教皇ベネディクト十六世のヨハネ・パウロ二世2回目の命日祭ミサ説教

4月2日(月)午後5時30分から、サンピエトロ広場で、ヨハネ・パウロ二世の2回目の命日祭ミサが教皇ベネディクト十六世の司式でささげられました。ミサには3万人以上の信者が参加しました。以下はミサにおける教皇の説教の全訳です(原文はイタリア語)。
なお、この日の正午に、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂で、2005年6月28日から始まった教区におけるヨハネ・パウロ二世列福手続きの終了を宣言する式が、ローマ教区の総代理のカミッロ・ルイーニ枢機卿によって行われました。列福審査は今後、教皇庁列聖省で行われます。


親愛なる司教職と司祭職にある兄弟の皆様、
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 2年前の今からほんの数時間後、愛する教皇ヨハネ・パウロ二世はこの世から父の家へと旅立ちました。このミサの中で、何よりもわたしたちはあらためて神に感謝したいと思います。神はヨハネ・パウロ二世を、27年間近くの間、父、また信頼できる信仰の導き手として、熱心な司牧者、また勇気ある希望の預言者として、神の愛をうむことなくあかしし、これに情熱的に仕える奉仕者として、わたしたちに与えてくださったからです。この選ばれた魂の安息のために感謝のいけにえをささげるにあたり、わたしたちは、ヨハネ・パウロ二世が、忘れることのできない深い信心をもって、この聖なる神秘を祝い、祭壇の秘跡を礼拝したことを思い起こします。祭壇の秘跡は、ヨハネ・パウロ二世の生涯と、疲れを知らない使徒的宣教の中心だったからです。
 わたしは、このミサに参加することを望まれたすべての皆様に感謝を表したいと思います。特にクラクフ大司教のスタニスワフ・ジーヴィッシュ枢機卿にごあいさつ申し上げます。わたしは、このときにあたってジーヴィッシュ枢機卿の心がどのような思いで満たされているかを想像いたします。列席された枢機卿、司教、司祭、男子・女子修道者の皆様にごあいさつ申し上げます。ポーランドからこのミサのために来てくださった巡礼者の皆様にごあいさつ申し上げます。すべての若者の皆様にごあいさつ申し上げます。教皇ヨハネ・パウロ二世は特別な情熱をもって皆様を愛しました。そして、イタリア全土と世界中から、今日のミサのためにここサンピエトロ広場に集まってくださった多くの信者の皆様にごあいさつ申し上げます。
 この敬愛すべき教皇の2回目の命日祭は、精神の集中と祈りのために特別にふさわしい状況の中で行われます。実際、昨日の枝の主日からわたしたちは聖週間に入りました。そして典礼はわたしたちに、主イエスの地上での最後の日々を再体験させてくれます。今日の典礼はわたしたちをベタニアへと導きます。福音書記者ヨハネが述べるように、このベタニアで、「過越祭の六日前に」、ラザロとマルタとマリアは、師であるかたに夕食を用意しました。福音書の記述は、わたしたちに深い過越の雰囲気を黙想させます。ベタニアでの夕食は、マリアがイエスに油を注ぐというしるしによって、イエスの死の前奏曲となります。マリアが師であるかたを敬うためにささげたこのしるしを、師であるかたは自分の葬りをあらかじめ告げるものとして受け入れます(ヨハネ12・7参照)。しかし、この夕食は、よみがえったラザロがそこにいることによって、復活を告げるものでもありました。ラザロは、死に対するキリストの力を雄弁に示すあかしだからです。ベタニアでの夕食は、過越の意味を含むばかりでなく、愛情と献身に満たされた、切迫した雰囲気を帯びています。そこでは喜びと苦しみが混ぜ合わされています。すなわち、イエスとその弟子が訪れたこと、ラザロが復活したこと、過越祭が近いことを祝う喜びです。また、この過越祭が最後のものとなるかもしれないという、深い悲しみです。なぜなら、そこにいた人びとは、イエスの死を望むユダヤ人の企てと、ラザロの危険を恐れていたからです。ユダヤ人たちはこのラザロをも殺そうと計画していました。
 この福音書の箇所で述べられた一つの出来事がわたしたちの注意を引きます。この出来事は今のわたしたちの心にも特別なしかたで語りかけます。そのときベタニアのマリアは「純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった」(ヨハネ12・3)。これは、イエスの生涯の中で詳しく書かれている出来事の一つです。それは、聖ヨハネが心からの記憶をもとに述べたもので、汲み尽くしえない豊かな意味を含んでいます。聖ヨハネはキリストへの愛を語ります。それは、イエスの足に注がれた「高価な」油のように、あふれるほど豊かで、惜しみない愛です。この出来事は明らかにイスカリオテのユダをつまずかせました。愛の論理は利益の論理と衝突するからです。
 わたしの敬愛すべき前任者を記念して祈るために集まったわたしたちにとって、ベタニアのマリアが行った、油を注ぐという行為は、霊的な響きと意味に満ちています。この行為は、ヨハネ・パウロ二世がキリストに対して行った、無条件で惜しみのない、輝くばかりの愛のあかしを思い起こさせます。「家」すなわち全教会は愛の「香りでいっぱいになった」(ヨハネ12・3)のです。ヨハネ・パウロ二世の近くにいたわたしたちがこの香りの恩恵にあずかり、神に感謝していることはいうまでもありません。しかし、遠くからヨハネ・パウロ二世を知っていた人もまた、この香りを味わうことができました。なぜなら、ヴォイティワ教皇のキリストへの愛は、あまりにも深く、強く、こういうことができるなら、世界のあらゆるところにあふれたからです。ヨハネ・パウロ二世の死に際して、信者と信者でない人を問わず示された尊敬と敬意と愛情は、このことを雄弁にあかししていないでしょうか。聖アウグスチヌスは、ヨハネによる福音書のこの箇所を解説して、次のように述べます。「『家は香油の香りでいっぱいになった』。つまり良い噂が世界中に広まった。良い香りとは良い噂のことである。・・・・良い人びとによっては神の名はほめ讃えられるのだ」(『ヨハネによる福音書講解説教』:In Johannis Evangelium tractatus 50, 7〔金子晴勇・木谷文計・大島春子訳、『アウグスティヌス著作集24』教文館、1993年、364頁〕)。このことはほんとうです。わたしたちの愛する教皇の熱心で実り豊かな司牧的奉仕職によって、さらにまたそのカルワリオ(されこうべの場所)の苦しみと穏やかな死によって、現代人は、ほんとうにイエス・キリストがヨハネ・パウロ二世の「すべて」だったことを知りました。
 ご存知の通り、この豊かなあかしは十字架に基づくものでした。カロル・ヴォイティワの生涯において、「十字架」ということばは、ことばだけのものではありませんでした。幼年時代また少年時代から、彼は苦しみと死を体験しました。司祭として、司教として、また特に教皇として、彼は復活した主がガリラヤ湖畔でシモン・ペトロに行った最後の呼びかけを真剣に受け取りました。「わたしに従いなさい。・・・・あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネ21・19、22参照)。特にゆっくりと、しかし執拗に病気が進行し、それが少しずつ教皇からすべてを奪い取るにつれて、教皇の全生涯は完全にキリストにささげられました。すなわち教皇は、復活への信仰の内に、希望に満たされながら、キリストの受難を生き生きと告げ知らせたのです。
 ヨハネ・パウロ二世はその教皇職を「寛大さ」のしるしのもとに生きました。教皇は、無条件に、惜しみなく自らを与えました。教皇を動かしたのは、キリストへの神秘的な愛以外の何だったでしょうか。このキリストが、1978年10月16日に次の荘厳なことばで教皇を招かせたからです。「先生がいらして、あなたをお呼びです(Magister adest et vocat te)」(ヨハネ11・28)。2005年4月2日、師であるかたはもう一度、そして今回は誰をも介さずに、教皇を招きました。それは、教皇を家に、すなわち父の家に連れて行くためでした。もう一度、すぐに教皇は、恐れを知らない心をもって、かすかな声でこたえました。「わたしを主のところへ行かせてください」(スタニスワフ・ジーヴィッシュ『カロルとの生涯』:S. Dziwisz, Una vita con Karol, p. 223参照)。
 教皇は長い間、このイエスとの最後の出会いのときに備えていました。それは、教皇の『遺言』のさまざまな草稿に記されている通りです。教皇は公邸の礼拝堂に長い間とどまり、イエスに語りかけ、自分を完全にイエスのみ旨にささげました。また、「すべてはあなたのものです(Totus tuus)」と繰り返し唱えながら、自分をマリアに委ねました。神である師と同じように、教皇は祈りながら苦しみを体験しました。生涯の最後の日となった、神のいつくしみの主日の前夜、教皇はヨハネによる福音書を朗読してくれるように頼みました。看護する人の助けを借りながら、教皇はすべての日毎の祈りと聖務日課にあずかり、礼拝と黙想を行いたいと望みました。教皇は祈りながら亡くなりました。まことに教皇は、主において眠りに就いたのです。
 「家は香油の香りでいっぱいになった」(ヨハネ12・3)。この意味深いヨハネによる福音書の記事に戻りたいと思います。教皇の信仰、希望、愛の香りは、教皇の家を、サンピエトロ広場を、教会を満たし、全世界に広がりました。教皇の死後に起きたのは、信じる者に対するこの「香り」の影響でした。この「香り」は、近くにいる人も遠くにいる人も含めて、すべての人に及び、これらの人びとを、神が次第にキリストに似たものとして造り変えた人へと引き寄せました。それゆえ、わたしたちは第一朗読で読まれた主のしもべの第一の歌のことばを教皇に当てはめることができます。「見よ、わたしのしもべ、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。・・・・」(イザヤ42・1)。「神のしもべ」――教皇はまさに「神のしもべ」でした。そしてわたしたちは今、教皇の列福手続きが速やかに進められる中で、教会の中で教皇を「神のしもべ」と呼びます。この列福手続きについては、今日の午前、教皇の生涯と徳と聖性のほまれに関する教区における審査が終了しました。「神のしもべ」。これは教皇に特にふさわしい呼び名です。主は教皇を、司祭職の道を通じて自分に奉仕するよう召し出しました。そして、彼の教区から普遍教会へと、少しずつ、より広い地平を開いていきました。この普遍的な次元は、教皇が死んだときに最大限にまで広がりました。教皇の死は、歴史上かつてないしかたで、全世界が参加した出来事となったからです。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。答唱詩編は信頼に満ちたことばをわたしたちに唱えさせます。諸聖人の交わりの中で、わたしたちは愛するヨハネ・パウロ二世の声をはっきりと耳にするように感じます。わたしたちは確信しています。ヨハネ・パウロ二世は、父の家から、旅する教会とともに常に歩み続けてくださいます。「主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め」(詩編27・14)。そうです。親愛なる兄弟姉妹の皆様。心を強くし、燃えるような希望を抱こうではありませんか。この心の招きをもって、感謝の祭儀を続けたいと思います。わたしたちはすでにキリストの復活の光を目にしています。この光は、聖金曜日の悲しむべき闇の後、復活徹夜祭のときに輝き出ます。マリアの執り成しによって、わたしたちも愛する教皇の「すべてはあなたのものです(Totus tuus)」に力づけられ、教皇に従って、自分をキリストにささげる道を歩んでいくことができますように。聖なるおとめがわたしたちにこの恵みを得させてくださいますように。わたしたちはこの母なるみ手に、わたしたちの父、兄弟、友である教皇を委ねます。教皇が神の内に安らい、平安にあずかることができますように。アーメン。

PAGE TOP