教皇ベネディクト十六世のヨハネ・パウロ二世逝去1周年を記念する集いでのあいさつ

4月2日(日)午後8時30分(日本時間3日午前3時30分)から、サンピエトロ広場で、「神のしもべ教皇ヨハネ・パウロ二世逝去1周年を記念するロザリオの集い」がローマ教区の主催で行われました。集いには10万人の信者が参加しま […]

4月2日(日)午後8時30分(日本時間3日午前3時30分)から、サンピエトロ広場で、「神のしもべ教皇ヨハネ・パウロ二世逝去1周年を記念するロザリオの集い」がローマ教区の主催で行われました。集いには10万人の信者が参加しました。初めに、ローマ教区聖歌隊による歌をはさんで、カロル・ヴォイティワのいくつかの著作の一部が朗読されました。教皇ベネディクト十六世は午後9時に教皇公邸書斎の窓に姿を現して、信者とともにロザリオを唱えました。ロザリオの後、ヨハネ・パウロ二世が亡くなった時刻の午後9時37分頃に、ベネディクト十六世はヨハネ・パウロ二世逝去1周年にあたってのあいさつを述べました。以下はその全訳です(原文はイタリア語、最後の一部はポーランド語)。あいさつの後、教皇から祝福が与えられました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 わたしたちは今晩、わたしたちの敬愛するヨハネ・パウロ二世の逝去1周年にあたって、ローマ教区が主催したマリアへの祈りによる晩の祈りを行うために集まりました。ローマ教区の総代理のカミロ・ルイーニ枢機卿と補佐司教をはじめとする、サンピエトロ広場に集まってくださったすべての皆様にごあいさつ申し上げます。特にわたしは枢機卿、司教、司祭、男子・女子修道者、そしてすべての信徒、特に若者の皆様に思いを馳せています。
 この感動的な考察と祈りの集いのために、ほんとうに、ローマ市全体がここに集まっておられます。わたしは、ビデオを通してわたしたちとともに集いに参加してくださった、クラクフの管区大司教のスタニスワフ・ジーヴィッシュ枢機卿に、特別なごあいさつを申し上げます。ジーヴィッシュ枢機卿は、長年にわたって故教皇の忠実な協力者を務めてくださいました。
 神のしもべヨハネ・パウロ二世の逝去からすでに1年が経ちました。ヨハネ・パウロ二世は今とほぼ同じ時間――今は9時37分です――に逝去しました。けれども、ヨハネ・パウロ二世の記憶は生き続けています。それは、この数日間、世界中で多くの記念行事が計画されていることからわかります。ヨハネ・パウロ二世はわたしたちの思いと心の中に存在し続けています。教皇はわたしたちに、その神と人への愛を伝え続けています。教皇はすべての人、特に若者たちのうちに、善への熱意と、イエスとその教えに従う勇気とを呼び起こし続けています。
 この偉大な教皇の行った福音的なあかしを、どのように一言でまとめることができるでしょうか。そのために、わたしは「忠実」と「献身」という二つのことばを用いてみたいと思います。すなわち、神への完全な忠実と、普遍教会の牧者としての自分の使命への惜しみない献身です。この忠実と献身は、最後の数か月において、いっそう揺るぎなく、感動的なものとして示されました。教皇は1984年に使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリス――苦しみのキリスト教的意味』に次のように書いたことを自らの体で示したからです。「苦しみは、世界の中で愛を放射させるために、すなわち隣人に向かって愛のわざを誕生させるために、また全人類の文明を『愛の文明』に変容させるために存在しています」(『サルヴィフィチ・ドローリス――苦しみのキリスト教的意味』30)。
 教皇が勇気をもって病気を受け入れたことによって、すべての人が、あらゆる精神的な痛みと肉体的な痛みを含めた、人間の痛みに関心を払うようになりました。教皇は、人間の価値が、その能力や外見によるのではなく、その人自身によるのだということを示しました。人間は神によって造られ、愛されているからです。こうして教皇は、苦しみに尊厳と価値を与えました。
 わたしたちの敬愛すべきヨハネ・パウロ二世は、そのことばとわざによって、世界に向けて倦(う)むことなくこう示し続けました。すなわち、人間は、キリストに属するものとなっても、自分の豊かな人間性が犠牲にされることはないということです。心を尽くしてキリストを愛するなら、人間は何も失うことはありません。その反対に、キリストと出会うことによって、わたしたちの人生はもっとすばらしいものになるのです。
 わたしたちの敬愛すべき教皇は、祈りと観想と真理と美への愛によってますます神に近づいていきました。だからこそ、教皇はわたしたちの一人ひとりとともに旅路を歩むことができ、キリスト教信仰から離れた人にさえも権威をもって語りかけることができました。
 教皇が父の家に帰ってから1周年を迎えるにあたって、わたしたちは今晩、教皇がわたしたちに残した霊的遺産をあらためて受け入れるように招かれています。何よりも教皇は、わたしたちが倦むことなく真理であるかたを求めるように促しています。この真理であるかたのみが、わたしたちの心を満たすことができるからです。教皇は、わたしたちが恐れることなくキリストに従って、すべての人に福音を宣べ伝えるように励ましています。福音こそが、人類をより兄弟愛と連帯意識に満ちたものにするためのパン種となるからです。
 イエスに聞き従う弟子として地上の旅路を歩み続けることができるように、ヨハネ・パウロ二世が天からわたしたちを助けてくださいますように。それは、ヨハネ・パウロ二世自身が若者たちに対して好んで繰り返して述べたように、キリスト紀元第三千年期の初めに生きるわたしたちが、「夜明けの見張り」となることができるためです。この恵みが与えられるように、わたしたちは、あがない主の母であるマリアに祈り求めます。教皇はマリアに対する信心を常に糧としていました。
 ここでわたしたちとともに集いに参加してくださっているポーランドの信者の皆様にごあいさつ申し上げます。(以上イタリア語。以下ポーランド語)
 クラクフ、ワルシャワ、またその他の地でこの晩の祈りのために集まってくださったポーランドの皆様と心を一つにしたいと思います。ヨハネ・パウロ二世の思い出はわたしたちのうちに生き生きと残っています。また、教皇がわたしたちと霊的にともにいてくださるという感覚が消えることはありません。教皇が自分の故国の人びとに対して常に特別な愛を抱いていたという思い出が、皆様がキリストに向けて歩む道の光となりますように。「力強く信仰にとどまりなさい」。心から皆様を祝福します。(以下イタリア語)
 心から皆様すべてに祝福を与えます。

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