教皇ベネディクト十六世の40回目の一般謁見演説 キリストが教会に聖ペトロの使徒座を与えたことについて

2月22日(水)午前10時30分から、教皇ベネディクト十六世の40回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、聖ペトロの使徒座の祝日にあたって、キリストが教会に聖ペトロの使徒座を与えたことについての解説を行いま […]

2月22日(水)午前10時30分から、教皇ベネディクト十六世の40回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、聖ペトロの使徒座の祝日にあたって、キリストが教会に聖ペトロの使徒座を与えたことについての解説を行いました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
この日、教皇は、前回と同様に、まず、サンピエトロ大聖堂でイタリアの学生たちの謁見を受けた後、パウロ六世ホールで通常の一般謁見の演説を行いました。
演説の後、行われたあいさつの中で、教皇はラテン語で次のように述べました。「最近の教皇文書である、教皇ヨハネ二十三世使徒憲章『ヴェテルム・サピエンチア(1962年2月22日)』と教皇パウロ六世自発教令『ストゥディア・ラティニタティス(1966年2月22日)』発布を記念するためにおいでくださった、サレジオ大学キリスト教・古典文学科の皆様に心からごあいさつ申し上げます。わたしの前任者の偉大な教皇たちは、適切なしかたで、ラテン語の学習を促しました。それは、人文的学問と教会的な学問に含まれた豊かな教えをよく理解できるようになるためです。わたしもラテン語の学習の継続を勧めたいと思います。それは、できるだけ多くの人が、このラテン語という優れた宝に親しみ、それを習得するようになるためです」。
なお、謁見の終わりに、教皇は、3月24日に15名の新枢機卿を親任することを発表しました。教皇の新枢機卿任命発表のことばの訳は、別途以下に掲載します。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日、ラテン典礼は聖ペトロの使徒座の祝日を記念します。この記念はきわめて古い伝統をもつもので、ローマでは4世紀末以来行われています。この祝日を記念して、わたしたちは使徒ペトロとその後継者に委ねられた使命を神に感謝しています。
 「使徒座」は、文字通りには、司教のために据えられた座を意味します。司教座は教区の母教会に置かれます。そのため、母教会は「司教座聖堂」と呼ばれるのです。司教座は、司教の権威、特にその「教導職」の権威のしるしでもあります。司教の「教導職」とは、司教が使徒の後継者として、守り、キリスト信者の共同体に伝えるよう求められる、福音の教えのことです。
 司教は、自分に委ねられた部分教会を受け取ると、ミトラ(司教冠)をかぶり、牧者の杖をもって、司教座に着きます。司教はこの座から、教師として、また牧者として、信者の信仰と希望と愛における歩みを導きます。
 それでは、聖ペトロの「使徒座」とは、どの使徒座のことでしょうか。キリストは、ペトロを「岩」として選び、その上に教会を建てました(マタイ16・18参照)。ペトロは、主の昇天と聖霊降臨の後、エルサレムでその奉仕職を開始しました。教会の最初の「座」は二階の広間でした。二階の広間は、イエスの母マリアも弟子たちとともに祈った場所です。おそらくこの場所で、シモン・ペトロに特別な地位が与えられました。
 その後、ペトロの使徒座はアンティオキアに移りました。アンティオキアは、シリアのオロンテス川のほとりの町です。シリアは、今日のトルコです。アンティオキアは、当時ローマ帝国において、ローマとエジプトのアレキサンドリアに次ぐ第三の大都市でした。バルナバとパウロが宣教し、「弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」(使徒言行録11・26)この町で、ペトロは最初の司教になりました。
 実際、改訂前のローマ典礼の教会暦では、アンティオキアのペトロの使徒座を記念する、特別な祝日も定められていました。このアンティオキアから、神の摂理に導かれて、ペトロはローマに赴き、そこでペトロは殉教し、その福音への奉仕の旅を終えます。だから、ローマの聖座は、深い栄誉を与えられると同時に、キリストによってペトロに委ねられた使命をも与えられているのです。この使命とは、神の民全体の建設と一致のために、すべての部分教会に奉仕することです。
 こうしてローマの聖座は、ペトロの後継者の座として、また、ローマ司教の「司教座」として知られるようになりました。この「司教座」は、自分の群れを牧するようにキリストに命じられた使徒の座を表します。ほとんどの古代教父はこのことを証言しています。たとえば、リヨンの司教イレネオは、著書『異端反駁』の中で、こう述べています。ローマ教会は「最大にして最古、すべての人びとに知られ、最もはえある二人の使徒ペトロとパウロによってローマ設立された」。イレネオはさらにこう述べます。「全教会、すなわちあらゆる地域の信仰者は、この(ローマの)教会のよりすぐれた起源のゆえに、これと一致すべきである」(『異端反駁』3・3・2-3〔小林稔訳、『キリスト教教父著作集3/Ⅰ エイレナイオス3』教文館、1999年、9頁〕)。
 テルトゥリアヌスはこう述べています。「このローマ教会はなんと祝福されていることか。使徒たち自身がこの教会の上に、その血をもって、教えのすべてを注いだ」(『異端者への抗弁』36)。それゆえ、ローマの司教座は、ローマの共同体に対するローマ司教の奉仕を表すだけでなく、その神の民全体を導く使命をも表しているのです。
 ですから、今日わたしたちが聖ペトロの「使徒座」を記念するということは、この使徒座に深い霊的な意味を与えることを意味します。またそれは、ペトロの使徒座の内に、神の愛の特別なしるしを認めることでもあります。永遠の良い羊飼いである神は、その教会全体を集め、教会全体を救いの道へと導くことを望まれるからです。
 教父の多くの証言の中から、わたしは聖ヒエロニモの証言を引用したいと思います。それはヒエロニモのローマ司教への手紙からとったことばです。このことばが興味深いのは、ヒエロニモが実際にペトロの「座」にはっきりと言及しているからです。ヒエロニモはペトロの「座」を、真理と平和が安全に安らう港と述べています。ヒエロニモはいいます。「わたしはペトロの座に相談しようと決めました。そこには、使徒の口がたたえる信仰が見いだされるからです。あなたがかつてキリストの衣を受け取った場所に、わたしは今やわたしの魂の糧を求めるために来ています。わたしはキリスト以外の導き手に従いません。そこでわたしは、あなたの至福との交わりに入ります。この至福とは、ペトロの座のことです。なぜなら、ペトロの座とは、教会がその上に建てられた岩であることを、わたしは知っているからです」(『書簡集』1・15・1-2)。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。ご存知の通り、サンピエトロ大聖堂の後陣には、使徒の座を表す彫刻が置かれています。これはベルニーニの円熟期の作品です。この彫刻は、教会の四人の博士の彫像で支えられた、巨大な青銅の玉座の形で作られています。四人の博士のうち、二人は西方教会の聖アウグスチヌスと聖アンブロジオ、二人は東方教会の聖ヨハネ・クリゾストモと聖アタナシオです。
 皆様にこの魅力的な作品の前で立ち止まられるようお願いします。今日は、この彫刻がたくさんのろうそくで飾られているのを見ることができます。そして、特別な意味で、神がわたしに委ねた奉仕職のために祈ってください。使徒座のちょうど真上に開いたアラバスター製のガラス窓を仰ぎ見ながら、聖霊に祈り求めてください。聖霊がその光と力で、日々わたしが全教会に対して行う奉仕を、常に支えてくださいますように。敬虔にご清聴くださった皆様に、このことのために、心から感謝申し上げます。

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