教皇ベネディクト十六世のワールドユースデー・シドニー大会閉会ミサ説教

2008年7月20日(日)午前10時から、オーストラリア・シドニーのランドウィック競馬場で、教皇ベネディクト十六世の司式により、第23回ワールドユースデー・シドニー大会閉会ミサが行われました。ミサには35万人の青年が参加 […]

2008年7月20日(日)午前10時から、オーストラリア・シドニーのランドウィック競馬場で、教皇ベネディクト十六世の司式により、第23回ワールドユースデー・シドニー大会閉会ミサが行われました。ミサには35万人の青年が参加しました。以下に訳出するのは、教皇の説教の全文です。教皇の説教は英語で行われ、終わりにイタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語であいさつが行われました。ミサの中で教皇は24名の青年に堅信を授けました。ミサの朗読箇所は、第一朗読が使徒言行録1・3-8、2・1-12、第二朗読が一コリント12・4-13、福音がルカ4・16-22aでした。


親愛なる友人の皆様。
  「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」(使徒言行録1・8)。わたしたちはこの約束が実現したのを目にしました。第一朗読で読まれたように、聖霊降臨の日、復活して、父の右の座に座った主は、二階の広間に集まっていた弟子たちに聖霊を遣わしました。霊の力を受けて、ペトロと使徒たちは出かけていき、地の果てに至るまで福音をのべ伝えました。世界中の教会は、あらゆる時代に、あらゆることばで、神の驚くべきわざをのべ伝え、すべての国民と民族を、信仰と希望とキリストに結ばれた新しいいのちへと招き続けます。
  数日前、聖ペトロの後継者であるわたしも、この偉大な国オーストラリアにまいりました。わたしの兄弟姉妹である若者の皆様。わたしが来たのは、皆様の信仰を強め、キリストの霊の力と豊かなたまものに心を開くよう、皆様を力づけるためでした。わたしは祈ります。「天下のあらゆる国から」(使徒言行録2・5参照)来た若者が集う、この偉大な集会が、新しい二階の広間となりますように。神の愛の炎が降って皆様の心を満たし、皆様をいっそう完全に主とその教会に結びつけ、新しい世代の使徒である皆様を、世をキリストへと導くために遣わしてくださいますように。
  「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」。復活した主のこのことばは、今日のミサの中でこれから堅信を受け、聖霊のたまもので証印を押される若者の皆様にとって特別な意味をもっています。しかし、このことばはまた、わたしたち一人ひとりにも語りかけています。すなわち、洗礼によって和解と新しいいのちという聖霊のたまものをすでに受けたすべての人。堅信によって聖霊を助け主また導き手として心に受け入れたすべての人。そして、聖体を通じて聖霊の恵みのたまもののうちに日々成長しているすべての人に向けて語りかけています。実際、ミサがささげられるたびごとに、聖霊は新たに降ります。教会は荘厳な祈りによってこの恵みを願い求めます。それは、わたしたちが供えるパンとぶどう酒が主のからだと血に変わるためだけではなく、わたしたちの人生が造り変えられ、聖霊の力によって、わたしたちが「キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心となる」ためです。
  しかし、この聖霊の「力」とは何でしょうか。それは神のいのちの力です。創造の初めに水の面を動いていた霊、そして、時が満ちて、イエスを死者の中から復活させた霊――その同じ霊の力です。この力は、わたしたちと現代世界を神の国の到来へと向かわせます。今日の福音の中で、イエスは、聖霊が全人類の上に注がれる新しい時代が始まったとのべ伝えます(ルカ4・21参照)。聖霊によって身ごもり、おとめマリアから生まれたイエスご自身が、わたしたちの間に来て、わたしたちに聖霊をもたらしました。キリストに結ばれたわたしたちの新しいいのちの源泉である聖霊は、きわめて現実的な意味で、教会の魂です。聖霊は、わたしたちを主と、また互いに結びつける愛です。そして聖霊は、わたしたちの周りにある驚くべき神の恵みのわざにわたしたちの目を開く光でもあります。
  このオーストラリアという「偉大な南の聖霊の島」で、わたしたちは皆、美しい自然の中で、聖霊の現存と力を忘れがたいしかたで体験しました。わたしたちは、周りの世界の真実の姿に目を開きました。詩人がいうとおり、世界は「神のかがやきをいっぱいに帯びています」(Gerard Manley Hopkins, God’s Grandeur, The Poems of Gerard Manley Hopkins, 4th edition, eds. W. H. Gardner, N. H. MacKenzie, London/New York/Toronto 1970, p. 66〔安田章一郎・緒方登摩訳、『ホプキンズ詩集』春秋社、1982年、125頁〕)。世界は造り主である神の愛の栄光に満たされています。この全世界から来たキリスト信者の若者の集会においても、わたしたちは教会生活における聖霊の現存と力を生き生きとしたしかたで体験しました。わたしたちは教会の真実の姿を目にしました。すなわち、教会はキリストのからだです。生きた愛の交わりです。あらゆる人種、あらゆる国と言語、あらゆる時間と場所の人を、復活した主への信仰から生まれた一致のうちに包み込みます。
  聖霊の力は絶えず教会をいのちで満たします。教会の秘跡の恵みを通じて、この力はわたしたちの奥深くにも地下水のように流れ込みます。それはわたしたちの心を養い、わたしたちのまことのいのちの源泉であるキリストの近くへと、ますますわたしたちを引き寄せます。2世紀の初めにローマで殉教したアンティオキアの聖イグナチオ(110年頃没)は、わたしたちの中に住まわれる聖霊の力についてのすばらしいことばを残しました。イグナチオはいいます。聖霊はわたしたちの心の中で湧き上がる生きた水の泉です。この泉はこうささやきかけます。「来なさい。父のもとに来なさい」(『イグナチオの手紙――ローマのキリスト者へ』6・1-9参照)。
  けれども、聖霊の恵みであるこの力は、報いとして与えられたり、手に入れたりできるものではありません。わたしたちはこれを純粋なたまものとして受けることしかできません。神の愛は、わたしたちを内面から造り変えることができるときに、初めてその力を示すことができます。わたしたちは、自分たちの無関心、霊的な怠惰、現代の時代精神への盲目的な追従という固い殻を、神の愛によって突き破ってもらわなければなりません。そのとき初めて、神の愛はわたしたちの想像力をかき立て、心の奥底にある願いを形づくることができるようになるのです。だから祈りが何よりも重要なのです。それは、毎日の祈りにも、静かな心で、聖なる秘跡の前で行う個人の祈りにも、教会の中心で行われる典礼の祈りにもいうことができます。祈りは神の恵みをただひたすら受け入れることです。実践に移した愛です。わたしたちの中に住まわれる聖霊との交わりです。祈りはわたしたちを、教会の中で、イエスを通して、わたしたちの天の父へと導きます。イエスは、聖霊の力によって、いつもわたしたちの心の中におられます。そして、わたしたちを待っておられます。どうか静かにわたしとともにいて、わたしの声に耳を傾け、わたしの愛のうちにとどまり、「天からの力」を受けなさい。この力によってあなたがたは現代世界の塩また光となることができるのですと。
  天に上げられるとき、イエスは弟子たちにいいました。「あなたがたは・・・・地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1・8)。このオーストラリアで、信仰の恵みを与えてくださった主に感謝しようではありませんか。信仰の恵みは、教会の交わりの中で、宝物のように、世代から世代へと手渡されて、わたしたちに伝えられました。このオセアニアで、この地の教会を築いた勇敢な宣教者、熱心な司祭と修道者、キリスト信者の両親と祖父母、教師とカテキスタに、特別に感謝しようではありませんか。福者メアリー・マッキロップ(1842-1909年)、聖ペトロ・シャネル(1803-1841年)、福者ペトロ・トゥ・ロト(1912-1945年)のような証人を初めとする多くの人々に。これらの人々の生涯のうちに示された聖霊の力は、彼らが残した富の中で、彼らが築き、皆様に手渡した社会の中で、今も働いています。
  親愛なる若者の皆様。今、皆様に一つの質問をさせていただきたいと思います。「皆様」は次の世代に何を残すことを望まれるのでしょうか。皆様は堅固な土台の上に人生を築き、いつまでも残る何かを造り上げておられるでしょうか。世は神を忘れることを望み、誤った自由の概念の名のもとに神を拒絶することさえあります。このような世のただ中で、皆様は、聖霊に場所を空けながら人生を過ごしておられるでしょうか。皆様は、与えられたさまざまなたまものをどのように使っておられるでしょうか。聖霊は今もこの「力」を皆様のうちで進んで示そうとしています。皆様はこれから生まれる若者にどのような遺産を残そうとしておられるのでしょうか。皆様は世をどのように変えようと望んでおられるのでしょうか。
  聖霊の力は、わたしたちを照らし、慰めるだけではありません。それはわたしたちを未来へと、すなわち神の国の到来へと向かわせます。今日の福音で約束された新しい時代のうちに、わたしたちは、あがなわれ、新たにされた人類に関するなんとすばらしい展望を目にすることでしょうか。聖ルカはいいます。イエス・キリストは、神が約束したすべてのことの実現です。聖霊に満たされて、全人類に聖霊の恵みを与えるメシアです。キリストが人類に聖霊を注いだことは、希望と、わたしたちを乏しくするあらゆるものからわたしたちが解放されることの保証です。聖霊の注ぎは、目の見えない人の視力を回復し、しいたげられた人を解放し、分裂のあるところに一致をもたらします(ルカ4・18-19、イザヤ61・1-2参照)。聖霊の力は新しい世を造り出すことができます。それは「地の面を新たにする」(詩編104・30参照)ことができるのです。
  聖霊に力づけられ、信仰がもたらす豊かな展望に引き寄せられながら、キリスト信者の新しい世代はこう招かれます。すなわち、神のいのちのたまものを拒んだり、脅威として恐れたり、滅ぼすのではなく、それを迎え入れ、尊び、育てる世界を築くために役立つ者となるようにと。新しい時代において、愛は貪欲であることも、自分のことを求めることもありません。かえって、愛は清らかで、忠実で、真心から自由で、人々に開かれ、人々の尊厳を尊び、人々の善益を求め、喜びと美を広げます。新しい時代において、希望は、わたしたちの魂を滅ぼし、人間関係を損なう浅はかな考えや、無気力や、自己中心主義からわたしたちを解放します。親愛なる友人である若者の皆様。主は皆様にこう願っています。この新しい時代の預言者となり、主の愛の使者となってください。人々を父のもとに導き、全人類のために希望の未来を築いてくださいと。
  世はこのようなしかたで新たにされることを必要としています。現代社会の多くの人のうちに、物質的な繁栄と並んで、霊的な砂漠が広がりつつあります。すなわち、内的な空しさ、名状しがたい恐れ、密かな絶望感です。どれほど多くのわたしたちの同時代人が、壊れて水のなくなった水溜めを掘ったことでしょうか(エレミヤ2・13参照)。彼らは絶望的なしかたで意味を求めました。すなわち、愛だけが与えることのできる究極の意味を。福音がもたらす、わたしたちを解放する偉大なたまものとはこれです。すなわち、福音のもたらすたまものは、神の像と似姿に従って男と女として造られたわたしたちの尊厳を示します。このたまものは人間の最高の使命を示します。わたしたちはこの使命を愛によって実現します。福音のもたらすたまものは、人間といのちに関する真理を解き明かします。
  教会もこのようなしかたで新たにされることを必要としています。教会は皆様の信仰と、理想に燃える、寛大な心を必要としています。それは、教会がつねに聖霊によって若返ることができるためです(第二バチカン公会議『教会憲章』4参照)。今日の第二朗読の中で、使徒パウロは、一人ひとりの、またすべてのキリスト信者が、キリストのからだを築くためにたまものを与えられていることをわたしたちに思い起こさせます。教会はとくに若者のさまざまなたまものを必要としています。教会はすべての若者を必要としています。教会は聖霊の力によって成長しなければなりません。聖霊は今も皆様若者に喜びを与え、喜んで主に仕えるよう促します。この聖霊の力に心を開いてください。わたしはこの呼びかけをとくに、皆様の中で、司祭職と奉献生活へと主が召し出している人々に申し上げます。イエスに「はい」ということを恐れることはありません。イエスのみ旨を行うことに喜びを見いだすことを恐れることはありません。自分のすべてを聖性の追求のためにささげ、すべての能力を人々への奉仕のために用いてください。
  間もなくわたしたちは堅信の秘跡を授けます。聖霊は受堅者の上に降ります。彼らは聖霊のたまもので「証印」を押され、キリストの証人として派遣されます。聖霊の「証印」を受けるとはどういうことでしょうか。聖霊の「証印」を受けるとは、消えることのないしるしを受け、もはや変えることのできないしかたで造り変えられた、新しい被造物となることです。このたまものを受けた人にとって、もはや何も今までと同じではありえません。一つの霊によって「洗礼を受ける」とは(一コリント12・13参照)、神の愛で火をともされるということです。霊を「飲む」とは、わたしたちと世に対するすばらしい主の計画によって新たにされ、わたしたちも、他の人々が霊的に新たにされるための源泉となるということです。「霊の証印を押される」とは、キリストを弁護するのを恐れないということです。福音の真理を、わたしたちがものを見、考え、行動するしかたの中に染みとおらせて、愛の文明の勝利のために働くということです。
  受堅者のために祈りながら、聖霊の力がわたしたち自身の堅信の恵みをも新たにしてくださるように願い求めようではありませんか。聖霊が、ここにおられるすべての人の上に、シドニーの町の上に、このオーストラリアの地と、その全国民の上に、そのたまものを豊かに注いでくださいますように。わたしたちが皆、知恵と理解の霊、正しい判断と勇気の霊、神を知り、愛し、敬う心の霊、神の現存に対する驚きとおそれの心の霊によって新たにされますように。
  教会の母であるマリアの愛に満ちた執り成しによって、わたしたちがこの第23回ワールドユースデーを新しい二階の広間として体験することができますように。この新しい二階の広間から、聖霊の愛の炎で燃えるわたしたちが皆、行って復活したキリストをのべ伝え、すべての人の心をキリストへと引き寄せることができますように。アーメン。

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