人クローン個体産生禁止に関する国際協議に向けて

2004年9月14日から始まった第59回国連(国際連合)総会において、人クローン個体産生禁止条約に関する審議が行われています。2004年10月の協議に先立ち、聖座はクローンに関する見解を国連に提出し、あらためて生殖目的と治療目的の両方のクローニングの禁止を求めました。次に訳出したのは、その全文です。

人クローン個体産生禁止に関する国際協議に向けて
–人クローン作成に関する聖座の見解–

1. 聖座は、人類に恩恵をもたらす科学研究を支持し推進することが必要であると確信している。したがって、聖座は、病気の治癒と、すべての人の生活の質の改善を目指して医学・生物学の分野で行われる探究を心から奨励する。ただしそれは、こうした探究が人間の尊厳を尊重する限りにおいてである。このような尊重は、人間の尊厳に反するいかなる研究も倫理的に受け入れないことを求める。

2. 人間を対象に行われる研究において、2種類の幹細胞を採取することが可能である。1つは「成体(体性)」幹細胞で、これは臍帯血、骨髄、その他の細胞に由来する。もう1つは「胚性」幹細胞(ES細胞)で、これはヒト胚を分解することによって得られる。聖座は、それがいかに崇高な目的のためであっても、そこから幹細胞を採取するために、胚を破壊することを目的として行われる、人クローン胚の作成に反対する。なぜなら、このような行為は、人間の尊厳の尊重という、人間を対象とした生物医学研究の根拠と動機に反するからである。しかしながら、聖座は、成体幹細胞を使用して行われる研究を承認し、奨励する。なぜなら、こうした研究は人間の尊厳に反することがまったくないからである。予期せずに発見された成体幹細胞の可塑性により、この未分化で自己再生能力をもった細胞を用いて、人のさまざまな細胞や臓器(1)、とりわけ心筋梗塞によって損傷を受けた心臓の治療に成功することが可能になった(2)。成体幹細胞の使用は多くの治療実績を示し、またそれは神経変性疾患や糖尿病などの他の病気にも役立つ可能性があるため、この将来性のある研究手段を支持するよう努めることは緊急の課題となっている(3)。なによりも、成体幹細胞を用いてもなんら倫理的問題を生じないことは、世界的に認められている。

3. これに対して、ヒト胚性幹細胞を用いた研究は、重大な技術的困難によって進行を阻まれている(4)。胚性幹細胞による実験は、動物を用いた方法によってすら、1件の確たる治療成功例も生み出していない(5)。さらに、胚性幹細胞は動物実験において腫瘍を生じ(6)、人間の患者に移植すれば癌を引き起こす可能性がある(7)。こうした深刻な障害を取り除かない限り、胚性幹細胞を用いた実験はいかなる治療にも応用できない(8)。技術的な問題をさしおいても、生きているヒト胚からこれらの幹細胞を取り出さなければならないことは、最高度の倫理的問題を引き起こす。

4. いわゆる「治療目的クローニング」(これは「研究目的クローニング」と呼ぶほうがよいであろう。なぜなら、われわれはまだ治療への応用にはほど遠い状態にあるからである)が提案されたのは、移植を受ける人とは別の提供者に由来する胚性幹細胞が免疫拒絶を起こす可能性を避けるためである。しかしながら、クローンからとられた胚性幹細胞の使用は、異常のある胚からとった細胞を患者に移植するという高い危険を伴う。核移植クローンによって作成された、人間以外の胚の大多数に異常があることは周知の事実である。こうした胚は、初期の胚の発達に必要な、(ゲノムインプリンティングが行われたものも、行われていないものも含めた)いくつかの遺伝子を欠いている(9)。異常で欠陥のある胚から採取された胚性幹細胞は「エピジェネティックな欠陥」(訳注1)を含んでおり、少なくともその欠陥の一部を娘細胞(訳注2)に伝える。それゆえ、クローンから作られたこうした胚性幹細胞を患者に移植するのは、きわめて危険である。移植された細胞は遺伝的障害を引き起こしたり、白血病その他の癌を発生させるおそれがある。さらに、人間で治験を行う前に、実験の安全性を確認するために、人以外の霊長類を用いた実験を行うことが必要であるにもかかわらず、こうした実験はいまだに進展していない(10)。

5. 治療目的クローニングがもたらす治療効果は仮説にすぎず、同様にその方法そのものも依然として主に仮説の域を出ない。したがって、この種の研究の将来性を実際以上に誇張して述べることを進めるなら、治療目的クローニングが奉仕しようとしている目的自体を傷つけることになるであろう(11)。実際、患者の期待だけでなく、根本的な倫理的考察をさしおいても、現在も近い将来も、「治療目的クローニング」の現状からは、いかなる臨床応用も不可能である。

6. 生殖目的クローニングを国際的に禁止する必要については、科学者、哲学者、政治家、人道家の合意がある。生物学的観点からみると、クローニングによって作成したヒト胚を出生させることは、人類という種を危険にさらす。無性生殖は、通常の遺伝子において各個人のために独自の自分のゲノムを作り上げるために行われる、遺伝子の「混ぜ合わせ」を行わないために、遺伝子型をある特定の配置に恣意的に固定する(12)。そこから、人類の遺伝子給源に、悪い遺伝的影響がもたらされることが予想される。それはまた、クローン個体を、けっしてさらしてはならない危険にさらすことになる(13)。人間論的な観点からみても、大多数の人が、クローニングが人間の尊厳に反することを認めている。実際、クローニングは、人間のいのちを生み出すとはいっても、それは純粋に畜産学のレベルでの実験操作によって行われる。この人は、他の人間の「コピー(複製)」(たとえたんなる生物学的コピーであっても)としてこの世に生まれてくる。たとえその人が存在論的に独自で、尊重すべき存在であっても、クローン人間を世に生み出す方法によって、その人は、同じ人間ではなく、人間の製作物として見られる。独自の個人ではなく、誰かの代わりとして見られる。その人自身のためのものではなく、誰か別の人の道具として見られる。そして、人類の歴史の中で起こるかけがえのない出来事ではなく、交換可能な消費の対象としてみなされることになる。したがって、クローニングは、本質的に、人間の人格の尊厳を軽視するものである。

7. しかしながら、このクローニングに対する国際的な禁止において、あたかもそれは生殖目的クローニングとは別の操作であるかのように、「治療目的クローニング」の可能性を残すことを望む意見がある。実際には、生殖目的クローニングと、「治療目的クローニング」ないし「研究目的クローニング」は、2つの別の種類のクローニングではない。両者は技術的に同じクローニングの操作を含んでおり、違うのは、めざす目的だけである。すなわち、生殖目的クローニングの目的は、子どもの「出生」のために、クローン胚を代理母の子宮に移植することである。「研究目的クローニング」の目的は、クローン胚を直接利用することである。したがって、そこではヒト胚は成長させられることなく、操作の過程で滅失される。いかなる種類のクローニングも、最初の段階においては「生殖目的」であるということもできる。なぜなら、胚に他の処置が加えられる前は、クローニング操作によって、明確で独自の同一性を備えた、個体としての自律的な新しい生命が生み出されるはずだからである。

8. 「治療目的クローニング」は、倫理的に問題がないとはいえない。実際、倫理的な立場からみると、それは「生殖目的クローニング」よりもいっそうよくないことだともいえる。少なくとも「生殖目的クローニング」では、生まれながら自らを守るすべもない、新たに作成された人が、成長し、出生する機会を与えられる。「治療目的クローニング」では、新たに作成された人間がたんなる実験材料として利用される。このような人間の道具的使用は、人間の尊厳と人類そのものへの重大な犯罪である。本ポジションペーパーおよび国連憲章において用いられる「尊厳」という語は、個人のもつ技術や能力に基づくその人の価値や、他者がその人に付与する価値(それを「属性による価値」と呼ぶこともできる)を意味しない。属性による価値という観念は、価値判断における上下の差、不平等、恣意性、差別を生み出す。ここでいう尊厳は、いかなる社会的・知的・身体的条件下にあっても、すべての人間が共通かつ平等に所有する、内在的価値を意味する。この尊厳のゆえに、われわれは皆、その人がいかなる条件下にあっても、さらにその人が保護や配慮を必要としている場合はいっそうのこと、すべての人間を尊重する義務を負うのである。尊厳はあらゆる人権の基盤である。われわれが他者の権利を尊重するのは、まず他者の尊厳を認めるからである。

9. 公正な判断はこう示唆する。すなわち、ある特定の研究方法が、すでに成功する条件を示しており、いかなる倫理的問題も生じないなら、成功の見込みが少なく、倫理的問題を生じる他の研究方法に投資するよりも、前者の方法をとるべきである。生物学研究に投じるための資金は有限である。「治療目的クローニング」は未検証の理論であり、莫大な時間と資金の浪費となる可能性がある。したがって、良識と、目的のある堅実な基礎研究の必要性は、世界の生物医学研究者に対して、「成体」幹細胞を用いた研究に必要な資金が供与されることを求めている。

10. 特権的な少数者のために、人間を犠牲にし商品化しようとする人々のとる道がある。また、こうした乱用を受け入れられない人々のとる道がある。世界がこれら2つの異なる道を選択することはできない。人類は、自らのために、共通の基盤を必要としている。それは、人間性に関する共通理解と、人権に関してわれわれがもつあらゆる観念がその上によって立つところの、基本的な基盤に関する共通理解である。この基盤の探求のためにあらゆる努力を払うことが、国連に課せられた使命である。こうした努力を通じて、人間がその本来のかたちで尊重されることが可能となる。人クローン作成に対する国際的かつ地球規模の禁止計画を提出することは、こうした国連の使命と義務の一部だといえよう。

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