教皇ベネディクト十六世のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所での演説

5月28日(日)午後5時(日本時間29日午前0時)、教皇ベネディクト十六世は4日間にわたるポーランド司牧訪問の最後に、クラクフ近郊のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れ、強制収容所の生存者と面会した後、演説を行い […]

5月28日(日)午後5時(日本時間29日午前0時)、教皇ベネディクト十六世は4日間にわたるポーランド司牧訪問の最後に、クラクフ近郊のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れ、強制収容所の生存者と面会した後、演説を行いました。以下はその全訳です。
ベネディクト十六世(ヨゼフ・ラッツィンガー)自身は、1979年にヨハネ・パウロ二世に随行して、また1980年にミュンヘン・フライジング大司教としてドイツ司教団とともに訪れたのを合わせて、これが3度目のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所訪問となります。
演説の原文はポーランド語ですが、教皇はイタリア語でテキストを読みました。翻訳にあたり、ポーランド語とイタリア語テキストを参照しつつ、教皇庁が発表した英語訳を底本として用いました。


 

 この恐怖の地で――神と人に対して史上前例のない数々の罪が犯されたこの地で、ことばを発することはほとんど不可能です。それは一人のキリスト信者にとって、ドイツ出身の教皇にとって、特に困難でつらいことです。このような地で、ことばは失われます。最後には、呆然と沈黙することしかできません。この沈黙は、それ自身、神への心からの叫びです。主よ、なぜ黙っておられたのですか。なぜあなたはこのようなことをお許しになることができたのですか。
 そこでわたしたちは、ここで苦しみ、殺害されたおびただしい人びとの前に、沈黙のうちに、心の奥底から頭を下げます。にもかかわらず、わたしたちの沈黙は、ゆるしと和解を強く求める願いとなります。それは、このようなことが二度と起こらないようにという、生ける神への叫びとなるのです。
 27年前の1979年6月7日、教皇ヨハネ・パウロ二世はこの地を訪れました。ヨハネ・パウロ二世はこういわれました。「わたしは一人の巡礼者として、今日ここを訪れました。ご存じの通り、わたしは何度もここに来ています。本当に何度も。そして何度もわたしは、マキシミリアノ・コルベが亡くなった独房に下り、処刑の壁の前に立ち止まり、ビルケナウの焼却炉跡を歩きました。わたしが教皇としてここを訪れないことはありえませんでした」。
 教皇ヨハネ・パウロ二世は、この地で、また広い意味で戦争の間、ユダヤ人とともに苦しんだ民族の出身者として、ここを訪れました。教皇はこう思い起こしています。「国民の五分の一にあたる、六百万人のポーランド人が、第二次世界大戦中にいのちを落としました」。教皇は、前任者であるヨハネ二十三世とパウロ六世がかつて行ったのと同じように、ここでも、荘厳なしかたで、人権と諸民族の権利の尊重を求めています。そしてヨハネ・パウロ二世はこう付け加えました。「これらのことを述べているのは・・・・その歴史の中で、他国による多くの苦しみを味わった国に生まれた人間です。わたしがこのことを語るのは、非難するためではなく、思い起こすためです。わたしは、その権利が踏みにじられ、ないがしろにされたすべての民族を代表して語るのです」。
 教皇ヨハネ・パウロ二世は、一人のポーランド人としてここに来ました。今日わたしは、一人のドイツ人としてここに来ました。だからこそ、わたしはヨハネ・パウロ二世のことばを繰り返して述べることができますし、また繰り返して述べなければならないのです。わたしがここを訪れないことはありえませんでした。
 わたしは来なければなりませんでした。ヨハネ・パウロ二世の後継者として、一人のドイツ人として、わたしがここに来ることは、真理に対する、また、ここで苦しんだすべての人びとの正当な権利に対する義務であり、神に対する義務なのです。ドイツ民族に対して、犯罪者の集団は、未来の栄光と、国家の威信と優越性を回復し、繁栄を与えるという偽りの約束のもとに、権力を獲得しました。しかしまた犯罪者たちはそのために、テロと威嚇の力を用いました。こうしてドイツ人は、犯罪者たちの破壊欲と権力欲の道具として用いられたばかりか、濫用されたのです。わたしはこのドイツ民族の出身です。
 そうです。わたしがここを訪れないことはありえませんでした。1979年6月7日、わたしはミュンヘン・フライジング大司教として、教皇に随行する多くの他の司教たちとともにここに来て、教皇のことばを聞き、教皇とともに祈りました。1980年にわたしはドイツ司教団の代表として、この恐るべき地を再び訪れました。わたしはこの地で行われた悪に愕然としつつも、この暗い闇を超えて、和解という星がまたたき始めたことを感謝しました。
 わたしが今日ここに来たのは、同じ理由によります。すなわち、和解の恵みを願い求めるためです。何よりもまず神に和解の恵みを願い求めます。神のみがわたしたちの心を開き、浄めてくださるからです。ここで苦しんだ人びとに和解の恵みを願い求めます。そして最後に、わたしたちの歴史の今この時に、憎しみの力と、憎しみが生み出す暴力によって、新たなしかたで苦しんでいるすべての人びとに、和解の恵みを願い求めます。
 この地ではどれだけ多くの問いが生まれることでしょうか。いつも新たな問いが生まれます。あの日々の間、神はどこにおられたのでしょうか。なぜ神は沈黙しておられたのでしょうか。どうして神はこの際限のない絶滅と、悪の勝利を許すことができたのでしょうか。詩編44のことばが思い起こされます。それは苦しみに対するイスラエルの嘆きを述べています。「あなたはそれでもわれらを打ちのめし、山犬の住みかに捨て、死の陰で覆ってしまいました。・・・・われらはあなたゆえに、絶えることなく殺される者となり、屠るための羊とみなされています。主よ、奮い立ってください。なぜ、眠っておられるのですか。永久にわれらを突き放しておくことなく、目覚めてください。なぜ、み顔を隠しておられるのですか。われらが貧しく、虐げられていることを忘れてしまわれたのですか。われらの魂は塵に伏し、腹は地に着いたままです。立ち上がって、われらをお助けください。われらをあがない、あなたのいつくしみを表してください」(詩編44・20、23-27)。
 イスラエルが深い悩みのときに、苦しみながら神に上げた、この苦悩の叫びは、あらゆる時代に――昨日も、今日も、また明日も――、神への愛のゆえに、真理と善への愛のゆえに苦しむすべての人が、助けを求めて上げる叫びでもあります。現代にあっても、このように苦しむ人がどれほど多いことでしょうか。
 わたしたちは、神の神秘に満ちた計画を探ることができません。わたしたちはただその一部を垣間見ることしかできません。わたしたちが自分を神と歴史の審判者にしようとするなら、それは誤りです。そのようなことをするなら、わたしたちは人間を守るどころか、人間の滅びを招きます。そうです。すべてのことを言い尽くし、行い尽くしたときも、わたしたちは謙遜な心で、しかし粘り強く、神に叫び続けなければなりません。目覚めてください。あなたの造られた人類を忘れないでくださいと。
 そして、わたしたちが神に上げる叫びは、わたしたち自身の心をも貫く叫びとならなければなりません。わたしたちの内に、神の隠れた現存を呼び覚ます叫びとならなければなりません。それは、神の力が、すなわち、神がわたしたちの心に植えてくださった力が、利己心や臆病や無関心や日和見主義の泥で、わたしたちの中に埋もれて、出てこれないようなことがないようにするためです。
 心の限り、神に叫び声を上げようではありませんか。新たな災いがわたしたちに降りかかり、あらゆる闇の力が人間の心から新たに立ち現れてきたように思われる、今このときに。あるところでは、罪のない人に無意味な暴力を振るうことを正当化するための手段として、神の名が濫用されているからです。また、あるところでは、冷酷な思想が、神を認めず、神への信仰を笑いものにしているからです。
 神に叫び声を上げようではありませんか。神が人びとを回心へと導き、暴力は平和をもたらすものではなく、さらなる暴力を生み出すだけであることを悟るように人びとを助けてくださいと。破壊の連鎖の中では、最終的にすべての人が敗者となるからです。
 わたしたちが信じる神は、理性を備えた神です。もちろんこの理性は、宇宙に関して中立的な態度をとる数学のような理性ではありません。それは愛といつくしみをもった理性です。わたしたちは神に祈り、また人類に呼びかけます。どうかこの理性が――すなわち、愛の論理が、和解と平和の力を認めることが、非合理主義や、神から切り離された偽りの理性がもたらす脅威に打ち勝ちますように。
 わたしたちが今立っている地は、記憶の地です。「ショア(ホロコースト)」の地です。過去はたんなる過去ではありません。過去はわたしたちに何かを語りかけています。過去は、わたしたちが歩むべき道と、歩んではならない道を、わたしたちに示しています。ヨハネ・パウロ二世と同じように、わたしもここで亡くなった人びとを記念してさまざまな言語で刻まれた碑文に沿って歩きました。碑文はベラルーシ語、チェコ語、ドイツ語、フランス語、ギリシア語、ヘブライ語、クロアチア語、イタリア語、イディッシュ語、ハンガリー語、オランダ語、ノルウェー語、ポーランド語、ロシア語、ロマ語、ルーマニア語、スロバキア語、セルビア語、ウクライナ語、ユダヤ系スペイン語、英語で書かれています。
 これらの碑文は皆、人間の悲しみを語っています。わたしたちはそこから、あの体制の冷酷な思想を窺い知ることができます。この思想は、人間を物質的な対象として扱い、人格として見ることがありませんでした。しかし、この人格の内に神の像が輝いているのです。
 いくつかの碑文を特に思い起こしてみたいと思います。ある、ヘブライ語で書かれた碑文があります。第三帝国の指導者たちは、全ユダヤ人を抹殺し、ユダヤ人を地上の人間の戸籍から消し去ることを望みました。こうして「われらは殺される者となり、屠るための羊とみなされています」という詩編のことばが恐ろしいしかたで現実のものとなったのです。
 結局、あの暴力的な犯罪者たちは、ユダヤ人を絶滅することによって、神を殺そうとしたのです。この神は、アブラハムを招き、シナイ山の上で語り、人間を導くための原則を定めました。この原則は永遠に有効なものです。もしユダヤ人が、ただ存在するだけで、人間に語りかけ、人間を担う神をあかしするなら、神は最終的に死ななければならず、権力は人間にのみ――すなわち、自分たちは力によって世界の支配者となれたと考えた、あの人びとに属するものとならなければなりません。イスラエルを「ショア」によって滅ぼすことによって、彼らはついにキリスト教信仰を成り立たせているものを根こそぎにし、最終的には、キリスト教信仰を、自分たちが造り出した信仰に代えようと望みました。彼らの造り出した信仰とは、人間による支配への信仰、力による支配への信仰です。
 また、ポーランド語で書かれた碑文があります。犯罪者たちは、何よりもまず、文化的なエリートを抹殺しようとしました。そこで歴史的に自律した存在であるポーランド人を抹消し、また、ポーランド人が存在する間は、彼らを奴隷の民におとしめようとしたのです。
 ロマ語で書かれた別の碑文は、ことに考察に値します。ここでも、犯罪者たちは、他民族の間で移動しながら生活する民族のすべてを消し去ろうと企てました。有益だとみなされた者だけを評価する思想によって、移動民は世界史の中で役に立たない要素と考えられたのです。この考え方に従って、有益でないものはすべて、「生きる価値のない生命」(lebensunwertes Leben)として分類されました。
 ロシア語で書かれた碑文もあります。これらの碑文は、恐ろしいナチ(国家社会主義)支配と戦った膨大な数のロシア兵が生命を失ったことを記念しています。けれども、同時にわたしたちはこの碑文によって、ロシア兵たちの使命が、悲しむべきことに二重の目的をもっていたことを思い起こします。彼らは一つの独裁から人びとを解放することによって、この人びとをもう一つの独裁に従わせることになったのです。すなわち、スターリンと共産主義思想による独裁です。
 ヨーロッパの多くの言語で書かれた他のさまざまな碑文も、ヨーロッパ大陸全体の人びとが味わった苦しみについてわたしたちに語っています。わたしたちが犠牲者をただ一般的に思い起こすのではなく、この恐怖の暗闇でいのちを失った一人ひとりの人の顔を見るなら、これらの碑文はわたしたちの心を深く揺り動かさずにはいられません。
 わたしは特にドイツ語で書かれた碑文の前で立ち止まらなければならないのを感じます。この碑文は、エディット・シュタイン、すなわち十字架のテレサ・ベネディクタの顔を思い出させてくれるからです。このユダヤ人のドイツ女性は、姉とともにナチス・ドイツの強制収容所の闇の恐怖の中で亡くなりました。キリスト信者であるとともにユダヤ人であった彼女は、ユダヤ人とともに、ユダヤ人のために死を受け入れたのです。
 アウシュヴィッツ=ビルケナウに移送されて、ここで死んだドイツ人は「国民のくず」(Abschaum der Nation)とみなされました。今日、わたしたちは、真理と善をあかしした人びととして彼らに感謝します。真理と善は、ドイツ人の中でさえも消えなかったからです。彼らは悪の力に屈することがありませんでした。こうして彼らは今やわたしたちの前に闇の中に輝くともしびのように立っています。それゆえ、わたしたちは彼らに感謝するのです。深い尊敬と感謝の念をもって、これらすべての人に頭を下げたいと思います。彼らはバビロンで燃える炉を前にした三人の若者のように、こう答えることができたからです。「わたしたちのお仕えする神は、わたしたちを救うことができます。そうでなくとも、ご承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、けっしていたしません」(ダニエル3・17-18参照)。
 そうです。これらの碑文の後ろには、数え切れない人間の運命が隠れています。この人びとがわたしたちの記憶を目覚めさせ、わたしたちの心を揺さぶります。彼らはわたしたちに憎しみを抱くことを求めません。彼らは、憎しみのもたらすものの恐ろしさをわたしたちに示しています。彼らの望みは、わたしたちの理性を導いて、悪を悪として認め、退けることができるようにすることです。彼らの望みは、善を行い、悪を退ける勇気をわたしたちの内に燃え立たせることです。彼らの望みは、ソポクレスがアンティゴネーに語らせた思いをわたしたちが感じるようになることです。アンティゴネーは自分を取り囲む恐怖を前にしていいます。「わたしは憎しみ合うようには生まれついてはおりません、愛し合うだけです」(ソポクレス『アンティゴネー』523行、柳沼重剛訳、『ギリシア悲劇全集3』岩波書店、1990年、267頁)。
 神の恵みによって、この恐怖の地から記憶の浄めを促されながら、悪に限界を設け、善を強固なものとするための多くの取り組みが生まれてきました。
 たった今、わたしは「対話と祈りのためのセンター」を祝福することができました。そのすぐ隣で、カルメル修道会の修道女のかたがたが隠れた生活を送っています。この修道女の皆様は、自分たちが特別なしかたでキリストの十字架の神秘に結ばれていることを知っておられます。こうして彼女たちはわたしたちに、キリスト信者の信仰を思い起こさせてくれます。この信仰は、神ご自身が苦しみの地獄にまで降って、わたしたちとともに苦しんでくださったことを宣言するのです。オシフィエンチムには「聖マキシミリアノ・コルベ・センター」と、「アウシュヴィッツとホロコースト国際教育センター」があります。ここには「国際青年出会いの家」もあります。古くからある祈りの家の一つの近くには「ユダヤ教センター」があります。最後に、現在、「人権学会」が設立されるところです。ですからわたしたちは、この恐怖の地が次第に建設的な思考を行うための地となり、想起することが悪への抵抗と愛の勝利を促すことを希望できます。
 アウシュヴィッツ=ビルケナウで、人類は「死の陰の谷」を歩みました。ですから、この地で、わたしは信頼の祈りをもって結びとしたいと思います。このイスラエルの詩編の一つは、キリスト信者の祈りでもあります。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主はみ名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしとともにいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。・・・・主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう」(詩編23・1-4、6)。

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