教皇ベネディクト十六世のコレージュ・デ・ベルナルディンでの講演

教皇ベネディクト十六世は、教皇として初めてのフランス司牧訪問の一日目の9月12日(金)午後5時30分から、パリのコレージュ・デ・ベルナルディンで、フランスの文化関係者に対する講演を行いました。以下はその全文の翻訳です(原文はフランス語)。講演にはフランスの文化関係者約700人が参加しました。


枢機卿の皆様
文化大臣
パリ市長
フランス学士院総裁
親愛なる友人の皆様

 ご丁寧にごあいさつくださった(パリ大司教のアンドレ・ヴァン=トロワ)枢機卿に感謝致します。わたしたちは歴史的な場所に集まっております。この場所はクレルヴォーの聖ベルナルド(Bernardus Claraevallensis 1090-1153年)の子らによって建てられました。そして、枢機卿の偉大な前任者である、故ジャン=マリー・リュスティジェ枢機卿(Jean-Marie Lustiger 1926-2007年)はこの場所がキリスト教の知恵と現代社会の文化的・知的・芸術的思潮との対話の中心となることを望みました。わたしはとくにフランス政府を代表してご来席くださった(クリスティーヌ・アルバネル)文化相、および(元大統領)ジスカール・デスタン氏と(前大統領)シラク氏にごあいさつ申し上げます。同じようにわたしは、ご来席の閣僚の皆様、ユネスコ代表者、(ベルトラン・ドラノエ)パリ市長、そして他の当局のすべての皆様にもごあいさつ申し上げます。フランス学士院のわたしの同僚の皆様のことも忘れることができません。この人々はわたしからの敬意をよく知っておられます。またわたしは、ご丁寧にごあいさつくださった(ガブリエル・)ド・ブローイ・フランス学士院総裁に感謝申し上げます。わたしたちは明日の午前にもう一度会うことになっています。この集会に参加してくださったフランスのイスラム共同体の代表者に感謝申し上げます。わたしはこのかたがたに、すでに始まっているラマダンの季節のごあいさつを申し上げます。親愛なるご列席の皆様。もちろんわたしは、皆様がふさわしく代表しておられる、さまざまな文化的世界全体に心よりごあいさつ申し上げます。

  今晩わたしは、西方神学の起源とヨーロッパ文化の根底について皆様にお話ししたいと思います。まずわたしは、皆様が集まっておられるのは象徴的な場所だと申し上げます。この場所は修道院文化と結ばれています。若い修道士たちがこの地にやって来ました。それは、彼らが自分の召命を深め、その使命を忠実に生きるためでした。この場所は今もわたしたちに何かを語りかけてくるでしょうか。それとも、わたしたちは過去の世界を見いだすだけでしょうか。この問いにこたえるために、西方修道制の特徴そのものを考察してみなければなりません。西方修道制とはどのようなものだったのでしょうか。わたしたちは、修道制が歴史的にもたらしたものを考えることによって、次のようにいうことができます。諸民族の移動と新たな国家秩序の形成から生じた文化の大きな断絶のただ中で、修道院は、古代文化の宝が生き残り、この古代文化から新たな文化が少しずつ形づくられる場となりました。ところでそれはどのようにして行われたのでしょうか。人々は何に促されてこの場所に集まったのでしょうか。彼らは何を望んだのでしょうか。彼らはどのように生きたのでしょうか。

  何よりもまず現実的に認めなければならないことがあります。それは、彼らの望みは、新たな文化を創造することでも、過去の文化を保存することでもなかったということです。彼らを促したものはきわめて単純でした。彼らの目的は神を求めること(quaerere Deum)でした。何ものも抵抗できないかのように思われた混乱した時代の中で、修道士たちはきわめて重要なことを望みました。すなわち彼らは、いつまでも残る価値あるもの、つまりいのちそのものを見いだすよう努めたのです。彼らは神を探求しました。彼らは、二義的なものを後にして根本的な現実に向かうことを望みました。この根本的な現実だけが真に重要で確かなものだったからです。彼らは「終わりの日」に向かっていたといわれることもあります。しかし、この「終わりの日」を時間的な意味で考えてはなりません。つまり、彼らは世の終わりあるいは自分の死をめざして生きたというようにです。むしろ「終わりの日」は実存的な意味で考えなければなりません。彼らは、はかないものの彼方にある、決定的なものを探求したのです。「神を求めること(quaerere Deum)」。彼らはキリスト者だったので、「神を求める」とは、道なき荒れ野を冒険することでも、完全な暗闇の中で探求を行うことでもありませんでした。神ご自身が道標を示してくださいました。そればかりか、神ご自身が道を平らにしてくださいました。彼らの務めは、この道を見いだし、この道を歩むことでした。この道が神のことばでした。神のことばは聖書のさまざまな書物を通して人間に与えられます。それゆえ、神の探求は本来、ことばの文化を必要とします。いいかえれば、ジャン・ルクレール(Jean Leclercq 1911-1993年)が述べたように、西方修道制において文法学と終末論は互いに切り離すことができません(L’amour des lettres et le désir de Dieu, p. 14〔『修道院文化入門――学問への愛と神への希求――』神崎忠昭・矢内義顕訳、知泉書館、2004年、11頁〕参照)。神の探求は学問への愛を含みます。すなわちそれは、ことばを愛し、ことばのあらゆる側面を研究することを含むのです。神は聖書のことばを通してわたしたちのもとに来られ、わたしたちは聖書のことばを通して神のもとに至ります。だからわたしたちは、ことばの奥義を究め、構造と用法を通してことばを理解しなければなりません。ですから、まさに神の探求のために世俗的学問が重要な意味をもつようになります。世俗的学問は言語への道をわたしたちに示してくれるからです。図書室も造られました。図書室は、学校としての修道院にとってその不可欠な部分だからです。図書室と学校はことばへの道を具体的なしかたで開きます。聖ベネディクト(Benedictus de Nursia 480頃-547/560年頃)は修道院を「主に仕えるための学校(dominici servitii schola)」(Regula, prologus, 45〔『聖ベネディクトの戒律』古田暁訳、すえもりブックス、2000年、13頁〕)と呼びました。学校と図書室は理性の教育(eruditio)の確かな基盤となります。人間はこの理性の教育に基づいて、さまざまなことばを通してみことばを聞くことができるようになります。

  神の探求と結ばれた、このことばの文化の全体を見渡せるようになるために、さらに道を歩まなければなりません。みことばは神を求めるための道を開きます。また、みことばそのものが道です。それゆえ、みことばは共同性を生み出します。実際、みことばは一人ひとりの人の心を動かします(使徒言行録2・37参照)。大グレゴリオ(Gregorius Magnus 540頃-604年)は、それは思いがけない強い痛みだといいます。この痛みはわたしたちの眠った魂を揺さぶり、わたしたちを目覚めさせ、神という本質的な現実に注意を向けさせます(Leclercq, ibid., p. 35〔前掲邦訳42頁〕参照)。けれどもこの痛みはまた、わたしたちに互いに対して注意を向けさせます。みことばは個人として神秘家の道を歩ませるだけでなく、信仰の道を歩むすべての人の共同体へとわたしたちを導きます。だから、みことばを考察するだけでなく、正しく読まなければなりません。ラビの学派と同じように、修道士たちにとっても、修道士が読むということは同時に身体的な行為でもありました。このことについてルクレールは次のようにいいます。「ほとんどの場合、『読むこと(legere)』と『読書(lectio)』が特定されずに用いられる場合、それらはある行為を指しており、歌うことや書くことのように、身体全体と精神全体を動員するものであった」(ibid., p. 21〔前掲邦訳22頁〕)。

  さらにもう一歩進まなければなりません。神のことば自身がわたしたちを神との対話へと導きます。聖書の中で語る神は、わたしたちがどのようにすれば神と語れるようになるかを教えます。とくに神は詩編を通して、わたしたちが神に語りかけるためのことばを与えます。この神との対話を通して、わたしたちは、よいときも悪いときも含めて、自分の人生を神の前に示します。そしてわたしたちは人生を神への運動に造り変えます。詩編は多くの場合、どのように歌うべきか、どのように楽器で伴奏するかに関する指示も含んでいます。神のことばに基づいて祈るには、口で唱えるだけでは不十分で、音楽が必要とされるのです。キリスト教の典礼の二つの賛歌は聖書のテキストに由来します。聖書においてこれらの賛歌は天使の口で唱えられます。すなわち、イエスが生まれたときに天使が初めて歌った「栄光の賛歌(グロリア)」と、「感謝の賛歌(サンクトゥス)」です。イザヤ書6章によれば、「感謝の賛歌(サンクトゥス)」は、神のそば近くに立つセラフィムの歓呼の声です。ですから、キリスト教典礼は天使とともに歌うことへの招きであり、ことばに最高の役割を与えます。このことについてジャン・ルクレールはいいます。「修道士たちはあがなわれた人間と彼がほめたたえる神秘との一致を表現する調べを見つけ出さねばならなかった。われわれが保存しているクリュニーの柱頭のいくつかが示しているのは個々の旋法のキリスト論的な象徴である」(ibid., p. 229〔前掲邦訳314頁〕参照)。

  ベネディクトにとって、修道士の祈りと歌に関する決定的な規則は、詩編のことばです。「主よ、わたしは天使たちのみ前であなたの賛美を歌う(Coram angelis psallam Tibi, Domine)」(詩編138・1参照)。ここでいわれているのは、共同の祈りにおいては天上の集い全体の前で歌うのだということ、したがって自分たちは最高の尺度で測られるのだという自覚です。祈り、歌うとは、いと高きところにいる霊の音楽に自分を合わせることです。霊は、宇宙の調べ、すなわち天上の音楽の作者とみなされるからです。ここからわたしたちはクレルヴォーの聖ベルナルドの考察が重大であることを理解できます。ベルナルドは聖アウグスチヌス(Aurelius Augustinus 354-430年)によって伝えられたプラトン主義的伝統に基づくことばを用いて、修道士の下手な歌を裁きます。それはベルナルドにとって決してどうでもよいことではなかったからです。ベルナルドは、下手な歌による不協和音を「似ても似つかぬ境地(regio dissimilitudinis)」に陥ることだといいます。聖アウグスチヌスはこのプラトン主義哲学の表現を用いて回心以前の自分の魂の状態を述べました(Confessiones VII, 10, 16〔『告白』山田晶訳、中央公論社、1968年、238頁〕参照)。神の像として造られた人間は、神から離れることによって「似ても似つかぬ境地」、すなわち神から遠く離れた状態に陥ります。人間はそのとき神の映しではありません。それゆえ神と似ていないだけでなく、人間としての真の本性にも似つかわしくない者となります。ここで修道士の歌が下手なことをいうために、人間が自分自身から離れることを表す表現を用いた聖ベルナルドは、明らかに厳しい態度を示しているといえます。しかし、それは彼がどれほどこのことを真面目に考えていたかを表します。ここで示されているのは、歌の修練は存在の修練でもあるということです。そして、修道士は、自分に伝えられたみことばの偉大さ、すなわち、みことばが求める真の美にふさわしく祈り、また歌わなければならないということです。神ご自身が与えたことばによって神に語りかけ、神について歌う際のこの重大な要求が、偉大な西洋音楽を生み出しました。西洋音楽は個人の「創造性」が生んだものではありません。それは、個人が自己表現を根本的な基準として、自分自身のための記念碑として建てたものでもありません。むしろ西洋音楽で問題となったのは、被造物の音楽的調和を生み出す法則や、造り主が世界と人間に注ぎ込んだ音楽の本質的な形を「心の目」で注意深く見つけることです。そして、神にふさわしいと同時に、真の意味で人間にふさわしい、この尊厳をはっきりと表す音楽を作り出すことです。

  ところで、神の内的な探求から出発して成長した西方修道制のことばの文化を理解するために、とくに聖書あるいは聖書のもろもろの文書について簡単に触れる必要があります。みことばは聖書を通じて修道士たちに伝えられたからです。純粋に歴史的また文学的観点から見ると、聖書は単なる書物ではありません。むしろ聖書はさまざまな文学的テキストの集成です。これらのテキストは千年以上をかけて編集されました。そして、さまざまな文書が一体をなしていることはすぐにはわかりません。その反対に、それらの文書の間には目に見える形で緊張が存在します。このことは、わたしたちキリスト者が旧約聖書と呼ぶ、イスラエルの聖書においてすでに問題となっていました。わたしたちキリスト者が、イスラエルの聖書をキリストに至る道として解釈することによって、新約聖書とその諸文書をイスラエルの聖書と結びつけたときにも、それは問題となりました。新約聖書において、聖書が通常、「(単数形の)聖書」としてではなく、「(複数形の)聖なる諸文書」と呼ばれるのは十分な理由があります。にもかかわらず、当然のことながら、これらの「聖なる諸文書」が全体としてわたしたちに語りかけた神のことばとみなされます。このような複数形の使用は次のことをきわめてはっきりと表します。すなわち、神のことばは人間のことばを通して、つまり人間のさまざまなことばを通してわたしたちに語りかけます。いいかえると、神は人間の人間性を通して、すなわち人間のことばと歴史を通して初めてわたしたちに語りかけるのです。このことはあらためて次のことを意味します。すなわち、みことばやさまざまなことばの神的性格はかならずしも自明なものではないということです。現代のいいかたでいうなら、聖書の諸文書の統一性と聖書のことばの神的性格は、歴史的な方法だけではとらえられません。歴史的要素は多様性と人間性において示されます。そこから、中世の二行詩が作られたわけがわかります。この二行詩は、一見すると人をとまどわせるもののように思われます。「文字は出来事を示し、アレゴリー(寓意)は信じるべきことを示す(Littera gesta docet-quid credas allegoria)」(Augustinus de Dacia〔1285年没〕, Rotullus pugillaris, I)。「信じるべきこと」とは、キリスト論的・聖霊論的解釈のことです。

  もっと単純にいうならばこうです。聖書は解釈を必要とします。そして、解釈は、聖書を書き、体験した共同体を必要とします。解釈を通して初めて聖書は統一性をもちます。そして、解釈を通して全体を統一する意味が現れてきます。別のいいかたをすればこうです。みことばとさまざまなことばにはさまざまな意味の次元があります。この意味の次元は、この歴史を生み出すみことばを体験した共同体の中で初めて見いだされます。多様な意味がますます把握されることを通して、みことばはおとしめられるのではなく、反対にその偉大さと尊厳を現します。だから『カトリック教会のカテキズム』は適切にもこう述べます。すなわち、キリスト教は古典的な意味での単なる書物の宗教ではありません(同108参照)。キリスト教はさまざまなことばのうちに「みことば」、すなわち「ロゴス」そのものをとらえます。「ロゴス」は人間の歴史の多様性と現実を通してその神秘を示すからです。聖書がもつこの特別な構造は、あらゆる世代の人々にたえず新たな挑戦を与えます。聖書はその性格から、今日「根本主義(ファンダメンタリズム)」と呼ばれるあらゆる思想を退けます。実際、神のことばはただテキストの文字のうちに存在するのではありません。神のことばを把握するには、超越と理解の過程を必要とします。この理解の過程は、テキスト全体の内的運動に導かれます。そこから、この理解の過程は同時に生活の過程とならなければなりません。テキスト全体が動的に統一されて初めて、多くの文書が「一つの」書物となります。神のことばと世における神のわざは、ことばと人間の歴史を通して初めて啓示されるのです。

  このテーマの根本的な性格は聖パウロの著作によって明らかになります。文字を超越し、全体を理解するということが意味することを、パウロは次のことばで根本的な形で示します。「文字は殺しますが、霊は生かします」(二コリント3・6)。パウロはさらにいいます。「霊のおられるところに自由があります」(二コリント3・17)。しかしながら、聖書のことばに関するこのような見方の偉大さと豊かさを理解するには、聖パウロのことばを最後まで聞かなければなりません。そして、このわたしたちを自由にする霊には名前があること、したがってこの自由は内的基準をもつことを知らなければなりません。「ここでいう主とは〝霊〟のことですが、主の霊のおられるところに自由があります」(二コリント3・17)。自由にする霊は、単に解釈を行う人の理念や、個人的な見方ではありません。霊とはキリストのことです。そして、キリストはわたしたちに道を示してくださる主です。霊と自由に関するこのことばによってさらなる地平が開かれます。しかし、同時に、恣意的・主観的な考えに対しては明確な限定が与えられます。この限定は個人も共同体も強く拘束します。そして、テキストの文字の束縛以上の束縛を行います。それは、知性と愛に基づく束縛です。聖書解釈の文学的な問題を超えた、この束縛と自由の緊張関係が、修道制の思想と活動をも決定づけます。そしてそれは深い意味で西洋文化を形成しました。この緊張関係はわたしたちの世代に対して新たな挑戦として現れます。わたしたちは二つの極端な態度に直面しているからです。すなわち、主観的な自由放任主義と、狂信的な原理主義の二つです。現代のヨーロッパ文化が今後、自由を拘束の完全な欠如と理解するなら、ヨーロッパ文化は破滅します。それは狂信主義と自由放任主義を助長せざるをえないからです。拘束の欠如と自由放任主義は、自由ではなく、自由の破壊です。

  ベネディクトは修道制を「主に仕えるための学校」と呼びましたが、わたしたちはこの「主に仕えるための学校」について考察してきました。その際わたしたちは、おもにことばに向かう方向性、すなわち「祈れ(ora)」に対する方向性だけに目を向けました。実際、これこそが修道生活全体を方向づける出発点です。しかし、少なくとも簡単にでも、修道制の第二の構成要素に目をとめなければ、わたしたちの考察は不完全なものとなります。この第二の構成要素は「働け(labora)」ということばで示されます。ギリシア世界において肉体労働は奴隷の仕事とみなされました。知者、すなわち真に自由な者だけがひたすら霊的なことがらに専念します。知者は肉体労働を劣った活動とみなして、それを優れた生活すなわち霊的な生活を行うことができないと思われる人々にゆだねます。ユダヤ教の伝統はそれとはまったく異なりました。偉大なラビは手仕事も同時に行いました。「ラビ」であり、後に異邦人のための福音の使者となったパウロは、テント職人であり、自分の手で生計を立てました。パウロは例外ではなく、ラビの共通の伝統の中に位置づけられます。キリスト教的修道制もこの伝統を受け入れました。手仕事は修道制の構成要素です。聖ベネディクトはその『戒律』の中で厳密な意味で学校について語っていません。もっとも、教育と学習が実際に行われていたことはわたしたちがすでに見たとおりです。しかし、聖ベネディクトは『戒律』の一つの章ではっきりと労働について語ります(第48章参照)。アウグスチヌスも修道士の労働について特別に一つの書物を書きました。ユダヤ教が長く実践してきた伝統を受け入れたキリスト教徒は、さらに、ヨハネによる福音書に書かれたイエスのことばによって招かれていることを感じなければなりません。安息日に働くことを弁明してイエスはいいます。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」(ヨハネ5・17)。ギリシア・ローマ世界は造り主としての神を認めませんでした。彼らの考えによれば、至高の神は、物質を創造するために、いわば手を汚すことができません。世界の「構築」は、下位の神であるデミウルゴスの仕事です。聖書の神はそれとはまったく異なります。聖書の神は、唯一の生きた真の神であると同時に、造り主でもあります。神は働くかたです。神は人間の歴史の中で、また人間の歴史に対して働き続けます。神はキリストのうちに、歴史を生み出す労苦に自らかかわりました。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」。神ご自身が世界の造り主です。そして創造のわざは完成していません。神は働いておられます(エルガゼタイ)。だから人間の労働は、人間が神の似姿であることの特別な表れだと考えられるようになりました。神は人間を世における神の創造のわざにあずからせるからです。ことばの文化とともに修道制を構成する、この労働の文化がなかったなら、ヨーロッパがその道徳性(エートス)と世界観を発展させることはありえませんでした。当然のことながら、この道徳性(エートス)の起源は次のものだと考えなければなりません。すなわち、人間の労働と歴史の形成は、造り主に協力することであり、またこれらは造り主の基準によって判断されるということです。この基準がなければ、また人間が自分自身を造り主である神のような地位にまで高めるなら、世界の変容はただちに世界の破壊となる可能性があります。

  わたしたちは次の考察から出発しました。すなわち、古代の秩序と古代の確信が崩壊する中で、修道士の基本的態度は「神を求めること(quaerere Deum)」つまり神の探求を始めることでした。この態度は真の意味で哲学的な態度だといえます。それは二義的な現実を超えて、真の意味で実在する究極的現実の探求を始めることだからです。修道士となった人は気高く長い道のりを歩み始めます。けれども彼はすでに自分を方向づけるものを手にしています。すなわち、聖書のみことばです。彼は聖書のみことばのうちに神が語りかけてくださるのを聞くからです。これから彼は神が何をいわれているのかを理解しようと努めなければなりません。それは神に近づくことができるためです。それゆえ、修道士の歩みは、どこまで歩いたかを測るのは不可能だとはいえ、与えられたみことばのうちで行われます。修道士の探求には、ある意味で、すでに答えが含まれています。この探求を行うことができるには、最初から心の内なる動きがなければなりません。この動きが、探求しようとする意志を促すだけでなく、こう信じることを可能にするからです。すなわち、このみことばのうちにいのちの道が見いだされます。このいのちの道を通って、神は人間と出会うために来られます。それは、人間が神と出会うことができるようにするためです。こういいかえることもできます。みことばを告げ知らせなければなりません。みことばは人間に語りかけます。そして、人間に確信を与えます。この確信がいのちとなることができるのです。神のことばである聖書のみことばのうちに道が開かれるなら、このみことばをまず外に向けて告げ知らせなければなりません。キリスト教信仰は他の人に伝えなければならないものだということを表す古典的な表現は、ペトロの手紙一のことばに示されます。中世神学はこのことばを神学を行うことの聖書的根拠と考えました。「あなたがたの抱いている希望について説明(ロゴス)を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい」(一ペトロ3・15)。(希望についての説明である「ロゴス」は、「弁明(アポ・ロギア)」とならなければなりません。「ロゴス」は応答とならなければなりません。)実際、初代教会のキリスト者は自分たちの宣教活動を宣伝(プロパガンダ)とは考えませんでした。宣伝は自分たちの集団の地位を高めるために行われます。むしろ彼らは、宣教活動を、自分たちの信仰のあり方に基づいて、本来必要なものだと考えました。彼らが信じる神はすべての人の神でした。唯一、まことの神でした。この神はイスラエルの歴史の中でご自分を知らせましたが、ついに御子を通じてご自分を知らせました。こうして神はこたえをもたらしました。このこたえは、すべての人にかかわるものであり、またすべての人が心の奥底で待ち望んでいたものでした。神の普遍性と、神に開かれた理性の普遍性が、彼らキリスト者に宣教を促しました。またそれは宣教を義務としました。彼らキリスト者にとって、信仰は、文化的習慣に属するものではありませんでした。文化的習慣は民族によって異なるからです。むしろ信仰は、真理の領域に属するものでした。真理はすべての人に同じようにかかわるものだからです。

  「外に向けて(ad extra)」――すなわち、問いかけ、探求する人々に向けて――なされるキリスト教の宣教の根本構造は、聖パウロのアレオパゴスでの説教のうちに示されます。忘れてならないことがあります。すなわち、当時、アレオパゴスは、最高の知識人が集まって高尚なテーマについて議論する学士院のようなものではありませんでした。むしろアレオパゴスは裁判所でした。この裁判所は宗教的なことがらを扱い、異国の宗教の導入に反対しなければなりませんでした。まさにこの点でパウロは非難されたのです。「彼は外国の神々を宣伝する者らしい」(使徒言行録17・18)。パウロはこの非難にこういってこたえます。「わたしは『知られざる神に』と刻まれているあなたがたの祭壇を見つけました。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」(使徒言行録17・23参照)。パウロは知られざる神々を知らせるのではありません。彼は人々が知らずに、しかも知っているかたを知らせます。それは知られ、知られざるかたです。人々はこのかたを求めています。だから、実は人々はこのかたを知っています。けれども人々はこのかたを知らず、知ることもできません。究極的にいえば、人間の思考と感情は、神が存在しなければならないことをある意味で知っています。万物の初めに、非合理なものでなく、造り主である理性が存在しなければならなかったことを、まったくの偶然ではなく、自由が存在しなければならなかったことを知っています。しかしながら、パウロがローマの信徒への手紙(1・21)で強調しているように、たとえすべての人がこのことをある意味で知っているとしても、この知識はあいまいなままです。単に人間の精神が思い描き、作り出しただけの神は、真の神ではありません。わたしたちがどうあがこうとも、神がご自身を示さなければ、わたしたちは神に近づくことができません。キリスト教の宣教の新しいところは、今やすべての民にこういうことができるようになったということです。神は自らご自身を示してくださいました。今や神へと通じる道が開かれています。キリスト教の宣教の新しいところは、思想のうちにではなく、わざのうちにあります。すなわち、神が自らを現してくださったということです。それは単なるわざではなく、「ロゴス」としてのわざです。「ロゴス」とは、わたしたちの肉のうちにとどまってくださる永遠の理性です。「ことばは肉となった(Verbum caro factum est)」(ヨハネ1・14)。それゆえ、今や「ロゴス」は真の意味で現実のうちに存在します。「ロゴス」はわたしたちのただ中におられます。このわざは理性的です。もちろん、理性がへりくだることがつねに必要です。それはこのわざを受け入れることができるためです。人間のへりくだりが必要なのは、神のへりくだりにこたえるためです。

  現代の状況は多くの点で、パウロがアテネの人々と出会った状況と異なります。しかし、どれほど違ってはいても、二つの状況には多くの点で共通するところもあります。わたしたちの町には、多くの祭壇も、さまざまな神々を表す像もありません。多くの人にとって神は真の意味で、大いなる知られざるかたとなっています。けれども、多くの神々の像の背後に、知られざる神への問いが隠され、存在した過去の時代と同じように、神が不在の現代においても、暗黙のうちに、神に関する問いが投げかけられています。「神を求めること(quaerere Deum)」。神を探求し、神に見いだされること。このことが、現代において、過去のように必要とされないということはありません。純粋に実証主義的な文化が、神についての問いを、非科学的なものとして主観的な領域に追いやるなら、この文化は理性を降伏させ、その最高の力を放棄させることになります。こうしてこの文化は人間性をおとしめ、深刻な結果をもたらします。ヨーロッパ文化の基盤となったもの、すなわち神の探求と、神に耳を傾ける姿勢は、今日においてもあらゆる真の文化の根底であり続けるのです。
  有難うございます。

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