教皇ベネディクト十六世のイスラーム諸国大使とイタリア国内のイスラーム団体代表者への演説

9月25日(月)午前11時45分から、カステル・ガンドルフォ教皇公邸で、教皇ベネディクト十六世は、イスラーム諸国大使とイタリア国内のイスラーム団体代表者との謁見を行いました。以下は、謁見の際に教皇が述べたことばの全訳です […]

9月25日(月)午前11時45分から、カステル・ガンドルフォ教皇公邸で、教皇ベネディクト十六世は、イスラーム諸国大使とイタリア国内のイスラーム団体代表者との謁見を行いました。以下は、謁見の際に教皇が述べたことばの全訳です(原文はフランス語)。
謁見には、クウェート、ヨルダン、パキスタン、カタール、コートジボワール、インドネシア、トルコ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、レバノン、イエメン、エジプト、イラク、セネガル、アルジェリア、モロッコ、アルバニア、アラブ連盟、シリア、チュニジア、リビア、イラン、アゼルバイジャンの大使と、イタリア・イスラーム評議会の会員14名、およびイタリア・イスラーム文化センターと世界イスラーム連盟事務局の代表者が参加しました。教皇の演説に先立って、ポール・プーパール教皇庁諸宗教対話評議会議長があいさつを行いました。
教皇のことばの原文は、アラビア語訳とともに9月25日・26日付「オッセルバトーレ・ロマーノ」1面に掲載されました。


枢機卿の皆様、
大使の皆様、
親愛なるイスラームの友人の皆様。

 この集いに皆様をお迎えできてうれしく存じます。わたしがこの集いを開くことを望んだのは、聖座と世界中のイスラーム共同体の友好と連帯のきずなを強めるためでした。たった今、ごあいさつくださった、教皇庁諸宗教対話評議会議長のプーパール枢機卿に感謝します。また、わたしの招きに答えてくださった皆様すべてに感謝いたします。
 わたしたちのこの集いを開くきっかけとなった事情は、ご存知の通りです。わたしはすでに先週、このことについて話す機会をもちました。この特別な状況において、わたしは今日、わたしがイスラーム教徒の皆様を尊敬し、心から尊重していることを強調したいと思います。その際、わたしは第二バチカン公会議のことばを思い起こします。それはカトリック教会にとってイスラーム教とキリスト教の対話の憲章となるものです。「教会はイスラーム教徒をも尊重する。彼らは唯一の神、すなわち、自存する生ける神、憐れみ深い全能の神、天地の創造主、人に語りかけた神を礼拝し、イスラーム教の信仰が進んで頼りとしているアブラハムが神に従ったのと同じく、神の隠れた意志にも全力を尽くして従おうと努力している」(第二バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』3)。
 このような展望にしっかりと身を置きながら、わたしは、わたしの教皇職の初めから、すべての宗教の信者との友好の架け橋を築き続けたいという望みを表明しました。その際わたしは、特にイスラーム教徒とキリスト教徒の対話の進展を重視することを明らかにしました(教皇ベネディクト十六世「カトリック以外の教会・教会共同体と他宗教の伝統の代表者への演説(2005年4月25日)」参照)。
 昨年ケルンで強調したように、「キリスト教徒とイスラーム教徒の間の宗教間対話と文化間対話は、気の向くときに、ときどき行われるようなものとなってはなりません。実際、こうした対話は緊急に必要とされています。わたしたちの未来の大部分はこの対話にかかっているからです」(教皇ベネディクト十六世「いくつかのイスラーム団体代表者への演説(2005年8月20日、ケルン)」)。相対主義をその特徴とし、あまりもしばしば超越的なものを理性の普遍性から排除する世界の中で、わたしたちは諸宗教間・諸文化間の対話を何よりも必要としています。それは、実りある協力の精神のもとに、あらゆる緊張をともに乗り越えるために、わたしたちの支えとなりうるからです。
 わたしの前任者である教皇ヨハネ・パウロ二世が始めた取り組みを引き継ぎながら、わたしは心から祈ります。多年にわたって発展してきたキリスト教徒とイスラーム教徒の信頼関係が、ただ継続するだけでなく、心から尊敬をもってなされる対話の精神のうちに発展することを。この対話は、これまでにもまして真実な相互理解に基づいてなされるものです。こうした相互理解は、わたしたちが共有する宗教的価値観を喜びをもって認めるとともに、互いの違いを忠実に尊重します。
 諸宗教間・諸文化間対話は、すべての善意の人が熱心に望んでいる、平和と友愛に基づく世界をともに築くために、不可欠なものです。この分野において、わたしたちの同時代の人びとは、生活の宗教的側面の価値をすべての人に示す雄弁なあかしを行うことを、わたしたちに期待しています。また、キリスト教徒とイスラーム教徒は、それぞれの宗教伝統の教えに忠実に従いながら、ともに働くことを学ばなければなりません。わたしたちはすでに、多くの共通の経験の中で、こうした協働を行っています。それは、あらゆる種類の不寛容を警戒し、あらゆる暴力行為に反対するためです。わたしたち宗教指導者と政治指導者は、こうした方向に向けた取り組みを導き、促進しなければなりません。
 実際、「諸世紀にわたる経過の中で、キリスト教徒とイスラーム教徒の間に少なからざる不和と敵意が生じたが、聖なる公会議は、すべての人に、過去のことを忘れ、互いに理解し合うようまじめに努力し、また社会正義、道徳的善、さらに平和と自由を、すべての人のために共同で守り、かつ促進するよう勧告する」(第二バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』3)のです。
 ですから、過去の教訓は、和解への道を探求する上で、わたしたちの助けとならなければなりません。それは、わたしたちが互いの存在と自由を尊重し、全人類への奉仕のための実り豊かな協力をめざして生きていくためです。教皇ヨハネ・パウロ二世がモロッコのカサブランカで青年たちに対して行った、記念すべき演説で述べたように、「尊重と対話はあらゆる領域での――特に基本的自由に関する事柄において、さらに特別な意味で、信教の自由において、相互性を必要とします。このことが、諸民族間の平和と友好のために役立つのです」(教皇ヨハネ・パウロ二世「イスラーム教徒の青年たちへの演説(1985年8月19日)」5)。
 親愛なる友人の皆様。わたしは深く確信しています。今日の世界情勢の中で、キリスト教徒とイスラーム教徒は、人類に示された多くの課題に立ち向かうために、特に人間の人格の尊厳と、この尊厳に由来する諸権利の擁護と促進のために、ともに努力しなければなりません。人類と平和が大きな脅威にさらされているとき、キリスト教徒とイスラーム教徒は、人間の人格の中心的な性格を認めることによって、また、人間の生命が常に尊重されるように忍耐強く働きかけることによって、自分たちの創造主への忠実を表します。創造主は、すべての人が、創造主に与えられた尊厳にふさわしく生きることを望んでいるからです。
 親愛なる友人の皆様。わたしは心を尽くして祈ります。憐れみ深い神が、ますます真実な相互理解に向けた道のりを歩むわたしたちの歩みを導いてくださいますように。イスラームの人びとがラマダーン月の霊的な旅路を始めるこのときにあたって、わたしはすべてのイスラーム教徒の皆様に心からのごあいさつを申し上げます。全能の神が、イスラーム教徒の皆様すべての上に、落ち着いた平和な生活を与えてくださいますように。平和の神が、皆様と皆様が代表する共同体を、その豊かな祝福で満たしてくださいますように。

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