教皇ベネディクト十六世のクラクフ、ブロニエ公園でのミサ説教

教皇ベネディクト十六世は、5月25日から行った4日間のポーランド司牧訪問の最終日の5月28日(日)午前9時45分から、クラクフのブロニエ公園で、主の昇天の主日のミサをささげました。バチカン・インフォーメーション・サービス […]

教皇ベネディクト十六世は、5月25日から行った4日間のポーランド司牧訪問の最終日の5月28日(日)午前9時45分から、クラクフのブロニエ公園で、主の昇天の主日のミサをささげました。バチカン・インフォーメーション・サービスによれば、ミサには200万人の信者が参加しました。以下はミサにおける教皇の説教の全訳です。
説教の原文はポーランド語ですが、教皇は冒頭と最後以外はイタリア語テキストを読みました。翻訳にあたり、ポーランド語とイタリア語テキストを参照しながら、教皇庁の発表した英語訳を底本として用いました。


 

 「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」(使徒言行録1・11)。
 兄弟姉妹の皆様。今日、クラクフのブロニエ公園で、わたしたちは、使徒言行録に書かれたこの問いをあらためて聞きました。 今、この問いはわたしたちすべてに向けられています。「なぜ天を見上げて立っているのか」。この問いへの答えは、すべての人の人生と目的に関する基本的な真理を含んでいます。
 この問いは、すべての人生を形づくる二つの基本的な現実に対する、わたしたちの態度と関係します。一つは、地です。「なぜ立っているのか」。なぜ地上に立っているのか。わたしたちの答えはこれです。わたしたちがこの地上にいるのは、わたしたちを造ったかたが、その創造のわざを完成させるために、わたしたちをここに置いたからです。全能の神は、その言い表しがたい愛の計画によって、世界を無から創造しました。その後、この創造のわざを完成させるために、神は男と女を、ご自分にかたどり、ご自分に似せて造り、彼らにいのちを与えました(創世記1・26-27参照)。神は彼らに、神の子としての尊厳と、不死のいのちを与えました。わたしたちが知っているように、人は自分を見失い、自由というたまものを濫用して、神を否みました。こうして人は自らを、悪と罪と苦しみと死とともに生きるように定めました。しかし、わたしたちが知っているように、神はこのような状況を受け入れずに、直接、人類の歴史に入ってこられました。そこで、人類の歴史は救いの歴史となりました。「わたしたちは」地上に「立っています」。わたしたちは地上に根を下ろし、地から成長します。わたしたちはこの地上で善を行います。日常生活の多くの分野で。物質的な次元と霊的な次元で。人びととの関係の中で。人間の共同体を造り上げる努力によって。また文化の中で。ここでもわたしたちは人びとの労苦を目にします。人びとは長く困難な道を目的に向かって歩みます。彼らはためらいや、緊張や、不安を感じつつも、いつかこの旅が終わることを確信しています。そのとき疑問が生じます。地上にあるのは、これらのものですべてなのだろうか。わたしたちが「立っている」この地上が、わたしたちの最終的な目的地なのだろうか。
 そこでわたしたちは聖書に書かれた問いの第二の部分に向かう必要があります。「なぜ天を見上げて立っているのか」。このことばが語られたのは、ちょうど使徒たちが、復活した主に、地上のイスラエル王国が建て直されることについて尋ねたときでした。「イエスは天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」。そして「イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた」(使徒言行録1・9-10参照)。使徒たちが天を見上げていたのは、イエス・キリストを見つめていたからです。十字架につけられて、復活し、天に上げられたかたを見つめていたからです。このとき使徒たちが、自分たちの目の前に限りのない偉大な世界が開かれつつあることを理解していたかどうかは、わかりません。それは、わたしたちの地上の旅路がめざす究極的な目的です。おそらく使徒たちはこのことを、聖霊降臨のとき、聖霊の光のもとに、初めて理解したのだと思います。けれども、二千年の時を隔てたわたしたちは、この出来事の意味をはっきりと知ることができます。この地上に立って、わたしたちは天を見上げるように招かれています。それは、わたしたちの思いと心を、言い表しがたい神の神秘へと向けるためです。わたしたちはこの神という現実を見つめるように招かれています。わたしたちは、創造されたときから、この神に向けて方向づけられているからです。わたしたちはそこに人生の究極の意味を見いだすからです。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。今日わたしは、深い感動をもって、クラクフのブロニエ公園で感謝の祭儀を行っています。この地は、教皇ヨハネ・パウロ二世がその祖国への忘れがたい使徒的訪問の際に、しばしばミサをささげた場所だからです。教皇は典礼を通して世界のほとんどあらゆるところで神の民と会いました。けれども、クラクフのブロニエ公園でミサをささげることが、常に教皇にとって特別な出来事だったのは確かです。この地で、教皇の思いと心は、自分の起源に、すなわち自分の信仰と教会への奉仕の源泉に立ち返りました。この地から、教皇はクラクフと全ポーランドを見ることができました。最初のポーランドへの使徒的訪問で、1979年6月10日にこの公園で行われた説教の終わりに、教皇は郷愁とともにこう述べています。「皆さんとお別れする前に、わたしにもう一度クラクフを眺めさせてください。わたしがそのすべての石と煉瓦(れんが)を知り尽くしている、このクラクフを。そしてもう一度ポーランドを眺めさせてください」。2002年8月18日にここで最後のミサをささげたとき、教皇は説教でこう述べています。「わたしのクラクフに招いてくださったことに対して、皆さんがわたしを暖かく迎えてくださったことに対して、感謝します」(教皇ヨハネ・パウロ二世「クラクフ・ブロニエ公園における説教(2002年8月18日)」2)。わたしはこのことばを使い、それをわたしのことばとして、今日繰り返して述べたいと思います。「わたしのクラクフに招いてくださったことに対して、皆さんがわたしを暖かく迎えてくださったことに対して」皆様に心から感謝します。カロル・ヴォイティワの町、ヨハネ・パウロ二世の町であるクラクフは、わたしのクラクフでもあるのです。世界中の数えきれない数のキリスト信者の心の中で、クラクフは特別な位置を占めています。彼らは、ヨハネ・パウロ二世がこの町から、ヴァヴェルの丘から、「遠い国から」バチカンの丘に来たことを知っているからです。こうしてこの「遠い国」は、すべての人が愛する国になったのです。
 わたしの教皇職の2年目の初めにあたり、わたしは、わたしの前任者の足跡をたどる一人の巡礼者として、ポーランドとクラクフを訪ねなければならないと、強く感じました。わたしはヨハネ・パウロ二世の故国の空気を吸いたいと思いました。わたしは、ヨハネ・パウロ二世が生まれ、育ち、キリストと普遍教会に倦むことなく奉仕することを始めた土地を見たいと思いました。わたしは特に、ヨハネ・パウロ二世の故国に生きている人びとと会い、ヨハネ・パウロ二世にいのちと力とを与えた、皆様の信仰を体験し、皆様が信仰を堅く守り続けておられるのを見たいと思いました。ここでわたしは神に祈りたいと思います。どうかヨハネ・パウロ二世が世界と、特に皆様に与えた信仰と希望と愛の遺産を、神が皆様のうちに守ってくださいますように。
 わたしがここから見ることのできる人も、見ることのできない人も含めて、ブロニエ公園に集まってくださったすべての皆様に心からごあいさつ申し上げます。皆様の一人ひとりと直接お話しできればと思います。ラジオとテレビでわたしたちの感謝の祭儀に参加しておられるすべての皆様にも、愛をこめてごあいさつ申し上げます。ポーランドのすべての皆様にごあいさつ申し上げます。子どもたちと若者たち、個人と家族、病気の人、また、肉体や精神の苦しみのうちにあって、人生の喜びを奪われている人びとに、ごあいさつ申し上げます。日々の労働によってこの国がますます繁栄するための助けとなっているすべての人びとにごあいさつ申し上げます。全世界の海外に住んでいるポーランド人の皆様にごあいさつ申し上げます。クラクフの管区大司教であるスタニスワフ・ジーヴィッシュ枢機卿に、暖かい歓迎のごあいさつをいただいたことを感謝します。フランチシェク・マカルスキ枢機卿とすべての枢機卿、司教、司祭、奉献生活者、また多くの国、特に隣国からおいでくださった来賓の皆様にごあいさつ申し上げます。ポーランド共和国大統領と首相、そして政府、地域、地方行政機関の代表者の皆様にもごあいさつ申し上げます。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。ヨハネ・パウロ二世の足跡をたどるわたしのポーランド巡礼のテーマとして、わたしはこのことばを選びました。「信仰に基づいてしっかり立ちなさい」。この呼びかけは、キリストの弟子の共同体に属するわたしたちすべてと、わたしたち一人ひとりに向けられています。信仰は、深い意味で人格的かつ人間的な行為です。この行為は二つの側面をもっています。信じるとは、まず、わたしたちの頭で完全に把握できないことを真理として受け入れることです。わたしたちは、神がご自分について、わたしたちについて、目に見えないものも、言い表しがたいものも、わたしたちの想像を超えるものも含めた、わたしたちを取り巻くすべてのことについて、わたしたちに啓示してくださったことを受け入れなければなりません。啓示された真理を受け入れるというこの行為は、わたしたちの知の地平を広げ、わたしたちの人生がその中に浸されている、あの神秘へとわたしたちを引き寄せます。このように自分の理性の限界を認めることは、容易なことではありません。ここにわたしたちは信仰の二番目の側面を認めます。信仰はある人格への信頼です。ただしそれは、普通の人への信頼ではなく、イエス・キリストご自身への信頼です。わたしたちが何を信じるかということも大事ですが、もっと重要なのは、わたしたちがどのようなかたを信じるかということです。
 聖パウロはこのことを、今日朗読されたエフェソの信徒への手紙の箇所の中で述べています。神はわたしたちに知恵の霊を与えてくださり、「心の目を開いてくださいました。それは、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせ、また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさるキリストの力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるためです」(エフェソ1・17-20参照)。信じるとは、わたしたちを神に従わせ、わたしたちの運命を神に委ねることです。信じるとは、聖霊の力のうちに、わたしたちの造り主でありあがない主であるかたと個人的な関係を結ぶこと、また、この関係を自分の全生涯の基盤とすることです。
 今日わたしたちは次のようなイエスのことばを聞きました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1・8)。数百年前にこのことばがポーランドの地に到達しました。このことばは、自分がキリストに属する者だと考えるすべての人、キリストのことが何よりも大事だと思うすべての人に、挑戦を与えました。また今も挑戦を与え続けています。わたしたちはイエスの証人とならなければなりません。イエスは、教会と人間の心の中に生きておられるからです。イエスはわたしたちに、ある使命を与えました。天に上げられた日、イエスは使徒たちにいわれました。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。・・・・弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らとともに働き、彼らの語ることばが真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」(マルコ16・15、20)。親愛なる兄弟姉妹の皆様。カロル・ヴォイティワが普遍教会に奉仕するためにペトロの座に選ばれたとき、皆様の国はイエス・キリストへの信仰を特別にあかしする地となりました。皆様はこのあかしを全世界の前で行うよう招かれています。皆様のこの召命は常に必要とされています。また、神のしもべヨハネ・パウロ二世がこの世を去った今、おそらく今までにもまして必要とされています。どうかこのあかしを世界から取り去らないでください。
 ローマに帰ってわたしの奉仕職を続ける前に、わたしは、教皇ヨハネ・パウロ二世が1979年にここで述べたことばをもって、皆様すべてに呼びかけます。「親愛なる兄弟姉妹の皆様。皆様は強くあらねばなりません。皆様は信仰に基づく力によって強くあらねばなりません。皆様は信仰の力によって強くあらねばなりません。皆様は忠実でなければなりません。今日、他のいかなる時代にもまして、皆様はこの力を必要としています。皆様は希望の力によって強くあらねばなりません。この希望が、人生に完全な喜びをもたらし、またこの希望によって、わたしたちは聖霊を悲しませないですむからです。皆様は愛によって強くあらねばなりません。愛は死よりも強いからです。・・・・皆様は信仰と希望と愛の力によって強くあらねばなりません。この愛は、目覚め、成熟し、責任を伴います。この愛に助けられて、わたしたちはわたしたちの歴史のこの瞬間に、人間と世界との偉大な対話を行うことができます。それは神ご自身との対話、すなわち、聖霊のうちに、御子を通して、御父と行う対話に根ざした対話であり、救いの対話です」(教皇ヨハネ・パウロ二世「説教(クラクフ、1979年6月10日)」4)。
 教皇ヨハネ・パウロ二世の後継者である、わたしベネディクト十六世も、皆様にお願いします。地上から天を見上げてください。二千年の間、幾世代にもわたって、人びとが目を上げて仰いできたかた、そのかたのうちに人びとが自分の人生の究極の意味を見いだしてきたかたに、目を上げてください。神への信仰に強められながら、地上に神の国を築くよう、熱心に努めてください。それはいつくしみと正義と連帯と憐れみに基づく国です。皆様にお願いします。現代世界に対して勇気をもって福音をあかししてください。そして、貧しい人、苦しむ人、見捨てられた人、絶望した人、自由と真理と平和を渇望する人に希望をもたらしてください。自分の隣人に善を行い、共通善への関心を示すことによって、皆様は神が愛であることをあかしするのです。
 最後に皆様にお願いします。他のヨーロッパの国や世界の人びとに、皆様の信仰の宝を分け与えてください。皆様の同郷の人ヨハネ・パウロ二世も、聖ペトロの後継者として、たぐいまれな力をもって、効果的なしかたでそのことを行ったことを思い出してください。そして皆様がわたしの偉大な前任者を心にとめられたように、皆様の祈りと犠牲のうちに、わたしのことを心にとめてください。それは、キリストがわたしに与えた使命をわたしが果たすことができるためです。皆様にお願いします。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。希望に基づいてしっかり立ちなさい。愛に基づいてしっかり立ちなさい。アーメン。

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