教皇ベネディクト十六世、教皇庁定期訪問(アド・リミナ)中の日本司教団への講話

12月15日(土)午前、バチカンの枢機卿会議の間で、教皇ベネディクト十六世は教皇庁定期訪問(アド・リミナ訪問)中の日本司教団と謁見を行いました。以下は謁見の中で教皇が述べたことばの全訳です(原文は英語)。 日本司教団は1 […]

12月15日(土)午前、バチカンの枢機卿会議の間で、教皇ベネディクト十六世は教皇庁定期訪問(アド・リミナ訪問)中の日本司教団と謁見を行いました。以下は謁見の中で教皇が述べたことばの全訳です(原文は英語)。
日本司教団は12月10日(月)から15日(土)まで教皇庁定期訪問(アド・リミナ訪問)を行いました。「アド・リミナ訪問」は「使徒ペトロとパウロの墓前を訪れる」という意味です。前回の日本司教団の教皇庁定期訪問は2001年3月に行われました。今回の訪問の中では、4日間にわたり各司教と教皇との個人謁見が行われました。10日(月)、髙見三明大司教(長崎大司教区)、郡山健次郎司教(鹿児島教区)、押川壽夫司教(那覇教区)、三末篤實司教(広島教区)。13日(木)、池長潤大司教(大阪大司教区)、松浦悟郎司教(同)、宮原良治司教(大分教区)、大塚喜直司教(京都教区)、野村純一司教(名古屋教区)。14日(金)、岡田武夫大司教(東京教区)、幸田和生司教(同)、溝部脩司教(高松教区)、菊地功司教(新潟教区)。15日(土)、谷大二司教(さいたま教区)、地主敏夫司教(札幌教区)、平賀徹夫司教(仙台教区)、梅村昌弘司教(横浜教区)。
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兄弟である司教の皆様。
 アド・リミナ訪問中の皆様をお迎えできてうれしく思います。皆様は使徒ペトロとパウロの墓を崇敬するためにおいでくださったからです。皆様を代表してペトロ岡田武夫大司教様がしてくださったご丁寧なごあいさつに感謝します。わたしも皆様と、皆様が司牧するようゆだねられたすべての人々に心からのごあいさつと祈りをささげます。皆様は、ペトロが福音宣教の務めを果たし、自らの血を流してまでキリストをあかしした町に来られました。そして、この偉大なペトロの後継者を訪ねてこられました。このようにして皆様は、皆様の国の教会の使徒的基盤を強め、司教団に属する他のすべての人々とのきずなと、ローマ教皇とのきずなを目に見える形で示します(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告『神の民の牧者(Pastores gregis)』8参照)。わたしはこの機会に、最近亡くなった教皇庁移住・移動者司牧評議会名誉議長のステファノ濱尾枢機卿様に対しあらためて哀悼の意を表します。そして、濱尾枢機卿様が長年にわたり教会に奉仕してくださったことに感謝したいと思います。濱尾枢機卿様はご自身の存在をもって、日本の教会と聖座の交わりのきずなを示されました。濱尾枢機卿様が安らかに憩われますように。
 昨年、教会は、日本の使徒、聖フランシスコ・ザビエルの生誕500年を大きな喜びの内に記念しました。わたしは皆様とともに、聖フランシスコ・ザビエルが皆様の国で宣教のわざを果たし、日本に初めて福音が告げ知らされた時代にキリスト教信仰の種をまいたことを神に感謝します。大胆に、勇気をもってキリストを宣べ伝えなければならないことは、教会にとって変わることのない優先課題です。実際それはキリストが教会に与えた荘厳な務めです。キリストは使徒たちにこう命じたからです。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16・15)。現代の皆様の課題は、現代日本の文化的状況の中で、キリストの知らせを生き生きとしたしかたでもたらすための新しい方法を探ることです。キリスト信者が人口のわずかな割合を占めるにすぎないとはいえ、信仰は日本社会全体に分かち与えなければならない宝です。この分野で皆様は、指導的立場にある者として、聖職者、修道者、カテキスタ、教師、家庭に対し、自分たちが抱いている希望について説明するよう促さなければなりません(一ペトロ3・15参照)。そのためには『カトリック教会のカテキズム』と『カトリック教会のカテキズム綱要』の教えに基づく健全な信仰教育が必要です。人々の前で信仰の光を輝かそうではありませんか。それは、「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるため」(マタイ5・16)です。
 実際、世界は、福音がもたらす希望の知らせを渇望しています。皆様の国のようなきわめて発展した国々においても、経済的な成功や技術の進歩だけでは人間の心を満たすことができないことに多くの人が気づいています。神を知らない人には「究極的な意味で希望がありません。すなわち、人生全体を支える偉大な希望がありません」(教皇ベネディクト十六世回勅『キリスト教的希望について(Spe salvi)』27)。人生には職業上の成功や利益を超えたものがあることを、人々に思い起こさせてください。家庭や社会の中で愛のわざを行うことを通じて、人々は「キリストの内に神との出会い」へと導かれます。「この神との出会いによって、愛が呼び覚まされ、心を人に開くことができるようになるからです」(教皇ベネディクト十六世回勅『神は愛(Deus Caritas est)』31)。日本のキリスト信者が同じ日本人に示すことのできるのは、この偉大な希望です。この希望は皆様の国と異質なものではありません。むしろそれは、皆様の愛する国で受け継がれてきたあらゆるすばらしいもの、貴いものを強め、それらに新しい刺激を与えます。皆様の国の人々は、教会が教育や医療を初めとした多くの分野で優れた貢献を示したことによって、教会に対して正当な敬意を示しています。このことに基づいて、皆様には、人々と対話し、喜びをもって人々にキリストについて告げる機会が与えられています。キリストは「すべての人を照らす光」(ヨハネ1・9)だからです。とくに若者は、現代の世俗文化の魅力にあざむかれる危険にさらされています。けれども、最初は多くのことを約束するかのように見えるあらゆる希望と同様(教皇ベネディクト十六世回勅『キリスト教的希望について(Spe salvi)』30参照)、こうした魅力は偽りの希望だったことがわかります。そして悲しむべきことに、幻滅は、うつ状態や絶望、さらには自殺までも引き起こすことが少なくありません。若者の深いあこがれを満たすことができるのは神だけです。もし若者の力と熱意を神にかかわることがらに向けることができるなら、多くの若者が生涯をキリストにささげるよう力づけられるでしょう。そして、司祭、修道生活を通じてキリストに奉仕するという召命を感じる人も出てくることでしょう。自分にこのような召命があるかどうか考えるよう、若者たちを招いてください。恐れることなく、このような招きを行ってください。皆様の司祭や修道者にも、積極的に召命を促進するよう勧めてください。そして皆様の民が、「収穫のために働き手を送ってくださるように」(マタイ9・38)主に祈り求めるよう導いてください。
 日本における主の畑は、次第にさまざまな国籍の人々で構成されるようになりました。日本のカトリック信者の人口の半分以上を移住者が占めています。このことは、皆様の国の教会生活を豊かにし、神の民の真の意味での普遍性を体験するための機会を与えてくれます。すべての人が教会に受け入れられていると感じることができるような措置を講じることによって、皆様は移住者がもたらす多くのたまものを活用できます。同時に、普遍教会の典礼と秘跡に関する規定を注意深く守るよう、つねに心がけなければなりません。現代の日本は、広く世界と関わる道を本心から選択しました。全世界に広がるカトリック教会は、日本がこのように国際社会に向けていっそう開かれたものとなる歩みに価値ある貢献を行うことができます。
 他の国々が日本から学べることもあります。それは、日本が古来の文化の中で蓄積してきた知恵、また、とくに過去60年間、国際政治において日本がとってきた立場を特徴づける、平和へのあかしです。皆様は、武力紛争が罪のない人々に多くの苦しみをもたらしている世界の中で、この平和へのあかしの変わることのない重要性について、ますます教会の声を示してこられました。わたしは、皆様が日本の国民生活における公共的なことがらに関して発言し続け、さまざまな声明の広報と宣伝に努めてくださるよう勧めます。それは、これらの声明が社会のあらゆるレベルで適切なしかたで知られるようになるためです。こうして福音のもたらす希望の知らせは、人々の心と思いに真の意味で触れるようになります。そこから、人々は、未来への確信を強め、いのちへの愛と尊重を深め、皆様の国に住む外国人や滞在者に対してより開かれた心をもつことができるようになるのです。「希望を抱く人は生き方が変わります。希望を抱く人は新しいいのちのたまものを与えられます」(教皇ベネディクト十六世回勅『キリスト教的希望について(Spe salvi)』2)。
 このことに関連して、これから行われる日本の188殉教者の列福は、日本の歴史においてキリスト教が力強く確かなあかしを行ったことをはっきりと示します。日本人は最初期から、キリストのために自らの血を流す用意ができていました。「キリストが触れた」これらの人々の希望を通じて、「闇の中で希望をもたずに生きていた他の人々にも希望が与えられました」(教皇ベネディクト十六世回勅『キリスト教的希望について(Spe salvi)』8)。わたしは皆様とともに、ペトロ岐部とその同志が雄弁なあかしを行うことができたことを神に感謝します。「彼らはその衣を小羊の血で洗って清くし」、今や昼も夜もその神殿で神に仕えているからです(黙示録7・14-15)。
 全教会は、この待降節の中で、わたしたちの救い主の誕生を祝うことを心から待ち望んでいます。この準備の季節が、皆様と日本の教会全体にとって、信仰と希望と愛を深める機会となることを祈ります。こうして平和の君が真の意味で皆様の心を住まいとすることができますように。皆様と皆様の司祭、修道者、信徒の皆様を聖フランシスコ・ザビエルと日本の殉教者の取り次ぎにゆだねながら、主における喜びと平和の保証として、わたしの使徒的祝福を心から送ります。

(カトリック中央協議会訳)
(2007.12.16)

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