戦後60年 平和メッセージ

「非暴力による平和への道」~今こそ預言者としての役割を~ 日本の教会の兄弟姉妹とすべての善意ある人々へ はじめに    戦後60年目の今年、「日本カトリック平和旬間」[1]にあたり、わたしたち日本カトリック司教団は日本の […]

「非暴力による平和への道」~今こそ預言者としての役割を~

日本の教会の兄弟姉妹とすべての善意ある人々へ

はじめに
 
 戦後60年目の今年、「日本カトリック平和旬間」[1]にあたり、わたしたち日本カトリック司教団は日本の教会の兄弟姉妹とすべての善意ある人々へ平和メッセージを送ります。

 戦後50年に司教団はメッセージ『平和への決意』を発表しました。その中で、戦前から戦中にかけて日本のカトリック教会が「尊いいのちを守るために、神のみ心にそって果たさなければならない預言者的な役割についての適切な認識に欠けていたことを認め」、「神と、戦争によって苦しみを受けた多くの人々に対してゆるしを願い」[2] ました。そしてわたしたちの回心のあかしとして、平和への実現に向かって貢献していくという決意を表明したのです。

 それから十年を経て、平和への呼びかけにもかかわらず、世界はいまだに様々な暴力の連鎖から抜け出せないでいます。わたしたちは今こそ預言者としての役割、すなわち、「時のしるしを読み解き、神のメッセージを伝える」という役割を果たさなければならない時であると自覚するものです。
 
人間の尊厳

 平和の前提は、まず「人間の尊厳」にあります。わたしたちは、聖書の教えによって、人間の尊厳は人間社会がつくりだしたものではなく、神によって与えられたものであり、誰も侵してはならない普遍的な権利であると信じます。この「人間の尊厳」を前提にすることによってのみ、一人ひとりの基本的人権が守られるだけではなく、異なる文化を持つ世界の人々が一つにつながり、互いに愛しあう関係へと向かうことができるのです。このような理念は、世界人権宣言[3] や日本国憲法[4] にも明記され、「人間の尊厳」がすべての人に当てはまる普遍的な共通善であるからこそ、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」[5] と宣言できるのです。

アジアの国々との和解と連帯

 この春、東アジア、とくに中国、韓国では、反日運動がこれまでにないほど激しいものとなりました。このような緊張の背景には、さまざまな理由がありますが、そのひとつとして、日本の最近の動きがあります。具体的には歴史認識、首相の靖国神社参拝、憲法改正論議などの問題が挙げられるでしょう。

 「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです」と教皇ヨハネ・パウロ二世は広島での『平和アピール』[6] で繰り返し訴えました。日本人であるわたしたちは過去の植民地支配や武力による侵略という歴史的事実を真摯に受け止め、反省し、その歴史認識を共有することが求められています。そのことが二度と同じ悲劇を繰り返さないことを誓うことになり、将来に対する責任を担うことにもなるとわたしたちは確信しています。

 かつて軍国主義政権の圧力のもとで、当時のカトリック教会の指導者は靖国神社をはじめとする神社参拝を心ならずも「儀礼」[7] として容認してしまいました。このことは過去の出来事として葬り去ることはできません。なぜなら、今まさに同じ危機が目前に迫っているからです。すなわち、憲法改正論議のなかで、政教分離の原則を緩和し、靖国神社参拝を「儀礼」として容認しようという動きが出てきているからです。日本の政教分離(憲法第20条3項)[8]は、天皇を中心とする国家体制が宗教を利用して戦争にまい進したという歴史の反省から生まれた原則なのです。だからこそ、日本国民であるわたしたちにとって、この政教分離の原則を守り続けることが、同じ轍をふまない覚悟を明らかにすることになるのです。

 東アジアの人々の信頼を回復し、連帯して平和を築いていくためにも、わたしたちはこれらの確固たる姿勢を示すことが必要ではないでしょうか。

富の公正な分配と環境保全

 現在、国家間の経済格差は一向に縮まらないばかりか、むしろ広がっており、さらに富める国でも貧しい国でも、国内での貧富の差が広がってきています。日本も例外ではありません。貧困は、生活苦だけではなく、人の移動とそれに伴う家族の離散、さらには人身・薬物・臓器の売買のような人間の尊厳を踏みにじる問題を生み出しています。教皇ヨハネ・パウロ二世は、現代世界において人権といのちのグローバル化の必要性にふれ、次のように訴えられました。「排除され疎外されているすべての人が、経済的、人間的発展の圏内に入ることができるよう助けること、このことが実現されるためには、現在、わたしたちの世界が豊富に生産している余剰物を振り分けるだけでは不十分です。何よりもまず、生活様式や生産と消費のモデル、そして今の社会を支配している既成の権力構造の変革が必要です。」[9]
 また多くの紛争や暴力は、資源をめぐって起きており、地球環境保全が平和構築へむけて取り組むべき重要な課題であると認識されています。限りある資源を有効に使い、みなで公平に分配し、持続可能な方法で資源を管理し、最貧国の債務問題に取り組むことにより、紛争問題の解決に寄与することができるのです。この貧困をなくし、地球環境を守るという課題は、世界の政府、企業、団体、市民の連帯なくして効果を期待することはできません。

非暴力を貫いて連帯を

 2001年9月11日に米国で起きた「同時多発テロ」と、それに続くアフガニスタンやイラクに対する攻撃は、世界に衝撃を与え、深い亀裂をもたらしてしまいました。これらの武力攻撃は多くの一般市民を巻き添えにし、暴力の悪循環をもたらしています。このような中で、多くの宗教者や市民が報復反対と対話による和解を呼びかけました。教皇ヨハネ・パウロ二世は、聖パウロの教えに従って、平和は悪が善によって打ち負かされるときにのみもたらされる辛抱強い闘いの成果であることを明らかにしています。軍備と武力行使によってではなく、非暴力を貫き対話によって平和を築く歩みだけが「悪に対して悪をもって報いるという悪循環から抜け出す唯一の道」[10] なのです。これはガンディーの非暴力による抵抗運動などが示しているように、多くの人々の共感をよぶものです。この非暴力の精神は憲法第9条の中で、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄、および戦力の不保持という形で掲げられています[11] 。60年にわたって戦争で誰も殺さず、誰も殺されなかったという日本における歴史的事実はわたしたちの誇りとするところではないでしょうか。
 暴力の連鎖から抜け出せない現代にあって、この非暴力の精神と実践を積極的に広め、世界の人々と共有することにおいて新しい連帯を築き、平和のために力を尽くしていきましょう。

むすび

 最後にもう一度、教皇ヨハネ・パウロ二世の『平和アピール』の言葉を引用します。
「各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないという固い決意をしようではありませんか。人類同胞に向かって、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりを持とうではありませんか。」

 わたしたちは、この教皇の『平和アピール』を再び強く訴え、共に神に祈り、共に連帯して非暴力による世界平和を築いていくように呼びかけます。

 平和の使徒として国々を歴訪し、預言者としての役割を果たした前教皇の遺志を継ぎ、わたしたちもそれぞれの場で、新教皇ベネディクト16世と心を一つにし、平和のために貢献していこうではありませんか。

2005年 カトリック平和旬間に
日本カトリック司教団

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