として提示した。その後開催された第1回福音宣教推進全国会議(1987年)の後、司教団は、「開かれた教会づくり」のために「(社会的弱者と)ともに」「喜びをもって(教会を人々の交わりの場としよう)」という宣言を行った(『ともに喜びをもって生きよう』1988年)。さらに1993年に開催された第2回福音宣教推進全国会議は、「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」を課題として取り上げ、福音宣教の場としての家庭に注目した。会議後、司教団は『家庭と宣教』(1994年)という文書を発表した。文書の中で、司教団は、1.家庭は教会と同じく、愛の共同体であること、2.家庭が「家庭の教会」となるために必要なのは、共感・共有であること、3.典礼と家庭生活の関係をより緊密なものとすること、4.家庭における「分かち合い」や家庭の祈りの重要性を指摘した。特に司教団が「分かち合い」を福音宣教の方法として積極的に評価したことが重要である。

その後、日本の司教団は2001年にメッセージ『いのちへのまなざし』を発表し、作業文書でも扱われている「健全ないのちの文化」の実現を阻むような、現代の深刻な家族の状況と、生と死をめぐる倫理的問題に取り組むための視座を示そうとした。これらの日本における取り組みは、今回のFABC総会作業文書のアプローチと並行したものである。

なお、作業文書は、全員がカトリック信者の家庭を前提とした神学的考察であるような印象を受ける。家族の中で一人だけがカトリック信者である場合や、家族の中に他宗教を信じる人がいる場合の神学的考察も必要と思われる。したがって、「宗教間対話」(nos.70-72)というだけでは不十分である。

b.提案

現在、もっとも真剣な取り組みを必要としているのは、「いのちの始まり」に関する倫理的な問題、とくにヒト胚の尊厳の問題でないかと思われる。1998年にヒトES細胞の樹立が発表されて以来、ヒトの初期胚を用いた研究に関して、聖座は重大な懸念を表明してきた。「人間の生命は、受精の瞬間から人間として尊重され、扱われるべきである」(教理省『生命のはじまりに関する教書』1・1)。したがって、堕胎が許されないように、無害な生命の殺害である、ヒト受精胚の破壊(滅失)を伴うようなES細胞研究も許されない。ES細胞研究と関連して、現在、再生医療を目的とした、研究目的の人クローン(therapeutic
cloning)の可否に関する「人クローン個体産生禁止条約」が国連総会で論じられている。聖座は研究目的クローンを含めた人クローン技術の全面禁止を求めている。これはもう一つのグローバルな倫理的問題であり、アジアにも無関係でない。知られている通り、韓国では今年2月に人クローン細胞からES細胞を樹立することに成功した。また、日本でもヒト受精胚の研究目的の作成と、研究目的の人クローン胚作成に関する議論が、2001年から内閣府総合科学技術会議生命倫理専門調査会で行われている。2003年末に同調査会が発表した中間報告書「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方」に対して、本年2月、日本司教団は意見書を内閣府に送付し、ヒト胚の尊厳にもとづいて、研究目的のヒト受精胚作成と人クローン胚作成への反対を表明した。

 日本の代表的な宗教学者で、上記の生命倫理専門調査会委員でもある島薗進氏(東京大学)は、ヒト胚の研究利用をはじめとした生命操作が、次の世代の若者の精神性・倫理性にまで影響を及ぼしうることを指摘している(「ES細胞-「全能性」か「多能性」か。再生医療が私たちに問いかけるもの」『ブリオにほん』2002年春号)。体外受精で生まれ、親とのつながりを感じられない17歳の少女を主人公とする小説『イノセントワールド』(1996年)の中で、作者の桜井亜美(当時十代)は、生命が操作される社会の中で生きる若者の絶望感を描いている。「モラルのない世界の中で生きているという感覚、いのちが軽々と扱われているという感覚、いのちを操作できる技術があり、薬があり、そういうものを使いながら生きている人間がいる」。そういう社会の中で、主人公の少女は自分を「あたしという合理的帰結性がゼロの偶然の産物」と感じている。
 「健全ないのちの文化」(no.36)に関連して、「ヒト胚の保護の重要性」を強調すべきであろう。

3.家庭への奉仕職のための司牧的提言

a.コメント
  1. 家庭への奉仕職は「すでに十分行われている」(no.86)かどうか疑問である。少なくとも日本において、家庭への奉仕職の活動はかならずしも十分行われていない。司教協議会レベルでは、家庭委員会は1983年から1998年まで存在したが、1998年に解消されることになり、現在は各教区レベルでの取り組みの大切さが強調されている。ただし、組織的な家庭委員会をもつ教区は2教区だけである。
  2. 家庭への「ケア」の面(no.88)では、日本では司教協議会内で、カリタスジャパンが「HIV/AIDS問題」に取り組んでおり、また、「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」も社会福音化推進部内に設置された。後者は米国における聖職者・修道者による未成年者性的虐待問題をきっかけに昨年できたものであるが、子どもの人権だけでなく、女性の人権も含めた人権意識の啓発への取り組みを推進しており、作業文書の指摘する「女性の地位と能力の向上」(no.87)にも寄与することが期待される。「子どもと女性の人権特別委員会」の設置を準備したり、カウンセリングなどを通じた「心のケア」にも重点を置いている教区もある。

b.提案
  1. 教育(no.87)の面では、性道徳の乱れに対する倫理の確立と、その具体的な取り組みが必要である。いのちの大切さ・性・結婚・家庭について、児童・学生・青年のそれぞれに、組織的、体系的、かつ有機的に、包括的で一貫した教育を施すことの必要性と、そのための具体的なプログラムを作成することを提言する。
  2. 移住労働者、国際結婚の問題(no.88)は、文化・経済の問題を含んでおり、特に重要である。「海外移民労働者のいる家庭、海外移民労働者の出国前・帰国後の支援」は、移民労働者を送り出す国の立場で書かれているが、日本のように移民労働者を受け入れる国でも、大きな課題があり、「海外移民労働者の受入国での支援」も加えるべきである。
     2002年末現在、日本に住む外国籍の人は207万人と推計されており、これは総人口の1.5%を占める。このうち48万人は1900年代前半から日本に居住する在日韓国・朝鮮人や在日中国人であるが、1970年代末以降、アジアおよび南米から日本に来て、長期間滞在するニューカマーが増加しつつある。その中にはカトリック人口の多いフィリピン、ブラジル、ペルーなどの出身者も多く、日本のカトリック教会に大きな変化をもたらしている。
     2000年度の日本における登録されている外国人のカトリック信徒数は40万7千人と推計され、これは日本人信徒総数44万2千人に迫っている。超過滞在者の信徒(推計)を加えると、おそらく日本人信徒数を上回るであろう。移住者は多くの問題(入国管理行政、労働、医療、家庭)を抱えているが、近年は結婚生活と子どもの教育(学校教育・宗教教育の両面で)の問題が増大している。 
     日本における国際結婚が増加しており、2001年、日本における婚姻件数総数の5%の4万組が国際結婚である。国際結婚での離婚については、2001年は婚姻件数の34%で、日本人の離婚率(35.8%)とほぼ同じである(ただし2002年統計では国際結婚の離婚率が42.5%に上がっている。同年の日本人の離婚率は38.1%であった)。父母の一方が外国人の出生率も全体の2%を占める。父母のどちらかがフィリピン人の子どもの出生数は、厚生労働省の統計では1995年から2001年までで3万6千人である。したがって、教会学校でも、日本で生まれ育った、両親が異なる文化と国籍をもつ子どもたちが急増している。2002年後半に難民移住移動者委員会が全国のカトリック教会を対象に行った外国籍の子どもの就学状況に関する調査では、学齢期の6~7歳の未就学児童が5%、8~14歳の未就学児童も2%いる。不就学の理由としては、言語の問題が多く挙げられている。外国にルーツをもつ子どもたちのアイデンティティの問題も大きい。カトリック東京国際センター(CTIC)で働くフィリピン人信徒宣教者のAgnes
    V. Gatpatan氏は、2003年に提言として以下の点を挙げているが、それらは今後の日本の教会の課題となるものである。1.ミサが移住者の生活と関連のあるものとなること、2.移住者が教会家族の一員として受け入れられること、3.移住者のための生涯教育、4.異文化間の対話、5.移住者の日本の教会の刷新への参加、6.移住信徒の子どもたちのためのケア(谷大二「多文化共生にチャレンジするカトリック教会」『カトペディア2004』所収)。
  3. その他、高齢者(独居老人など)や、単身赴任者のためのケアも大きな課題である(no.88)。
  4. マスメディアや、インターネットなどの新しい情報通信技術が、家庭・結婚・性の問題に与える悪影響(道徳の乱れ、コミュニケーションの希薄化など)にどう取り組むか(no.89)をよく検討すべきである。

2004年7月1日
日本カトリック司教協議会

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